天球ディスターブ 14 はシンが動くのをじっと待つ。彼はこの後攻撃をする”ことになっている”からだ。 攻撃を仕掛けるといってもゲームではテレーズに止められることになっている。 つまりはが取り立てて何かをしなくてもに大きな危害が及ぶことはないのだろう。 しかし不測の事態が起こる可能性もまた、否定はできない。怪我をしないとは限らない。 少しぐらいなら放っておいても大丈夫だろうが、あまり大きい怪我はよろしくないとは思う。 だからはここにいる。怪我をしたときにこっそりと治療するためだ。 どれくらいそうしていたのか。 1時間経ったのかもしれないし、あるいは10秒にも満たなかったのかもしれない。 何事かを話していたシンが突然剣を抜き、に襲い掛かった。 反射的には身構える。 シンはの首に向けて剣を繰り出す。 それに気がついたはトンファーを首の横に持っていき、剣を止めた。 そしてシンが剣を引いて再び攻撃を仕掛けようとしたその時、 「シン、やめてください!」 よく通る声が響いた。 当然ながら全員がその声がしたほうへと振り向く。 も例外なくそちらを見た。 そこにはやはりテレーズが必死の面持ちでこちらを見ていた。 「あまり誰かを傷つけることはしないで…」 『あまり』という言葉に現状を知ったような気がした。 そのうちにとテレーズが互いに自己紹介をして会話を始め、 シンもこれ以上攻撃してくるようなそぶりは(素人目だが)なかったので、は宿屋に戻った。 そういえば昨日ユリが部屋に来たのはある意味特殊なことであって、そうそうあることではない。 また部屋に来られたらどうしようと思ってダミーを残したのだがあまり意味は無かっただろう。 ベッドに作ったダミーを片付けながら、少し寂しくなった。 朝、目を覚ました時には全てが始まっていた。 子供の泣き声で目を覚まし、人々の悲鳴で覚醒した。 剣がせめぎ合う音で状況を判断し、敵味方とも分からない雄叫びが耳をつんざいた。 テレーズ奪回が始まったのだ。 はテーブルの上に何か文字が書かれた紙があるのを見たが字が読めないので放って部屋を出た。 宿の一階には客は一人もおらず、ユリの父親である宿の主人だけが椅子に座っていた。 軽く会釈をして訊ねる。 「ユリさんは?」 「非難している」 どこに避難しているのか分からなかったが、とりあえず無事ならそれでいいと思った。 「非難しないんですか?」 「アンタに伝えなきゃいかんと思ってな」 字が読めないんだろう、と宿の主人は言った。 「宿帳の名前をユリが代筆したと聞いたからな。テーブルの上の置手紙は読めなかっただろう」 「置手紙だったんですか」 主人は表情を変えずに状況を説明し始める。 「王国軍の奴らが動いた。何かあったんだろうな。こういうときは大抵ロクなことが起こらない。 家族と客はすぐに非難させたが、あんたはまだ寝ていた。 起こそうかと思ったが、ユリに止められてな。『疲れていたみたいだからぎりぎりまで寝かせてあげて』だとさ」 「起こしてくれてよかったんですけど」 「兎に角それで俺が伝言役として残ったわけだ」 主人はひざに手をついて立ち上がった。 体に合わない小さな椅子は音を立てて軋む。 は有難うございます、とお礼を言い、宿の外に出ようとした。 すると主人がを呼び止めた。 「外は危険だ。あんたが何をするつもりか知らねぇが、やめとけ。怪我するぞ」 は振り向いた。 そして言う。 「仕事なので」 「その仕事は危険を冒してまでする必要があるのか?」 「と、いうか。危険なときじゃないと仕事にならないんですよ」 は苦笑した。 そして宿の外に出た。 宿の外はおよそ思い描いていた風景と同じだった。 親とはぐれたらしい子供達は泣きながら物影に隠れ、兵士と一般人がそこここで対立している。 その他の兵士は人家に立ち入っている。非難し遅れた人々が引き摺り出される。 大々的なテレーズ捜索が始まっていることは容易に想像できた。 はそれを無感情に見て、そして市の中心部、テレーズとラウドが会うであろう場所へ歩き出した。 兵士はテレーズを見つけ出すことにのみ集中しているためには目もくれない。 市民と対立している兵士だって、それは市民が突っかかってくるから対立しているだけだ。 もしも歩いているのがではなく他の一般人であったら、恐怖に身が竦んでしまうだろう。 しかしは恐怖をあまり感じていない。 雄叫びに驚きこそすれ、この状況に怯えるということはない。 だって、所詮ここはゲームの――― 「見つけたぞ、テレーズ!」 突然、辺りに響くほど大きな声が聞こえた。 驚いて視線を上げると目の前にはラウドの背中があり、それに隠れて見えないがきっとテレーズもいる。 「おい、テレーズを捕らえろ!」 ラウドは辺りの兵に命令し、兵は指示通りに動く。 そのとき、テレーズのよく通る声が響いた。 「その必要はありません。私はあなた方に身をゆだねるために来たのです」 「なに?」 「私はあなた方に拘束されましょう。ですがその代わり、市民は傷つけないでください」 きっとラウドの向こうの彼女は目を伏せている。 そんな感じの声だった。 「やめてください、テレーズさん!」 少女の高い声が聞こえた。 「そんなことをして私達が喜ぶと思っているんですか!?」 「二ナ…?」 途端に背筋に何か冷たいものが走る。 二ナがここに来たということは、たちも――ナナミとフリックも来るということだ。 は慌てて周りを見回し、側にあった木の陰に隠れた。 正直木の陰だけでは心許ないが、都合よく学院も横にあるため、見つかることはまず無い。 「前の戦いで失くした誇りを、二度と失いたくないんです。 貴女が連れて行かれたとき本当に怖かった。あんな思いはもうたくさんなんです。 私たちは貴女を信じて戦います。 だから……テレーズさんも、私たちを信じてください!お願いです、自分を犠牲にしないでください!!」 二ナが叫んだ途端、辺りから今までとは違う雄叫びが上がった。 皆、テレーズを守ろうとしているのだろう。 少年の声が聞こえてきた。 「ね、テレーズさん。こんなにも市民に想われてるんですよ。人身御供なんてやめましょう?」 の声だった。 相変わらず明るいその声に、は悲しいような、寂しいような気持ちになった。 ――なぜ私はそこにいないんだろう。達の側にいないんだろう。 どうして、何でこんなところに一人で隠れているんだろう。 自分の中では『この世界にくる』イコール『主人公達の側に居られる』ことになっていたようだ。 聞き様によっては思い上がりとも言えるその考えに、は自己嫌悪の念に駆られた。 そんなことを考えているうちに、達はテレーズを連れて逃げたようだった。 は立ち上がって、塀にもたれかかりながら王国軍の方を見た。 シンと市民が王国軍がテレーズ達を追うのを阻んでいる。 このまま達を追いかける道もあるが、きっと彼らの走る早さには追いつけない。 テレポートで追いかけることはできない。 事後処理が面倒であるし、それ以上には自分の能力をあまり信用していない。 もしもどこか知らない場所に飛んでしまったら帰れるかどうか分からない。 それなら――― 「ここで足止めしたほうが確実かな」 小さく呟き、天球の紋章が宿る右手に集中する。 壁を作る。こちら側の、王国軍と自分がいる方と、あちら側の、達がいる方を隔てる壁を。 キィン、と耳鳴りのような音が響いた。 そして一瞬、目も眩む光が視界を遮り、それが治まったときにはもう、こちらとあちらは隔たれていた。 シン達は訳が分からなさそうにしていたが、テレーズが最優先なのだろう、走り去っていった。 は思わず自分の手を見つめる。困惑した。 「…貴様がやったのか?」 ラウドがを見て言った。 は首を縦に振った。 「…っ!こいつを捕らえろ!!」 手柄の機会を奪われたことに腹を立てたのだろう。 ラウドは真っ赤になりながら声を張り上げた。 「おとなしく捕まれ!」 「断る」 返事をしたはいいものの、は自分に逃げる意思が無いことを感じていた。 何故なのかは自分にも分からない。先ほどからずっと困惑している。 周りを兵が取り囲んだのでテレポートで輪の外に出た。 その行動にラウドはついに怒髪天をついたらしい。 いつの間に見つけたのか、泣き叫ぶ子供を抱えて、意地の悪い笑みを浮かべていた。 「こいつがどうなっても良いのか?」 お決まりの台詞を吐く。 正義のヒーロー・ヒロインはここでおとなしく捕まるか『そんなことはさせない』と言って立ち向かうのだろう。 だがは正義のヒーローでもなければヒロインでもない。 ただの人間だ。 その子供はと何ら関わりがない。 さらに言うなら元々この世界との関わりも、紋章を宿していること意外ほとんどない。 そう、自分はただの人間であり、そしてその子供も、この世界も。 「どうでもいい」 「なに?」 警鐘がなる。鼓動が早くなる。ああ、動揺しているのか。 「その子は私と何の関係もないから。どうでもいい」 静まれ。鎮まれ。私の心。 「でも人には建前があるから、一応ちょっと脅しておくよ」 「…どういうことだ」 鎮まりなさいったら。ああもう。 「妹、いるんでしょ?」 「!?」 何でこんなに動揺している。何に怯えている。 「ねえ、妹が大事?」 何で怯えるの?何で怯える必要がある?だってここは 「……っ、やめろ、考えるな!気付くな!!」 「コイツを始末しろ!!!」 ゲームの中の世界なんでしょう? 背中を鋭いものが切り裂き温かいものが流れ、激痛が走った。 太ももに弓が刺さったが背中の痛みのせいか痛く感じなかった。 動揺はいつしか衝撃と、そして強い不安感に変わり、息が出来ないほど苦しくなった。 そしては市民のそれとは比較にならないほどの叫びを上げて、そして――― --------------- 2004.2.21 2006.7.23加筆修正 back top next |