天球ディスターブ 3





背中がひんやりと冷たい。

その冷たさに目を覚ますと、まず目に入ったのは無機質な石の天井。

ああ、ここは牢屋なのだ、と再確認したは、ゆっくりと体を起こした。



ここは真っ暗で、光も入らない。

牢屋を見回しても見えるのは、ただ冷たい印象の石の壁のみ。

昨日のショックはもうそれほど残っていない筈なのに、それでも吐き気がしそうだった。

牢の鉄檻の向こう側には、机に突っ伏して眠っている兵士が見える。

紋章を使えば牢を開けることも出来るのだろうが、何故だかする気にならなかった。

――紋章を使うことが怖いのかもしれない。



強大な力を持つ紋章。

自分の意思一つで全てをも壊してしまえるのだろう。言葉一つでモンスターを焼き殺したように。

――あれほど自分を怖いと思ったのは初めてだった。

右手に目をやり、無表情にそれを見る。

だがこの紋章は、今は紛れもなく自分の体の一部なのだ。 ――嫌悪することが出来ない。

結局自分は、自分の体が一番大切なのだ。






カツン、と足音が暗い牢内に響く。誰か来たらしい。

その足音の主は眠っていた兵士を起こすと、一言二言話をした後、牢屋の鍵を受け取った。

そしての牢の扉を開け、中へと入ってきた。


「誰?」


は扉のほうに目を向けて言う。

幾分か慌てた、幼子特有の高い声が返ってきた。


「あ…あのっ!僕、トウタっていいますっ!

え、えと、怪我をしてるって聞いて、だけど、ホウアン先生は今忙しくて…それで、僕が代わりに…」

「トウタ?」


驚きを含んだ声で返事をした。


「は…はい…?」


トウタもそんなのことを不思議に思ったのか、首をかしげる。

その可愛らしい様子に、自然は笑みを浮かべる。


心なしか、気持ちが持ち直すのが分かった。


トウタはそんなの心中を知ることもなく、傍に来て愛用の鞄から医薬品等を取り出した。

ガーゼに消毒薬をしみこませ、の額に貼られたものを取ろうと手を伸ばす。

その手が少し震えていたのを見逃すことは出来なかった。


「怖い?」


が呟く。

この牢の中では、どんなに小さな声であっても石の壁に響いてしまう。


「少し…怖いです」


トウタも呟く。

小さな小さなその声は、無常にも反響してしまった。



――怖いと思うのは、当たり前なのだろう。

の此処での立場は、ハイランドの人間で、捕虜だ。

それはつまり同盟軍の人々にとって、は紛れもなく敵だということ。



自分の着ている服を見る。

変色した血でもとの色が分からなくなっていた。薄青の服だった気もするが、今は茶色だ。

自嘲気味に笑い、俯いているトウタのほうへと向き直り、彼の目と視線を合わせた。


「あのさ、私は君に何もしないよ。約束する」


怖がらないで、とは言えなかったがトウタには充分だったようで、にぎこちない笑顔を向けた。

その笑顔に、はほんの少し嬉しくなって、また笑みを浮かべたのだった。












城の一室で、とシュウは向き合っていた。


殿、牢にはハイランドの捕虜がいます。…あなたに恨みを持つ者もいるでしょう。お気をつけください」

「大丈夫ですよ。…行ってきます」


はそういうと踵を返し、シュウの部屋を後にした。



階段を下りて牢の入り口へ行くと、の義姉であるナナミがそばの壁に寄りかかって立っていた。

に気が付くと彼女はその表情に満面の笑みを浮かべて向かってきた。

そして側まで来て表情を少し曇らせ、言った。


は、今から牢に行くんだよね?」

「うん、そうだよ」

「で、でもっ!牢にはハイランド兵がいるんでしょ!?危険だよっ!」


とても心配した表情で言う。

は少し困った表情を浮かべたが、すぐにその表情を消してナナミに笑顔を向けた。


「でも僕はリーダーだし、いつかは見ておかなきゃいけないと思うんだ」

「……うん。それは分かってるけど…。……よしっ!お姉ちゃんもついて行ってあげる!!」

「え?」

「大丈夫!もしが危険な目にあっても、私が守ってあげるからね!よーし、行くわよー!!」


ナナミは腕をグルグルと回しながら、牢に向かって歩いていった。

は暫し呆然としていたが、やがて苦笑いを浮かべて、義姉の後を追って歩いていった。











「…これで大丈夫だと思います。もしも傷が開いたら、言ってくださいね」

「ありがとう」


トウタがの治療を終えた頃には、2人はある程度打ち解けていた。

医療用具を鞄になおすとトウタは立ち上がり、ペコリとお辞儀をして牢から出て行った。

そしてはまた、沈黙を守り続ける牢の中に独りになった。

一人になって初めて、紋章で傷を治せば良かったのではという考えが浮かんだが、

結果的には治さなかったおかげでトウタに会うことができたのだ。

案外、使わなくてもやっていけるかもしれない。そう思った。






地下牢に足音が響く。

は無意識的に目を険しくし、足音の来る方向を見た。

こちらの足音はトウタのときと違って牢内を見回しでもしながら歩いているのか、随分とゆっくりだ。

だがトウタのときと同じく、の牢の前に来るとその歩みを止めた。

がそちらに目を向けると、牢の前に少年と少女が驚いた表情をして立っていた。



一人は赤を基調とした服を着て、頭に輪っかをつけた少年、一人は活発そうな少女。


――この、二人は。


「幻想水滸伝2」の主人公とその義姉、ナナミに違いなかった。

まさか牢屋で対面するとは思っていなかったは、驚きに目を見開く。


「…あなたも、ハイランド兵なんですか?」


少年が、ためらいがちに言葉を紡ぐ。


――ハイランド兵?


「違うよ」


違う。自分はハイランド兵じゃない。

――巻き込まれただけなんだ。



そう考えると、激しい憤りが湧いてくるのがはっきりと分かった。

自分はハイランド兵ではないのに、何故こんなところに入れられなければならない?

二人を見ると、彼らは案の定、驚いた顔をしていた。


「じゃ、じゃあ、何で牢にいるんですか?」


ナナミがおずおずと聞く。


「そんなのこっちが聞きたいよ。私は何でここに入れられなきゃいけないの?

……巻き込まれただけなのに」

「え…!?」


言って、後悔した。

2人が悲しげな顔をして俯いたからだ。

だが言葉を取り消すことは出来い。自己嫌悪で、吐き気がしそうだ。


「…ごめんなさい。八つ当たりした。あなた達は何も悪くないよ」


少年は、かすかに首を横に振った。

そして何か考えるような仕草をした後、きっぱりと言い放った。


「牢から出ましょう」

「は?」


唐突な申し出に素っ頓狂な声を出し、は少年を見た。横でナナミも頷いている。


「そうだよ!巻き込まれただけなのにこんなところにいるなんておかしいよ!!」

「疑わないでいいの?もしかしたら私は嘘を吐いてるかもしれないんだよ」

「でも、吐いてないですよね?」


少年は穏やかな、そして自信に満ちた笑みを浮かべて、のほうを見た。

――一体どうしたら、そうまで人を信じられるのか。


「出られるの?」


聞いてみた。


「もちろん!」


見事にハモった声で、返事が返ってきた。






少年達は見張りの兵士に事情を話し、牢からを連れ出した。

だから身元が分からなかったんだね、とナナミは笑って言った。

歩きながら、ふと、あることを思って立ち止まる。ナナミが不思議そうな顔をした。


「あ、でも」

「何?どしたの?」

「私さ、ここの人から敵と見なされてるんだよね」

石まで投げられたし。


「大丈夫ですよ。僕がきちんと説明しますから。

それに、納得していない人がいたら説得すればいいんですよ」


そうそう、とナナミが頷く。

そう簡単にいくものだろうかとも思ったが、おそらく自分が説明するよりは彼に任せたほうが遥かに良いだろう。

曖昧な考えを無理やり頭の隅に押しやって、は二人の後に付いていった。






「ねぇねぇ、そういえば!」

「なに?」

「あたし達、まだ自己紹介してなかったよね?」


ナナミの言葉にはっとする。

こっちは大抵の人の名前を知っているが(主人公は別として)、ナナミたちにとって自分は赤の他人なのだ。

今の状態で万が一自分が相手の名前を呼ぶようなことがあったら不味い。

が「そういえば」といって頷いた。


「でしょ?じゃ、今から自己紹介ね!

あたしはナナミ!こっちは弟のは…ここのリーダーなんだよ!」


「リーダー」と言うときにナナミの顔が少し曇ったが、生憎とそこまで気付くことはには出来なかった。


「私は。よろしく、ナナミちゃんに…様?」

でいいですよ。こちらこそよろしくお願いします、さん」

でいいよ」






出口に近づくにつれて明るさが増してくる。

今まで真っ暗な地下牢にいたので、眩しさについ目を細める。

ナナミがその様子に少し笑い、不意に気がついたように声を発した。


「ここからでたら、まずバーバラさんのところに行って服をもらおうよ」

「何で?」


が不思議そうに答える。


「だって、ちゃんの服………」

「ああ…」


は自分の服を見て、声をもらした。血が変色して茶色くなっている。

確かに着ていて気持ちいいものじゃないし、見ていて気持ちいいものでもないだろう。

ね?と笑うナナミにつられて、苦笑いをした。


「あ!やっと笑った!」

「え?」


ナナミがを指差して言う。


「だってちゃん、今まで全然笑わなかったもん」


もうんうんと頷く。

そういえば、この世界に来て笑った記憶はあまりないな、と思う。笑ったのはトウタといたときくらいだろうか。

色々なことが立て続けに起こったので笑う余裕などなかった。


「そういえばそうだね。でも私、普段から無愛想って言われてるから」

「そうなんですか?」

「そうなの。もちろん全然笑わないわけじゃないんだけどね」

「へえ。でも、それがちゃんなら、無理して笑わなくていいからね?」


は驚く。次いで嬉しそうな笑みを浮かべていった。


「ありがとう」















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2006.4.29加筆修正

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