天球ディスターブ 18





戦いの中で身につくものの中に、「気配を読む」「魔力を感じる」というものがあるのだろう。





「お出ましかな?」


立ち止まり、含み笑いをしつつが――それも至極楽しそうに――言うものだから、は思わず訊ねた。


「何が?」


の方を向くと今度は含み笑いではなく、いつもの優しい笑みで、を自分の背に隠した。

何がお出ましなのか、一体何故自分はの背に隠れる形になっているのか。

それはすぐに分かった。


「切り裂き!」


そう叫ぶ声が聞こえたからだ。






「静かなる湖」


がそう呟くのが聞こえ、直後に強く冷たい風がの横を流れていった。

「切り裂き」は確か風の紋章や旋風の紋章の攻撃魔法だったはずだ。

自分はの背に隠れているので問題ないが、それでは彼がまともに魔法を受けてしまう。

ハッとしてを見上げたが、彼には傷一つなく、横顔は余裕の笑みを浮かべてさえいた。

そういえば「静かなる湖」は魔法を無効化する効果を持つのだったなと、今更に思った。


「危ないなー。感動の再会とは程遠いよ?ルック」


ルックと呼ばれた少年は、不機嫌の色を隠そうともせずにに近づく。

ここが玄関口でよかった。

一般の人々は夕食の準備でもしているのだろう、姿はほとんどなく、騒ぎになる様子はない。


「感動なんておぞましいこと言わないでくれる?しっかり防御したくせに」

「それでも、いきなり『切り裂き』は酷いよ」

「ふん。今まで失踪してたんだ。いい薬だろ」

「失踪?」


の後ろから横に移動する。


「あんたは確か…」

「ああ、はい。前に一度お会いしました。といいます」

「何でこいつと一緒にいるわけ?」

「助けてもらいまして」

「二人とも知り合いなの?」


に聞く。


「チャコのときといい今といい、知り合い多いね」


多いと言えるのだろうか、これは。


「そんなでもないよ。ルックさんとは前に話したことがあって。紋章のこともその時に話した」

「そういやルックも継承者だっけ。でも何で敬語?」

「何となく」

「…どうでもいいけどさ」


痺れを切らしたらしいルックがに詰め寄る。


「アンタが失踪した後、魔術師の塔に捜索隊が来たんだけど」

「あはは。迷惑かけちゃったね」

「全くだよ。鬱陶しかったから全員テレポートで飛ばしてやった」

「何処に?」

「知らない」


一人会話について行けないは、もうこのまま一人で軍師の元へ向かおうかと思った。

とりあえずが放蕩息子――いや、この場合放蕩当主なのだろうか――ということは分かった。


(グレミオはどうなったんだろう)


嫌な予感がしたが、無理矢理考えないことにした。






「アンタが同盟軍入り!?」


話はもうそこまで進んでいたらしい。

驚くルックと反応を楽しむを見て、ふと、達は何処に行ったのだろうかと疑問に思った。


「ルックさん、話の途中ですみませんが、達は何処に行ったんですか?」

?ああ、マチルダに行ったよ」

「あれ?ルックは行かなかったの?パーティーレギュラー入りが当たり前なのに」

「レギュラーって……なりたくないよ、そんなもの。……いい加減面倒くさくなったからね。断ったよ」

「そうなんですか」


マチルダということは、カミューとマイクロトフが仲間になるということか。


「ねえ」

「はい」

「敬語やめてくれない?堅苦しいの、嫌なんだよね」


「継承者ならこれから先も関わることになるんだろうし」と言って、ルックはを見た。


「分かった」


敬語を使うことは別に苦ではなかったが、使わないほうが楽には違いなかったのでもすぐに了承した。






ルックと別れ、と共にシュウの所へ行く。

電気のないこの世界の城は、夜は壁に掛けられた松明の明かりが頼りだ。

何回か曲がるところを間違えたりしながら、は軍師の部屋まで来た。


「失礼します」


2,3回ノックをしてドアを開ける。

が先に入り、がその後に続く。


「護衛が対象よりこんなに遅れて帰ってくるなど、前代未聞だろうな」


椅子に座ったまま言うシュウの言葉には言葉を詰まらせる。


「ごめんなさい」


結局、それしか言えなかった。


って、護衛だったの?」

「うん」

「誰の?」

「軍主」

「機密を喋るな。…そいつは誰だ」


シュウの関心がに向く。

はシュウの前に歩み出る。


・マクドールです。同盟軍に参加させていただきたく、参上しました」

「マクドール…?」

「ええ」


はにっこりと微笑む。

シュウは何かを察したのか、ニヤリと笑った。


「それは有難い。英雄が仲間になるとは。部屋をすぐに用意しましょう」

「今の僕は『』であって『英雄』ではありませんよ」


それと、とはシュウに何かを耳打ちする。

シュウの目が驚きに見開かれた。


、僕は外で待ってるから。終わったらご飯食べに行こう」

「分かった」


パタン、とドアが閉じられた。


「全く…お節介な英雄もいたものだ」


シュウが溜息と共に呟いた。

そして立ち上がり、の前に立つと頭に手を乗せた。


「酷い怪我をしたそうだな」


さっき耳打ちしていたのはそのことかと思い当たる。


「すまない」

「何で謝るの?」


自分は継承者であり、諜報員であり、護衛だ。

つまり多少なりとも力を持ち、情報を収集せねばならず、また軍主を守らなければならない立場なのだ。

咎められることがあっても謝られる理由など無い。


「戦闘経験がなかったのだろう」

「それは、うん、まあ」

「英雄…殿に言われたぞ。『戦闘経験もない人を護衛にするなんて、何かあったらどうするんだ』とな」

「でも、戦闘能力はあると思う」

「それでも人を殺したことは無いだろう」


シュウはポンポンとの頭を軽く叩いた。


「すまなかったな。無理をさせて」


その言葉が何故だか無性に嬉しかった。


「護衛になることを最終的に決めたのは私だから。嫌だったらやってない。シュウは悪くない」


頭から手を離し、シュウはかすかに苦笑する。


「報告。護衛としての勤めを果たせませんでした。以上」

「ご苦労だった。…今はとにかく、ゆっくり休め」

「はい」


ドアを開け、部屋からでる。

右側の壁にがもたれかかっていた。


「戦闘経験が無いって、やっぱり分かるもの?」

「僕の場合、戦い慣れてるからね」

「そうなんだ。じゃあ、行こう」

「そうだね。レストランの場所は分かる?」

「洗濯場の前だから、何とか」










同盟軍の食事事情は少しばかり複雑だ。

城内には兵士や幹部が、城下には店を営むものや家庭を持った兵士が家族と共に住んでいる。

それ以外の一般兵は城から少し離れた鍛錬場に隣接する兵舎で寝起きしている。

城下の人々はそれぞれ母親や子供が食事を作るが、兵士には一般に軍糧としての食事が支給される。

ただ、軍糧は大抵、栄養重視の味気ないものであるため、レストランや酒場の人気があるのだ。

はレストランに憧れを抱きつつも、メニューの字が読めないのは何か恥ずかしい気がしていた。

そのため今までは軍糧を部屋で食べていたのだった。


「おー。盛況してるねー」


ガヤガヤと、夕食時にふさわしいざわめきの中、空いている席を探す。

人数が2人であるため相席という形で早く見つけることができた。

優しそうな父親と母親、それに小さい子供の3人家族のようだ。

父親は兵士らしい。


は何を頼む?」


やはり字は読めなかった。


「字が読めません」


少々後ろめたかった。


「あ、そうなの?じゃあ、何か嫌いなものはある?」


しかしが平然と切り返すので、流石に呆気に取られる。


「いや、特に無いけど」

「じゃあこれは?ハンバーグセット」

「食べる」


突っ込まれないので不思議に思っていたら、が笑って言った。


「字が読めないのは恥ずかしいことじゃないよ。読めない人はたくさんいるし」

「そうなの?」

「そうだよ。これからいくらでも覚えられるし、何なら僕が教えようか?」


突然の願っても無い申し出には飛びついた。


「お願いします、先生!」

「よろしい。では明日から特訓だ!消える魔球を身につけるんだ!」

「先生、主旨が変わってます」

「あはは」






夕食を終え(ハンバーグは美味しかった)、は自分の部屋を聞くためシュウの部屋に再び赴き、

は自室に戻った。

実質一週間強程度の旅から帰ってきたわけだが、何ヶ月も経ったような気がするほど懐かしい。

小さな本棚も、その中の3冊の本も、一脚しかない椅子もテーブルも、出て行ったときのままだ。

ただ違うのは、ランプに灯りが点り、ベッドの上にピエロが座ってこちらに笑顔を向けていることくらいだろうか。


「良かったー。戻ってこなかったらどうしようかと思ったよ」

「不法侵入」

「…それ言われると辛いね。ま、許してよ。何も盗ってないし」

「盗られるようなものは何も無いですし」


ピエロは手でに椅子を進める。

はそれに従い、ピエロと向き合うような形で椅子に座った。


「今日は、君に進言をしようと思ってさ」


そう言うと、ピエロは笑みを消す。

膝をテーブル代わりに頬杖をつくと言葉を発した。


「君は、とても弱いよ」






一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「…いきなりですね」

「うん。君は見つけてないでしょう?君にとっての『力』とは何かってのをさ」

「戦争を終わらせるための力ですよ、今は」

「でも所詮それは納得の出来ない選択の延長線上にある。

君にとっての力が何か、それがはっきりと分からない限り、君は弱いままだよ」


ピエロはそう言うと、表情に笑みを戻した。


「誤解しないで。ボクは君を追い詰めるつもりで言ったんじゃないから」

「…弱いことのデメリットは?」

「『弱い』にもタイプが色々あるけどね。君の弱さは、そうだね、自分に跳ね返る弱さ、かな」


ピエロは立ち上がって、の目に自らの手をかぶせた。


「強くなって。でないと、君自身が壊れてしまう」


には話が分からない。

分かるのはただ、そう言われても実感など湧かないということと、無性に悔しいということだけだった。


「絶対に壊れたりなんかしない。想像もつかない。私はともかく、この紋章は強い」


ピエロが笑ったのが分かった。


「……そうだね。でも、だからこそ紋章の力に押しつぶされないように、…頑張って」






ピエロの手が離され視界が開けた時、ピエロはもういなかった。


「力に押しつぶされる?」


ピエロは何者なのか。

何故そんなに、この紋章について知っているような口ぶりなのか。

想像し推測するのは簡単だったが、まだ確定要素が足りない。


「それは、まあ…あるかもしれないことか」


力とは何なのか。

このような状況でなかったならば、自分にとっての『力』が何であるかを決めるのも簡単だっただろうに。

ここは様々な『力』が入り乱れていて訳が分からなくなる。

力は人それぞれのものだと分かっているが、それでも。






明日、起きたらに字を習おう。

そしてルックに頼み込んで、紋章術を教えてもらおう。

シュウに余ったお金を返して、帰ってきたことをヒルダとヨシノに伝えよう。



頭が混乱するのを防ぐために、は優しい人々の顔を浮かべた。

ルックは優しいのかどうか分からなかったが。

そして、マントを椅子の背にかけ、少々埃っぽくなったベッドに寝転がって目を閉じた。











誰かに俵担ぎにでもされているのか、腹部が圧迫されていて、頭が心臓より下の方にある。

突然の浮遊感、そして背中への強い衝撃。

息がうまく出来ない、胸が苦しい。



目を開けると回りは全て石で、以前の記憶と重なった。

牢屋だ。

だが鉄格子だったところが全て壁であることと、

出入り口は上のほうに小さな格子窓がついた頑丈そうな鉄の扉であることは、以前と違っていた。



扉の向こうから遠ざかる足音と男たちの罵声が聞こえてくる。

――あいつはハイランドのスパイに違いない…!

――今のうちに殺してしまえよ。あいつが死んだって気付く者はいないさ。

――…ハイランドの奴は全て殺せ!



息が出来ない苦しさの中、そういえば自分は良く思われていない人間だったのだと思い出す。

ハイランドの人間ではないのに未だにそう思われていることへの憤慨と、

何故疑いが消えないのだろうという哀しさと憤りで頭がおかしくなりそうだ。



は手を強く胸に押し当て、イライラのはけ口を探した。















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2004.4.1
2006.8.3加筆修正

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