天球ディスターブ 2 鼻に付く火薬の匂い。 何かが燃える匂いもする。 草原を精一杯の速度で走る。 浮いていこうかとも考えたが、体がすでに動いていた。 だんだんと濃くなっていく煙に目が痛む。 そして、金属同士のぶつかり合いの音。 それはすなわち、戦の音。 そして、そこに人がいるという証。 は、人を求めて走っていた。 「っは…!はぁ、はぁ…」 走りながら考える。 何で自分は走っているのだろう。 この先にあるのは、おそらく戦争であるというのに。 ――危険、なのに。 やがて一つの答えに辿り着いた。 『寂しかった』 考えて、少し眉をしかめる。 ―――みじめだな。 危険を冒してまで「人」に会いたかったのか。 自分はこんなに、弱い人間だったのか? それでも足は止まらない。 匂いと音だけを頼りに、ひたすら走り続けた。 やがて煙の出所がみえてきた。 自然と顔が緩む。 ――あと、もう少し。もう少しで、あそこに―――。 しかし眼前に広がったのは、信じがたい光景だった。 響くのは断末魔。 大気を伝うのは、武器のぶつかり合う音。 草原を荒原にするのは、赤い、赫い炎。 ――ああ、私の声は、何処かに行ってしまったようだ。 その光景に、座り込んで耳を塞ぐ。 ――怖い。怖い怖い怖い…! 先ほどこらえたはずの涙が、いとも簡単に溢れ出た。 「おい!どうした!?」 その声に顔を上げる。 一人の、一般兵であろう青年が、心配したように、でも急いでいる様子でこちらに向かってきた。 その手には赤い剣。 ――人間の、血。 「い…やだ…」 座り込んだまま後ずさりする。 青年はの様子に気付き、剣を投げ捨ててのもとへと来た。 「お前、こんなところにいるってことは、軍の医療班か!? 今さっき撤退命令が出たんだ!同盟軍のやつらがこっちへ来る!!こんなところにいたらお前も……――」 言い終わらないうちに彼の体は朱に染まった。 粘着質な赤い雨が降り注ぐ。 はそれを呆然と見ていた。 あまりに、非現実的すぎた。 「何だ。こっちはガキ…しかも女じゃねーか」 上から声が降ってくる。 はゆっくりと顔を上げた。 ショックで声が出ない。 「ガキなら…捕虜だな」 こちらも一般兵らしかった。ただし、さっきの兵とは格好がまるで違っている。 を乱暴に立たせると、上司らしき人のもとに連れて行った。 ふと、空を見上げる。 ここに来たときはあんなに綺麗だった青空が、今は真っ赤に燃えている。 何故かそれが悲しくて、は俯いて歩いた。 抵抗する気力は残っていなかった。 ジャラ、と鎖独特の音が耳に付く。 何人かの兵とその鎖で手をつながれて、さっきを捕虜にした兵の本拠地の門をくぐる。 道の両端には女性や子供や老人――戦えない人々が、憎悪を込めた目でこちらを見ている。 こちらの軍の主力はすでにおらず、捕虜の引率は一般兵が数人でしているようだ。 皆武器をたちの方に向け、鋭い目つきで隣を歩く。 ここに至る道程で色々なことが分かった。 ここは同盟軍本拠地。 そして先ほどの戦いは、同盟軍にとっての初陣だったらしい。 つまり、本拠地防衛戦…シュウが仲間になってすぐの戦争イベントだ。 ――戦争。 その言葉に、身が強張る。 今までテレビや本でしか見たことのなかった戦争が、あれほどだとは思わなかった。 一度感じた恐怖は中々消えないもので、今もの体はかすかに震えている。 その震えが伝わったのか、の前に繋がれている兵士が「大丈夫か」と声をかけてきた。 かすかに頷くと「そうか」と言った。 自分が惨めでならなかった。 不意に、一人の少年がの前に飛び出してきた。 母親らしき人物が少年を止めようと、何かを叫んでいる。 少年に目を向ける。 彼の瞳もまた、憎悪で溢れていた。 少年は手に隠し持っていた石をに向かって、 力の限り、投げた。 石は額を直撃し、は倒れこんだ。 血が石畳にシミをつくっていく。 少年は、大きく息を吸い込んで叫んだ。 「お前らのせいだ!!!」 は驚愕に目を見開き、少年を見た。 「お前らの…お前らのせいで、父さんは死んだんだ!! 返せよ!!!…っく…と、う、さんをっ…かえ…返し…っ!!!」 涙を流して、少年は叫ぶ。 ――私がやったんじゃないのに。 身に覚えのないことで責められる悔しさと、少年の涙による悲しみが入り混じって、泣きそうだった。 「ごめんなさい」 去り際に少年にそう言い残した。 何のことで謝ったのか自分でもよく分からない。 だけど、謝らなければいけないと思った。 母親に許しを請う幼子のように。 「殿。同盟軍のリーダーになっていただきたい」 「僕が…ですか…?」 大広間に、同盟軍の主な主力が集まっていた。 長い黒髪を一つに束ねた男性が、金色の輪っかをした少年――に、軍主になるよう進言する。 「あなたは、英雄ゲンカクの孫。そして、始まりの紋章の片割れも宿している。 これほど軍主に相応しい人間はいない」 「でも、僕は…!」 「分かっています。それは兵士の士気を上げるための建前にすぎません。 私自身が感じたのです。……あなたはリーダーに相応しい」 「シュウさん……」 シュウと呼ばれた男性は、深々と頭を下げた。 は途惑った表情をしたが、やがて何かを決心したように口を開いた。 「じいちゃん…ゲンカクの名は関係ありません。 僕は、『今』を生きる一人の人間として、この地に穏やかな平和をもたらす力になります」 「よく言った!!!」 「…わっ!ちょ、ちょっと、ビクトールさんっ!」 ビクトールがリュウの頭をガシガシと撫でる。 周りの人間も皆笑顔を浮かべ、に協力することを約束していく。 しかしただ一人、ナナミだけは複雑な顔をしていた。 そのとき、大広間にまばゆい光が満ちた。 光の中心から一人の女性と、緑色の法衣を纏った少年が現れた。 「私はレックナート。バランスの施行者…」 牢屋に入れられたのは初めてだ。 そんなことを考えていた。 じめじめしていて過ごしにくいことこの上ないが、「牢屋」なのだから仕方がない。 せめてもの救いは此処に自分しかいないことか。 女…しかも子供だから、とのことだった。 ――高校生はまだ子供なのだろうか。それとも自分が年相応に見られなかっただけか。 この世界ではあまり意味のないことを思い、は溜息をついた。 両手は未だに鎖で繋がれている。 正直、痛いし重い。 顔を上げる。 この世界に来てまだ数時間しか経っていないはずなのに、何だか色々なことが起こった気がする。 散歩をしようとして落下し、青空の中紐無しバンジーを体験し、モンスターを――殺し、そして捕虜になった。 これだけ見ると結構内容の濃い人生なのだが。 ああ、そうだ。あの青年はどうなっただろうか。 誰か、彼を弔ってくれただろうか。 この世界にいる限り、死に直面する可能性はゼロでは決してない。 死への恐怖が消えることはないだろうが、せめて拒絶だけはしたくない。 ――どうか、受け入れられますように。 祈って、は額に手をやった。 傷をガーゼで抑えているだけなので血が滲んでしまって滴り落ちてくる。 それでも他の兵の怪我に比べたら軽いらしく、治療は後回しにされたのだ。 血がついた手を見やり、少し眉をしかめては目を閉じた。 今日は色々あって疲れたと、心の中で愚痴をこぼした。 「なんだ。ビクトールとフリックじゃない。生きてたの?」 「生きてたって…ルック、お前なぁ…」 「よせよ、ビクトール」 レックナートが去った後、ルックは開口一番にそう言ってのけた。 どこからどう見ても三年ぶりの感動の再会とは程遠い光景だ。 しかし、それが彼らのスタイルなのだろう。当事者達に気にしている様子はない。 「フリック。この人は?」 いまだルックと話しているビクトールをよそに、はフリックに問いかけた。 「ルックっていうんだが、とてつもなく強い魔力を持っていてな。気をつけろ。油断すると切り裂きがくるぞ」 フリックは遠い目をしてそう答える。 三年前に色々とあったのだろうと、はそれ以上何も聞かないことにした。 「様!」 大広間の入り口が開き、一人の兵士が入ってくる。 「何ですか…と。…何だい?」 敬語を慌てて直し、はその兵士に尋ねた。 「はっ!ミューズ兵以外の捕虜の人数と身元の確認が取れましたので、報告にあがりました」 「分かった。それで?」 「はい。捕虜は全部で37名。ハイランド出身者が36名です」 は顎に手を当て、フム、と言った。 「それで?残る一人は?」 「それが…分からないのです」 「分からない?」 怪訝そうに兵士を見る。 兵士は申し訳なさそうな顔をして続けた。 「いくら聞いても答えないのです。他の兵の話から、彼女が医療班だという事はわかったのですが…」 「…彼女?女なのか?」 ビクトールが驚いたように尋ねる。 周りの人々も驚いたのか、大広間にざわめきが走った。 「はい。見慣れない服を着ていました」 「そう。…ありがとう。もう下がっていいよ」 兵士は一礼をして大広間から出ていった。 広間のざわめきはまだ続いていたが、シュウがの前に来た途端、静かになった。 シュウは、ゆっくりと口を開いた。 「殿。明日にでも牢へ捕虜を見に行くことをお勧めします」 「だが、見て気持ちのいいものじゃないぞ」 フリックが反論する。 確かに牢に入れられた捕虜の姿を見るのは気持ちのいいものではないと周りも言う。 しかしシュウはそれらを一蹴した。 「殿は軍主になったのだ。知らねばならんこともある。…どうされますか」 「………分かりました。明日、行きます」 そして巡り始める。 --------------- 2006.4.28加筆修正 back top next |