天球ディスターブ 34





月明かりが少年に降り注ぐ。

緑色の法衣は青白い光を浴びて、少年の持つ神秘的な雰囲気を更に増長させていく。


「……」


言葉を発することなんて出来なかった。

あまりにも――あまりにも現実とは思えない、その光景に。

ただただ、息を止めるばかりで。






少年はゆっくりと歩き出す。のほうへ向かっているのは明白だった。

知らず、は地面に手を付いて後ずさりをしようとする。なぜそうするのか、自分でも分からなかった。

恐れているのだろうか。漠然とそんな思いだけが胸に浮かび上がった。



少年はの前に来て、その軽やかな歩みを止めた。

見下ろす茶色の双眸が今は――まるで自分を責めているかのように感じられて――少しだけ恐ろしい。

は少年を見上げる。

月明かりは執拗に彼の存在を主張していた。



少年はに手を差し出した。

は微かに反応し、その手を見つめる。――何なのだろうか?

少年の顔と差し出された手を交互に眺めながら、ああ、立たせてくれるつもりなのだろうか、と思った。

未だ恐ろしいという気持ちは消えていなかったので、警戒しながら、おそるおそる掌を重ねた。

ゆっくりと立ち上がる――途端に、重心が前に移動した。


「…!?」


少しの衝撃と同時に、頭に堅さを感じた。温かさがじんわりと広がる。



抱きしめられていた。



突然の事態には困惑する。

少年はそんなのことはお構い無しに、の背に腕を回し、きつく、しっかりと抱きしめる。


「…ルック?」


それは、失くした玩具を見つけた子供の姿に似ていた。

は少年の名を呼び、そして知る。

――彼の体が、微かに震えていることを。


「大丈夫?」


普段の彼からは想像も付かない様子に思わず声をかける。抱きしめる腕に力が入った。

恐々、も少年の背に手を回す。

いつも自分がシュウ達からされるように、自分がアルベルトやシーザーにするように、ポンポン、と軽く叩いた。


「―――」


少年が何かを呟いたが、それは聞き取ることの出来ないほどに小さいもので、

それから少年は何も発することはなく、またも何も言えなかった。







どちらからともなく離れる。敢えて言うならばの方からだろう。

もう一度、は聞く。


「大丈夫?」


ルックは憮然とした表情で返した。


「何で君がそれを言うのさ?」

「?」

「……おやすみ」


そう言うとルックは光を纏い、濃紺の世界から消えた。

は考える。

何故自分がそれを言ったのか、と聞かれた。

それは裏返せば、その言葉は自分が言うはずだったのだ、ということだ。――自分は彼に何と言った?


「あ」


思い当たって、の表情に微かな笑みが浮かぶ。

どこからかは分からないが、シエラとの会話をルックが聞いていたのは明らかだった。

それを踏まえたうえであの発言を考えると――


「ああ、やっぱり、優しい」


自分はルックに心配されたのだ。

どうしようもなく嬉しいと思う。反面、心苦しくなってくる。

心配をかけないように同盟軍を出たのに、結局心配させてしまった。



嬉しさと心苦しさが奏でる痛みを、は月を見上げることで昇華させようとした。











翌日、朝食をナッシュとアルベルトが部屋まで運んで来て、食べ終わり後片付けをしようという所で、

達が出発するのが窓から見えた。


「何なんだ?」


食器を重ねながらナッシュが問う。


「吸血鬼退治」


は簡潔に答えた。


「へえ。…ああ、そういえば妖怪オババがそんなこと言ってたなあ」

「ナッシュおじ…お兄さん。オババって誰ですか?」

「ん?ああ、髪が白いヤツがいただろ。あいつだよ。…あ、オババって言ってたっていうのは内緒な」

「おばばー!」


シーザーは彼女の前でも平気で禁句を口にしてしまいそうな気がした。

ナッシュもそう思ったのだろう、溜息をついて肩を落としながらに向き直った。


「…で、これからどうするつもりだ?」

「一行の後をつけます。もともと私は軍主の護衛なので」

「軍主の護衛!?そりゃまた大層な役に就いてんだな。ということは、お前も退治に参加するのか?」


は暫く黙った後、口を開いた。


「見ているだけにします」

「…?そりゃまた何で」

は現在のメンバーなら吸血鬼…ネクロードを倒せると思っているから、彼らを選んだのだろうし、

ならばそこに部外者の私が入ることは許されないと思うからです。

第三者がしゃしゃり出てきて敵を倒すなんていう滑稽なことはあってはならないから」

「……まあ、一理あるな。だが、護衛なんだろう?軍主が倒れたら元も子もないじゃないか」

「だからこそ『後をつける』んです。テレポートしたなら、達は既にティントに着いているかもしれません。

行ってきます。ここで待っていてくださ…」

姉さん」


アルベルトがの言葉を制する。

その意味するところが分かっているだけに、は言葉を切るしかなかった。


「危険なんだけど」

「今更です。というかさんの戦場以上の危険ってあるんですか」

「………すみませんでした」


結局、全員で向かうことになった。











多少のタイムラグは仕方がないと思う。

とにもかくにも現在達は聖堂内でネクロードと交戦中である。

達はこっそりと聖堂内に入り――ルックとシエラには気づかれたかもしれない――それを眺めている。

前に掲げられたの右手から広がるように、球状の膜が4人を覆っている。

それは飛び散る破片から4人を守り、また、目の前の人々の目を欺いてもいた。

つまるところ、他の人々には4人の姿は見えていないのだ。



ルックが魔法の詠唱を始める。

その隙を突いてネクロードがルックに攻撃を仕掛けるが、がそれを防ぐ。

の防御によって出来た隙にフリックが剣を振りかざすが、ネクロードは素早く元の位置に戻る。

はサポートに回りつつも攻撃を仕掛けている。そのバランスは見事としか言いようがない。


「これは、護衛は必要なんだろうか」


思わず呟いてしまうほど、彼らの動きは見事だった。

おそらく、そこには「絆」もあるのに違いない。今までを共に切り抜けてきた、信頼できる仲間――。


「見事なもんだな」


ナッシュが感嘆の言葉を吐いた。


「…あそこで緑の人が詠唱を始めて、で、バンダナの人が防御に……ええと、それで……」


アルベルトは戦闘の分析に夢中のようだ。

戦場においての戦術と個人の戦闘は何かしら繋がるものがあるのかもしれない。

知識が無いには到底分からないものであったが。

シーザーはの腕の中で眠っている。将来が楽しみだ。



そんな呑気な光景がこの結界の中で繰り広げられているわけなのだが、の目は真剣そのものだった。

以前、自分が言った言葉を反芻する。

――100%の可能性なんて、どこにもないのだ。

付加的要素はいつ、どこで出てくるか分からない。



戦闘が終わるまで、がその表情を崩すことは無かった。







星辰剣がネクロードを貫く。

一瞬、爆発的な光が溢れ、ネクロードは崩れて塵になり、消えた。

彼は人間ではなくなっていた。塵になるのは、彼がモンスター――魔物になってしまったことと同義だからだ。


「帰りましょう」


ネクロードが塵になった、その事実には内心で動揺する。

ネクロードは世界を血で汚さなかった。それが彼の所業と酷く不似合いで、やるせなかった。

右手の紋章に意識を集中させる。



そこに居たことを誰にも知られることなく、4人は消えた。

まるで最初から存在していなかったかのように、完全に、――完璧に。



風が彼らの残り香を霧散させた。











「で、お前の用事はこれで終わりか?」

「はい」

「じゃあ、帰るぞ、アルベルト、シーザー」

「えっ!?」


アルベルトは、今までにないほどの驚きの色を示した。

当たり前だろう、と言わんばかりにナッシュが言葉を続ける。


の用事は終わっただろう?最初から、『用事が終わるまで』って約束だったじゃないか」

「え、ちょ、ちょっと待ってください!用事って、『僕の用事が終わったら』じゃなかったんですか!?」

「そんなこと言ってないだろう」

「で、でも『お前の用事が終わったら』って…!」

「お前、イコールだな」

「なっ!?」


は話に付いて行けずに、シーザーと二人で仲良く蚊帳の外だ。

しかし正直なところ、もナッシュの言う「用事」とは「アルベルトの用事」だと思っていた。

だから今、少し困惑している。

ナッシュはアルベルトの猛攻の合間にに耳打ちした。


「話、合わせてくれないか?アルベルトは完璧主義なところがあるし、放っておくとずっと帰らないだろうから」


食えない人だ。

前に会ったときも思ったが、やはりナッシュの印象は変わらない。雲のようだ、と思った。

見た目は青年――それもかなり美形の――にしか見えないのに、彼と接していると自分が子供のようだ。

いや、実際、は世間一般から見れば子供なのだが、彼といることによって余計にそう見えてしまう。

それはつまり、ナッシュがそれだけ精神的により先んじている、ということだ。


「詐欺ですよ」

「うっ…」


ナッシュの言い分はもっともだし、賛成する意向はあっても、に反対する意思は無い。

だが、アルベルトがあまりにも可哀想なので、心ばかりの反撃をしておくとしよう。

小さく呟いた言葉にナッシュが冷や汗をたらすのを見届けて、は微笑した。


「アルベルト」

「………」


不貞腐れて達に背を向けてベッドに寝転んでいるアルベルトに声を掛ける。

返事は返ってこない。

――これは、説得は大変だろうな。

アルベルトにしてみれば、心の準備なしのいきなりの別れなのであろうし。

だからは、妥協案を提案する。


「もう2,3日だけ此処に滞在しようか。そして、帰ろう」

「…!」


虎口の村は中継地点だ。故に行商人や大道芸人なども街道の村などには及ばないが、滞在していく。

遊べる要素は十分にある。


「いつまでもアルベルトとシーザーの家族を心配させるわけにもいかないから。どうかな?」

「………」


アルベルトはこくりと頷いた。は笑った。



――後になっては思う。

もしもここで、辛くても同盟軍に戻っていれば、あるいは――











その情報が入ってきたのは、滞在3日目の正午過ぎだった。

コボルト村を経由してきたという行商人の一行が、同盟軍の遠征に出くわしたのだそうだ。


「いやー、流石に俺もあの数には驚いたよ。……ん?いやいや、大勢っていっても、総員の半分もないかな」

「ええと、どこだったか。どっかを奪回するって言ってたんだよなあ。俺、トラン出身だからあんまり詳しくなくて」

「どこが今占拠されてんだ?……ああ!そうそう、そこだ!グリンヒル!いやー、良かった!思い出したよ!」


宿のカウンター近くの食堂で、は何の感慨も無しにそれを聞いていた。

へえ、とナッシュが窓の外を見る。


「時間的にいえば、もう到着・交戦、早ければ決着ってとこか」

「人々はどうなるんですか?逃げ遅れた人とか…」


アルベルトが興味津々、といった顔でナッシュに訊ねる。

最初こそいじけていたものの、今ではもう諦めたらしく、ナッシュにも普通に接している。


「そりゃ大丈夫だろ。交戦するったって街の中じゃないんだから。人質に立てこもられたりしたら厄介だけどな」


はユリを思い出す。グリンヒルの宿屋の少女。明るく、優しい子。

テレーズを心から信頼し、市の人々をこの上なく信じ、だからこそ、ハイランドに心を痛めていた女の子。

フリックとナナミのことで悩んでいたには、とても嬉しい存在だった。

何度か会いに行こうと思ったがハイランドの存在と、同盟軍という立場がそれを許さなかった。

――無事だろうか。

怪我はしていないだろうか。酷い目にあったりしていないだろうか。

――会いたい。


「行きたそうだな」


全てを見透かすような視線がを貫いた。


「はい。友達がいるので。…とても大切な」

「そっか。じゃあ、行くか?」

「え?」

「どうせ俺たちが行っても何も言われないだろ。戦争でいっぱいいっぱいのあちらさんは気にも掛けないさ。

…それに、実を言うと俺もグリンヒルに知り合いがいてね。安否の確認がしたいと思ってたんだ」


口角を持ち上げ、ナッシュは笑んだ。


「はい」


も笑顔でそれに答えた。


「…僕ら、無視されてるのかな。ねえ、シーザー」

「にーに、ごはんー」


アルベルトの呟きを聞いたのはシーザーだけだった。











テレポートでグリンヒル近くの森へと移動する。

宿は引き払ってきた。コボルト村のことをシーザーに話したら、とてつもなくキラキラした瞳で見上げられた。

その瞳を見てしまった以上、連れて行かないわけにはいかないだろう。

ユリの無事を確認したらコボルト村に行こうと思っている。

一人で聞き込みに行ったナッシュを待ちながら、はつらつらとそんなことを考えた。


「聞いてきたぞ」


ナッシュが戻ってきた。手に何か紙のようなものを握っていて、その表情は心なしか明るい。


「交戦は俺たちが来る前にとっくに終わっていたらしい。

少数精鋭でグリンヒルに乗り込んで門を開け、市民を逃がしたそうだ。で、これが市民の避難場所の地図」


は地図を覗き込む。

といってもこの辺の地理が分かるわけではないので、これはいわゆるポーズだ。


「行ってみるか?」

「もちろん」


の返事に、ナッシュは満足そうに頷いた。

ナッシュがシーザーを抱きかかえ、はアルベルトと手を繋ぐ。

傍から見たら、やけに親の年齢が若い「家族」に見えなくもないだろう。そう考えて、は苦笑した。







避難場所にはいくつものテントが張ってある。

自分たちの市の前で交戦、という事態に、市民の精神は想像以上に疲弊していたようだった。

は辺りを見回す。ユリはともかく、ユリの父親は相当目立つはずだ。なにせあんなに大きいのだから。

その考えは見事に当たり、少しもしないうちには彼を――宿屋の主人を見つけることが出来た。

は主人の下へ駆け寄る。きっとそこにユリもいるはずだ。


「おじさん!」


主人はゆっくりと振り向いた。


「…………ああ、アンタか」

「お久しぶりです。その節はお世話になりました。そういえば宿代もまだ…」


言いながら、はきょろきょろとあたりを見る。ユリはどこにいるのだろうか。


「………どうでもいい。そんなもの」

「よくありません。このままじゃ私、犯罪者の仲間入りです。ユリはどこにいますか?会おうと思ったのですが」


は主人を見て、息を呑んだ。

先ほどから様子がおかしいとは思っていた。――主人の表情に生気が見られない。青褪めている。

ただ事ではない。は表情を消し、主人に聞いた。


「…ユリは、どこに?」

「……………………まだ、街の中だ」


は目を見開く。少しずつ、動悸が激しくなっていく。心臓の音が聞こえてくる。

自分の記憶が正しければ街の中にはモンスターが、それも中ボスのボーンドラゴンがいるはずではないか。


「何で…」

「逃げ遅れた子供を助けようと街に戻った。……それだけだ。宿への入り口はモンスターが塞いでいた。

他の家に近づこうものならモンスターが火を噴いた。逃げる場所は…………ない」


心臓が破裂しそうだ。


、ここにいたのか?全く、はぐれたら見つけるの大変なんだからな。…?お、おい、待て!!」




は駆け出した。







グリンヒルの前には大勢の兵が、市を取り囲むようにして待機している。

は構わず走り続けた。


「おい、待て!貴様どこの者だ?此処から先は立ち入り禁止だ!」


走る速度は緩めない。兵の制止の声が大きくなっていく。


「待て!これ以上来る―――」


兵士の目の前に来ると、は踏み込んだ足に力を入れた。そのまま飛び上がり、紋章を発動させる。


「―――なっ!?」


兵士の姿が小さくなる。

一足飛びで、は同盟軍の隊列を越えた。



着地する瞬間にもう一度紋章を発動させ、衝撃を緩和する。

目の前に軍師の姿が見えた。


!?お前、いままでどこに…!!」


シュウの言葉を最後まで聞くことなく、は側の森へ入った。

門を越えることは出来ない。裏から入った軍主の行動を否定してはいけない――だが。


「…行け!」


地面から五十センチほど浮かび上がり、ものすごい重力を体に受けながらは飛んだ。

テレポートは出来ない。今の自分では失敗する確立が高いからだ。

森の中腹まで来たところでは右手をクイ、と上にあげ上空に上がり、森を突き抜けた。

グリンヒル市街が見える。紋章の光も、応戦する達も、ボーンドラゴンも。そして――





助けようのない、ボーンドラゴンの横で震えるユリと、傍らで動かない子供の姿も。





は加速する。

――ボーンドラゴンはユリに狙いを定めていた。

急げ、急げ急げ急げ!!!



の体が光る。紋章の光がを包む。テレポートに迷いはなかった。

一瞬ではボーンドラゴンと達との間に降り立った。


「…さん!?どうしてここに!?」


傷だらけのが驚愕の声を上げる。

――しかしその声よりも早く、ボーンドラゴンが動いていた。



ボーンドラゴンの攻撃は、前足を地面に叩きつけるだけのものだった。

だがそれにより生まれた衝撃波と舞い上がる瓦礫は容赦なく生身の人間を襲う。

は紋章に集中するが、発動させる暇など、もはや皆無だった。


「ユリ!!!」


ユリがゆっくりとこちらを振り向く。

瞳を驚愕に見開き、そして嬉しそうに―――






轟音と砂埃が彼女を隠した。






――まるで全身が心臓になったみたいだ。

は砂埃の中へ走り出した。

視界が開ける。の紋章がユリまでの道を作る。は躊躇すること無く走った。


「――ユリ!!!」


少女が倒れていた。

残ったレンガを紅く染め上げていた。

は走る。少女の怪我を治すために。


「ユリ、しっかり…し…て……」


歩みがゆっくりと止まっていく。

少女の傍に来て、はガクンと膝をついた。

目の前の光景に目を見開く。



少女の姿は、あまりにも無残なものだった。



そっと、少女を抱き起こす。

少女の両腕がだらん、と力なく垂れ下がった。

開かれた瞳の焦点は定まっておらず、開いた口はもはや何も発することは無いだろう。

体中の切り傷は数えるのが馬鹿らしくなってくるほどに多く、特に酷いのが首を横切るものだった。

彼女から溢れ出たものがお互いの服を赤く染めていく。


「――ユリ…?」


喉を出た声は酷くかすれたものだった。










頭のどこかで何かが切れる音がする。


体の中から何かがせり上がってくる。


視界が滲む。


砂埃が晴れた。










「―――…い……あ……ああぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁぁあ!!!!」











優しい彼女は、もう、いない。















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2004.12.29
2006.9.19加筆修正

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