45.
 ネテロが登場したことにより合格者1名という結果は見直され、二次再試験が行われることになった。メンチが指定した山まで飛行船に乗って赴く。山は真っ二つに割れており、崖の如くとなっている割れ目には「クモワシ」というその名の通り蜘蛛のようなワシ(糸を谷間に張り巡らせてそこに卵を吊るしているのだそうだ)が生息しているのだとメンチは説明した。

「課題はクモワシの卵を取ってくること。さっきあたしがやったみたいにね」

 もしも糸に上手くつかまることが出来ずとも下は深い川だから安心していいとメンチは言う。ただし流れは速く海までノンストップだという脅しつき。受験生には怖気づく者、急にやる気を出す者と様々だがはどちらかというと前者だった。紐無しバンジーその上糸につかまるなど無理な話である。バラバラと落ちていく受験生を眺めながらは崖の縁に立った。
 紋章を使えば容易い試験なのだろう。糸の近くで身を浮かせればいいのだから。しかしその場合もれなく他の受験生の目に触れるという多大なリスクが付いてくる。それは避けたいところだった。自惚れでも何でもなくはこの紋章の力は最強に近いと知っている。その完璧すぎる力ゆえに宿主にさえ恐怖を抱かせる紋章。幾度その恐ろしさに紋章を宿すこの身を疎ましく思ったか。
 だからこそこの紋章は出来るだけ隠さなければいけない。こんなところで披露してはいけないのだ。

「あ、406番。あんたさっきの試験合格だったから別に取りにいかないでいいわよ」

 はメンチの言葉に泣きそうになる。落ちなかったことへの安堵と、それに関連して任務放棄という事態にならなかったことに。そして―――

(それを早く言って……)

 無駄にシリアスを演じていた自分のあまりの間抜けさに。



46.
 二次試験合格者を乗せた飛行船はゴウンゴウンと音を立ててゆっくりと進む。ネテロの挨拶も終わり、は時間を持て余していた。現在の時刻は夜8時過ぎ。一次試験のときに寝ていた身なので目はギンギンに冴えている。さてどうしようか寝る場所でも確保しておこうかなどと考えていると、聞き慣れた声がを呼んだ。

!こっち来いよ!」
「キルアさ……キルア」

 危うく「様」を付けて呼んでしまいそうになったがその前にキルアが物凄い形相で睨んだために寸でのところで言い直した。「ああキルいつの間にそんな目が出来るようになったの」とのキキョウの声が天の声として響くようである。はキルアのもとへと歩みを進める。ゴンとレオリオ(推定)、そしておそらくクラピカだろうと思われる民族衣装を着た人物も一緒であった。

ってキルアと知り合いだったんだねー」

 ゴンが無邪気に言う。知り合いも何も自分は彼の世話役なのだがと思うがそれは口には出さずに飲み込む。言葉にした途端にキルアの鉄拳が飛んでくるだろう。は曖昧に笑ってゴンの言葉をやり過ごし、レオリオとクラピカ(多分ほぼ確定)のほうを向いた。

「初めまして、と申します。以後お見知りおきください」
「え、あ、ああ?」

 レオリオが困惑したような声を上げる。は微かに首を傾げる。何かおかしなことを言っただろうか。チョイチョイとキルアが肘でつついてくるので戸惑いつつもそちらに顔を向けると「、言葉遣い言葉遣い!いきなりそんな使用人口調じゃ誰だって困るっつの!」と小さく言ってきた。その言葉には自分が馬鹿丁寧な敬語を使っていたことを自覚する。もはや敬語は標準装備になってしまっているらしい。
 は慌てて言い直す。

「ごめん。言い直す。ええと、です。よろしく」

 今度は簡単すぎたようだ。クラピカの目が点になっている。レオリオが軽く吹き出した。

「あっはっは!お前おもしろいな!オレはレオリオだ、よろしくな!」
「私はクラピカという。すまない戸惑ってしまって。急に口調が変わったものだから」

 そう言われてははもう苦笑するしかない。キルアが聞いた。

「そういやって素の口調どっちなんだ?やっぱ敬語のほう?そっちのが慣れてる感じがするけど」
「……一応今の口調が素なんだけどね」

 最近自分の口調が分からない。このまま敬語キャラになったらどうしようと少し心配になった。



47.
 キルアとゴンは飛行船の探検に行っている。先ほどのやり取りで程よく気が抜けたのかは睡魔を感じ、明日に備えて寝ておこうと場所を探していた。

「おーい、こっちこっち!」

 レオリオが壁際に立ちこちらに向かって手招きをしている。どうやら「ここで寝るといい」ということらしい。ゴンと知り合ったことで彼らのに対する不信感は最初からゼロのようである。以前いた世界とは正反対の展開にはいささか驚くが、いずれここからいなくなる身であるということを考えれば別段深く考え込むようなことでもないという結論に達した。取りあえず手近なクラピカの横に座り込んだ。
 背中の小さなリュックをおろし、レオリオが寄こした毛布をありがたく受け取って膝の上にかける。

「そういやハンター試験ってのは後いくつくらいあるんだろうな」

 レオリオが唐突に切り出した。はそれを半分寝た頭で聞く。タイミングよくトンパが登場して「新人潰し」の異名に忠実にレオリオとクラピカ(それと自分)に脅しをかけていたが、一度来た睡魔の波は容易には止められない。もしかしたらこの飛行船が三次試験会場かも云々というトンパの言葉にいやありえないだろ飛行船壊れるぞと心の中で突っ込み返しながらは眠りに落ちた。
 横に倒れた気がしなくもない。



48.
 ゆさゆさと体を揺すられて目を覚ます。頭の下が妙に固いような柔らかいような変な感触である。は目を開けた。「おお、起きた」と明らかに笑いを堪えている声が降ってくる。きっとレオリオのものだろう。何がそんなにおかしいのか理解できていないは上半身を起こす。上半身を起こす?

(座ったまま寝たんじゃなかったか)

 上半身を支えている両手を見る。両手の下を見る。青い布である。どこかで見覚えのある色である。模様を見る。民族衣装である。これもどこかで見たことがあるのである。………。

(……………!!!)

 は飛び起きた。慌ててクラピカの顔を見る。目が合うと頬を染めてそっぽを向いてしまった。プライドの高い彼がよくぞ自分なぞに膝を許したものだと感心するが今はそんな場合ではない。
 謝らなければいけない。

「ごめ……!というか本当、本気でごめん………!!」
「いや疲れているようだったからそれは別にいいのだが……その…………。………何でもない」

 おそらくクラピカは周りの視線のことを言おうとしたのだろう。相当痛いものだったに違いない、というか実は今も痛い。起きた瞬間に視線がグッサリである。それをが起きる前から感じていたのであろうクラピカが困るのは当然のことである。は自分の犯した失態を悔やんだ。試験が終わったら菓子折り持ってもう一度謝ろうと心のメモリーにタイマー付きで記憶を封じた。
 レオリオが今も笑いを堪えているのが小憎らしい。いっそのこと土下座をしようと思い立つが実行する前に必死な顔のクラピカに止められてしまった。



49.
 三次試験会場の塔の天辺に置き去りである。飛行船は無情にも雲の彼方へと消え去った。先ほどの失態の申し訳なさからは4人からそこはかとなく離れて行動しているわけであるが事情を知らないキルアとゴンの視線が痛い。飛行船の中では誤魔化したが納得はしていないようだ。
 よく受験生を観察してみると先ほどからチラホラ塔の中に落ちていく者の姿が見受けられるようになってきたことに気が付く。一人分の大きさしかない回転床、しかも一回まわれば二度と開かないときた。
 切り抜ける自身はある。囚人たちの攻撃にも負けない自信がある。反則的なこの紋章を使えばいいのだ。しかし少しばかり問題がある。

(クイズとか迷路とかだったらどうしようかな)

 迷路ならばまだいい。壁に沿っていけば必ず出口に辿り着くのだから。問題はクイズである。この世界のことを聞かれたら答えられない自信がある。下手をすると72時間たっぷり歩くという事態になりかねないのがこの三次試験である。それは少し面倒だとは考える。

(……まあ結局なるようにしかならないわけだけど)

 沈み始めた足元を見ながら自分はどうしてこうもタイミングが良いのか悪いのか運が良いのか悪いのか判断し辛い位置にいるのだろうと溜息を付いたのだった。



50.
 は目の前の光景に本気でこの場から逃げ出したいと切に願った。

「やあ◆君が僕のパートナーなんだね?」

 にっこりと笑んでを出迎えたのはステージの貴公子ピエロ――もといトランプの奇行師ヒソカであった。はこの人物がひたすら怖い。偏見はいけないものだがこの人物の場合雰囲気がすでに怖い。油断すれば刺されそうな雰囲気を素人のにすら気付かせるほどに放ちまくっているのだ。
 ヒソカはの右手にタイマーの付いた腕輪をはめた。残り時間は71時間55分32秒。

「このルートって二人じゃないと駄目らしいんだ☆どうでもいいヤツが来たら即殺して引き摺っていこうと思ってたんだけど♪キミは別に弱くはなさそうだし、いいかな」

 ヒソカが言うにはこのルートはパートナーの生死を問わないらしい。つまり互いに一触即発、つねに殺されることを想定しながら一階まで行けという、ある意味でまったく試験の理にかなったルートなのだ。

「じゃ、行こうか」

 未だ一言も喋らない(というより喋れない)の手を引いてヒソカはいつの間にか開いていた扉をくぐった。

(助けてジーザス……!!!)



51.
「あはは。弱いねここのヤツ等♪そう思わないかい?」
「仰るとおりで」
「んー、ダメダメ。女の子はもっと笑わなきゃ☆」
「……山積みの死体を前にして笑える気力はさすがにないです」
「そう?じゃあ次はキミが殺し」
「ません」
「………ザンネン◇」

 人間、極限の恐怖を感じ続けると途中からどうでもよくなるものだ。現状をそう表現しよう。どう足掻いてもこの試験をクリアするまではこの状況なのに変わりないと理解したは吹っ切れたとばかりに他人が見たら卒倒するような態度でヒソカに接していた。とはいっても特別嫌悪感を丸出しにして接しているわけではなく、あくまで素である。敬語なのは仕方がない。そこまではさすがに吹っ切れられない。
 そんなの心中とは裏腹にヒソカは弱い弱いと言いつつも囚人たちを楽しげに殺していく。はその度に眉をしかめるが決してたしなめることはない。たしなめても次の瞬間にヒソカは人を殺すからだ。
 彼は快楽殺人者というわけではないのだろうとは推察する。殺すことに悦びを覚えている節は確かにあるが、それ以上に彼の興味は「テクニック」の一点に向いているような気がしてならない。トランプの捌き方ひとつ取っても素人目ではあるが無駄のない動きだということが分かる。
 テクニックの向上に喜びを感じ、その技術で殺すことに悦びを見出す。そういう気質なのだろう。

「ん?なんだい?そんなに見つめられると照れるよ★」
「あ、いえ、すみません。トランプが随分汚れたなと」
「ああコレかい?スペアが5,6セットあるから大丈夫だよ♪なんなら一セットあげようか」
「真面目に遊び道具として使ってもいいのなら是非」
「……キミおもしろいねー。じゃ、この試験をクリアしたらババ抜きでもするかい?」
「ついでに大富豪もしませんか」
「いいよ◆時間はたっぷりあるしね。思いつくトランプ遊戯全部やっても余るくらい」

 思った以上に話している自分には驚き、また予想以上に話しやすい(というかノリのいい)ヒソカに仰天した。やはり偏見はいけないことなのかもしれない。少しだけヒソカへの恐怖心が薄れるのを感じる。
 だから忘れていた。



52.
 男の首が飛んだ。昨年ヒソカにつけられた傷の恨みだと言って復讐に目の奥を怒らせていた男の首が。コロコロと転がっていく首から目を逸らすことが出来ず、はその場にへたり込んだ。いやな記憶が蘇る。目の前で人が死ぬ。命が消える。いなくなる。いなくなる。いなくなるいなくなるいなくなるもう会えな―――

「……………っ」

 酷く頭が痛む。その痛みはに現実を教えてくれる。――こんなことでどうする。自分は仮にもゾルディック家三男の世話役ではなかったか。彼が人を殺したときにこんな失態を晒すというのか。
 否である。死者を冒涜するつもりはないが――ヒソカは先ほどまでも大勢の人間を殺してきた。もまたその屍の上を歩いてきた。その中には首が無い死体だってもちろんあった。極力見ないようにはしてきたが、それが目を背けていたのだということならば、自分はここで受け入れなければならない。
 気を強く持たなければいけないのだ。この世界にいる以上この試験を受けている以上死は在るべくして有るものだから。またこの男の横にいる以上この現実は在るべき事実として捉えなければならないのだ。例えどんなに受け入れがたくとも理解しがたくとも。
 ――目を背けるわけにはいかないのだ。

 顔面蒼白のまま立ち上がったを見てヒソカは笑みを深くし、はじめと同じようにの手を引いて扉へと誘った。手をつないだ箇所から急激に体温が奪われていくような錯覚をは覚える。
 自分はどうしてこうなのだろう。

 受け入れなければ、ずっと綺麗でいられたのに。



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