天球ディスターブ 15 ほんの短い時間、意識を失っていたらしい。 『隊長、こいつどうします?』 『ちっ…晒したいところだがジョウイ殿がうるさいからな……森にでも捨てて来い』 『おい、誰が行く?』 『俺は嫌だぜ。血まみれの死体担ぐのなんざ』 『…俺が行くよ』 そんな会話が薄っすらとした意識の中で聞き取れた。 そしてすぐに、うつ伏せになっていた体の腹と地面の間に腕が差し込まれ、は持ち上げられた。 当然、背中の傷は思いきり痛み、は叫びたかったが、もはや声どころか腕も動かせない状態だった。 そのまま兵士の肩に担がれ、森へと向かう。 兵士が一歩を踏み出すたびに背中の傷だけでなく太腿の傷――両足らしい――も酷く痛んだ。 正直に言って、死んだほうがマシだと思うほどだった。 無論、死にたくはないのだが。 グリンヒルからそれほど遠くない森に入り、ある程度分け入ったところでドサリと地面に落とされる。 思わず小さなうめき声を上げたが、兵士は気付かなかったようだ。 そのまま、兵士は剣を地面に何回か突き刺し、柔らかくなった土を持ってきたスコップで掘り始めた。 暫くして人一人入れるくらいの浅く長い穴ができた。 兵士はそこにを仰向けに入れ、土をかける。 あまりに酷な事態に、は痛みに顔を顰めながらも声を発した。 「ちょっと待て」 「!?」 兵士は驚いてを見る。 「…やっぱり生きてたか」 兵士は、宿での隣にいた兵士だった。 「悪かったよ。勝手に埋めようとして」 「いやもう何か生き埋めになるとこだったね」 「…悪かったって」 背中と足の痛みに耐えつつ毒づくに、兵士はある種の恐怖を覚えた。 「まあ、取り敢えず傷の手当てするぞ。ほら、背中出して」 は渋々と兵士に背中を向ける。 仮にも女として男性の兵士に体を晒すのはどうかとも思ったが、この場合仕方が無い。 まさか天球の紋章を目の前で使うわけにはいかないし、旋風の紋章は勝手が違うらしく上手く機能しない。 「即効性の特効薬だったら良かったんだけど、生憎と傷薬しか持ってないんだ。治るまで暫く掛かるぞ」 「沁みるのは覚悟しとけ」と言いながら兵士は薬を塗る。 「――――っ!!!」 薬はとても沁みた。 さすがに太腿まで晒すわけにはいかなかったので、兵士から傷薬を貰って自分でやることにした。 「一体何したんだ?隊長のところに行ったら倒れてるし」 「あー…多分、手柄の機会を奪ったとかそんなところ」 「いやよく分からないんだけど。でもそれ隊長怒りそうだなあ」 「怒髪天を突いたって感じだったね」 「…簡単に想像できるよ」 兵士は苦笑した。 薬を塗った足が痛みに疼いた。 「とりあえず俺は戻るよ。遅くなったら何言われるかわからないから」 「うん。傷薬ありがとう」 「いいよ、傷つけたのはこっちの方だし。じゃあな」 兵士は少し振り返って手を振り、去っていった。 太い木の幹に背をもたれる。 とはいっても幹が傷口に当たると痛いので、頭を幹につけるだけだが。 どうも痛みで集中できないらしく、転移魔法も治癒魔法もさっきから不発ばかりだ。 それに旋風の紋章は天球の紋章と違って、思い描くだけで魔法が使えるわけではないようだった。 頭だけで上半身の体重を支えるのは流石に辛いものがあり、は幹から頭を離した。 しかし両足の痛みと背中の痛みにいつまでも座って耐えるのはごめんだ。 痛みでうまく回らない頭を必死になって使う。 鈍い痛みは脳まで届いた。 どう考えても帰れないと思う。 痛む足を引きずって歩くのも一つの手ではあるが、確実に足がどうにかなってしまう。 痛み止めか何かがあれば紋章を使うことも出来るだろうが、そんなものを持っているはずもない。 八方塞だ。 (もうここは野宿をして痛みが引くのを待つしかないかなだけどその間に狼とか熊とかモンスターとかに襲われたら抵抗できないかもしれないあれでもカットバニーの攻撃は自動的に防いでいたような気がする) 「ねえ」 (いやまてしかし子供が石を投げた時は額にクリーンヒットしたようなあれは痛かった) 「ねえってば」 (というよりもしかしなくてもこの紋章について私はは何も知らなかったりする?) 「…ねえ!」 思考が現実へ引き戻される。 はっとして声の主を見上げた。 薄い青の髪は肩辺りまで無造作に伸び、瞳も青く、頭には先が二つに分かれている帽子、 右目の下に星の形の――あれはシールか何かだろうか――マークがあり、 服装は奇抜というか何というか変わっているとしか言いようが無く、そう、それはまるで、 「ピエロ?」 幼い頃に絵本などで見た道化師そのものだった。 「やー、あのまま気付いてくれなかったらどうしようかと思ったー」 座って、あはは、と、それこそ「ヘラヘラ」という表現が似合いそうな笑顔で笑う。 いきなりのことで頭がうまく回らない。 「誰ですか?」 前にもこうやってやっとのことで言葉を発したような気がする。 ボキャブラリーが足りていない証拠だろうか。 「あれ?見て分かんない?」 「ピエロ」 「そのとおり!」 「何でここに?」 ピエロは「分からないの?」とでも言いたげな表情を浮かべる。 どんな表情でもさまになる彼の(多分男だろう)顔は、いわゆる「美形」に分類されるのかもしれない。 肌の色は自然な色でメイクをしているようには見えないし、目鼻立ちもくっきりしている。 そんな人物が怪訝な顔で自分を見る。は急にきまりの悪さを感じた。 ピエロは言った。 「教えるためさ」 「何を?」 「んー。もうすぐ来るってこと」 わけが分からない。 それが表情に出ていたのだろう。 ピエロは立ち上がり、の前方、彼にとっての後方を振り返った。 太陽の光がの目を眩ませる。 「何が来るっていうんですか」 「もうじき分かるよ。ああ、それと」 ピエロは笑みを深くした。 「その紋章は『モンスターの攻撃』は防げても、『人による攻撃』は防げないから。君が望まない限りね」 「…っ!?」 は息を飲んだ。 「何で知って…」 瞬きをしている間にピエロは消えた。 何だったというのだろうか、あのピエロは。 突然現れたかと思えば、「もうすぐ来る」などとわけの分からないことを言う。 しかも、天球の紋章のことを知っているようだった。 もしも彼がハルモニアの関係者で「真の紋章狩り」に関わっているのだとしたら、自分の身が危ない。 しかし不思議なことに、には警戒する気が全く無かった。 何故だろうか、警戒せずとも良いと思ったのだ。 彼はハルモニアの関係者ではないし自分に危害は加えない、そんな確信がどこからともなく湧いてきた。 フ、と目の前が暗くなった。 人の形をした影が自分に覆いかぶさった。 見上げると背に太陽を背負った、青年と思わしき人物が目の前に立っている。 青年はくすんだ色のマントを羽織り、手には黒い昆を持っている。 顔は逆光で見えないが、頭には緑のバンダナをしていて、先の方が片方だけ紫色に染まっている。 青年が誰なのか、にはそれだけで十分に理解できた。 ――ああ、何であのピエロと会ったときは影が被らず、顔がはっきりとわかったのだろうか。 「大丈夫?」 青年は尋ねた。 「あんまり大丈夫じゃないです」 「まあ、結構酷い怪我みたいだしね」 青年はひざをつき、の怪我を眺めた。 「しまったな、グリンヒルで特効薬買っておけばよかった」 「グリンヒルにいたんですか?」 「うん。宿で寝てたんだけど外が騒がしくって。ムカついて紋章使ったらえらいことになってさ」 「えらいこと?」 「ちょっとしたクレーター作って、ついでに何か偉そうにしてた奴を黒焦げにしてー…後何したっけな」 笑いながら話しているが、内容は凄まじいだ。 は顔から熱が引いていくのを感じた。 「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。それよりその怪我じゃ君、動けないよね。行く当てはある?」 「一応、同盟軍です」 そういった途端、青年の目が一瞬だけ険しくなるのをは偶然に見てしまった。 しかし、またすぐに元の穏やかな、そしてほんの少し悪戯の混ざった目に戻り、は胸を撫で下ろした。 「同盟軍…ノースウィンドウか。大目に見て徒歩で一週間強ってとこかな。…君は何の紋章を宿してる?」 は驚く。自分は目の前の青年に紋章のことなど一言も喋っていない。 「分かるんですか?」 「まあね。それなりに魔力があって、それなりに紋章との付き合いが長ければ分かるようになるよ」 「そうなんですか。あ、紋章は旋風と烈火です」 「…それだけ?」 ぎくりとした。 青年になら教えても良いかもしれないと思ったが、やめた。 この青年が自分が思い描いている人物と違っていたら大変だ。 「それだけです」 「……まあいいや。それなら何で旋風の紋章で傷を治さないの?」 「使い方が分からないんです」 「それは困ったねえ」 青年は地面に腰掛けて、手を顎に当てて唸り始めた。 そして数秒もしないうちに顔を上げ、言った。 「君、怪しい人じゃなさそうだしね。僕が同盟軍まで連れて行くよ」 「疑ってたんですか」 多少ショックだ。 「あはは、ごめんごめん。でも悪くはないだろう?君は僕という最高の同行者を得るんだから」 どうもこの人は何となくノリがいい。 試しに挙手をしてみた。 「はーい、先生」 「何かね?生徒君」 「先生は強いんですかー?」 「我輩に出来ぬことはない!多分!」 「多分ですか!」 そして笑った。 「と、まあ冗談はこの辺にしておいて。とりあえず僕はグリンヒルで特効薬を買ってくるよ。 君はグリンヒルで何かしたのかい?」 「今行ったら捕まえられるのは確実です」 青年はアハハと笑った。 「僕は宿の窓からぶっ放し…色々したから顔は見られてないはずだ。 じゃあ、君はここで待っていてね。すぐ戻るから」 「絶対に戻ってきますか?」 何を言っているのか自分でもよく分からないのだが、ただ言えるのは――置いていかれたくないということだ。 青年はニコリと微笑んだ。 「うん。戻ってくるよ、絶対。 僕の名前は。君は?」 「です」 「良い名前だね。それじゃあ行ってくるよ。ああそれと、敬語は要らないからね」 はマントを翻し、先程の兵士と同じようにグリンヒルの方に歩いていった。 はたった一人で残されたが、寂しくはなかった。 風がの頬をなで、そのときにはやっと、傷の痛みと熱が少し引いたことを知った。 --------------- 2004.3.9 2006.7.26加筆修正 back top next |