36.
 はキルアと離れて行動していた。危険がない限り護衛は必要ないし、そもそもこのハンター試験においてキルアに危害を加えるものがいるとすればそれは兄であるイルミまたはヒソカだけだ。だからよく考えてみれば護衛の存在は必要ないのだった。

(まあ、様子を見るという役目もあることはあるからなあ)

 開始時刻まではまだ時間がある。時計など持ってきていないがここに来てからそんなに時間が経っているわけではないのでおおよそで推測することが出来た。はふと自分に近づいてくる人物を認めた。

「やあ、君はルーキーだね。俺はトンパ。この試験のベテランだ。何か分からないことがあったら聞いてくれよ」
「はあ……」
「ははは、緊張してるのか?そんなに固くならなくても大丈夫さ。ほら、これでも飲んで緊張ほぐせよ」

 やたら爽やかな笑顔でジュースを差し出してくる。こころなしか今にも歯がキラリと光りそうな感じがしてはドン引きである。ジュースに毒が入っているということは覚えているので、ここまで爽やかに毒入りジュースを飲ませようとするトンパにある意味で感心もしたが。

「いや、のど渇いてないので結構です」
「そうか?じゃあ、あげるから持っておきなよ。これからのど渇くかもしれないからさ」
「荷物が重くなるのでいりません」
「そうか、それじゃ仕方ないな。あ、でも飲みたくなったら言ってくれよ。たくさんあるから」
「ご親切にどうも」

 去っていくトンパを見ては何となく溜息をつく。ああ、あのジュースに毒が入っていなければ飲んだのに。



37.
 開始を知らせるベルが鳴る。壁に寄りかかって舟を漕いでいたは慌てて起きた。髭がダンディーな一次試験担当官サトツが試験についての説明をし(要するに「覚悟しとけや受験生ども!油断してると死ぬぜ!」ということらしい)、二次試験会場まで案内するのでついて来いと言う。は自分の落ち度に気付く。
 100キロ近いフルマラソンなどやってられるか。

(あー…どうしよう)

 多少体力がついているとはいえ基本スペックは普通人である。長時間耐久マラソンに耐えられるはずがない。今こうして考えているうちにも受験生の姿は小さくなっているわけだが。

(……仕方ないか)

 は右手を前に出し紋章に集中する。淡い光が発せられたかと思うとの姿が徐々に消えていった。姿が完全に消えたことを確認すると(自分にも見えない)は再び紋章に集中して雲のようなものを出す。その雲の上に乗って雲も透明にする。そして言った。

「二次試験会場まで運んで。スピードは……そうだな、キルアくらいで。会場の手前の森で起きるように」

 そうして雲が進み始めたことを確認するとは目を閉じた。
 ずるいと言われようが何と言われようが仕方がない。自分は落ちるわけにはいかないのだから。自分が落ちるときはキルアが落ちたとき。それまでは何としても突破し続けなければならない。
 使えるものは使うべきだ。そして寝られるときは寝るべきだ。小さな罪悪感を感じながらは眠る。



38.
 起きたのはきっちり二次試験開始前10分、森の中でだった。起きたはサクサクと森を歩き抜け会場の前に来る。誰も疑問に思わない。無傷で汗もかいていないが皆試験会場に注目していて余裕がない。
 試験は正午開始だと書かれた建物の中からは獣の唸り声に似た音が聞こえてくる。これが二次試験担当官の腹の虫であると知っているは何とも思わないが他の受験生にしてみれば警戒の対象なのであろう。何となく周りの受験生たちを見回していると、ある人物と目が合っては逃げ出したくなった。
 頬のタトゥと服装がその存在感をありありと醸し出す奇術師、ヒソカである。ヒソカはひらひらと手を振る。はペコリと頭を下げた。近づいてくる気配はない。

(こ、怖……!)

 彼は間違いなく、が今まで出会ってきた人の中で一番怖く、一番怪しい人物だった。



39.
 正午になった。建物のドアが開いていく。中にいたのは予想通りというか何というか二次試験担当官の二名であった。おなかの大きい男性がブハラ、髪型がアンビリーバボーなナイスバディーの女性がメンチである。二次試験は二人の指定する料理を作り合格判定が出ればOKらしい。

「オレのメニューは豚の丸焼き!」

 ブハラが言う。この森林公園(というよりここは森林公園だったのか)に生息する豚なら種類は自由らしい。もっとも、ここの豚は一種類しかいないわけだが。

 は森を歩く。周りの受験生たちがブタブタ五月蝿いが、果たしてブタと呼んでブタが来るのか。変な興味の湧いたは試して見ることにした。

「ブター」
―――ブヒー……
「…………」

 思わぬ成果に言葉をなくす。まさか返事が返ってくるとは思わなかった。そのうち地響きがしだしてはいよいよ頭を抱えるはめになる。
 地響きはどんどん大きくなり、やがての目には前方に群れで走ってくる豚が映った。グレイトスタンプという世界で最も凶暴な豚である。その豚の進行方向にはいる。さすがにヤバいと感じ木の上に移動した。もちろん紋章の力である。そのまま木の上から豚が通り過ぎるのを待つ。そして最後の一匹に手をかざし、動きを止めた。他の豚は気付かずにそのまま過ぎていく。

「ごめん」

 一言謝って、は豚の心臓を止めた。



40.
 焼くのは簡単だった。何せ火は自由に出せるのだから。豚は重くて持てないので微かに浮かせてあたかも持っているように見せかけながら運んだ。結果は合格。というよりも豚を持ってきた受験生全員合格である。メンチはその結果に多少ご不満らしく、自分の試験は厳しくすると告げた。
 「あたしのメニューはスシ!」そう言ってメンチは建物内部のキッチンを見せてここで作るのだと言い、最後にニギリズシしか認めないという旨を告げた。はとりあえず他の受験生に倣ってキッチンへ行き、用意された道具を見た。シャリは用意してある。しかもちゃんと酢飯だ。包丁が刺身包丁なので軍艦巻きや卵寿司は認められないとみえる。最近はハム寿司なるものもあるのだが。とりあえずレオリオらしきスーツの男性が「魚!?」発言をしたためも川に向かうこととした。



41.
 川に来たまではいいのだがには魚を釣る術がない。他の受験生たちは潜ったり持参の銛で捕まえたりしているが生憎とにはそんな根性も道具もない。紋章もこんな人前で使うわけにはいかない。さてどうするかと考えてもどうしようもないという結論に至り、その辺の岩に腰掛けた。

「ねえ、君も受験生なの?」

 ブラブラと足を振って時間を持て余していると(他の受験生から見ればさぞかし嫌味な光景だろう)後ろから声をかけられては驚く。振り向くとキルアと同い年くらいの少年が立っていた。黒い髪の毛は重力に逆らっている。とてつもない剛毛なのかセットなのか悩むところである。
 はそんな疑問を抱いたがとりあえず目の前の少年の問いに答えることにした。

「そうだよ」
「あ、406番なんだ。オレの後に来てたんだね。……魚、捕らないの?」
「捕りたいのは山々なんだけど、捕る術がなくて」
「そうなんだ。じゃあオレのをあげるよ!」

 は目を見開く。確かにゴン(だと思われる)の手には魚が数匹下がっているが、これはさすがにフェアじゃないだろう。そう告げるとゴンは少し困ったような顔をして「でも、君このままじゃ落ちるよ?」と言った。これにはも言葉を詰まらせ、結局魚を受け取ることになった。

「……ごめん」
「いいよいいよ!そういえばまだ名前言ってなかったよね?オレはゴン!君は?」
「ゴン君だね。私は
「呼び捨てでいいよ。オレもって呼ぶし。これからよろしくね!」
「そう?じゃあ、ゴン。こちらこそよろしく」

 はゴンを好ましく思う。彼の笑顔には人を和ませ、癒す力があると確信した。



42.
 調理台の前に立ちは考える。ゴンからもらった魚は周りと比べると随分普通の魚であった。執事時代の台所風景を必死で思い出し、また「めしどころ・ごはん」主人の手つきを思い浮かべながら魚を腹から背中にかけて二つに切り、内臓と骨を抜く。ついでに綺麗に洗っておく。用意されている柳刃包丁で切るわけだがネタの切り方など当然知らないのでそれらしく見えるように切った。
 シャリの握り方も知らないがとりあえず手の体温が移らないように、また固くならないように握る。上にワサビと先ほど切ったネタもどきを乗せて一応の完成である。

「寿司職人に怒られそうだ……」

 そう呟いてメンチのほうを見ると、ちょうどレオリオ(だろう、多分)の皿が放り投げられているところだった。

「………」

 放り投げられるくらいなら自分で食べたい。は提出した後に巻き寿司をつくる決心をした。



43.
「提出いいですか?」
「あら、今度は女の子ね。いいわよー」

 は皿をメンチに渡す。「ふうん」とメンチは言って笑んだ。

「アンタ作り方知ってたでしょ」
「はい」
「正直ねー。好きよ、そういうの。どれどれ味のほうは………うん、普通。かなり普通。どこまでも普通」

 連呼されてはいささか肩を落とした。いいんだ別に自分は寿司職人じゃない、そう思うが何となくメンチに言われるとひたすら落ち込んだ。

「……ま、いいか。今までの中では一番まともだったし美味しかったし。406番合格ー。はいオメデト」
「え」
「なによ、合格したのに嬉しくないの?」
「あ、いや、嬉しいですけど」

 は困惑する。確かこの試験では合格者は出ないのではなかったか。しかしメンチに撤回する気配はない。内心かなり焦りながらは調理台に戻る。巻き寿司をつくろうとかいう考えは遥か彼方に飛んでいってしまった。

(どうしよう)

 どうしようもないことは分かりきっているが、それでも考えてしまう。考えているうちにハンゾーらしきスキンヘッドが寿司の作り方をバラしてメンチの怒りを買っているがそれすら認識できないほどに悩む。もしもこのまま流れが変わってしまったら?そう思うと恐ろしかった。

「わり!おなかいっぱいになっちった」

 その声を聞いては床に両手をついた。



44.
 メンチが電話をしている。ハンター協会に連絡しているのだ。合格者「1名」という結果を。

「合格者1名……?マジかよ」
「誰なんだ、その合格者は!!」

 そんな声があちらこちらから聞こえてくる。は心の中で滝涙を流した。メンチが携帯の電源を切ると同時に恰幅のいい男性(レスラーのトードーだったと思われる)がキッチンの一つを破壊した。

(こここ怖いって!待ってごめんいや本当辞退するから!)

 ブハラがその受験生を平手打ちで建物の外に飛ばそうがメンチが美食ハンターの何たるかを主張しようがの混乱は止まらない。ただもうこの場から逃げ出したいと思う気持ちで胸がいっぱいである。

『合格者1はちと厳しすぎやせんか?』

 そして、おそらくハンター協会会長ネテロのものと思われるその声がするまで、はキッチンの影に隠れ続けたのだった。今度ネテロに会ったら神と崇めよう、本気でそう思った午後一時の出来事。



back  top  next