天球ディスターブ 9





は目立たない大広間の隅の窓の桟に腰掛けていた。

広間にはフリックやビクトールなど、同盟軍の勇士たちの中でも抜きん出た者達が集まっている。幹部だ。

シュウは彼らの前にリュウと共に立ち、皆を一瞥してから口を開いた。


「グリンヒルが崩落した」


その言葉を聞くとすぐに動揺が広がった。

それを治めることなくシュウは続ける。


「そこで、殿にはグリンヒルへ潜入してもらい、市長テレーズを助け出していただく」


の肩が一瞬だけ上下し、しかしすぐに平静に戻った。

大方、事前に聞いていたのだろう。

だが納得しない者というのも必ずいるのが常だ。それが身内ならばなおさらのこと。

ナナミはシュウに反論した。


「ちょっと待ってよ!そんな危ないこと、リュウにさせるの!?」

「グリンヒルは学園都市だ。殿ならば年齢的に見ても不自然はあるまい」


シュウは「何故そんなことを聞く」とでも言うように、少々高い視点からナナミを見下ろして言った。

ナナミの反論は続く。


「そんなことじゃないよっ!潜入なんて……なんでが……」

「確かに軍主を欠くのは少々痛いが、軍主の権力があったほうがいざというときに不都合も無かろう。」


ナナミは悔しそうに下を向く。

軍主だからこそなのだろうとは推測する。

グリンヒル市長を他ならぬ同盟軍軍主が助ける――それはグリンヒル市民にとって、

いや、同盟軍の周辺に住む人々にとって大きな意味を持つ。

市長は、グリンヒルは『同盟軍』が救う。それは決して『同盟軍の一兵士』には成しえないことなのである。

見かねたが前に出てナナミの肩に手を置き、微笑んで言った。


「大丈夫だよ、ナナミ。潜入といっても生徒としてなんだ。そんなに危険は無いよ。」

…でも」


心配そうな目で見てくるナナミに、リュウは先程よりも深く微笑む。


「それに、行くのは僕一人じゃないよ。パーティーで行くんだ。

……大丈夫だよ、きっと」

「……うん」


小さく頷いて、ナナミはそれ以上何も言わなかった。



――そろそろか。

は心の中で溜息をついた。

眼前ではがパーティーメンバーを発表している。

昨日シュウが言っていたとおり、・ナナミ・フリックの他には、ルック・キニスン・アイリらしい。

シュウがこちらに目線をやる。

のことを発表するというのだろう。

軽くうなづくと彼は前を向き、そして口を開いた。


「それと今回、にも行ってもらう」


先程シュウの言葉を聞いたときよりも大きな動揺が走った。

皆一様に耳打ちをし合ったり、の方を睨んで眉根を寄せている。

途端に咽喉が詰まって息ができなくなった。

そんな中、男の声が響く。


「俺は反対だ」


そう言われることは火を見るよりも明らかであったし予想もしていたので驚きはしなかった。

だがその声を発した人物を見て、は目を見開いた。


「フリック」


シュウの声が聞こえる。は声の主を見た。そして後悔する。

声を発した人物――フリックもまた他の人間と同様に眉を寄せていた。


「はっきり言わせてもらう。俺はそいつのことを信用していない」

「フリックさん!」


がフリックを制する。

しかしフリックは言葉を続けた。


「身元が分からないのはいい。そんなことは問題じゃない。疑う理由はない。

ただ、…軍主と共に行動する以上、そいつは極端な言い方をすれば幹部に近い存在になる。

それを認めるほど、俺はそいつを信用していない」


いよいよ息ができなくなる。泣きたいのかもしれない。

それは信用されていないことが悲しかったからなのか、それとも足手まといだと言われた事に対する

屈辱からきたものだったのか、分からなかったが。

なんとなく、両方なのだろうと思う。

知らず知らずのうちに自分の持つ『天球の紋章』の力に陶酔していたのかもしれない。

紋章の力はとても大きいものだと分かってはいたから、

もしかしたら「力が無い」と言われたことに怒りにも似た悲しみが屈辱感を生み出したのかもしれなかった。




「…私も、反対する」

「ナナミ…?」


ナナミが前に進み出る。が不思議そうな顔をした。

その顔は心配の色に満ちていて、はそれに少し嬉しさを感じた。

ああ、心配してくれる人がいるのだ、と。


「だってグリンヒルが崩落したってことは、市内にも兵はいるってことでしょ?

もし戦わなくちゃいけなくなったときに絶対に守りきる自信なんてないよ…」

「だったら、僕がさんを守るよ」


が言う。

しかしナナミは首を振った。


「リュウは……軍主でしょ?それに、私の大事な弟だもん…。危険なことはしないで欲しいの」


ナナミがのほうに向かって歩く。

体が強張るのが分かった。


ちゃんも分かってくれるよね?」


少し悲しみの色を混ぜた笑顔で笑う彼女はとても痛々しい。

その笑顔が、さっき見た心配の色は自分ではなくに対するものだと雄弁に語っていた。

もし『力の無い』自分が危険な目にあえばパーティーの全員も危険にさらされることになるから。

何か強いものがを襲った。


。…お前が決めろ」


今まで黙っていたシュウがに言う。

――答えなど、決まっているだろうに。





どうする。

どうする?

行くのか、行かないのか?

足手まといだろう。

敵側だった人間を信用できるのか?


止めろ。





周りの人間の声が微かに聞こえる。

は知らず唇を噛んだ。



大広間でシュウと口喧嘩をして、納得してもらって、ビクトールに頭を撫でてもらった時、

受け入れてもらえたような気がして嬉しかった。

けれどその時の皆の顔もまた、はっきりと見えていた。

あのとき、確かに『ごくごく一部の』人には受け入れてもらっていたけど、



他の人から向けられたのは、侮蔑にも似た視線だった。



―――ああ、そうか。

そのあとヒルダとヨシノと仲良くなれたのは、城下の人たちが自分を見ても何もなかったのは、


――私が敵側の人間としてこの城に来たことを


知らなかっただけなのだ。





「行かないよ」


は笑って言った。


「本当!?」


ナナミもその言葉に笑顔で返した。

気がつけば広間にいる全員がを見ていた。

それには心の中で嘲笑した。誰に向けたものだったのかは自分でも分からない。右手が熱い。


「皆さんに迷惑掛けたくないしね。それにほら、私はフリックさんの言うとおり、戦えないし」

「でも、さんは僕が守るから大丈夫だって…!」


が側に来て言う。

はそれに、笑って返した。


「ありがとう。でも、は軍主でしょ?人よりまず自分の身を案じないと」

「だけど…っ」



はそのまま大広間の出口に向かって歩き出した。

途中でフリックとすれ違うとき、笑顔が崩れないようにするのは大変だった。


「いつか信用される日は来ますか?」


フリックから離れ、大広間を出るときに小さく、本当に小さく呟いた。








屋上の風は心地いい。

来たことの無い場所だったが階段を上へ上へと上ったらついた。


「…はは」


屋根の上によじ登り、寝転がる。

自然と笑い声が零れた。

斜めになっているので落ちそうではあるが、多分死なない。この紋章が助けてくれるのだろう。

やがて笑う気も失せ、そのまま暫く空を見つめた。

目の前が霞んで見えた。




「辛いか」


頭上で声がする。

逆光で顔は見えないが、声で誰か分かる。


「確信犯だった?」


空を見つめたまま言う。


「まあな。この城の戦力の大部分にお前がどう思われているかが分かっただろう」

「そりゃ嫌でも。趣味悪いよ軍師殿。分かりました、下手な行動はしません」


暫く、お互いに黙りあった。


「…どうだった」


シュウがに聞く。


「どうって……まあ、何といいますか。人間の怖い部分を知ったというか何というか。…正直少し傷ついた」

「そうか」


は起き上がって、眼前の空を睨んだ。


「だけどその前に、私はその『大部分』の人達を憎んだ。紋章を暴走させてやろうかと思った」


シュウは何も言わない。


「その時はいわゆる頭に血が上った状態だったわけだけど、今冷静に考えると当然なんだよね。

私が信用されないのはさ。事情はどうあれ敵側の人間ってことで入ってきたんだし」

「まあ、そんな奴が疎まれるのは常だな」

「はっきり言わないでほしい…」

「事実だ。この時世に人を簡単に信じられるか。

…お前はこれからどうなる?人間を憎み、その紋章で人を脅し、平穏を得るのか」


は勢いよく後ろを振り向いた。


「そんなことしない!」

「そうか」


そのまま、また沈黙が続く。

それを破ったのはシュウだった。


「…紋章の力は大きい。その力に陶酔し過ぎて堕落していく者も世の中にはいる。

お前がその紋章を持つ限り、いずれ戦争の表舞台に立つ日が来る。

そのときに今の人間関係でお前が生き残るとは思えない。すぐに裏切られるだろう。

その時までにせいぜい良い人間関係を築いておくことだな」

「うん。…ありがとう」


釘と示唆を。そう言うと軍師は微かに人の悪い笑みを浮かべた。

シュウは踵を返し、屋上の入り口へと向かっていく。

それをは見送っていた。

入り口に入ろうとするところで、不意にシュウが言葉を漏らした。


「忘れるな。お前が望もうが望むまいが、戦いは必ずお前の後についてくる。それが『継承者』だ」






屋上から見える空は既に朱に染まっていて、沈み行く太陽をは一人で眺めている。

時々聞こえてくる子供の楽しそうな笑い声を聞くとき、何ともいえない感情を身の内に感じた。

だが時間は無常に過ぎていくもので、気がつけば夜の帳が訪れようとしている。

は立ち上がって、どうやってリュウ達に気付かれずにグリンヒルで諜報活動ができるかを思案した。

そして部屋に戻りベッドに横たわる。






――その夜はなかなか寝付けなかった。















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2003.11.3
2006.7.2加筆修正

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