「君は自分が何を言っているか理解しているのかい」

 問いかけた後、きっと理解しているんだろうなあと気付いて肩を落とす。
 予想に違わず李絳攸は頷き、突き刺さるどころか貫通しそうなくらい真っ直ぐな視線を向けてきた。

「……一歩間違えれば法を犯す行為だとも、先輩への裏切であることも理解しています」
「俺についてはどうでもいいんだけど、分かっているなら何故――」

 言いかけて、ふと考える。李絳攸は16歳、加えて先月進士になったばかりの新米だが、『史上最年少の状元』という肩書きは伊達じゃない。彼は年齢や生い立ち、そういった諸々の事情を吹き飛ばす程の努力を重ね、紅家当主の養子という特殊な環境で社会的に揉みに揉まれてきた(つわもの)なのだ。
 紅黎深に命を救われ、紅黎深によって養われ、紅黎深の手で導かれ、結果として紅家特有の『本家至上主義』の申し子となってしまった彼は、どんな状況でも、どんな状態でも、紅家を第一として動き、当主の顔に泥を塗らないよう、常に自身を律している。
 逆に言えば、現状彼が積極的に動く場合というのは、『仕事上必要にかられた時』か『それが紅家にとって必要な時』の2パターンしかないのである。自身の利益では絶対に動かないというのが彼らしい。

(……可能性だけならもう一つ)

 国試受験時に友人ができたらしいと百合姫から喜びの報を受け取った。おそらく藍楸瑛のことだろう。
 ならば、身内に甘い紅家の化身・李絳攸のことだ、その『友人』とやらの為ならば動くかもしれない。

(まあ、今回は違うか)

 藍楸瑛は真っ当な被害者である。たとえ本人にその自覚がなくとも。今、李絳攸が取っている行動は「犯人をかばう」類のものであり、藍楸瑛を助けようという意思は見当たらない。もしかしたら彼は、この件の標的が藍楸瑛であると知らないのかもしれない。
 だとしたら――

「……李進士」
「はい」
「それは、君の意思か」

 李絳攸は目を伏せた。――紅家の意思、ということか。
 暫く見ていると、ややあって李絳攸が詰めていた息を吐き出し、諦めたような、どこかほっとしているような、どちらとも判断できない表情を浮かべ、苦笑した。



色彩独奏競争曲
スキエッタメンテの心情




「――と、いうわけだ」
「僕は絶対に貴方とだけは友人になりたくありません」

 李絳攸との接触から一週間。定期会議にて、私は改めて李絳攸との会話を報告した。ちなみに接触した当日のうちに、すでに会話の概要だけは各代表に伝えている。反応は様々だった。
 しかし私にも言い分がある。

「何言ってるの、俺達の仕事は『藍楸瑛を守り抜くこと』だよ。有益な情報を一人で抱え込んでいたって活かせなければ意味がない。確かに絳攸君は大切な知人だけど、今は仕事の方が大事だ」

 目の前の卓に置かれた書類に手を伸ばす。そこに書かれた文字列に、知らず眉を顰める。

「――たとえ相手が紅家でも、絳攸君でも、容赦できない。ましてや手を引くのは論外だ。ただ護るだけってのは根本的な解決にならないし、俺達に求められていることでもない。
更に言うと、この件、何が何でも彩七家から引き離しておかないといけない」
「貴族から主導権を護るつもりですか?」

 陸清雅が問う。

「流石に全ては無理かもしれないけど、うん」
「言いたいことは分かりますが……」

 陸清雅は、額に手を当てて呻いた。茈静蘭と裏行代表も難しい顔をして黙り込んでいる。

「とんでもなく大変ですよ、それ」
「……ああ、まあ……知ってる」

 陸清雅の言葉に、改めて彩雲国の現状を思い知ってうなだれた。
 完全なるピラミッド型ヒエラルキーが形成されている彩雲国では、政治は王族・貴族のものであるという考えが主流、というより常識である。国試制度が導入されて平民出身の官吏も幾分出るようになったが、教育面や受験費用等、問題も多々あって、その数は1%に満たない。
 政治は中央から地方まで、王族・貴族・豪族に占められているのが現状だ。

 そんな中で、私は師(せんせい)の仮子――いわゆる養子のことだ――として一応貴族の仲間入りを果たしてはいるものの本来は商家の出であり、公表していないが元を辿れば賤民――被差別階級に属している。
 もちろん朝廷内で知られているのは『商家出身』という部分までだが、それだけでも一般的な官吏との間に差が出る。それは周囲の見方だけではなく……コネとか金色のミルフィーユとか、まあ、その辺り。

 もちろんそういうもの抜きに見てくれる人もいる。――が、やはり長年の常識は簡単には覆らないようで。
 朝廷で力を持っているのは、第一に王様、そして彩七家をはじめとする大貴族・貴族・豪族官吏だ。……平民は、まだまだ少ない。

 私はもう一度、小部屋を見渡した。

 手紙もさほど発達しておらず電話もインターネットもない世界では、血縁と主従関係と人脈こそが力となる。陸清雅は貴族だが、未だ侍僮。茈静蘭は本来はどうあれ今は家人。裏行代表はたしか平民の出だ。朝廷で立ち回るには……藍楸瑛を護り、黒幕を捕縛するには、私達の後ろ盾はどうしようもなく弱い。

「でも、やるよ。取り返したい」

 李絳攸の言葉が私の背を後押しする。
 貴族はとかく『家』を大事にする傾向が強い。それは、どこまでも薄暗く、そして血みどろの大業年間が生み出してしまった、悲しくなるほど切実な保身だ。彩七家ほどの大貴族となると更に顕著で、そうすると生まれるのが「身内の恥は露見する前に消せ」という思考だ。だからこそ、この件に貴族の介入を許さず、朝廷という土俵に上げ続けることは大きな意味を持つ。

 国は貴族のものじゃない。

 彩雲国に愛着なんてない。私の祖国はいつまでも日本だ。けれど、この国の土を踏み、生活を送り、そして(まつりごと)に関わっている以上、目を逸らしてはいけないことがある。

 決意を口にして言えば、陸清雅が呆れたように溜息を付き、茈静蘭は興味なさそうに資料へと目を落とした。裏行代表は一瞬驚き、次いで少し嬉しそうにはにかんだ。

「……もしかして、いや?」

 その反応になんとなく心配になって傍らの少年に問いかける。余談だが、茈静蘭については気にするだけ無駄だと思っている。彼の表情を促すに足るものは末の弟と紅家の直系一家ぐらいだろう。
 陸清雅はじっと私の顔を見たあと、鼻で笑った。

「別に昨日今日あなたの侍僮になったわけではありませんから。こうなることは予想済みです」
「……協力してくれるって解釈していいんだよね?」
「どうぞお好きなように」

 そっけない返答だが、どうやら反対する気はないらしい。茈静蘭と裏行代表が陸清雅の言葉にわずかに頷くのを目の端で捉え、私は目の前に積みあがる一月分の資料を見た。

「…………。まず、状況を整理しよう」
「明らかに資料から目を逸らしましたね」

 的のど真ん中を射た陸清雅を意図的に視界外に追いやり、裏行代表に説明を頼む。大部分は把握しているが、他人の口から聞くのも視点変更に役立つかもしれない。決して煮詰まったわけではない……はずだ。
 裏行代表はそんな私の考えに呼応するように「それも一つの手ですね」と言い、資料を手に取る。

「事件の発端は『藍楸瑛』の国試合格が発表された時点に遡ります。数年ぶりの『藍姓官吏』の復活に朝廷全体が沸き立つ一方、彩七家筆頭の権力を快く思わない官吏も少なからず存在しました。誰が、という点は感情論になってしまいますから省きますが……まあ、そこで流れたのがある『噂』です」
「『紅家が藍楸瑛を狙っている』ってやつね。紅姓官吏が烈火のごとく怒ったからすぐ立ち消えたけど」
「ええ。ですが、問題は新進士入朝式の前に起こります。進士のうち、上位20名に送られる予定だった、入朝式の日取りや時間が記載された書簡に毒の付着したものが紛れ込んでいるのを、進士指導の任についている魯官吏が発見、これを除去しました。魯官吏は、進士式監査担当の葵官吏にその旨を報告し、葵官吏は即座に数人の御史に命じて進士の周辺を捜査。結果、藍進士に渡される予定の資料および予想される行動範囲のいたるところに、致死性はないものの複数の毒物・危険物が発見されます」
「それだけだったら藍楸瑛を隔離・保護すれば終わったのにねぇ」

 やれやれである。裏行代表は「全くです」と困ったように返し、続けた。

「問題だったのは、これが藍進士を標的とした犯行なのか、あるいは彼を隠れ蓑に他の進士を狙った行為であるかの判断が難しいことでした。書簡は誰に送られるか決定される前でしたし、藍進士の行動範囲とて少なからず他の進士と被ります。散りばめられた罠は統一性を持たず、使用された物品も足取りを追うのが困難なものばかり。それでも、最も可能性が高く、且つ害されるわけにはいかない存在でもある藍進士を、御史台――というより葵官吏は、保護対象に定めました」

 その辺りが曖昧だったせいで藍楸瑛を隔離するわけにもいかず――藍家への説得材料が足りなかったのだ――進士としての業務・行動を妨げず護衛するために、固有の仕事を持たない私や侍僮、裏行がチームとして編成されたのである。不自然に米倉番人、もとい茈静蘭がメンバーに入っている辺り――葵官吏は茈静蘭が元第二公子だと知っているのではないだろうか――それなりに本気なのが伺える。正直なところ葵官吏の性格上、藍家だからといってここまで気を遣うのは不自然なのだが、上から何か言われたのかもしれない。

「上位三名の仕事の決定権が突然私に回ってきたのは相手の意表をつくためだろうね」
「おそらく」
「つまり葵官吏は、敵は礼部の情報を知ることが出来る人間……朝廷内の人間だと考えた」
「はい。殿が対象を絞ってくださいましたし、情報収集は比較的楽になりました」
「それは良かった。で、1ヶ月調べた結果が――」

 にわかにこめかみが痛くなり、私は指でぐりぐりとほぐす。気まずそうに視線を逸らした裏行代表の言葉を、それまで黙っていた茈静蘭が繋げた。

「『藍楸瑛の周辺に不穏な影無し』。動いたのは入朝式前のみ、それからの動きは一切ありません」
「……いくらかやっかみめいたものは受けているようですが、命の危険を伴うものでは到底ありませんし」
「僕は一時、委員会の存在理由の有無について真剣に考えました」

 裏行代表が続け、最後に陸清雅が付け加えた余計な一言が一番堪えた。
 少年は机案に突っ伏して落ち込む私を見下ろし、「ですが」と付け加える。

「主上と藍楸瑛が目通りしたという噂が流れてから7日。……おめでとうございます。貴方の目論見どおり、しっかり復活していますよ不穏な影が。御史裏行の方々から喜びの報告がこんなにも」
「いえ、別に喜んではいませんからね」

 淡々と冗談を言ってのけた陸清雅に、裏行代表が生真面目に突っ込んだ。渡された資料には、藍楸瑛の周辺で起こった異変が羅列されている。
 渡される仕事にはもちろんのこと、支給される食事、茶、官服等々への毒の仕込みや、仕事の不正処理――これは多分、藍楸瑛に罪を擦り付ける目的で用意されたものだと思われる――、雑用において藍楸瑛が世話した馬が謎の興奮状態に陥り、厩を破壊しつくすまで暴れるという怪事。

「……馬に蹴られたら死ぬよね」
「当たり所にもよりますが、無事ではすまないでしょうね。全く……手間がかかりました」

 言葉の割には涼しげな表情で渡された資料を受け取って流し読みすると、どうも藍楸瑛の周辺に限って荒事が多くなっているらしい。この1週間、出勤・帰宅途中には必ず何らかの喧嘩にかち合っている。特に被害はない様子だが、一つの変化と見て間違いない。
 資料を並べ、腕を組む。

「予想以上の反応だなあ」
「噂も一瞬でまわりましたしね。……で、どうするんです」

 陸清雅に尋ねられ、私は裏行代表を見た。

「何か共通点はあった?」
「使用された物品は入朝前と変わらず、入手経路がいまいち掴めないものばかりですね。毒については調査を依頼していますが、どうも比較的手に入りやすいものばかり使っているようで、逆に購入者の特定が難しそうだと」
「周辺に不審な人影は?」
「……それが……」

 言いよどんだ裏行代表に首を傾げる。

「……正博士(しょう・はくし)進士の姿が複数回、目撃されています」
「…………えー」

 あんまりな情報に、私は思わず気の抜けた返事をした。



 正博士とは、今年、李絳攸・藍楸瑛に次いで探花及第した進士である。つまり第3位の人。常に青白い顔でフラフラと歩き、体格も痩せ型で全体的に頼りない雰囲気を漂わせている。生家である正家はそれほど力を持った貴族ではないが、決して小さいわけでもない。ただ、やっかいな性質を一つ、持っている。

「紅家の史書編纂一族かあ……うわあ怪しいね」
「感情が篭っていません」

 突っ込んだ陸清雅の瞳も、どこか遠くを見ている。それはそうだろう、この話題は――語り尽くされている。

 紅家の分家筋である正家は、紅家にまつわる行事・出来事等を記録していく役目を担う一族である。つまり、未来でいうところの「歴史書」を実際に記す人達だ。
 その存在は別に秘匿されていない。これがブレイン的な――例えばお抱え軍師とか――役割を持った家だったら多少は隠されもするだろうけれど。歴史的にはとても重要な一族だが、未来における「歴史」を実際に生きる者にとっては精々『やたら日記にこだわる一族』だと考えるくらいだ。

 しかし、紅家が絡んでいるという噂が流れていたこともあり、委員会が立ち上がった当初は紅家およびそれに連なる一族をそれとなくマークしていた。その一環として、紅家当主の養い子である李絳攸、および分家筋の正家直系である正博士も観察対象に入っていた……が。
 結論から言えばどちらもシロだった。例えば李絳攸が藍家を敵に回すような危ない橋を渡ろうとすれば、まず間違いなく黎深さんと百合姫が止めにはいるだろうし、正博士に至っては母方に薄く藍家の血が入っている。調べてみると藍家との関係は比較的良好の様子で、かといって紅家に疎まれているということもない。藍楸瑛を害す理由があるとは思えない、というのが委員会と葵官吏が出した結論だった。

 にもかかわらず、正博士はこの1週間、至るところでこの件に関わっている。
 あるときは藍楸瑛に渡す予定の毒入り資料を運ぼうとしたのが彼だったり、またあるときは、数時間前に彼がやたらうろついていた場所から致死性のトラップ――一番最近のものは確か毒針の仕込まれた扉の取っ手だったはず――が発見されたりと、B級ミステリーも()くやという犯人っぽさなのである。
 確かに怪しい。だが証拠や動機はないし、彼の行動で藍楸瑛が害されることも今のところ、ない。
 そう考え、観察をゆるめる。――そしてまた、現場付近で彼の姿が目撃され、『正博士犯人説』について考えなければならなくなる。多分、最低3回はこのループをしていると思う。1週間で。……1週間で!

「何なんだろうね。よっぽど正進士を犯人にしたいのか、それとも実は正進士が標的だったっていうオチか」
「正進士が標的、というのは流石に無理があるかと」
「……だよね。正家を潰しても別に得しないよねえ……未来の研究者は困るかもしれないけど」
「は?」

 意味が分からない、というように困惑の視線を投げる陸清雅へ「何でもない」と返す。
 状況は明らかに不自然だ。……しかし不自然だと分かっている以上、それに踊らされるわけにはいかない。

「…………」

 ……いかない、のだが。

「………………」

 どこまでも疑わしい探花及第の正博士。
 藍楸瑛に向けられる悪意も、ここまでくれば何か一つくらい証拠をのこすだろう、というくらいに乱立しているのに、私にも、陸清雅や裏行代表、それどころか茈静蘭にさえ足をつかませない。
 見事なほど何も残されていない。
 調べていけばいくほどに事件の核心から遠のいてしまっているような気がして、違和感だけが強くなる。

 私は大きく息を吐いて天井を見上げた。次いで両手を顔の横まで上げて降参する。
 ――だめだ。

「正博士を観察対象に再度追加する。裏行一人をそっちに割いてくれ」
「……よろしいのですか?」
「よろしくない。よろしくないけど……足りない。もう本当に、悲しくなるくらい足りてない」
「貴方の頭がですか」
「うん」

 陸清雅の言葉に裏行代表が慌てる。それを眺めながら、私は肯定した。

「藍楸瑛を狙ってるのって誰だよ。何で正博士がいっつも出てくるの。李絳攸を忠告によこすって、紅家は何をしようとしてるの。じゃあ何で黎深さんは紅家の関与を否定したの。
――この件の全体が掴めない。情報が足りない。証拠が少ない。……私の頭も、足りてない」

 悔さを通り越して絶望的なまでに、わけが分からない。
 煮詰まっていると自覚せざるを得ない。1ヶ月動きがなかったことで私も焦っていたのだ。焦って、敵に動いて欲しくて、無理やり状況を歪めた。――その結果がこれだ。
 オロオロする裏行代表に眉を顰める陸清雅。無表情にこちらを見る茈静蘭を順々に見て、ますます悲しくなる。この3人の誰かが委員長になれば、この件はもっとスムーズに片付くのではないかと考える。
 ――でも、それを口に出してはいけない。

「……すまない。引き続き、護衛と調査を頼む。調査は……正進士の周囲と、貴族・平民問わず藍進士に接触を図ろうとした者を優先的に。異常があればすぐに知らせてくれ」

 やっとのことでそれだけ言って立ち上がり、部屋を出た。

「――どこに行くんですか」

 追ってきたらしい少年の声に、私は立ち止まった。苦笑して振り返る。

「しばらく頭冷やしてくる」
「…………」
「……ごめんね」
「…………言っておきますけど」
「うん?」

 陸清雅は一旦言葉を切って、迷うように視線を彷徨わせた。しかしすぐに真っ直ぐ視線を合わせ、口を開く。

「この僕が侍僮なんです。貴方の負けはあり得ません。……それだけ、覚えておいてください」

 言うだけ言ってそっぽを向いた少年に目を丸くする。これは何が何でも収束させろというプレッシャーだろうか、それとも――不器用すぎて微塵もそんな気がしないが――彼なりの励ましなのだろうか。
 一瞬考えたが、前者だと更に落ち込むので、とりあえず後者で受け取っておくことにする。
 無難に礼を返し、私は御史台を後にした。



 ――さて、頭を冷やすとは言ったものの。
 皇城をうろついていると、最初は気分転換になったが次第に時間が勿体無くなってきた。こんなことをする時間があるのなら情報収集したい。分析したい。けれどこれ以上煮詰まるのは遠慮したいし、正直なところ、今、いろいろ考えてもロクなことにならない気がする。

 溜息を吐いてさらに歩く。歩いて、歩いて、ふと立ち止まる。微かな花の香と、木の揺れる音が届いた。
 見上げると桜の花が咲いていた。薄い桃色の花弁をいっぱいにたたえ、私を見下ろしている。皇城には花の咲く木が多い。宮城はもっと多いらしいが、城下町と比べれば、その彩りは段違いだ。

 あれ、と首を傾げる。いつの間に咲いたのだろうか。
 新進士入朝式のときは未だ梅の季節だったはず――ああ、でも。

「1ヶ月、経ったんだなあ……」

 散々1ヶ月経ってしまったと焦っていたのに、それ以上の時間をかけてここまできたような気がする。
 そんなに長くないつきあいのはずなのに、委員会のメンバーとはずっと一緒に仕事をしていたような気安さがある。もしかしたらそれは、単に私が最初から彼らのことを『知っていた』せいなのかもしれないけれど。

 今まで経験したことのない種類の仕事を任されて、それを受け入れて。初めて朝廷で部下らしい部下を持って。久しぶりに、人に使われるのではなく人を使って。
 やってみると意外に面倒くさい仕事で辟易したり、侍僮と護衛代表の性格にうんざりしたり。裏行代表の優しさに癒されたり、藍楸瑛が予想外に一途で驚いたり。

 すごく面倒くさいし大変だ。そのうえ間違えれば人死にがでる可能性のある仕事だけど。

 ――結局、嫌じゃないんだよねえ。

 葵官吏に仕事を任されたときは純粋に嬉しかったし、陸清雅も茈静蘭も慣れればどうということもない。

「……うん」

 あと3週間ある。

「うん」

 まだ、やれる。

「――よし」

 考えよう。考えて、考えて、考えて、どうしようもなくなったら、また、この桜を見に来よう。それでも駄目だったらシ静蘭を頼ろう。そして鳳珠さんと黎深さんを何とか巻き込もう。そうしたら多分解決する。
 できるなら彩七家でもある友人に頼るところまでは行きたくないが、人命第一。

 両手で頬を思い切り叩いた。
 ――ウジウジしていても始まらない。とにかく前に進まないと。狙われているのは私ではなく、藍楸瑛だ。
 私は、人の命を預かっているのだから。

 兎に角、小さなもので良いから糸口を見つけたい。事件の全体は見えていないし、靄がかかっている部分も多いが、それを少しでもクリアにしたい。
 私の視点ではだめだった。他人の視点でもだめだった。

「……あ」

 ――それなら。
 一瞬、頭の中にこれでもかというほど立ち込めている霧がはれた。霧はまたすぐに発生してしまったが、一瞬の間に捕まえたものを手繰り寄せる。
 何で、思いつかなかったんだろう。これほど簡単な視点変更もないのに。

「私が、犯人だったら……」

 狙うのは藍家直系。毒を仕込んだ書簡を送ろうとして失敗した。仕掛けたトラップも潰された。そうこうしているうちに御史台が『狙われている』進士を護衛すると言い出して、動けなくなった。けれど藍家直系が王に接触したと聞いて、再び動き出した。
 どれか一つでも成功すれば御の字だ。毒を仕込んで、罠を敷いて、荒くれ者を向かわせて――

 『私』だったらどうする?

 ――決まっている。


 私は踵を返し、走り出した。





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2011.11.8
2014.8.27 加筆修正
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