16.






『卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。木々に若葉があふれ、天気も先輩方を祝福しているようです。

今日この日、先輩方のご卒業を目の前にして様々なことが思い出されます。入学式の日……………』



誰だか知らない生徒が送辞を述べている。私は少々不機嫌な顔でパイプ椅子に腰掛けていた。

右隣の生徒も左隣の生徒も眠っている。逆に眠っていない私のほうが目立つ。

例のごとく優等生の鏡のように早く来た私は(単に時間を間違えただけだ)、早めに席に着いた。

時間を間違えていた事はショックだったけれど、咢と亜紀人に会える確立が高くなるだろうと気を取り直した。

なにせ、彼らが転校してきてからまだ一度もきちんと会えていないのだ。

休み時間は大抵打ち合わせに費やしたし、放課後は白家さんとの待ち合わせで喫茶店に直行だ。

授業中も馬鹿みたいに離れていた席のおかげで話すことも何もできなかった。


「これが不機嫌にならずにいられるか…!」


小さな声で毒づいたが、両隣の生徒は起きなかった。

微かに流れている上品なクラシックが子守唄代わりなのだろう。

未だに送辞を述べている生徒の姿を目に入れる事もせず、私は姿勢を正した。

内心は荒れている。

今日だって、彼らがイッキと共に遅刻してきたため、既に席についていた私は会うことができなかった。

心の荒みを表に出さないように理性で押さえ込みながら、私は爽やか過ぎるくらいの笑みを浮かべていた。




卒業式は大した暴動もなく終わった。今ごろは外で卒業生と在校生が別れを惜しんでいる最中だろう。

私はというと、もはやクラスの便利屋となっていて、体育館の片付けの真っ最中である。最悪だ。

風邪を引いた日、保健室で休んでいた間に決まってしまったらしい。

断ればいいのだとは思うけれど、まあ別に断る理由もないので引き受けた。

元来私はそういう性格のようだ。断る理由がなければ来るもの拒まず、去るもの…時と場合により追う。


「疲れた…」


折りたたみ式の横長い台を運ぶ。

ここに来てから力は強くなっているので問題はないけれど、精神的にはやはり疲れる。

片付いていくさまを見るのは好きなので掃除や片付けに問題はないのだけれど、それでもやはり。


「…?」


会議室に長テーブルを運んで体育館に戻ってくると、知らない人影があった。

制服じゃないからこの中学校の生徒ではないだろう。

後ろを向いているので顔は見えないけれど、やたらと長い、桃色がかった茶色の髪が特徴的だ。

人影は私に気付いたようで、ゆっくりと振り返った。この体育館には彼女と私しかいない。


「あら?もう生徒は皆帰ったのかと思ってたんだけど」

「どちらさまで」

「んー、まあ、貴女で良いか。ねえ、イッキ君知らない?」


人の話を聞いてください。

どこか見覚えのある人だと思ったら、以前に2度ほど会っていた。シムカだ。


「もう帰ったと思います」

「残念…すれ違っちゃったのね。あ、もう一つ聞いていい?」

「どうぞ」


最初の質問は見事に流されてしまったようだ。




「『ベスパ』って子、知らない?」




私は自分でも驚くほど冷静に切り替えした。


「聞いたことありませんが、この学校の生徒ですか?」

「うん、そのはずなんだけど。知らないかー…。ね、じゃあエア・トレックやってる女の子は?知らない?」

「一応私もエア・トレックやってますけど『ベスパ』と呼ばれたことはありませんね。

特徴のあるあだ名…いや、通り名ですか?とにかく、そんな呼ばれ方をしているのならすぐ気付くはずですが」


シムカは残されているパイプ椅子に腰掛けて、体育館の天井を仰いだ。

長い髪がゆるやかに揺れた。


「あーあ、ホント残念。どっちにも会えないなんて」

「何か用事があるのなら伝えておきますよ。南くんとは同じクラスですから」


あえて「イッキ」とは呼ばなかった。


「南くん…ああ、カラス君の名字ね」

「カラス君?」

「イッキ君のこと。いいよ、別に。直接会って伝えたいから。今日はどっちかっていうとベスパが目当てだし」

「有名なんですか、その人」

「うーん、最近出てきたばっかりだから、一般にはそうでもないかな。でも裏じゃそれなりに有名よ」


裏。どこか含みのある響きだ。

多分それはストームライダーたちの間で、という意味なのだろうけれど、深読みできなくもない言葉でもある。

シムカは立ち上がる。椅子がギシ、と金属のこすれる音を立てた。


「つまんないの。帰ろーっと。あ、いろいろありがとね。これあげる」


そう言うと、私に向けて何かを投げた。反射的に受け取ろうとしたが失敗した。

床に落ちたそれは、可愛らしい包装のされた飴玉だった。


「それ、すっごく美味しいよ。オススメ!じゃーねー」

「ありがとうございます」


誰もいなくなった体育館で口内に飴玉を転がしながら、皆サボったのだろうかと状況分析していた。

結局そのあとすぐオリハラ先生が来て、残りは翌日の体育の時間に生徒が片付けるという旨を聞いた。








ある晴れた昼下がり、市場へと続く道に、荷馬車がゴトゴトと音を立てて子牛を運んで行く。

そんな切ない歌詞を持つ歌が脳内に流れている。


「すれ違いだ…」


携帯の画面には『今ウチら教室にいるよ!』という絵美里からのメールが映し出されている。

エリアステッカーを貼っているらしい。

私は野菜と肉類の入ったカゴを左手に下げ、右手で携帯を持つといういでたちをしていた。ここはスーパー。

思わず頭を抱えてしゃがみ込みたくなったけれど、これは見ようによってはチャンスだともいえる。

エリアステッカーを貼っているということは、サーベルタイガー戦が夜にあるということだ。


「………よし」


一言つぶやいて気合を入れなおし、買い物カゴの中身をあらためる。

リンゴのお弁当は台無しになってしまうわけだし、絵美里はカズの分しか持ってこない。

時間がいつになるか分からないけれども少しは食料を持っていっていたほうが良いだろう。自分の分だけでも。

とりあえずお菓子売り場に向かうことにした。








この学校のセキュリティはどうなっているのだろうと考える。何の障害も無く屋上まで来れた。

エア・トレックで階段を上るのは辛いものがあるので上靴に履き替えている。ジーンズに上靴。何て斬新。

屋上ではサーベルタイガーの面々が、今まさにリンチに遭っているところだった。


「ちょっ……何やってんの、イッキ!?」

「……お?」


見ると、リンゴがイッキを止めようとしている。私は結構良いタイミングでここに来たらしい。

しかし悲しいかな、入り口に突っ立っているせいか誰も気付いてくれない。

ただただリンゴのお弁当が無残に散る様子や、リンゴの言葉に挙動不審になるイッキを眺めていた。

いつの間にやら初陣宣言まで。ああ、時間の流れの何と無情たるや。

バトルをすることになったらしい面々がこちらを向いた。

学校の壁を下るという真似は今のところ、ブッチャとイッキと咢しか出来ないようだ。

そして驚かれる。


!?なんでこんなとこにいるんだ!?」


イッキが最初に驚きを言葉にした。そういえば今更だが、私がここにいるのは非常に不自然なような気がする。


「いや、なんというか…その、絵美里のメール見て、ここに別のチームがステッカー貼ってるの知ってたし、

こりゃ喧嘩勃発かな、と」

「知ってたのかよ。じゃあ教えてくれればよかったのに」

「それは無理だよ、カズ。だってメール見たのスーパーだったから」

「主婦してんのな」

「自炊ですから。………?」


カズの隣に見覚えのある少年がいる。会いたくて会いたくてたまらなかった少年。

嬉しさがあふれ出すが、これをどう表現していいのか分からず、とりあえず手を上げるだけにとどめた。


「久しぶり、亜紀人。といっても同じクラスなんだけど」

「………」

「亜紀人?」

「………」


返事がない。もしかして忘れられてしまったのだろうか。

何だお前ら知り合いかよ、とイッキが言うが、如何せん相手の反応がないので返答に詰まる。

―――しかし、それは唐突に訪れた。


「……ちゃん!!!」

「!?」


亜紀人が飛びついてくる。エア・トレックのスピードというオマケつきで。

繰り返すが、私は屋上の入り口に立っている。つまり、後ろは階段だ。


「―――――!?」


落ちる。




――寸前で内開きのドアのノブを掴んだ。


「うっわー!ちょっと、!大丈夫!?」

「……腕痛い………大丈夫じゃないです絵美里サン」

「ひ、引き上げろー!!」


イッキの掛け声で、ブッチャを筆頭にサーベルタイガーの面々も協力して私たちを引き上げてくれた。

素晴らしき協力に感謝。


「亜紀人、大丈夫?」

「僕は大丈夫だけど……ごめんね、嬉しくて、つい」

「いいよいいよ。私も会えて嬉しかったし、怪我しなかったわけだし」


シュン、と落ち込む亜紀人は子犬を連想させた。あまりの可愛さに表情筋が緩む。

未だ抱きついたままの亜紀人の頭を撫でていると、コホン、と誰かが咳払いした。


「あー…と、お取り込み中のとこ悪いんだけど、僕らってバトルしに行くんだよね?」

「あ、そうだった」


ブッチャの言葉にカズがポン、と手を叩く。ああ、そういやそうだった。

そして、そろそろ行こうぜ、という会話の流れになって、皆はぞろぞろと階段を降りていった。

私も降りていく。しかし、左腕に亜紀人が絡まっているため動きにくいのが本音だった。


「あの、亜紀人さーん?」

「なーに?」

「ええと………………まあ、いいや」




エア・トレックに履き替えて外に出る。そして例の掛け声をするわけだが、亜紀人は一向に離してくれない。

そうなると必然的に私も例の掛け声をする羽目になるのだ。(何せ円陣に加わっているので)


「コガラスマルゥゥ――――ぶっ殺!!!」

「…ぶ、ぶっ殺」


小さく言った。




第一戦目はブッチャだ。Fクラスの種目、「ダッシュ」の場合、前を走るほうが不利らしいと亜紀人が解説した。

フェンスのような細い道を走るときには、風の抵抗は少ないほうがいいだろう。死角もない。

しかし、フェンスにはもう一つ条件がある。――体重だ。


「あ」


ブッチャの重みでフェンスは壊れた。




気を取り直して第二戦目。オニギリだ。

そういえば中学校の体育の授業でマット運動をしたとき、逆立ちは中々難しかったように思う。

それを考えると常に逆立ちで、しかもエア・トレックに、文字通り乗った状態のオニギリは凄いのかもしれない。

しかしその場合にもクリアしなければならない条件がある。

乗るということは即ち「固定されていない」ということで、彼の場合どうしても手で押さえるしかない。

だが物体には慣性の法則が少なからず適用されるので、手に込められる力は相当なものになる。

オニギリにはそれを補うだけの握力・腕力はなかったらしい。


「あ」


オニギリの手からエア・トレックが離れた。

等速直線運動をする彼は、頭をフェンスに擦られる形になる。絵美里が頭を抑えた。




そして第三戦目に移ろうとする。亜紀人が咢に変わるべく眼帯をずらそうとする――のを私は止めた。

まだ亜紀人は私の腕に自分の腕を絡めたままなのだ。


「怒られそうな予感が…」

「んー…………ま、いっか!」

「…え」


みんなー、咢がこんなバトルしたくないってさー、と朗らかに言いながら亜紀人は眼帯をずらす。

途端に亜紀人を取り巻いていた雰囲気が一変した。


「ふざけんなよ!この俺を誰だと思っ…て……?」


咢は自分の右腕を見る。そして私を見て、もう一度腕を見た。

私は亜紀人にしたように、右手を上げた。


「久しぶり、咢」

「………………………………ンなっ!?」


バッと腕を離して私と一定の距離をとり、咢は表情に驚愕の色を満たした。

反応が予想以上に大きかったものだから、こちらの方が驚いてしまった。


「な、な………!?」

「ええと……咢?お、お久しぶりです」

「お、おう、久しぶり……って、んなことじゃなく!何で俺、お前と、その、ええと……」

「腕組んでたのかって?」

「はっきり言うなファック!!」

「あはは。あれは(多分)亜紀人のコミュニケーションの一環だから気にしないでいいよ」

「元凶はあいつか……!!!……と、とにかく、俺は走らねーぞファッキンガラス!道が穢れる!!」


しどろもどろになりながら返した返答に、イッキも少々挙動不審になりながら返事をする。

そしてすぐにハッとして咢の説得にかかる。

咢も気を取り直したのか得意の口癖を乱発しながらそれに反論する。私は蚊帳の外になった。

弥生が話しかけてきた。


「…大変ね」

「見方を変えればそれなりに楽しいよ」

「そう思えるアンタはすごいわ……」




そのあとはセオリー通りにスク水仮面が参上した。

彼女はリンゴなわけだが、ここで初めて私はリンゴのすごさを実感した。

まるで、彼女自身が風であるかのように、速く、なめらかに走っているのだ。

その後は、カズが咢に走ってくれるよう頼んだり、咢がそれに少々厳しいお言葉を返したり。

茶化して「格好いい」などと言おうものなら、もれなく「ファック」の返事がきた。

イッキが眼帯をずらして亜紀人にし、走るのはカズになったわけだけれども。


「……咢に怒られた」

「そりゃ怒られるだろうね…」

「ねえ、ちゃん。咢の反応どうだった?」

「ん?なかなか面白かったよ。なんで?」

「そうじゃなくて。もっとこう……赤くなったり青くなったり白くなったり」

「白くって…。いや、それはなかったかな。かなり大きな反応ではあったけど」

「…うーん……判断しにくいなあ………」


何の判断なのか訊こうと思ったけれど、その前に亜紀人が何やらブツブツと解析し始めたので、

咢ではなく私が青くなってしまった。




カズが勝ちイッキが勝ち、結果は小烏丸の勝利となった。

勝利のポーズも終わり、サーベルタイガーのヘッド、入谷夏美が脱ごうとする。

それを女の子たちが止め(私は出遅れた)、入谷夏美がトロパイオンの話をし、ブッチャが解説する。

8人の王と8つのレガリア。

鰐島海人は私のエア・トレックをレガリアだと言った。私のことを「地の王」だとも言った。

それが本当ならば、9人の王ということになるのだろうが、ブッチャはそのことはなにも言わなかった。

知らないのかもしれない。

これはレガリアではないのかもしれない。

その審議がつくほど私は情報を持っておらず、そして情報を得るには小烏丸の近くにいるのが良いと思った。

私一人ではチームを作れないから、彼らの近くにいよう。

そう思った。








咢は夜の街に消え、メンバーは自分たちの家へ帰り、

うっかりデコレーションが外れてしまったために誰だか知らないライダーたちに襲われながら、


深い深い、ストームライダーの世界に思いを馳せ、






襲いくる「理解不能」という名の頭痛に顔をしかめるのだった。















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2005.2.20

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