天球ディスターブ 19





背中が冷たい。

ついでに言えばこの牢そのものが冷たい。寒い。

だが、脱出する気にはなれなかった。

それは面倒くさいからであり、投げ出された時の痛みがまだ残っているからであり、反抗であった。


「………」


仰向けになって石の天井を眺める。

薄いシャツはもはや保温機能を果たしていない。


「…あー…」


抜け出せば彼らはますます自分をスパイだと言うだろうし、かといって抜け出さねば何をされるか分からない。

ストレスが溜まる。

はおもむろに起き上がって扉の前に行き、それに手をつく。

冷たい床に座り込んで、扉に手をつけたままで、は項垂れた。






さっきまで煩いくらいに腹の虫が鳴いていたというのに、今はもう鳴いていない。

今が昼なのか夜なのかさえ分からない。

自分の体温を吸い取るだけ吸い取っておいて、そのくせちっとも温まらない床に身を横たえ、目を閉じる。

こんなことならマントをつけたまま眠っていればよかったと心底思った。

扉の鉄格子の覗き窓以外に光の出入り口のない部屋はとても暗い。

闇に慣れた今の目で外に出たら目がつぶれるかもしれないと思うほどに。



ストレスは着実に溜まっていく。

少しずつ、イライラに変換されながら嵩を増している。

孤独とイライラと闇の中で、は脱出することに決めた。

疑いが強まってもここにいるよりはマシだ。そもそも自分はスパイではないのだから。



扉に手を押し当てる。

別にこのままテレポートしても良いのだが、少々仕返しをしたい。

少し力を入れると、鉄の扉は驚くほどすんなりと開いた。



カツン、カツンと石の廊下に自分の足音が響く。

どうやらここは以前入れられた牢よりも奥のほうにあったようで、少し歩くと見慣れた牢が目に入った。

牢の中に人がいなかったことにどこか安堵した。


「ん?…な、お前っ!?」


出口に立っていた男が声を荒げる。

男は後ずさり、壁にぶつかって、へなへなとしゃがみこんだ。


「何で、あの牢から…!?」


が一歩近づくと、男は頭を手で覆い、「ヒィッ」と声を上げて縮こまってしまった。

それを見たは先程までの嫌な感情が急速に冷めていくのを感じ、それ以上は何もせずに出て行った。

多少モヤモヤが残ったが気にしないことにする。

あの姿を見ていると憎悪より先に同情を抱いてしまう。

男がその後どうなったのかは知らない。






は、洗濯上へと続く廊下を早足で歩いていた。


ヨシノとヒルダに会いたかった。無性に。


おそらく自分は彼女の何処かに「母親」を見出していて、その母性で自分を癒して欲しいと渇望している。

何を癒して欲しいのか、それは自分でも分からなかった。

ただただ彼女に会いたくてたまらない。笑顔が見たい。


不意に遠く離れた家族のことが頭に浮かび、それを振り払うかのようには廊下を駆けた。





洗濯場の扉を荒々しく開ける。光に立ち眩みをするのを感じた。

ヨシノが驚いてを見、そしてすぐに笑顔を見せた。


「あら、さん。こんにちは。最近見なかったので心配していたのですよ。お変わりありませんか?」


切れた息を整えながらヨシノへと近づく。

洗濯板で洗う彼女の前に来た途端、金属のたらいが太陽を映し、は半ば倒れこむように座り込んだ。

目が痛い。


「どうしたんですか!?」


ヨシノは慌てて、腰に結びつけたエプロンで手を拭くと、の側に駆け寄る。

門番兼洗濯場警備の――昨夜は城門の番だったが――兵士も心配して様子を窺う。


「大丈夫です。今まで暗いところにいたんで、光にやられただけですよ」

「暗いところ…?ああ、眠ってらしたのですか?」

「そんなところです」


彼女に心配はかけたくない。誤解しているのなら寧ろ都合が良い。

ヨシノは「良かった」と微笑んだ。


「ところで今日はどうなさったんですか?お悩みならいつでも聞きますよ」


ヨシノの顔を見上げる。

どうも自分は彼女に甘えすぎていると思う。

頼るのは今回までにしようと勝手に決めた。


「とりあえず、帰ってきたことを報告しようと思いまして。今まで外に出ていたので」

「それで姿が見えなかったんですね。お帰りなさい」


お帰りなさいと言ってくれたヨシノに感激した。

元の世界では当たり前だったことがこちらでは酷く珍しい。


「ただいま帰りました。それで、旅先でいろんなことがあって。

……正直、『力』が何なのか分からなくなりました」

「…『力』が何なのか?」

「ヨシノさんの『力』は自分の望みをかなえるもので、ひいては旦那さんを護るものでしたよね」

「ええ。さんは……」

「とりあえず『戦争を終わらせるための』ということに落ち着かせようと思います。…怒られそうな言い方ですが。

でも、戦争を終わらせることは少なからず何かを傷つけることだと気付いて」


テレーズの自己犠牲、グリンヒルの町の人々の戦い、人質にとられた子供。

多かれ少なかれ、誰かが傷つき、誰かが悲しむ。


「モンスターが逝く様などを見て、私は『傷つける』ことが出来るんだろうかと思ってしまって」


ヨシノは黙っての言葉を聞いていた。兵士も珍しく話を聞いている。

不思議だった。

この兵士ならば聞かれてもいい気がした。誰かに似ていると――そう思った。


「今まで、ここから見れば笑っちゃうくらい平和なところにいたんですよ。何かを傷つけたことなんて無かった。

――身体的にです。精神なら私は誰かの心を傷つけていたかもしれないけれど」

「……」

「傷つけたくないんです。だけどそうしたら目的が、戦争を終わらせることが出来ないんです」


いっそすがすがしいほどに晴れ渡った空と真っ白な雲が、今の自分の気持ちと相反するのが悔しい。

は自嘲した。


「……私は何がしたいんでしょう」






ヨシノがレストランからアイスティーを持ってきてくれた。

はそれを受け取り、喉に流し込む。食欲は既に無い。

暫くしてヨシノが口を開いた。


さんはモンスターを倒すことを躊躇していらっしゃいますか?」


アイスティーのグラスをゆっくりと回転させ、氷同士をぶつけながらは返答した。


「そんなに躊躇してないです。行く手を阻むのなら容赦しません。ただ、多少罪悪感はありますが」

「それなら良かった」

「何故ですか?」

「少なくとも、モンスターを倒すことに関しては罪悪感に押しつぶされることは無いのでしょう?」


ヨシノは緑茶を飲む。

そして「だけど」と付け加えた。


「戦争を早く終わらせたいと本当に思うのなら、人を殺すことも覚悟すべきです。罪悪感は段違いですよ」

「…そうですね」

「何かを傷つけることは、相応の罪悪感、罪の意識を伴います。力を恐れ、自身を滅ぼすことだってあります」


スースーとピエロの言葉が思い出される。

力を恐れ、押し潰され、傷つける悲しみは自分に跳ね返るのだと。


「そんな道を、無理して選ばないで下さい」

「え?」

「納得の行かない道を進むのは、辛いです。

『いつかきっと、これでよかったと思える日が来る』なんて次元じゃないんです。さんの場合」


ヨシノはの目を捕らえた。


「あなたは、何故そこまで目的を作ることに――選択することにこだわるんですか?」


アイスティーが地面に広がった。







目的が欲しかった。

自分がここにいる正当な理由が、皆に認められるような理由が欲しかった。

その目的を成すためにここにいるのだと。存在には理由があるのだと。

真の紋章を宿しているとは言えないから、もっと普遍的な、一般に受け入れられる理由が。

自分を誰も知らない世界で最初に見たものは命の危険。次いで戦場。

まるで自分だけ取り残されたような気になって、彼らの輪の中に入れなくて、彼らの目に自分は写っておらず、

自分がいなくても彼らは生きていけるのだと、そう思ったら自分が要らないもののように感じ、――嫌だった。

だから目的を持って、自分も戦争の一部になって、「自分はこのために生きている」と、声高に叫んだ。







それからの記憶はあまりはっきりとしない。

ヨシノと二言三言話して、心配する彼女に「大丈夫だ」と告げた。

それからシュウのところへ行って金を返そうとしたのだが、何かと入用だろうと、1万(金貨1枚)渡された。

明らかに多すぎるのにも気付かなかったらしい。

そのまま城の屋上に向かった。










屋根の斜面に大の字に寝転がる。

以前落ち込んだ時もこうしたなと思い出す。


「目的、存在理由」


まさか自分がそんな崇高なことを考えるようになるとは思わなかった。

ふと、の言葉を思い出す。


『心配するの?』

『もちろん』


ごろんと寝返りをうって横になる。

いまだ混沌とした感情の渦の中、心配してくれる人がいるのならば、まだ頑張れると自分に言い聞かせた。






「やっと見つけた」


頭上から聞きなれた声が降る。

前にシュウもこんな風に話しかけてきたことがあったなと思い出す。

の隣に立った。

は上体を起こす。


「朝にの部屋に行ったらいないし、誰もを見てないし。というか知らないし。探したんだよ?」

「そうなの?ごめん」

の口癖が『ごめん』に決定しそうだね。まあ、さっきのは僕の言い方が少し悪かったかな」

「でも何で探してたの?」

「ああ、お誘いだよ」

「お誘い?」


を見て微笑んだ。

昼前の太陽が彼を照らす。バンダナが屋上のやや強い風になびく。


「そ、お誘い。ここに帰ってから何だか元気が無いように見えたから、気分転換でも、と思って」


その言葉に心中驚愕する。

リーダーの洞察力は半端じゃないらしい。それとも自分が分かりやすいのか。

に手を差し伸べる。


「場所は街道の村。マチルダ領だけど交易が盛んだから珍しい物があるかもしれないよ。

どうでしょう、お嬢さん。私と一緒に買い物にでも行きませんか?」


つい先日似たような台詞を聞いたばかりなのに、随分と久しい気がする。

悪戯っぽく笑うも自然な笑みを返し、その手を取って立ち上がった。


「光栄です。是非ご一緒させていただきます」





マントを部屋から取ってきて玄関広間に来ると、石版の前に立っているルックを発見した。

どうせなら彼も誘おうということでが彼に交渉し、ルックもそれなりに渋ったが、結局ついて来てくれた。

実際彼も相当退屈だったらしい。





村までルックのテレポートで行く。

商人が交易所を賑わせてはいるが、その他は比較的穏やかだ。

洗濯物を干す女の人、友達と街道を駆け回る子供たち、馬車から積荷を降ろす男の人。

皆に笑顔が溢れていた。


「じゃあ、とりあえず宿屋で部屋を取ろうか」

「泊まりのつもりで来たわけ?」


の言葉にルックが返す。

はその光景を眺めていた。


「そうだよ。だって日帰りじゃ楽しくないだろう?ね、

「え、あ、うん」


突然話題を振られたは困惑する。

ルックは溜息をつき、「しょうがないね」と言った。


「じゃあ行くよ。早くしないと部屋が取れなくなる」

「あはは。この前それで失敗したよ」

「何やってんのさ…」


は二人の遣り取りを見て、ほんの少し笑う。


「仲が良いね」

「え?…うん、そうだね。比較的仲は良いほうだよ」

「冗談じゃない。お断りだよ、こんな奴となんて」


ルックは踵を返し、宿屋の方に歩いていった。

がそれを見て苦笑し、に話しかける。


「ああ言って、結局は付き合ってくれるんだよね」

「へえ」


わずかな羨望の念を彼らに送る。

するとの手をとり、「行こう」と言ってルックの後を追った。

そして言う。


「僕はとも仲が良いつもりなんだけどね。は違う?」


は目を見開き、を凝視した。

しかしすぐに表情に笑みを浮かべる。


「ありがとう」


は満足そうに笑い、「ルックも、何とも思わない人と出かけたりはしないよ」と言った。




いつも彼は、彼らは自分を嬉しくさせてくれる。

出来ることならば自分も彼らを嬉しくさせたいと思う。

だが、彼らの望むものが分からない。

――そのうち分かるだろうか。

分かったそのときは、叶えるのだ。きっと。

彼らが自分にそうしてくれたように。




は繋がれたと自分の手を見、眼前を見据えた。









宿屋に入るとルックがカウンターの前で腕を組んで立っていた。


「遅い」

「ごめんごめん。もう部屋取ったんだ?」

「あ、宿代払うよ」


の言葉にとルックは驚いたような表情でを見る。

わけが分からずには財布(の代わりにしている小袋)を取り出そうとした手を止める。


「なんであんたが払うわけ?」

「いや、今回の原因は私だから」

「あのねえ…」


が苦笑しながらと向かい合う。


「僕が誘ってここに連れてきたんだし、はそんなこと気にしなくて良いんだよ?」

「そうだよ。原因は

「原因って…せめて発案者って言ってくれない?」

「とにかく。あんたは気にしないでいいってこと」


ルックはスタスタとカウンター横の階段を上がる。

は慌てて彼を追いかけた。


「ありがとう」

「別に」

「ついでにお願いなんだけど、名前で呼んでくれると嬉しいかな、とか」

「…さっさと部屋に行くよ、


お願いはしてみるものだとは思う。

まさかああまであっさりと呼んでくれるとは思わなかった。



後から来たにそのことを報告しながら、は嬉々として階段を上った。

そのとき、誰かの驚く声が聞こえてきた。


「なっ!?ル、ルック、どうしてここに!?」

「こっちが聞きたいよ。どうして君がここにいるのさ」


その声に驚いたは急いで二階まで来ると、ルックの目の前の人物を見た。

頭に変わったヘッドギア(なのだろうか?)をつけ、紫色の服を着た少年と、

背中に大剣を背負った、寡黙そうな男の人がそこにいた。


「フッチに、ハンフリー?」


が首を傾げて彼らに訊ねた。















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2004.4.25
2006.8.3加筆修正

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