天球ディスターブ 36





意識は本人の意思とは関係なく、急激に浮上する。

は目を開けた。

飛び込んでくるのは赤いビロード。天蓋付きのベッドに寝ているらしい。

首を左右に傾けて様子を見る。ビロードのカーテンは開けられていて、部屋の様子が伺える。誰もいない。

起き上がると体が軋んだ。


「………」


ベッドのふちに腰掛けて部屋を見る。広いし、調度品も高級そうなのばかりだ。

こんな立派な部屋は知らない。

ガラスの入った窓を目に留めてそこまで歩き、外を見る。城下町が見えた。


「…軍主の」


ここはの部屋なのだろうか。こんな部屋は同盟軍には2つとないだろうと思い、確定した。


「………」


は無表情に部屋を見回し、扉を見つける。そして、出て行こうとした。

出る前に一度だけ振り返って、深く礼をした。










大広間の入り口前に兵士が立っていた。知らない兵士だ。

気まずいと言って避けられるはずもなく、はいささかの緊張と共に彼に声をかけた。


「入ってもいいですか」

「駄目だ」

「……駄目ですか」

「当たり前だ」


明らかに心は落胆しているのだがそれが表情に出ることは無く、ただ兵士の兜を見つめた。

兵士はの顔を見、少しの間の後に突然はっとしたような表情になった。


「…話は聞いている。ハイランドの奴が来たら、入れるようにと」

「私は」

「弁解するな。……頼む、今は」


その言葉に、は理解する。彼は事情を少なからず聞いているのだろう。

そして、混乱している。無理もない話なのかもしれない。今まで敵だと思っていたのだから。

は軽く会釈をして、大広間の中に入っていった。






大広間には、入ってすぐ左側に、一段高くなった場所がある。

それは幹部を鼓舞するときに軍主が上るステージであり、演説をするときには荘厳なる壇上と化す所だった。

今はそのステージの前に幹部が幾人も集まって、半円を作り、何事か話している。

そんな大人たちの光景が、にはとても奇異に感じられた。はっきり言うと、怖かった。

幹部の中の一人がに気づいた。


「目を覚ましたのか」

「シュウ」


はその人物の名を呼ぶ。波紋の広がりのように大勢の人間がを振り返った。

半円の中にいたせいで見えなかったがこちらを見て驚く。そして笑顔を浮かべた。


さん!」

「え、さん?」


の反応に呼応するようにナナミもこちらを見た。

違和感を感じるのは何故だろうか。


ちゃん!』


ああ、以前はそう呼んでくれていたのだった。






半円の中心を見る。誰かが座り込んでいる。

鎧を着ているので兵士のようだが、同盟軍でないことは一目で分かる。装備が明らかに違うからだ。

見覚えは、ありすぎるほどにあった。もっともそれは兵士にではなく、鎧に、だが。

兵士もこちらを見た。その目が驚愕に開かれる。

少しの間、本当に一瞬だけ、と兵士は見詰め合った。それは一切の感情を排除した視線の交錯。

兵士は唇をわななかせると、呆けているを鋭い眼光で射抜く。

そして、そのまま飛び掛った。


「……っ……ぅ……!?」


ギリ、といやな音がして、呼吸が出来なくなる。苦しい。反射神経がの手を首まで持ち上げた。

兵士はの首を絞めていた。は兵士の手をはずそうともがくが力が入らない。

辺りがざわめいた。


「な…何をしている!?おい、この兵士をから退けるんだ!」


シュウが周りの人間に指示する。その言葉に現実に戻った彼らは、慌てて兵士を力ずくでから離した。

ふ、と開かれた気道から酸素を摂取する。まだ苦しい。だから起き上がれず、倒れたままだった。

兵士は喚く。


「…お前なのか、何で、何でここに……っ、何で!」


彼は錯乱している。


「隊長、隊長を――お前が――ああ」


その先は聞きたくなかった。だが、兵士の言葉を遮ることはできなかった。


「――何で、ここにいる――隊長を殺した魔女――そうだ、お前が殺した!!」


ああ。







そっと手が添えられた。その優しい仕草に酷く驚いて、は相手の顔を見た。

ゆるくウェーブのかかった亜麻色の髪を一つに束ねた女性、ストレートの黒髪を下のほうで結った女性。

ヒルダとヨシノだ。


「立てますか?」


ヨシノがに訊いた。は返事をする代わりに腕に力を入れて体を起こした。ヒルダが背を支えた。

呼吸が上手くいかなかったが、ヨシノが背をさすってくれているので少しずつ楽になってきた。


「君は」


は兵士に問うた。しかし、それ以上は言葉が続かなかった。――君は、あのときの?

しかし兵士にはそれで十分だったようだ。自分の問いにが反応を示した。それは肯定と取れる。


「お前が隊長を殺したんだろう」


兵士の声は驚くほど静かだ。その実、裏側にある感情は隠されもせずにに向けて放射され続けている。

出来ることならば視線を逸らしたかった。だが、兵士のみならずこの場にいる全員の視線がそれを阻んだ。


「君は、あのときの兵士?」


間抜けだと自分でも思ったが、聞かずにはいられなかった。兵士は嘲笑をその顔に浮かべる。


「思い違いじゃないようだ。お前は確かに魔女なんだな。…いや、魔女と呼ぶことにすら値しない」

「ちょっと、なにそれ!?さんは」


ナナミが声を荒げる。隣にいるも同様の心境のようだ。表情がそう物語っている。

はナナミを目で諫め、改めて兵士に訊いた。


「――君はあのときの、あの戦場の、…兵士なんだね」







この場で一番居場所がないのは、何も知らない周囲の人々である。

場はと兵士という、「知っている者」に支配されていた。シュウが言明する。


「一体何だと言うのだ。お前たちは何のことを言っている?、戦場とはどういうことだ」

「…それは」


は思わず、視線下げる。兵士は少し驚いた顔をして、そして複雑な表情を浮かべた。


「言ってなかったのか」


何とも言えず、はただ頷く。

兵士は嘲笑に加え、侮蔑の視線もに送った。


「お前は何様のつもりだ」


は少し目を開く。兵士はそんなに構うことなく言葉を続けた。


「何故、言っていない。何故、俺たちのことを誰にも知らせない。何のつもりだ、お前は何をしているんだ?

俺たちの戦いを無かったことにするのか?隊長の死をも――お前は隠匿するというのか!!」


途端は激しい嫌悪感にかられた。勿論、兵士にではなく、自分に向けて。

そんなつもりはなかった。

死を隠匿するなど――自分は、兵士が言うところの「隊長」の家族に彼の死を知らせたではないか。

しかし一方で胸の内から声が聞こえていたことも事実。曰く、「伝えないのか」と。

そのときは伝えないことが最良の選択に思えた。

ただでさえ不安定な同盟軍をこれ以上混乱させるわけにはいかない、と。そう思った。

――その行為は、兵士たちの死を、意思を無に帰す行為であるというという事実に目を背けた。

あちらを立てればこちらが立たず、どちらも立たせる力をは持っていなかった。

自分は弱かった。そして、今も弱い。心も体も何もかも。弱すぎて自分が疎ましく思えてくるほどに。

が何も答えないことをどう取ったのか知らないが、兵士は嘲笑の色を濃くした。


「……意外だな。突付けばすぐに崩れる。所詮、魔女も小娘でしかなかったか?」


どう答えていいのか分からない。弁解すればいいのか、否定すればいいのか――どちらにしろ、嫌だった。

言い訳は嫌いだった。勿論どうしようもないときだってあるが、出来ることならば言い訳などしたくなかった。

だから言い訳しない。そしてそれが相手を怒らせることになるときもあることを、は知っている。

だが、どうしようもなかった。知らないのだ、どう言い訳すればいいのか。


「何か言ったらどうなんだ」


兵士が、最後通告のようにに言った。


「兵士…君の隊長は、……。………君は、隊長が好きだった?」

「当たり前だ。俺だけじゃない、隊の者は皆、隊長を慕っていた。剣の腕も知略も優れ、人望があった。

そして何より……優しかった。どうしようもないくらい」

「……そうか」

「殺したいほどお前が憎いよ。隊長の遺言が無かったら殺してやるのに。…いや、殺せたのに。さっき」


は戦慄した。抑えられた悪意、殺意が突き刺さる。このような経験をしたことはない。

怖い。しかしそれ以上に、申し訳ない。そう考えることこそが最大の冒涜であると分かっていても、申し訳ない。

周囲の人間に、もはや口を出すものは誰一人としていなかった。

ヨシノとヒルダだけが、の肩や背中を支えてくれている。あたたかくて泣きそうだった。

――この場は兵士とのものだ。

それは暗黙の内に了解されたことであり、誰の目から見ても事実であった。


「お前、隊長に勝ったんだったな」

「…結果的には」

「本当にそう思っているのか?」

「思ってない。私はあのときまで剣を使ったことはなかったし、隊長である彼のほうが腕が上なのは確実」

「まあ、そうだろうな」


言葉が途切れ、暫く沈黙が続いた。

視線を上げることが出来ないので、必然的には下ばかり見ることになる。

そうして、気付いた。――兵士の括られた手は強く握り締められていて、白くなっていた。


「…隊長は、俺を拾ってくれたんだ」

「え?」

「語り草だぜ。『貴族の息子が、何を思ったか孤児を集めてる』ってな。

別に隊長は集めちゃいなかったんだが。あの人はどうも優しすぎたんだな。戦場では怖いくらい残虐なのに」

「……」

「俺…いや、俺たちは隊長を慕ってたから、隊長がハイランドに行くとき、ついて行きたいと懇願した。

滅多に怒らない人が凄まじい程に怒り心頭なさまは…ありゃあ、俺は死ぬまで忘れねえな」

「それは…」


には、兵士が何故こんな話題を持ち出したのか分からない。

だから相槌を打って、話を聞くことにした。


「結局は隊長が折れた。やっぱり優しすぎるな、あの人。年くってさらにそれが強くなった気がするし。

…ああ、知ってるか。知らねえよな。あの人、あんななりして27だぜ。俺は16」

「27…」


どう見てもそうは見えなかったので、純粋に驚いた。しかし言われてみれば納得のいく部分もある。


「本格的に戦争に参入するときも、隊長は常に隊員の安全を第一に考えてた。

俺らなんか、グリンヒル制圧にも連れて行ってもらえなかったんだぜ?

まあ、それは後から、隊長が兵の一人として潜り込んでたからだって聞いたんだけど。……なあ」


兵士は言葉を区切ると、に問いかけた。


「知ってたか?お前が殺したのは、そういう人なんだぜ。優しくて、強くて、…やっぱり優しかった。

戦争中だから死ぬのは仕方ない。殺されることだってあると思う。だが、知らせないのは許せない」


兵士は立ち上がる。手を縄で縛られているため、立ち上がったときに少しふらついた。


「俺たちの隊長をなかったことにするな。存在を否定するな。お前が知らせないのなら俺が知らせてやる。

……いいか、よく聞け同盟軍の間抜けども!!

お前らが狂皇子を討っていたとき、俺たちは此処、同盟軍本拠地に奇襲をかけた。レオン軍師の策だ。

精鋭を目の前の敵――ルカにだけ向けていたお陰で、本拠地は砂で出来た城より脆かっただろう。

だが、こいつが一人で止めやがった。7000の兵士の半分が喪われた。こいつの肩を持つ気はないが――


よく見ろ、同盟軍の阿呆ども!お前らの下には俺の同胞の血が流れてる。お前らはその上に乗っている!

そして――隊長の躯もそこにある。

なにしてんだよ、あんたら!!ガキの軍主に全部背負わせて、こいつみたいな小娘に血を浴せて!!!

小娘一人目の敵にして、なんだっていうんだ!こんなやつハイランド軍にいるわけねえだろうが!

平和を望んでるんだろう!?戦争なんか、誰も望んでねえだろうがよ!!なにしてんだよ!!!」


周囲のざわめきが、まるで決壊したダムのごとく怒涛の勢いで溢れ出した。

は驚愕の目で兵士を見る。――『目の敵にして』?

知っているのか。この兵士は、知っていたというのか。ならばどこで。

兵士が知る暇は、の知る限りでは無い。ならばが来る以前、またはこの場の雰囲気から。

前者ならまだいい。しかし後者なのだとしたら――雰囲気だけで読み取れるほど疎まれているのなら。

自分は、同盟軍の者にとって害以外の何者でもない。

兵士は肩で息をしている。息を吸い込んで、静かに言った。



「俺みたいな孤児……生み出すなよ。それはガキにはできねえんだ。大人にしかできねえこと、あるんだよ」







静まり返っていた。

レオンの名について問いただそうとしていたシュウでさえ黙っている。

ナナミは下を向き、も、いつもより幾分かその表情に顔を落としている。ルックとは変わらない。

大人たちは皆一様に困った表情をしていた。中には驚いた顔の者もいるが、大体は困っている。

兵士はを見た。もふらつきながら立ち上がる。

兵士が、近づいてくる。


「『俺が死んでも、誰も恨むなよ』」

「…?」

「隊長の遺言だ。戦地に出る前にいつも聞かされていた。隊長、強かったし、聞き流せてたんだがな」


距離はどんどん縮まっている。


「優しすぎたな、やっぱり。優しすぎて人を、俺らを傷つけてる。

恨みを昇華できるほどの人間なんて一握りしかいねえのにな。俺ら、そんなに出来た人間じゃねえよ。なあ」


一声呼び掛けて、兵士との距離は限りなくゼロに近いものとなった。

兵士が哂う。


「……っ!?」


腹部に鋭い痛みを――経験したことのある痛みを――感じた。

兵士が離れる。

が腹部を確認する前に、ナナミの絶叫が上がった。


さんっ!!!」


あたりがまたざわめく。今度はルックとも、も見たことがないほど驚いていた。

腹部には、短剣が刺さっていた。脂汗が額に浮かぶ。声をこらえることはできても痛みはこらえられない。

痛い。痛い。――


「お前、縄を……!?」


シュウが驚愕の声を上げる。新たに腕に括られていた縄がほどけている。抑えた指の間から血が流れ出す。

兵士は、にしか聞こえないくらいの声で、言った。


「―――隊長がつけた傷、塞がせねえよ」


は蒼白になった。これほどの悪意を向けられている―――恐怖がを支配した。


「隊長、お前に全てを託しちまった。俺らには何も残らなかった。

………お前が、ハイランドの人間だったら良かったのに」


そしてから身を離し、同時に短剣をの腹部から抜いた。

金属が傷口を擦る痛みに、は思わず声を上げた。

は兵士を見る。

兵士は微笑う。――どこか悲しそうな、母親に置いていかれた子供のような表情だった。



兵士は、自らの手で自身の咽喉を切り裂いた。



血飛沫が目の前にいるに降り注ぐ。は既視感を覚えた。

―――この世界へ来て初めて目にした戦場でも、私はハイランド兵の血を浴びて―――

周囲の悲鳴も何もかも、全てが遠い。

崩れ行く兵士を見ながら、ユリの最期もこんなふうだったのだろうかと、場違いなことを考えていた。

足元に倒れた兵士は咽喉から下を鎧まで赤く染め、それなのに顔には余り血が飛んでおらず――

悲しそうで、嬉しそうだった。






「なんで――なんで、こんなことになったんだ…」


誰かが呟いた。叫び声が充満するこの大広間の中でも、その声だけはいやにはっきり聞こえた。

誰だか分からない。ただ、男性だということは声で分かった。


「畜生、言うだけ言ってさっさと逝きやがって!……何だって言うんだ、一体。俺たちは、俺たちは――」


悲しそうな声だった。今にも泣き出しそうに聞こえる。

この場にいる大人たちがその声に呼応していった。


――混乱しているのだろう


冷静に考えることが出来た。いや、体のほうは冷静ではない。吐き気が襲ってくる。

嘔吐感の苦しさに、目尻に涙が浮かぶ。


――彼らとて、悪い人間ではないのだ


今まで考えてきたことが、急に収束していく気がした。

自分は比較的扱いが悪かったので失念していたが、彼らも同盟軍の一員なのだ。

平和を望んでいることに違いはない。

たまたまハイランドの捕虜としてここに来てしまったから疎まれていたのであって、

彼らが悪いのではない――それを言うならナナミもフリックも「悪」になってしまう。

正直に言って、同盟軍の人間を良く思ってはいない。あまりにも扱いが酷かった。…憎んではいない。呪い。

だが、じゃあ自分に非は無いのかと言われると、有ると答えるしかない部分もある。

打たれ弱い自分は誤解を解けなかったし、諦めが早すぎたところもあると考える。


――結局、誰が悪いとか、そんなものはないのだ。皆一様に悪く、そして「悪」ではない。


戦争に良い悪いの境界はないのだ。だから戦争は糾弾されるし、無くなりにくい。「悪」があやふやだから。

場の混乱が大きくなっていく。


――「絶対悪」が必要だ。


完全なる悪。全ての人間から疎まれるべきもの。

言葉の信用というものがないには、唯一の手段だ。

「絶対悪」を示す。あなた方は善なのだと知らせる。詭弁で構わない。この戦争が終わるまで保てばいい。

安易な二元論上の善は人を安心させるから。


――私の目的は『大切な人を守る』ことだけれど


思い出せ。それよりもっと前に、自分は「同盟軍に参加する理由」を持っていた。

その理由の上に今の目的があるのだ。思い出せ。


――ああ


は笑って、大広間の天井を仰いだ。


―――生きるために


なんだ。

そうか。

…そうだった。

生きたいのだ。こんなところで死にたくないのだ。だから戦う。

生きる上で障害になる戦争を終わらせる。ああ、――それでいい。

そして、そのためには手段は選ばない。私に出来ることは出来る限りやるべきなのだ。


――絶対悪


腹部に右手を当て、痛覚神経を麻痺させる。

の手には、いつの間にか細身の剣――隊長を殺した剣――が握られていた。








「うわああぁぁぁああ!!!」


男の絶叫が響いた。視線が集まる。は剣に付着した血を指で拭った。

足元で二の腕を押さえた男が蹲っている。少しばかり切らせてもらった。

遅効性の回復をかけたので大丈夫だろうとは思うが、少し深く切りすぎたかと反省する。


…お前…?」


シュウが言葉を詰まらせる。どうみてもが切りつけたようにしか見えないからだ。

は笑う。出来るだけ酷薄な笑みに見えるようにしたつもりだが、さて。


―――錯覚するといい。信じ込んでほしい。


ナナミとフリック、が驚いた顔でこちらを見ている。ルックは探るような目で見て、は無表情だ。

ヨシノとヒルダがを抑えようと肩に手を置いたが、はそれを突き飛ばした。

しりもちをつく瞬間に紋章を発動させ、衝撃を和らげたのだが、二人は不思議そうな顔をしている。

やるべきではなかったか。また反省した。


―――自分たちが善だと。同盟軍に闇は無いのだと。


そのときの顔は酷かったと自分でも思う。感情が綯い交ぜになった顔をしているような気がする。



―――進んできた道は間違いではない。私は道の上の小さな障害物に過ぎないから

―――信じて、そして最後まで…やりとげてほしい。小石ごときに立ち止まらないで



は笑った。

その場には男性しかいないと思っていたのだが(勿論ヒルダとヨシノ、ナナミを除いて)、女性もいたようだった。

ふざけないで!と耳が痛くなるような声で、誰かが叫んだ。


「あ、あ、あなた、自分がなにしたか分かってるの!?仲間なのよ!?な、なんでこんなこと」


はにっこりと笑った。女性の顔がみるみるうちに青褪めていった。


「なんで、笑えるの!?あなた人を傷つけてなんで――」


は面倒くさそうに溜息を付いて、女性に向かって剣を振り上げた。

そして女性の腕を少し切る。甲高い悲鳴が耳に付く。男性と同じように遅効性の回復魔法をかけた。

そして嗤う。表情筋を限界まで駆使して。


「悪魔………!!!」


憎悪のこもった目で見られて、少し泣きそうになった。




辺りを見回す。皆の視線はに注がれている。

少々荒療治だったが混乱は収まったようだ。皆の意識も一所に集っている。

あとはこの場から退出するだけでいい。また恨みを買うことになるだろうが、彼らの自信の喪失は回避された。

――ぐらついた彼らの自信は崩壊する寸前だった。

大衆が戦争に疑問を持った時点で、この戦争は意味の無いものになってしまう。

そうなれば今まで培ってきたものは全て崩れ去り、あとに残るのは虚無だけだ。

平和を願ってここまできた彼らにとって最悪の結末。


――私という「悪」を示すことで、彼ら自身を正当化させる。


それは決して良い方法とは言えず、しかも偽善である。しかしこの場を収束させる程度の効果はあっただろう。

は踵を返すと、大広間のドアに手をかけた。

声がかかる。





だった。

振り返りたい。ああ、泣きたい。しかし泣くわけにはいかないので泣かない。

ドアを開けた。










大広間の扉を守っていた兵士は、中の騒ぎを聞きつけて、とっくに中に入っていたため外にはいなかった。

眩暈がする。そういえば、と腹部に手を当て、紋章で止血をする。

早々にここから退散しなければ。

そう思って足を踏みしめたとき、パチパチと、なんとも間抜けな拍手が送られた。


「見事な演技であったな」

「…シエラさん」

「さん、は余計なのじゃが。仮にもおんしはわらわの主じゃろうに。…小僧どもはおとなしくなったようじゃの」

「おとなしくなってますか。それならいいんですが」

「全く、うら若き乙女にこんな真似をさせんと治まらんとはの。軍主が軍師が鎮めるべきであろうに。

…まあ、あの兵士の話を聞いた後で、平静であれと言うほうが無茶であろうが。……ん」


シエラはの顔を見る。血がたっぷり付いて、しかも固まっているため動きにくい。


「何じゃ、あんなことがあったというのに、おんし、以前よりもすっきりした顔をしておるぞ。ほんの少しじゃが」


兵士のことを考えた。途端に気が落ち込んで、「気のせいか」という言葉を賜った。

しかし全体的に考えた上で、今のの気持ちが以前より整理されていることは確かだった。


「隊長を殺した罪は、償いきれるものでも償いきるべきものでもない。だけど、背負うと決めたんです。

しかもそれを隊長に…彼に誓った。それだけに、破りたくない。

罪を背負った私が今やるべきことといったら、償いの前にまず、戦争を終わらせることだと思って」


シエラは満足そうに、ウム、と頷いた。


「ならば私はどんな汚れ役でもやります。戦争終結につながることなら。…何で忘れてたんだろう。

戦う目的は『護るため』だけど、戦う理由は『終わらせるため』だったのに」


そう言って気が抜けたのだろうか、は再び眩暈を感じ、倒れる寸前でシエラに支えられた。

前にもこんなことがあったな、と苦笑する。


「良い香りじゃな。わらわの好きな血の匂いじゃ。…ほら、早いとこ医務室へテレポートせんか。

人が出てくる。わらわも後から行く」

「弔ってくれますよね、兵士。…うん、弔ってくれる」

――彼らなら。


は久しぶりに「誰か」を頼った。

そのまま目を閉じて、テレポートの浮遊感に身を任せた。

シエラが苦笑するのが見えた。















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2005.3.5
2006.9.19加筆修正

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