10.
 流星街に落ちてから幾日か経ったころに来客があった。その頃には食物も少しずつ――本当に少しずつではあったが食せるようになっており、街の住人に安堵のため息をつかせるに至っていた。最も、繰り返し言うが量が量なので体力を回復することは出来ていなかった。

「変な少女が来たと聞いたのだが」

 はのろのろとした動きで地面から来客を見上げる。印象は一言で言うなら「真っ黒」だった。頭のてっぺんから足のつま先まで黒いのだ。髪をオールバックにして、額には不思議な形のタトゥーだか刺青だか痣なのだか分からない模様がついており――見覚えがありすぎるほどにある人物だった。
 来客――おそらく幻影旅団の団長、クロロ=ルシルフルの傍らには女性が付き添っていた。焦点が定かでないの目にも美女と分かる女性である。胸元を強調したスーツに、亜麻色の髪をボブ気味のショートカットにしている。おそらくパクノダであろう。二人とも強い特徴を持っているために推測するのは容易であった。

「こいつがその少女なのか?」
「そうみたいだけど…拒食症にでもなっているのかしら」
「ふむ。……ん?その手錠……」

 クロロと思わしき青年はの手首に嵌められている幅広の黒い手錠に目を留めるとしゃがみこんでの腕ごと持ち上げた。シャラ、と音を立てる鎖に指を滑らせ、納得したように頷く。

「念が込められているな。あまり強い制約はなさそうだが…『手錠が外れない限り』といったところか」
「内容は?」
「こいつの念を封じている。生命維持に必要な分まで抑えてしまっているからの現状だな」
「ああ、それで拒食……。どうする?一応探ってみる?」
「そうだな。この手錠をつけた奴の顔を知っておく必要がある。あと、こいつが念を使えるのかどうか」

 パクノダは不思議そうに首を傾げた。

「使えるから手錠されてるんでしょう?」
「それは判別不可能だ。念が使えない奴にも手錠はかけることが出来るし、オーラは誰でも持っているものだから封じることも出来る。使えるか否かでは解除の方法も違ってくるし……まあ、頼む」
「了解」

 クロロの言葉に納得したのか、パクノダはクロロと入れ替わりにの横に膝をつき、手を伸ばす。はそれをただ見ていた。彼女が何を見るのか、今のには気付くことが出来なかった。

「あなたはここに来るまでに、何を見て、何を聞いて、何を為してきたの?」



11.
 に置かれた手が勢いよく除けられる。少々驚いてパクノダを見るとその顔色は真っ青で、その表情をしてはやっと、彼女が何を見たのかを推測することが出来た。

(あー…)

 事前に言わなかったことを後悔するべきなのか、伸ばされた彼女の手を振り払うべきだったのか、それともそれとも。考えたところで過ぎたこと。答えなど必要であるはずもなく、はじっとパクノダを見た。

「パク?」
「…何……この子。ありえないわ……」
「……何が見えた」

 真っ青だった顔色がクロロの言葉にあやされるように徐々に落ち着いてくる。それを見ては少しばかり安心する。パクノダは微かに声を震わせてクロロに告げた。

「戦争かしら。なんだかやたら古臭かったけれど。草原に兵士が……そうね……6,7千人くらいいたと思うわ。この子は一人で対峙していて……その半数くらいを殺したのよ。念を使えるのは間違いなさそう。炎とか風とか出していたから、操作系か特質かしら。なんにせよものすごい威力ではあったわね」

 その言葉にクロロは目を見開き、は目を伏せる。その記憶はにとって非常に辛いもので、またとても強いものでもあった。強かったからこそパクノダの問いに対しその記憶が浮かび上がってきたのだと思われるが、何にせよパクノダ、共に両者大ダメージ状態であるのには違いなかった。
 クロロは表情に冷静さを取り戻すと笑んだ。

「面白いな。……評議会の依頼、今回は受けよう。パク、手錠をつけた奴の顔は」
「大丈夫、見えたわ。最近のことだったから浮かびやすかったのね。裏社会の大物よ」
「ならば居場所の確定は必要ないな。団員に連絡を取ってくれ。来れる奴だけでいい」
「分かったわ」

 自分の周りでどんどん進んでいく展開に、は情報収集、整理をするのが精一杯であった。



13.
 いったいクロロとパクノダは――幻影旅団は何をするつもりなのだろうか。自分に会いに来たこと、また「評議会の依頼」と言っていたことから、自分に対して何らかの依頼を受けたのだということは分かるが。
 は先ほどの出来事を思い浮かべながら粥を見た。今は食欲がまったくない。むしろマイナスの勢いである。匂いだけで吐いてしまうだろう。持ってきてくれた老人に対し微かに首を振り頭を垂れると、老人は防護服の奥で優しげに笑い、少し離れたところに器を置いた。

「…今日は千客万来だね。賑やかだ」

 老人はに言う。はその意味が分からず老人を見る。すると老人はある方向を指差し、に向くよう言った。それに従いが顔を上げると(体は相変わらずよく動かない。クロロが言うように『生命維持に必要なオーラまで抑えられている』せいだろう)黄色を貴重とし、裾部分はピンクのドレスを身にまとった婦人がこちらに近づいてきているのが分かった。本当に千客万来だとは内心思う。しかし、来るときは来る来ないときは来ない方式で言えば有り得ないことではないのかもしれない。
 来ないときはさっぱり来ないし、来るときは一度にまとめて来ることだってあるのだ。

「あら。誰かに先を越されたのかしら」
「まあな。お前さんもこの子に用か?キキョウ」
「ええ。といってもちょっとした里帰りみたいなものだったのですけれど、興味深い話を聞いたものだから。何でも生命維持のためのオーラまで封じられているのに生きているそうじゃありませんか。普通は死にますわ」
「オーラとか言われてもワシには分からんがね。まあ、凄そうではあるな」
「凄そう、ではなく凄いのですよ。熟練者だってそんなことされればすぐに死んでしまいますもの。オーラは生命エネルギー、最低限のそれまで封じられるということは生きるためのエネルギーがなくなることと同義ですわ」

 老人はポリポリと防護服の上から頭を掻く。

「奪われてないのならいいんじゃないか?その、生命エネルギーってやつを」
「基本的にはそうなのですけれど。クロロが言うには媒介……この手錠かしら。これがオーラを外に逃がしているらしいのです。封じた上に逃がす。まさに四面楚歌ね。あ、この故事成語は知ってらして?」
「いや」
「わたくしも最近知りましたのよ。東の国の言葉なの。打つ手なし、って意味なんですって」

 キキョウは得意げに話す。しかしその顔は目の部分が何かに覆われているため(しかもその上から更に包帯も巻いてあるため)口元でしか表情を判断することは出来ない。
 一通り談笑し終わった後にキキョウは切り出した。

「ああ、目的を忘れるところだったわ。わたくしこの子を連れ帰ります。きっと良い執事になるわ」
「だが評議会はこの子に対しての依頼をしたぞ」
「彼らにですわね。聞き及んでいます。大丈夫、許可は取ってありますわ。うちに来たほうが環境的にはここより良いだろうとの見解です。彼らが帰ってきたら連絡してくださいな」
「まあ、評議会がそう言ったのなら」
「異存はありませんわね。それでは失礼させていただきます。……さあ、この子を運んで頂戴。丁寧にね」

 キキョウがそういうと後方に控えていたらしい黒いスーツを身につけた男たち(おそらくゾルディック家の執事だろう)がの傍に担架を置き、そのうちの一人がを抱え上げ、うつぶせのまま担架に寝せた。
 は断るでもなく騒ぐでもなく成り行きに任せていた。この世界で死ぬ確率が上がってしまったわけだが(環境的にはゾルディック家のほうがいいだろうが安全面ではこちらが上だ)何故だか断れなかった。それは有無を言わさぬキキョウの雰囲気に起因していたようにも思えるし、また断るだけの余裕がなかったとも思えた。

(お礼を言っておけば良かった)



14.
 ゾルディック家玄関には「試しの門」というやたら重い扉がある。一から七まで大きさがありそれぞれ重さが2倍になっていくというものだ。一の扉は両方合わせて4トン、二の扉は8トン、三の扉は16トンといった具合だがもちろん今のに開けられるはずがなく(右手のアレが使えたならあけることが出来たかもしれない。正攻法ではないが)執事たちが空けている間に担架で運び込まれる形となった。ガサリと音を立てて森の中から巨大な狩猟犬が現れる。ミケという名のこの家の番犬である。試しの門から入らないと食い殺すらしい。
 山とその周りの樹海を敷地とするこの家ではの常識はあまり通用しないようだ。

(でかすぎ)

 ぐったりと担架に身を任せながら、突っ込みだけはしっかり入れるのだった。



15.
 森の中の道なき道を進み、やがて開けた場所に出た。小さな草原のようだ。担架はその中心に下ろされ、もまた草原に寝かされた。
 キキョウは言う。

「暫くこの場所で療養なさい。植物は殆ど食べられるものばかりです。凶暴な獣もいないわ。……荒療治だけれど、あなたの衰えた筋肉はちょっとやそっとじゃ回復しないでしょうから。半年経ったらまた来ます」

 その言葉には頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。キキョウの言うことに納得していないわけではない。確かに自分の筋肉は極端に衰えているし、生半可なリハビリでは回復しそうにもない。だからこの処置はある意味で一番的を得たものである。
 しかし、見知らぬ土地で独りにされるというのは――しかも半年も――にとってまったく未知の体験であるため、少々抵抗があるのだ。寂しいと、否応なしに感じてしまう。それではいけないと自分に言い聞かせても、本心は嘘をつかない。寂しい寂しいと訴え続ける。

(煩わしい)

 寂しいと思う心など消えてしまえばどんなに楽か。だがそれでは駄目なのだ。寂しいと思う心を持ちながらもそれに耐えうる心が今のには必要なのである。この場所で、ひいてはこの世界で生きていくためにその精神力は絶対不可欠なのだ。
 そう考えると、これはまたとない良いチャンスなのかもしれなかった。

「それでは」

 キキョウは踵を返し、執事たちもそれに従った。しかし執事のうちの一人はこの場に残りを見ていた。その視線に気付いたが執事を見ると彼は眼鏡をクイと上げ、去っていった。顔立ちと眼鏡の形から執事長ゴトーであるような気がしたが定かではない。



16.
 最初の一ヶ月はひたすら這い回った。うつぶせのまま草を食べてはその苦さに吐き出し、少しでも甘い実を求めて地べたを這った。何故かこの場所に来てからほんの少しだけ体の調子がよくなった。何故かと問えばそれは流星街の環境が悪すぎたのだろう。ごみが山ほどある場所に自分は囚人服一枚で寝ていたのだ。
 次の一ヶ月は木に掴まって立つ練習をした。腕の筋肉もまた衰えていたのでちゃんと掴めるようになるところから始めなければならなかった。ようやく掴めるようになったころには月はあと一週間しか残っておらず、今月中に立つのは無理かもしれないと諦めた。尖った木の枝で木に53日目の印をつけた。
 三ヶ月目の半ばごろにやっと立てた。膝がガクガクと震えていたがそのうち元に戻るだろう。そろそろ寂しさが限界になってきた。人と話さないのがこんなにも寂しいものだとは知らなかった。草原にはウサギやリスなどの、この樹海の雰囲気からは考えられない程愛らしい動物が住んでいる。決して懐くことはないので遠目に観察するしかないのだが、それでもはそれらに癒される自分を感じていた。

 四ヶ月目、の食は細いままだったが、それでも以前のような殺人的食の細さではなくなっていた。立つことが出来れば歩くことに慣れるまでは早く、月の終わりには以前のように歩けるようになった。しかし全体的に体が動かしにくいことに変わりはなく、もしこれが『生命維持のためのオーラ云々』のせいであるならば何とかして解除しなければならないと思った。老朽化した両手の結合部分は割れていたが相変わらず手首を覆っているのは取れないので日焼けが気になった。そこだけ真っ白なのかもしれないと思うと少し落ち込んだ。

 五ヶ月目である。今日も今日とて小動物観察に余念のないは異変に気がついた。この草原に訪れる小動物の数が減っているのだ。何故なのだろうと考える。もしかしたら自分がここにいるせいなのだろうか。いやそれならばもっと早くに減っているはずだ。冬眠の季節なのだろうか。そんな馬鹿な今日は暑い。すると一匹のウサギの毛が赤く染まっていることに気付く。どうみても血である。不思議に思ったはそのウサギが来た方向に行ってみることにした。止めておけばいいのにと思うが、自分の癒しを傷つけるのは許さない。



17.
 グルル、という獣の唸り声が聞こえた。は目を見開いて目の前の光景を見る。どうみても狼である。ウサギを口にくわえ、血に飢えたような目で(実際は食に飢えているのだろうが)こちらを見ている。は全速力で逃げる算段を頭の中にはじき出す。しかし未だ上手く走れない自分が逃げ切る確立はゼロであった。絶望的な数字に思わず顔を引きつらせる。
 狼はウサギを近くの子狼に投げてよこすとににじり寄ってくる。は後ろに後ずさる。

(やばい)

 そう思えども体は竦んで動かない。呼吸だけがどんどん荒くなっていく。足を後ろに後ろにやる。するとかかとに石が当たり、コロコロと転がっていった。狼はそれを蹴り飛ばし咆哮を響かせる。それにハッとしたようには駆け出した。
 狼はを追って駆けていく。は石を投げつけつつ全速力で逃げた。振り切ることは出来ないと分かっている。辺りを注意深く見渡しながら駆けると、おあつらえ向きの尖った枝が見つかった。この辺の木は獣のぶつかった跡が多く、また折れた枝は先が尖っているものが多いのだ。日数を印付けるために使用している木の枝も同じなのである。
 は枝を何本か拾い、それを狼に繰り出しつつ逃げた。投げては逃げ投げては逃げし、狼との距離が1メートルもなくなったところで草原に着いた。は仕上げとばかりに草原にスライディングする。狼は一気に無防備になったに飛びかかろうとする――が、それは叶わなかった。バチリと音を立てて草原の周りに電流が走る。――キキョウが「凶暴な獣もいない」と言った所以である。見えないくらいに細い線が下方のわずかな隙間を除いて張り巡らされているのだ。だからこそこの草原にはそれをくぐることの出来る小動物しかいないのだ。……それを知らなかった時分、もまた電流のお世話になりそうになった。鳥が犠牲になってくれなければ自分は今頃黒焦げであっただろう。
 はプスプスと煙を上げる狼を引きずって先ほどの場所に戻し、子狼達がそれに気を取られている隙にトンズラする。早いとこ強くなるかどうかしないと確実に死ぬ――そう確信しながら。



18.
 最後の一月は瞬く間に過ぎた。何とか普通の状態で(と言ってもやはり動かしにくい体であることには変わりない)生活することが出来るようになった。草の苦味にも慣れたし、どの草がどんな味なのか大体分かるようになった。これから役立つのかは不明だが。

「まあ、すっかり元気になって!」

 キキョウは開口一番にそう言った。喜んでくれていると言うのがたまらなく嬉しく、また人の言葉を聴くのも半年振りだったので相当感動ものだった。何でも自分はこれからこの家の執事になるのだと言う。は慌てた。今の自分は弱い。せいぜい門番のお茶汲みが分相応なのではないだろうか。掠れる声で言うが、キキョウは言葉の内容よりもが喋れたことに驚いているようだった。そして笑って「構いませんよ。執事をしながら強くなりなさい」と言うのだった。には分からない。何故キキョウはこうも親切にしてくれるのか。

「オレたちは執事だ。主人に対しての詮索は無用」

 執事室に向かう途中、執事長ゴトーはそう言った。はその言葉に頷く。正直納得していなかったがよく考えれば自分は無一文である。それにこのままなし崩しとはいえゾルディック家の執事になれるのならば少しは強くもなろう。死なないようにするのは大変労力がいるだろうが、そもそも逃げられやしない。地理を知らない。そう考えると今は流れに身を任せたほうが懸命だという結論にたどりつく。
 ゴトーはそんなを黙って見ていたが、やがてポツリと漏らした。

「娘が欲しかったのだそうだ」

 は驚いてゴトーを見た。ゴトーは無表情のままだった。



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