天球ディスターブ 17





モンスター退治。

それはつまりモンスターを追い払うこと、または殺すこと。

追い払うのはいいとしても――モンスター側にしてみれば迷惑な話だが――殺すのは抵抗がある。

この世界に来た時も、そして今も、それは変わらない。






歩き始めて1時間くらい経っただろうか。

突如、鳥の形をしたモンスターが現れた。

穏やかな日差しの中、そよそよと吹く風を感じながら対峙しているものだから緊張感が全くない。

はただ、何となくモンスターを見ていた。


「…怖くないの?」


が訊いた。


「あんまり」


周りが穏やか過ぎる、と言っては苦笑した。


「僕はあいつを倒すけど、怖かったら目を瞑っててね」

「うん」






は棍を握りなおしモンスターへと近づく。

そのまま助走無しで地面擦れ擦れを跳躍し、モンスターの間合いへ一気に踏み込んだ。

虚を突かれたモンスターはただただ驚くことしか出来ずに振り下ろされる棍に反応も出来なかった。

の後姿がモンスターに重なって詳細は分からなかったが、鮮血が飛び散るのははっきりと見えた。

モンスターと噴き上がる血は塵になって消えていく。



目を瞑るなんて出来なかった。






「怖かった?」


困ったような表情でが言う。


「怖かった」


「平気でした」など言えるはずがない。言ったところでは簡単に見抜いてしまうだろう。


「そっか」

「でも」

「ん?」


を見上げる。は先程の表情が嘘のように平然とした表情をしていた。


が怖かったのじゃない」

「…ありがとう」


は微笑んだ。


「――ねえ、。モンスターは何故いるんだと思う?」

「……。…分からない」

「僕はね、時々この世界を一番大切にしているのはモンスターなんじゃないかと思うときがある。

モンスター同士がぶつかり合うところなんて見たことがないし縄張り争いをしている様子もない。

すごく平和なんだよ。そこに人間が介入しない限り。

そう考えると、案外世界を一番ぞんざいに扱ってるのは人間なのかもしれないと思えてくる」

「でも、人間の中にもモンスターと共存しようとしたり世界を大切にしている人はいるよ」


シロのパートナーであるキニスンがそうであるし、何より宿星の中にもモンスターはいる。


「そうだね。『大部分の人間』って言った方が良かったかな。

……モンスターって、倒すと血も一緒に塵になって消えるだろ?

大地を血で汚すことなく消えるっていうのはとても凄いことだと、僕はそう思う」

「凄いね」


「でも結局僕の行く手を阻むから、僕はモンスターを倒すんだけど」とは言って、歩き出した。

の後についていく。



モンスターが何故人間や他の動物と一緒にこの世に存在しているのか。

食物連鎖の輪に入ることなく消えていくのは何故なのか。

仮説を立てることは簡単だが、真実に近づこうとすると途端に高い壁にぶつかってしまう。

もしかしたら永遠に分かることはないのかもしれない。



「それは良いことなのか悪いことなのかどちらでもないのか」

「何か言った?

「私もと同じかもしれないと思って。行く手を阻むのなら――容赦は出来ないんだろうなあ」


それはモンスターにしてみれば酷く許し難いことなのだろうけれど。










歩き疲れたら紋章を使って飛びながら進み(紋章は使っても疲れなかった)、はモンスターを倒す。

そうしてトゥーリバーに着いたのは夕方だった。

少しも息を切らしていないは素直に尊敬した。


「宿が空いていると良いんだけど」

「空いてないことってあるの?」

「もう夕方だから空いてないかもね」

「そのときは野宿だね」

「そうだね」


コボルトエリアを歩きながら話す。

コボルトの子供達が家へと帰っていく。

帰ってきた子供を玄関で抱きしめる母親、手を繋いで帰る親子、父親に肩車をしてもらって喜ぶ子供。

ふと、元の世界の両親のことが思い出される。

彼らは今何を思っているのだろうか。

寂しさが湧き、しかしすぐに――深層心理の奥深く沈んでいった。






ウイングボードのエリアには細い丸太で作られた家が立ち並んでいる。

ちらほらと人間の子供とウイングボードの子供が遊ぶ姿が見えた。



ドン、と誰かがぶつかったようで背中に衝撃が走る。

危うく前に倒れそうになったが支えた。


「掏られたな…」

「すられた?」

、財布があるか確認してみて」


ズボンのポケットを探るが、いつの間にか無くなっていた。


「無い」

「追いかけよう」


は先程ぶつかった人物を追う。

既に豆粒ほどの大きさになってしまっているが、それでも追いかけられるのは流石というべきか。

がカイに追いつけるはずも無く、見失ってしまう。

探して歩き回っていると、が一軒の家の前に立っているのが見えた。は駆け寄る。


「この家に入ったみたいだよ」

「周りの家より大きい」

「族長の家だろうね」


お邪魔します、と一言言って家の中へ入る。

奥から老婆が出てきた。


「おやおや…。ごめんなさいね、チャコの悪戯が迷惑をかけてしまって…。ほら、チャコ、こっちへおいで」


ウイングボードの小年が奥から顔を出す。――チャコ。はその姿に見覚えがある。


「こいつらが呑気に話してたから、ちょっとからかってやろうと思っただけだよ」

「物を盗ることはいけないことだと教えたでしょう?早く返しなさい」

「ちぇー」


渋々、に財布、もとい小さな袋を渡す。


「…ん?お前、どっかで見たことあるぞ?

………あ、ひょっとして、前に宿屋の前で変な落ち込みかたしてた奴?」


そういえばトゥーリバーには一度来たことがあったな、と思い出す。

達がまだ到着していなかったので宿屋の前で悲しみに打ちひしがれたことも覚えている。

言われてみるとあの時、頭上をウイングボードが飛んでいたような気がする。


「あー、多分そうだと思う」

「何で落ち込んでたんだ?」

「いや、まあ…色々あって」

「ふーん…」

「知り合いなの?」


会話の内容が分からずに首を傾げていたに訊く。


「知り合いっていうか、お互い一度見ただけなんだけど」

「変な女だなーって印象が残っててさ」

「そんなに変だったかな」

「変だったな」



「まあ二人が知り合いなのはいいとして。、どうする?日も沈んだし、宿は空いてないと思うよ?」

「あ!」

「宿をお探しだったんですか?」


老婆が訊ねる。

そして優しく微笑んで言った。


「うちのチャコが迷惑をかけたせいですし、今夜はここにお泊まりくださいな」

「いいんですか?」


は敬語を使うを珍しそうに見る。


「ええ、勿論。夕食も今ご用意いたします」

「ありがとうございます」


は敬語が似合わない人だと思った。

寧ろ使われるほうが似合っている。そんな印象を持った。






夕食はウイングボードの郷土料理らしく見たことの無いものばかりだったが、美味しかった。

食事中に老婆――スースーという名前だと後から聞いた――がに、


「気品というものは滲み出るものですね」


と言った時、は笑ってごまかしていたのだが、それを見ては彼が貴族出身だったことを思い出した。

自分の世界で得た知識はときに疎ましく、ときに役に立つ。






さん、後で少しお話しませんか?私の部屋に来てくださいな」


食事の後、スースーがに言った。

特に断る理由も見つからなかったので、その夜スースーの部屋を訪ねた。


「何でしょうか」

「その前にお尋ねしていいかしら。さん、あなたは……悩んでませんか?」

「悩みですか?たくさんありますよ」

「そうですか。…単刀直入に言いましょう。あなたは力を怖がっていませんか?」

「力?」

「ええ」


スースーの目は真剣だった。思わず怯んで後ずさる。


「長く生きていると色々と分かることがあります。さんのように力を恐れる人も、何人か見てきました」

「…どういうことですか」

「力は得てして何かを傷つけるものです。

優しいがために他者を傷つけるのを恐れる人、強大な力を持ったがために自分を傷つけるのを恐れる人……。

……あなたは後者かしら」


何も言い返せなかった。

当たっているような気もしたし、否定したい気もした。


「今のあなたのような状態が一番危険なんです。何かを傷つけたとき、悲しみが自己を押し潰す」

「……」

「私はあなたに、あなたは恐れているのだということを気付かせることしか出来ません」


助言は出来ない、と暗に言っている。


「確かに、恐れているのかもしれません」


はポツリと話し出す。


「力を持て余していると自分でも分かっています。大きすぎる力にどう対処して良いのか分からないことも。

それでもこの力を持つ以上、いつか結論を出さないといけない。

……今は、猶予を持っていいと言ってくれた人の言葉に甘えています」

「私の目には、あなたが今の状況に納得していないように見えますよ」


スースーはの頬に手を伸ばした。

そして慈愛に満ちた瞳で言う。


「焦って…いるのですね」


息を飲んだ。

心を見透かされたような気がした。

焦っているのは――確かだ。早く結論付けないといけない、早く答えを出さないといけない。早く、早く。


これは、この世界の何とも関わりを持たない自分を、ここに繋ぎとめる細い鎖になるだろう。


「今は自分が何のために戦うのかも、この力をどうしたいのかも分からない。

……だからとりあえずは戦争を終わらせることに邁進する。その選択を選びたいと思っています。

諜報員として、力を使う。――その行く手を阻む障害は力をもって取り除く」

「良いのですか?」


は薄く笑んだ。


「最良の答えを見つけるまで、私はその選択に縋り付きます」

「とても辛いことですよ。

……どうか、あなたがあなたにとって最良の選択肢を見つけられますよう」


スースーは手を胸の前で組み、祈った。

も今だけは、いるかも分からない神に祈りたくなった。

自分をこの世界に呼んだ右手の紋章よりも、安易にこの世界へ来ることを了承した自分が嫌だった。


祈ってくれるスースーの存在が嬉しかった。



その夜は暫く眠れなかった。






「泊めていただき、ありがとうございました」


が会釈をする。もそれに倣った。


「いいえ、こちらこそ。チャコ、あなたも挨拶しなさい」

「俺はもうすぐ同盟軍に参加するから会えなくなるぜ。じゃあな」

「そうなんだ?」


が訊く。


「少し前に門のところでハイランド軍の奴らと戦ってさ、本当はそのときに参加するつもりだったんだけどな。

荷造りとか色々してたら遅くなっちまったんだ」

「じゃあ、参加したら教えてよ」

「おう。というか変な女、お前も同盟軍なのか?」

「名前は。一応同盟軍です。非戦闘要員だけど」

「そっちのバンダナは?」

「…僕はだよ。今は違うけど、これから参加するつもり」

「え」


は驚いての方を見る。

は笑っていた。チャコが首を傾げる。


「何でが驚くんだ?」

「ああ、言ってなかったからね」


「驚かせようと思って」と笑うに、は言い返そうとしたが途中でどうでも良くなった。

が参加してくれるのは同盟軍にとっては非常に有益であるし、何より自分も嬉しく思う。


「じゃあまた、本拠地でな!」


チャコが手を大きく振って見送る。


「ばいばい、チャコ」

「お世話になりました」


スースーがの手を取り、言った。


「納得の出来ない選択は、あなたを傷つけることもあります。

ですが、そんなときは周りの人に少しでいいから頼ってみてください。一人で抱え込むと自分が辛いですよ」

「善処します」


そう言うとスースーはにっこりと笑って、


「ではお二人とも、良い旅を」


と言った。






「僕からも言うけど。一人で抱え込まないでね。」

「さっきの話のこと?」

「そうだよ。とにかく、あんまり心配させないでよ?」

「心配するの?」


の言葉に心底驚いた。


「もちろん」


さも当然であるかのごとくが言うので少々呆けてしまったが、そのあと自然に笑みがこぼれた。

スースーといいといい、どうしてこんなにも嬉しくさせてくれるのだろうか。


「ところで、次はどこに行きましょうか?お姫様」


カイが笑いながら言うので、


「本拠地と洒落込みましょう、王子様」


こっちもふざけて返した。






風は穏やかに、陽は優しい。

襲ってくるモンスターは天球の紋章を使って倒した。

モンスターの親子連れは見ていて微笑ましかったので倒さずに走って逃げた。



本拠地のデュナン城に着いたのは数日後の夜だった。

門兵はが唯一知る兵士で、こっそりと中に入れてもらった。

軍主であるは出かけているらしいので、報告がてら軍師に会いに行くことにする。



ソウルイーターの気配を感知した風の使い手が切り裂きと共に会いにくるまで、あと5秒だ。















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2004.3.30
2006.8.2加筆修正

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