――貴方なら。

 人口密度の減った広間に芙蓉の声が響いた。謀反の首謀者にして筆頭女官でもある彼女は、大分憔悴した様子で坐していた。
  言葉は私に向けられたものだったようで、彼女と視線がかち合う。

「私なら?」
「貴方なら――欺けると思いました」

 それから藍楸瑛様も、と続けたあと、芙蓉は幾度か深呼吸をした。そうして先ほどまでとは打って変わって落ち着いた佇まいとなった彼女は、私が知る『筆頭女官・芙蓉』だった。

「貴方は権力や王家に関心を持っていないように見えましたし、藍様は珠翠に御熱心で周りが見えていらっしゃらなかったから。……だから掖庭宮への出入りを許しましたのに。恨みますわ」
「そうですか。あの松明は貴女が一人で作り上げたんですか?」
「どうなんでしょう。……よく、分からないのです」
「……分からない?」

 あまりに無責任な言い草に眉を顰めると、それを見た芙蓉は困ったように――微笑んだ。

「謀反などと大それたこと、はじめから考えていたわけではありませんでした。たまたま所用ついでに足をのばした先であの方を……清苑様をお見かけして、ご壮健そうなお姿に安堵した――ただそれだけ」
「何故、彼が第二公子だと気付いたんです?」
「お生まれになった頃から見てきたのですもの。昭淑妃……鈴蘭様のお傍で、ずっと。分からないわけがありません」
「……」

 そこで一旦言葉を切った芙蓉は、扉の外に昇る朝陽に顔を向けた。眩しげに細められた目は何かを懐かしんでいるように見えた。

「――夢をみていました」
「夢?」
「叶うはずのない夢物語です。かつて東宮に6人の公子が揃っていて、私が一介の侍女だったころ。誰よりも優秀と謳われた第二公子と、仙女のような美しさをもった第二妾妃、そしてこの国の闇を切り払った国王陛下――私などが手をのばしたところで到底手の届かない雲上の君、けれど何より大切だったあの方々が、まるで家族のように笑いあう――そんな未来を」
「芙蓉殿、それは……」

 言いかけて、私は口を噤んだ。
 『まるで』なんかじゃなく、彼らは血縁だけで言えば間違いなく『家族』だった。――ただ、王族というシステムとこの国の歴史の流れがそれを許さなかっただけで。

「誰に言っても信じてはもらえませんでしたけれど……一度だけ、そんな夢のような光景を見たことがあるのです。清苑様と鈴蘭様、戩華様が揃っていて、仲睦まじく過ごしておられるお姿……」
「まさか」

 戩華王に会ったのは今日が初めてだが、それでもその人柄は分かる。それくらいに強烈だった。あの人物が誰かと『仲睦まじく』している姿など想像できない。
 ちらりと横の葵皇毅を見ればこちらも物凄く怪訝な表情をしていた。私より長く朝廷にいる彼がこうなのだ、認識が間違っているということはないだろう。
 だが芙蓉に偽っている様子はなく、筆頭女官を務める程の人物に妄言癖があるとも思えない。何があったかうかがい知ることはできないが、少なくとも彼女にとっては真実だったという事だ。

「――取り戻したかったのです」

 それが。その言葉が、全てだったのだろう。ぽつりぽつりと、けれど途切れることなく流れていく言葉を聞きながら、ようやく私はこの件の根本を理解したような気になった。
 第二妾妃の侍女として後宮入りし、第二公子の誕生にも立ち会った彼女は、その後の騒動で相当な憂き目に遭ったのだろう、終ぞ婚姻することなくひたすら女官として生涯を後進の育成に捧げてきたという。
 たぶん――彼女にとって、紫清苑らと在った頃が人生で最も輝いていた時間だった。
 満ち足りていて、何にも代えがたい世界だったのだ。
 けれどそれは壊された――ほかならぬ、彼女が敬愛していた人の手によって。

「過去の残照――貴方は珠翠のことをそう言いましたが」
「…………」
「私にとっては、あの頃の記憶こそがそうでした。もう一度あの光景を見たかった。そうすれば何かが――失くしてしまった何かが戻ってくるのではないかと、思いました」
「……それで、こんな行動に?」

 そうして芙蓉は、私の心に大穴を開ける一言を言い放った。



「――女でしかない私が国を変えるには、これ以外に方法がなかったのです」



 呆然とする私を尻目に、彼女は縛られたまま頭を下げる。

「ですが、私の望んだものは最初から破綻しておりました。それを認めず、劉輝様をも害そうとしてしまった……愚かにも狂気に身を任せてしまったことが過ちの始まりです。何をしても償いきれるものではありませんが――ご迷惑を、おかけしました」
「……それは、私たちに言うべきことではないでしょう」

 低い声できっぱりと告げた葵皇毅の言葉に対し、芙蓉は顔を上げたあと「そうですね」と笑った。

「もはやお会いすることはできませんが、劉輝様にお伝え――いえ」

 何でもありません、と言って、芙蓉は静かに目を閉じた。



色彩独奏競争曲
メランコリアとゼーンズフト




 その後、葵皇毅の指示で芙蓉は御史によって連行されることとなった。女性、しかも筆頭女官まで上り詰めた人物の捕縛とあってか、葵皇毅は珍しく「手荒に扱うな」と言い含めていたようである。
 そうして更に人の減った広間で、私と葵皇毅は何をするでもなく突っ立っていた。忙しさに定評のある我らが御史中丞のことだから真っ先に執務室へ戻るものだと思っていたのだが、どうやらこの場で紫清苑と陸官吏の帰還を待つつもりらしい。
 紫清苑に与えられた時間は約30分。腕時計も壁掛け時計もない世の中なので正確な時間の経過を知ることはできないが、まあそんなに長く待つことはないだろう。とはいえ会話の一つも交わさないのは無礼に当たる気がしたので、話題を見定めながら口火を切ることにした。

「貴方がここに来たということは、松明の方は片付いたということですよね」
「分かっているなら聞くな」
「ただの確認です。彼らは第二公子の擁立を掲げていたのですか?」
「……いや。太子であるにもかかわらず義務を果たさない第六公子、および大きな影響力を持ちながら国政に協力姿勢を示さず、今更になって官を『たった一名のみ』立ててきた藍家に対する異議申し立てを行うための手段だと言っていた。……表面上はな」
「そうですか。……太子の行動は予想外でしたか」
「…………」

 否定しないのは肯定の証、と思うことにして、私はそのまま話し続けた。

「貴方と陸官吏が広間に入ってきたときの表情が気になったんです。状況に対して明らかに『驚いています』って反応をされると、まあ、流石に」
「……そうか」
「予定ではあの広間にいるのは芙蓉殿と清苑公子だけだったのでしょうから」

 まさか保護していたはずの太子が脱走しているとは思うまい。……実際にはそれ以前からたびたび護衛の網をかいくぐっていたようだが。
 それにしても今になって思うのは、道理で東宮に乱入してきた男たちがやたら縄やら布といった捕縛用の道具を持っていたわけである、ということだ。つまり彼らは藍楸瑛に危害を加えようとしたのではなく、最初から紫清苑を(かどわ)かすことを目的としていたのだろう。

「ですが、貴方も本当に人が悪い。芙蓉殿もですが。わざわざ揃って藍楸瑛を隠れ蓑にすることはなかったでしょうに。私が振り回されるのは構いませんが、彼にしてみればとんだとばっちりです」

 ふたを開けてみればこの事件の中心は、最初から最後まで元第二公子と第六公子の二人だった。けれども対外的にはどうやら、「数年ぶりの藍姓官吏の出現に反感を抱いた官吏が徒党を組んで彼に危害を加えようとした結果、御史台次官である葵皇毅に一斉検挙された」ことになりそうである。そこには第二公子の復権と王位継承を廻る策謀など微塵もない。
 朝廷側は、この件を明るみに出さないためのスケープゴートとして。
 謀叛側は、水面下での活動を周囲に悟らせないための陽動役として。
 彩七家筆頭である藍家の四男にして榜眼及第の才子は、この国の体制を守るためだけに咎なくしてその身を狙われるという悲劇にみまわれてしまったのだ。
 そして、ほんのわずかな情報が漏れるだけでも大混乱を招きかねないこの件が明るみに出ることは、きっとこれからもないだろう。

「疑問なのですが、何故『藍楸瑛』だったんです? 状元には紅黎深の養子である李絳攸がいたのに。藍家当主が藍州に居て、紅家当主が朝廷にいるという違いだというのなら分かりますが」
「本当に関係がないと思っているのか?」
「情けないことですが私は王族や貴族のお家事情に疎いんです。第二公子と藍家四男の繋がりなんて……ああ、もしかして会ったことがあるとか、そういう?」

 口に出してみれば、それは案外すんなりと思考の中に落ちてきた。小説の詳しい内容はよほどの切っ掛けがなければ思い出せないが、ここまで違和感を感じないとなると、おそらく間違っていないのだろう。

「藍楸瑛はかつて、紫清苑の側近にと望まれて貴陽に来たことがある」
「そうだったんですか?」
「流罪になる前、藍家の大部分は第二公子を推していたからな」

 当主どもの思惑は知らんが、と言い置いて、葵皇毅は続ける。

「他の公子の誰でもなく、真っ先に第二公子へと声を掛け、手合わせを望んだらしい」
「意外です。彼はあまり自分から動くようには……いや、あれは首を突っ込んでいくタイプか……?」

 李絳攸の名を出しただけで私を信じ、掖庭宮への手引きという胡散臭い申し出に応じた姿を思い出す。まあ、即断即行が悪いことだとは言わないしあれは彼のツボを意図的に押した私にも非はあるが。
 それはともかく、幼い頃の姿とはいえ藍楸瑛は紫清苑と直接対面したことがあるという。

「あれ、それって護衛する中で紫清苑……茈静蘭と藍楸瑛がかち合っていたら一発アウト、じゃない即バレしてたってことですよね?」
「そうだな」
「じゃあやっぱり李絳攸の方が良かったのでは? ……ああでも、そうか、彼に『知られた』場合は『藍楸瑛の護衛』という名目のもと、もしかしたら彼――藍家の協力も得ながら紫清苑を護ることができたかもしれなくて、たとえ『知らなくても』紫清苑が委員会に組み込まれている限り両方に目が届くから護衛自体は問題なく行えて、なおかつ藍家を含めた周囲に一切謀叛の兆しを悟らせることなく事を治めることができた、と。どっちにしろ損得の比率はあまり変わらないのですね」

 強いて言えば『知らない』ほうが後々ごまかしがきくだろうか。
 こちらがある程度行動範囲を誘導できる『礼部預かりの新進士』の中で、本当の護衛対象が第二公子・紫清苑であると知られたときに混乱を招かず、且つあらゆる緊急事態に対処できる――万が一藍楸瑛に害が及ぼうとしても、藍家の『影』が彼を護っただろうから――人物を探した結果が彼だったのだ。
 李絳攸も後ろ盾は紅家だし影の護衛も受けているが、こういう揉め事に関わらせるのは多分黎深さんが許さないだろうし、吏部尚書の職務放棄という事態にでもなってしまったら政治が立ち行かなくなる。そして探花の正博士を含めた他の留め置き進士の実家は彩七家ほどの力を持っていない。
 あと単純に藍楸瑛の方が李絳攸より強い。

「なるほど、分かりました。ですが、藍本家がこのことを知ったら怒りませんか? 今の御当主は兄弟姉妹を非常に大切にする方々だと聞いていますが。……『影』がこの会話、聞いていたりしません?」

 彩七家を怒らせるとロクなことにならない。数年の商人生活で見出した結論が頭を過ぎる。けれども葵皇毅はすました顔で言ってのけた。

「知らんな。我々はあくまで『謀叛を企てる輩が藍楸瑛にまで軽微な危害を加えている』ことを重く見て、彼も護衛対象に加えたまで。非難される筋合いなど無い」
「あ。……あー、もしかして……うわあ……だから二人も潜入してたんですか……」

 ――この人、謀叛を自分の都合のいいように誘導してた。
 そう悟って、私は思わず半歩引いた。
 陸官吏と正官吏を謀叛側に送り込んだのは内情を掴む意図あってのことだろうが、同時に彼らが藍楸瑛を隠れ蓑に選ぶよう誘導するなど、軌道修正する役割を担ってもいたのだろう。最終的な狙いは葵皇毅という御史の手のひらの上に全てを収めることだったのだ。
 ある意味究極のジャイアニズムである。

「でもそうすると、太子の行動は本当に予想外だったわけですね。……あの、葵官吏」
「なんだ」
「……。……すみません、やっぱりいいです」

 思わず言いかけた言葉を胸の奥に押し込めて、私は扉へと歩を進めた。
 南に向けて造られた扉だから、斜めを仰ぐと昇りはじめて間もない朝陽を見ることができる。ほとんど高層建築のないこの世界ならではの光景だ。なるほど、これは眩しい。目を閉じなければならないほど。

――ですが、葵官吏。

 言えなかった疑問が心臓の少し下あたりで回っているような気がする。

――あの時あなた方が『驚いた』のは、本当は、紫劉輝がここにいることじゃなくて。……彼に付けた護衛が、脱走を『見逃していた』ことなんじゃありませんか。

 たった一人無事に残った現王直系の太子。暗殺から保護しているというには、彼はあまりにも自由に動きすぎていた。――私にはそれが、紫劉輝に対するこの国の関心を示しているように思えてならない。

 『母親の身分が低い』から、玉座など望むべくもないとされてきた。
 『何も突出した能力が無い』と、当時他の公子や官吏は彼を嘲っていたという。
 太子となったあとも慣れぬ政治に戸惑えば『やる気が無い』と評価され、
 後々の立后を狙う縁談を断り、幼少期を過ごした後宮を訪えば『女色家かつ男色家』だと噂される。
 そういう日々を繰り返し、やがて王太子は『日がな一日何もせず、宮城のどこかをフラフラしている』と評されるようになった。

 ――私は。
 全てを知っているわけじゃない。潜在的にはこの国について、それこそおそらく未来に関する出来事についても『識って』いるのだろうけれど、その大部分はすでに忘れてしまっていて、細かい部分などはよほどのことがない限り思い出すことができない。そこで、メッセンジャーを続ける中で善意・悪意入り混じった噂を収集し、整理していくことによって記憶の穴を埋めようとしてきた――つもりだった。
 だから、この考えが正しいのか、間違っているのか、――未来に影響を与え得るものなのか。それを判断することはできない。
 もしかしたら『この時点では』この評価で良いのかもしれない。そう思われていることこそが、未来に――物語の始まりにつながるのかもしれない。

 けれど。それでも、考えてしまう。 

「あれは――やはり、私達の罪なのではありませんか。幼い頃の第六公子に、そして今、太子となった劉輝殿下に人として与えられるべきものを――奪ってしまった、この――」

 国の、と続けようとした口は、横から伸びてきた手の甲に塞がれた。
 ついでに多少の勢いがあったせいで鼻も打った。

「お前がどんなに嘆こうが、もはや過去は変わらない。そして俺やお前が官吏である以上、行動は全て記録されていく。評価は常に全てが終わったあとに行われ、我々がそこに介入することはできない」
「…………」

 語調は普段のままで、当たり前のように「後回しにしろ」と言われ、私は思わず目を丸くした。
 葵皇毅らしくない結論の先送りだが、確かにいま朝廷の非を唱えたところで無駄である。
 ――それにしても。

(……分かりにくい)

 私の言葉を制してはいるものの決して押さえつける様子のない手の甲といつもより抑えられた威圧感が、鬼の御史台次官らしからぬ気遣いの結果であると――誰が気付かずにいられようか。
 あまりに予想外だったものだから気付いた途端後ろめたさが波のように襲ってきて、視線を明後日の方に向けてしまったのだが、これはもう仕方がないと思う。
 添えられるだけの手をそれとなく外す。

「……そうですね」

 動揺を押さえつけ、なんとかそれだけを絞り出す。大きく息を吸い込めば、清廉な朝の空気で肺が満たされたような気分になって大分落ち着くことができた。


 結局のところ、朝廷も、政治も、そして王家さえ、出口のない迷路の中にある。どこに行っても、何を選んでも、いつかはきっと行き詰ってしまうし、民はそんな懊悩などお構いなしに私達を批判するのだろう。
 ――だから官吏はいつだって、最善と妥協の最大公約数を探すために奔走するのだ。


 芙蓉に開けられた風穴が酷く痛む。けれどこれが避けてはならないものだということも、分かっている。

 視線を巡らせた先に、紫清苑――茈静蘭と、陸官吏の姿が見えた。
 もう、第二公子が朝廷に還ることはない。

 私は手を振って、彼らを出迎えることにした。



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 その後、弟と何を話してきたのか、やたら清々しい表情になった茈静蘭を供につけ、東宮に置いてきた藍楸瑛・陸清雅・御史裏行を回収しに行った私は、そこで三者三様の叫びを聞く羽目になった。
 原因は、私の恰好がそれはもう酷かったことにある。
 上衣も下袴も脱ぎ捨てて簡素な袍だけ、しかも薔薇のアーチをくぐる時に大分引っ掛けてしまったので至る所が破れているし、腕や足、顔にも細かな傷がついている。ついでに、いつのまにかカツラも取れていたので短髪なのがバレてしまった。
 どこの秘境帰りだと言われても反論できない風貌だ。

 いつになく取り乱す御史裏行を宥め、呆然とする陸清雅を現実に戻し、険しい顔で事の次第を吐かせようとする藍楸瑛をかわしたところで、私は、今回の件が解決したことを告げた。
 もちろん真実を伝えることはできないし、そもそも藍楸瑛は護衛されていたことすら知らなかったから難儀したけれど、最終的にはちゃっかり兜を被って素性露見対策をしていた茈静蘭のフォローもあって何とか『実は藍楸瑛は狙われていて私たちはふた月ほどその護衛を担っていたが、この度無事に首謀者を捕えることができたため今後は命の危険はない』という認識に落とし込むことができた。

 余談だが、後日藍家と藍楸瑛本人から私宛てに膨大な贈呈品が届き、小造りな日本家屋もどきの自室が丸々占拠されそうになった。食べ物以外全て送り返したが、まあ、良い思い出である。たぶん。

 それから、何故か黎深さんに怒られた。百合姫の翻訳を交えて聞き取ったところによると「王家に関わるとロクなことがないからそれとなく遠ざけようとしていたのにまさか最後の最後で最短ルート突っ走るとは思わなかったわこの馬鹿が」ということらしい。とりあえず、「心配してくださったことは有り難いが、どこにも『それとなく』の要素が見当たらなかった」と反論しておいた。黎深さんと鳳珠さんが私のために奔走してくれていたらしいことは――知ったと分かったら絶交されかねないので黙っておくことにした。
 李絳攸は部屋の隅で怯えていた。

 ちなみにその李絳攸が私に忠告めいたことをしてきたのは探花・正博士の助言あってのことだった。正博士は父親である正修士が深く関わっていたこともあってか『被害の拡大を防ぐため、他の新進士を藍楸瑛に近づけさせない』という任を負っていたようで、その一環として李絳攸にも「藍楸瑛はその家柄もあって大分妬まれている。そのため他の官吏からちょっかいを掛けられているようだが、本人が『自分の力だけで切り抜けてみせる』と意気込んでいる様子のため、そのことには触れずにあまり関わらないでやったほうが良いだろう」と伝えたのだという。すると李絳攸はどこからか私が藍楸瑛の護衛に関わっていることを突き止め、被害が及んでしまうのではないかと懸念し、あの行動に出たらしい。彼の頭脳的には通常運行である。
 あのとき私が考えた可能性は全て外れていた。李絳攸は家のためでも仕事のためでも、ましてや友人たる藍楸瑛のためでもなく――私のために、あの忠告をしてくれていたのだ。
 それを知ったときは顔から火が出そうなほど恥ずかしく、また照れくさくもあったが、李絳攸も負けず劣らず真っ赤な顔をしていたので傍から見るとさぞ異様な光景だっただろう。

 葵皇毅は今回の件で、次の除目での御史大夫への昇進が確実になったとかなんとか。
 紫劉輝は、こちらも兄と何を話したものか、太子としての公務を以前よりも積極的に行うようになった。それでも染み付いた放蕩癖は消えないのか宮城だけでなく皇城でもたまに見かけることがあるが、陸太子左庶子はそんな彼の行動を笑顔で把握し先回りし続けている。
 余談だが、以前から――おそらく城下に降りたあとから、紫劉輝が勉学に充てる時間は段違いに増加していたのだとか。フラフラしている間も、どうやら専ら府庫に出入りしていたらしい。
 王の病状は未だ回復の兆しを見せないらしいが、採決された書類にはほとんど御璽が押してある。霄太師あたりが代理で押している可能性もあるが、もしかしたら寝台の上でもあの怖すぎる眼光で仕事をしているのかもしれない。悪態をつきながら判を押していく姿が目に浮かんだ。

 謀叛に関わった官吏は全員尋問を受けた後、法に則って処刑された。
 主犯格の芙蓉は今も軟禁され、取り調べを受け続けている。

 全てが収束に向かっていた。
 官吏の大量検挙ということで一時はそれなりの混乱が生じたが、捕えたのが御史中丞だったので、概ね「ああまたか」という認識になったようだ。


 ――そして私は。


 季節は初夏。
 掖庭宮は主のいない寂しさを隠すように、あらゆるものを色鮮やかに調えている。





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2015.06.1
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