天球ディスターブ 16 がグリンヒルに特効薬を買いに行っている間、何もすることがない。 仕方がないので荷物の整理でもしようかと思ったのだが、荷物といっても金を入れる小さな袋のみ。 袋の中には銀貨が三枚。つまり3000ポッチ。 彼が戻ったら代金を払おうと決めた。 「ごめん、遅くなって」 暫くして、が済まなさそうな表情を浮かべながら戻ってきた。 「そんなことないよ。買いに行ってもらって、ごめん。ありがとう」 「でも怪我してる人を待たせたわけだしね、本当にごめん。あ、これ特効薬。塗ろうか?」 塗ろうかという申し出は大変嬉しい。 背中の傷は手が届く位置になかった。(だから兵士に傷薬を塗ってもらったのだが) だが、一日に二人の、それも年上であろう男性に背中を晒すのはどうだろう。 を見ると、困ったように笑っていた。 「恥ずかしいだろうけど、傷が化膿するのは嫌だろ?」 言葉に詰まるとはの背中、木との間に入り込んだ。 もともと背中を預けていなかったのでスペースは十分にあったようだ。 太腿も怪我をしているので、動かさないでいいようにしてくれたのだろう。 ああ、優しいんだな、となんとなく思った。 「太腿は自分で塗れる?」 「塗れるよ」 「じゃあ、はい」 は特効薬をに渡すと立ち上がった。 「一日くらいで治るらしいよ。すごいね、近頃の薬は」 「年寄りくさいなあ。若者よ大志を抱け!…ちょっと違うか」 「何?その言葉」 「格言、いや、故事成語?スローガン?ごめん、忘れた。昔の偉い人が言った言葉なんだけど」 「『大志』ねえ…。 ま、それはともかく。今日は野宿になると思うよ。一番近い村でも、今から行ってたら夜が明けるだろうからね」 そう言っては辺りを見回す。 木々の葉の間から垣間見える太陽は少し傾いていて、時間の感覚が狂っていなければ今は昼過ぎだ。 「ごめん。の旅の邪魔しちゃったね」 「構わないよ?女の子の怪我人を見捨てる程落ちぶれてないつもりだから」 女の子と言われたのはこの世界に来て初めてで、何だかくすぐったくて、照れくさかった。 ただそれを表情に出すことは躊躇(ためら)われて、必死でポーカーフェイスを装った。 「僕は薪を拾ってくるから一人で残すことになるけど…いいかな?」 「いいよ。一人で拾わせてごめ」 「ストップ」 人差し指をの唇に軽く押し当て、は穏やかに微笑みながら制止の言葉をかけた。 「さっきから『ごめん』ばかり言ってるよ。無意識かな? …何で君がそんなに人を頼りたがらないのかは分からないけれど、もう少し甘えていいよ?」 「そんな」 「そんなことはない」と言おうとして、言葉が出なくなった。 人を頼りたがらない、その理由が分かりかけた。 黙ったを見て、は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま「行ってくるよ」と言って、森の奥へ行った。 は手に持った特効薬のビンを見た。 綺麗な水色のジェル。 光に透かしたらきっとすごく綺麗なんだろうなと思っても、腕を上げることさえ億劫に感じた。 「拗ねてるのかもしれない」 小さな声で呟いてみた。 頭で浮かべるより、もっともっと重く心に響いた。 目を閉じて上を向くと、木漏れ日が瞼を通して感じられて気持ちが良かったが首が痛かった。 一部だけれど同盟軍の人々に嫌われて、フリックとも良い関係とはいえなくて。 ナナミがどう思っているかは知らないけれど、自分は確かにナナミに苦手意識を持っている。 それはパーティーに自分が入る時、のことを心配しての彼女の行動が、 暗に自分に「入るな」と言っているようで自尊心が傷つけられたからなのだが。 「我侭だとは分かってるけど、『ここに来るな』って言われてる気がした」 喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。 傲慢だと、自分の我侭だと分かっているから誰も責めることはできず、苦しさは抱え込むばかりになる。 彼らの領域に入ることを許されない自分。 かといって、隔たりの壁を壊すほどの力も持たない自分。 寂しいと思うことは許されるだろうか。 特効薬を太腿に塗る。 が背中に塗った時は痛みなんて殆どなかったのに、自分で塗ると酷く沁みる。 沁みすぎて涙が出そうだった。 が戻ってくる頃、太陽は真っ赤に燃えていた。 動かない方が良いと彼が言うためその場でキャンプファイア。 グリンヒルで買ってきたらしいハムやパンなどでサンドイッチを作って食べた。代金は要らないと言われた。 ハムを切る彼の手馴れ方に、素直に尊敬の念を感じる。 「うーん」 「どうしたの?」 「いや、の寝方について考えてるんだけどね。仰向けだと背中が痛いし、うつ伏せだと足が痛いだろ?」 「あー…」 「どうしよっかなー…。……よし!」 は何か決心をしたように立ち上がると、を前から持ち上げた。 「痛かったら言ってね」 「いやそれは薬のおかげであんまり痛くないんだけど。何?何!?」 彼は異性で、そしてお世辞抜きに格好良い。 ただでさえ異性に対して免疫がある方ではないのだ、これが慌てずにいられようか。 は大きな木の前で腰を下ろし背をもたれると、の向きを反対にして自分の前に降ろした。 は自然、に背をもたれることになる。 「地面で寝るよりは痛くないと思うけど…大丈夫?痛くない?」 「痛くないけど、が動けないよ。火も消せないし」 「大丈夫。流水の紋章宿してるし、それに野宿の時は火は消さないんだよ。モンスター除け」 「ふうん」 ものすごく恥ずかしいのだが、が折角ここまでしてくれているのだ。 恥ずかしいなどと言っては失礼かもしれない。 だから、多少恥ずかしくても黙っていようと思った。 (もしかして異性とみなされていないとか?…妹とか?それはそれで…まあ、うん。有りなのかな) この世界に来てからこれまでの中でおそらく一番安らげた時間に、はいつもより深い眠りに入った。 鳥の鳴き声と木の葉のざわめきで、自分でも驚くくらいスムーズに目覚めることができた。 いつの間にかマントが自分の体を覆っていて、背中が温かかった。 昨夜の出来事を忘れたわけではないので、が掛けてくれたんだなと思い当たった。 「おはよう。疲れはとれた?」 後ろから声が掛かって、は体を起こした。 傷は癒えたらしく、もう痛くない。 「ごめん、重かった?」 「またごめんって言う…」 が苦笑した。 「これは言わせてよ、一応性別は女なんだし」 「普通、自分でつけないよ。『一応』なんて。重くなんてなかったよ?」 「無理してない?」 「してないよ」 これ以上問い詰めてもきっと答えは同じなんだろうなと思いながらは立ち上がった。 「完治だね」 服のしわを伸ばしていると(といっても血だらけの服だが)が言った。 「うん、完治。文明って素晴らしいね!」 「年寄りくさいよ、」 「…もしかして根に持つタイプ?」 「あはは」 「、はいこれ」 が紙袋を差し出す。 中を見ると服が入っていた。 「血だらけだし、背中と足の部分には穴が開いてるし。それで出歩くことはお父さんが許しません!」 「うわーい!ありがとうお父さん!」 「はっはっは!」 「…いや真面目な話、悪いよ。ここまでしてもらうのは」 は少しかがんで視線をに合わせるとにっこりと笑った。 「お父さん命令です。着てください」 「でも」 「はいはーい。口答えしない!さ、着替えておいで。着替えたらご飯食べて、出発しよう」 口調まで親のようになったが笑う。 もう断ることはできないなと判断した。 「ありがとう」 多分この世界に来てから一番自然な笑顔だったと自分で思う。 嬉しかったのだ。 初対面の人にこうも親切にされたのは生まれて初めてで、しかもそれが、少々気分が暗い時だったから尚更。 は着替えるために森の奥へ入っていった。 黒い長ズボンに灰色と青の混ざったような錆青磁の長袖、そしてくすんだ茶色のフード付きのマント。 下着まで入っていて驚いたが、メモが入っていた。 読めなかったが、弁解の手紙か、または女性店員に選んでもらって、その人が書いて入れてくれたのだろう。 そういうことにしておこう、でなければ恥ずかしくて死にそうだ。 バターとハチミツを塗ったパンの朝食を終えて、とは歩き出した。 「徒歩で行くとしたら…トゥーリバーを通らないといけないかな」 「どのくらいの距離?」 「結構遠いよ。旅したことがないが行くとなれば2、3日くらい掛かるかも」 「だったら?」 「今日中につくかな」 は少し考えた。 そしての手を見た。 昆を持っている手とそうでない手の両方に手袋をしている。 彼が「トランの英雄」なのかはまだ分からなかったが(何せその類の話をしないので)、 になら紋章のことを話しても良いと思った。 例えがハルモニアの人で話したがために狙われることになっても多分許せる。少なくとも今は。 嬉しかったから。 「私、真の紋章宿してるんだけどね」 が振り向いた。 「結構いろんなことができて、浮くこともできる。疲れたら浮いていくから、のペースで行こう」 「…真の紋章か。うん、でもそんな気はしてた。いいの?僕に話して。秘密にしたかったんじゃないの?」 「いいよ、嬉しかったから」 「そっか」 前方に向き直り、立ち止まって、は空を仰いだ。 「僕も宿してるよ」 「そうなんだ」 我ながら白々しい台詞だった。 「君の紋章は何?」 が言った。 「天球の紋章、だったと思う。詠唱しないからあんまり覚えてない。のは?」 「生と死を司る紋章。ソウルイーターって呼ばれることが多いかな」 「名前が格好良い。ずるい」 「…ずるいと言ったのはが初めてだよ」 声に不機嫌さは感じられなかった。 はの方を向いて、 「行こうか」 と言った。 青空の下、英雄と異邦人が歩いて行く。 --------------- 2004.3.22 2006.7.27加筆修正 back top next |