72. 真っ赤な絵の具がホールに落書きする。 少年の服に、肩に、頬に、降り注いで。 それは痛みを伴う子供の遊戯。 試合が終わり壁際のキルア、クラピカ、レオリオの三人がいる場所に近いところへと体を寄せたはやはりというか何というか、彼ら(主にレオリオ)の質問攻めにあった。お前はあんなに強かったのか、何故力を隠していた、どうして教えてくれなかった。答えは一言で済む。「必要だと思わなかったから」 そしてそれ以上に心のどこかで、知られたくないと、そう確かに思っていた。 「キルア……っ!!!」 クラピカが叫ぶ。ホールの中心でレオリオと対峙するボドロから鮮血が飛び散った。あまりに赤く紅く赫いそれはまるで絵の具ででもあるかのように現実味を失っての目を焼く。血は見慣れている、はずなのに。 分かっていたはずだ。こうなるのは。ギタラクル――イルミがキルアの前に姿を見せたときに、この状況は予想できていたのだから。 は何もしなかった。知っていて、知らぬ振りをした。 ――私はこの世界で、もの言わぬ貝になろう。 イルミが擬装を解いたときに気付いてしまった。 未来を変えることは容易い。簡単すぎて泣きたくなるほど。だがここで未来を変えることはすなわち、これから先の「誰か」をも変えてしまうことになる。キルアにとってこの邂逅が良いのか悪いのか何て知らない。ただに分かるのは、今自分が手を出したら、彼のある意味での成長を妨げてしまうということだ。 気付いてしまったら、手は出せなかった。 はもう、キルアに対してゴトーが抱いている感情と似た気持ちを持っていたから。 「キルア様」 ホールを出た廊下でキルアを追ってきたは彼に声をかけた。 「ついて来んな」 酷く無機質な声がとても痛かった。は上体を折る。 「かしこまりました。……体調には、お気をつけください」 血を点々と落としながら、にはその背中が泣いているのか笑っているのか、どうしても判断することができなかった。 73. 翌日、晴れてハンターとなった者たちへの説明会が行われた。未だ目を覚まさないゴンを除けばここにいるのがハンター合格者の全てである。キルアはもちろん含まれない。一番後ろの席で一番前に座るイルミの背を見つめる。見つめてどうなるわけでもないのに何故見つめるのか、自身にも分からなかった。 長い長い説明の後に(長すぎて途中何回か寝てしまった)クラピカがキルアの不合格について意義を唱えた。曰く「あのときの彼は明らかに操られていた」と。も平和な世界で「読んで」いたときにはそうであろうと思っていたものだが、今こうして当事者になってみると見えなかったものも見えてくる。 キルアは操られてなどいなかった。 それは逆にに重くのしかかったけれど。 激しい音とともにゴンが現れてイルミに「キルアに謝れ」と言っている姿も何もかも、今は少しだけ遠い。 「」 不意に呼ばれてハッと顔を起こす。見ればゴンに腕をつかまれたイルミがに視線を向けていた。それと同時にその場にいる全ての人間の視線もに注がれる。それを極力意識しないようにしながらはイルミの意図を汲み取ろうと努力した。彼に限らずゾルディックの人間は時折主語を省略する。イルミは視線をからゴンに掴まれている自身の腕へと落とす。ああ、ゴンを引き離せと。ようやく理解した。 は席から立って二人のところへと緩やかな傾斜をくだる。ゴンが少し驚いたようにを見た。 そっとゴンの手を取り、イルミから離す。紋章を使ったのは許容していただきたいと心の中で呟いた。ゴンの手はごときの腕力では到底引き離せない。 「おい、何でそんなヤツの肩を持つんだ?」 少々気が立っているのだろう。険しい顔でを見るレオリオの表情は、の記憶が確かならば今まで一度だって向けられたことのないものだ。会って未だ数日であるし話したのも片手で足りるくらいに少ないが彼の気質が優しいことくらいにも分かる。分かるから、彼のその表情は少しばかり辛かった。 「私は」 「はうちの使用人だよ。キミの方こそ何を言っているんだい?」 第三次試験の際にその事実を知ったヒソカ、ハンゾーを除く者の目が見開かれる。もっともネテロは常のように飄々とつかめない表情をしていたが。 「……うん、よし。じゃあに聞いてみようか。は、オレがキルに謝る必要ってあると思う?」 は胸中に5トンハンマーが振り下ろされるのを感じた。何という事を聞くのだろう。一歩間違えば自分の首が飛びかねない質問ではないか。(もちろん殺される気はない。死ぬわけにはいかない) もしもこの質問を回避できるのならばジャンピング土下座だろうがなんだろうがやってやる、はささくれる自分の心に忠実に表情を作った。作ってしまった。……直後に後悔したのは言うまでもない。 「キルア様が人を殺すことを『本当に』嫌がっておいでなのでしたら必要でございます」 ジャンピング土下座カウントダウーンさーんにーいーち。しかし予想に反してイルミは素直に頷いた。 「うん、なるほど。じゃあそれでいいや」 「謝るの!?」 ゴンが驚く。 「キルが『本当に』嫌がってたのなら、ね」 イルミはゾルディック家に長年仕えたものでもそうそう気付けないような笑みを浮かべた。 勿論は気付かない。 74. 説明会場での一騒動の後、は何故かゴン、クラピカ、レオリオとともに「電脳ページ」を「めくって」いる。それというのも説明終了後にイルミがを呼びつけて直々の命令を下したからだ。こうなるとにはもう拒否権がない。 「オレはこのまま仕事に行くからあの3人を案内してあげなよ」 そう言われても自分は飛行船のチケットの買い方すら分からない。告げたがイルミは無感動に「ふーん」と言っただけだった。「じゃあ彼らに付いて行ってそこから案内すれば?」そのことほど意味の無いことはないだろうと突っ込みたかったがぐっとこらえる。 父さんと母さんによろしく言っといて、と述べるとイルミはそのままに背を向けて歩き出した。マニュアル通りに上半身を30度前に傾け「かしこまりました」と言うだったがその内心は途方にくれている。 …………。 「ククルーマウンテン。パドキア共和国にある山だな。飛行船のチケットを予約しよう。いつがいい?」 「今日のうち!」 レオリオとゴンの声が重なる。クラピカはそれに満足そうに頷くとのほうに向いた。 「さんもそれでいいだろうか。準備が必要ならばもう2,3日伸ばしても構わないが」 「え、あ、ええと」 問われては困惑する。そうでなくとも先ほどの騒動で自分と3人の間にはマリアナ海溝……とまではいかないまでも結構な深さの溝ができたと思っていたのだ。いきなりこんな友好的な態度を示されて驚かないはずがあろうか、いやない。 ……などと漢文を訳するかのように反語を使ってみたところで現実は変わらないし揺るがない。早く返事をしなければ。そう分かっているのだが考えれば考えるほど思考はぐちゃぐちゃに絡まっていく。溜息が聞こえた。 「あー……そうか。……気にしてんだろ?さっきのこと。悪かったよ、八つ当たりしちまって」 「え、え、あ」 「ちょっと展開についていけなくてなあ。いや、スマン」 「あ、ああ、と、………大丈夫です」 何が大丈夫なのか。何で大丈夫なのか。違うだろ自分、と一人突っ込みを入れたところで突っ込み返してくれる人がいるはずもなく。は一人自己嫌悪に陥った。 「そうか、じゃあ明日のチケットを」 そしてやり取りを聞いているんだかいないんだか。クラピカは至極冷静にチケットを手配した。 75. 飛行船に乗って入国。列車に乗って観光。ハンターライセンスのおかげで個室が優先的に(しかも安く)とれたのはにとってある意味感動ものだった。この世界を旅行するときは有効活用しよう。即座に頭の中で貧乏旅行の計画が立ち上がっていく。 パドキア共和国ククルーマウンテン。観光バスが一日一本出ている。バスガイドの説明を聞きながらは改めてゾルディック家の一般に対する非常識さを知った。仕えている分には(時々キキョウが子供を刺客に差し向けてくること以外)普通なんだけどなあ、と思いつつ、ゆらり揺られるバスの中で眠気に抵抗する。 30秒後、睡魔との闘いにあっけなくKO負けしたの姿があった。 「……寝てるね」 「寝ているな」 「起こすなよ、二人とも。特にクラピカ」 「分かってるよー。気をつけてよ、クラピカ」 「………善処しよう」 「しっかしよく眠ってるよなあ」 「よっぽど疲れてたんだろうねー」 「まあ、主人があれじゃあな。そりゃ疲れるだろうよ」 「…………」 「あ!ダメだよクラピカ!動いちゃダメ!が起きちゃう」 「よく眠ってるよなあ」 「よっぽど寝心地良いんだろうねー」 「二次試験のときといい、今といい」 「よっぽど気持ちいいんだろうねー」 「…………………お前ら、遊んでいるだろう」 ゴンとレオリオはにっこりと笑った。 「滅多に見れるものじゃないし。クラピカの膝で寝る人なんて」 76. 到着と同時にクラピカの手によって起こされたが今度こそ本当に土下座したのは言うべくもなく。とにかく一向はククルーマウンテン名物「黄泉への扉」正式名称「試しの門」に到着した。ガタイのいい男性二人が巨大な扉脇に設けられた小さく普通の入り口から入ってミケに食い殺されたことはこの際置いておこう。ここに残るとゴンが言ったときのバスガイドと乗客の驚きようといったらそれはもう。 「ご無沙汰しております、ゼブロさん」 はゾルディック家守衛のゼブロに頭を下げた。ゼブロは一瞬驚いた顔をしたがすぐに笑みを浮かべる。 「お帰り、ちゃん。敬語はいいよ。あたしなんかよりちゃんのほうが立場が上なんだし、これじゃあたしの方が首を切られちまう」 「……それは困るな」 苦笑しては敬語を取り去る。ゼブロは言う。 「ゴトー様からの伝言を預かってるよ。『すぐに戻れ』ってさ」 「うわあ。それいつ言われたの?」 「さっきだね。バスが来る10分くらい前かな」 サッと血の気が引く。慌てて三人の方に向き直った。 「ごめん、先に行かなきゃだめみたいだ」 「いいよいいよ。じゃあ中で待っててね」 「うん」 試しの門の前に立ち両手をあてる。右手から淡い光がかすかに漏れ、ゴオンと音を立てて扉は開いた。七の扉まで開けることも一応可能だが何となく悪い気がしてそれはやらない。しかし力加減を間違えたのか、扉は4まで開いた。あー…、と小さく呟いては中に入る。後ろで三人が驚いていたのは見ない振り。 77. テレポートで執事室の前へと移動しゴトーに帰ってきた旨を告げる。開口一番、執事長ゴトーはに向かって「遅い」とのたまった。次に「さっさと本邸に行ってこい。奥様がお呼びだ」と。執事室に寄る必要はなかったのではと思うが口には出さない。とてそこまで馬鹿ではない。カナリアがの荷物を預かってくれた。部屋に置いておきますと嬉しそうに言われたら誰だってキュンとなるだろう。力説したかったが生憎聞いてくれるような人は執事の中にいなかった。 「お帰りなさい、。早速だけど今キルが独房に入っているの。あの子も反省したのね。それでキルの世話役のあなたに仕事を課します。といっても食事の世話が主よ。あとはキルの指示に従って頂戴」 「かしこまりました。独房はどちらにあるかお訊ねしてもよろしいでしょうか」 「大丈夫。カルトを案内につけます。カルト、お願いね」 「はい、お母様」 カルトはの手を引いて歩き出す。はキキョウに一礼するとそれに従った。 「良かった、キル兄さんもも戻ってきてくれて」 きゅ、と握る手の力を強めて言われた言葉に、はただただ心臓が握りつぶされる思いだった。 78. 独房にくるとカルトはから離れた。入っちゃいけないんだ、と残念そうに呟いて来た道を戻って行く。 「失礼します」 中に入るとピシィやらパシィやらいう物騒な効果音が聞こえてくる。無論言うまでもなくキルアが出て行く際に腹部を刺された兄、ミルキが(の予想では)仕返しもかねて鞭を振るっているのである。フコーフコーとしか形容のしようがない荒息を繰り返しつつを振り返る。 「なんだ、結構遅かったな」 「申し訳ございません」 「まあいいけど。じゃあ後は任せるぜ」 「かしこまりました」 一度キルアを振り返って「フン」と言うとミルキはドスドスという表現が本当に似合う足音を立てて独房から出て行った。特に悪い人ではないのだがと思うが弟に対する怒りはまだまだ払拭しきれないようである。 「……あーあ。ブタくん行っちゃった」 「キルア様。兄君に対しそのあだ名はどうかと」 「…………も敬語復活してるし」 「この敷地内にわたくしがいる限りはお諦めください」 お腹は空いておられますかと問うに対し「あんまり」とキルアが答えたので仕事が消えたはとりあえずその場に立ち尽くす。時々鎖が擦れる以外にこの部屋には音というものが基本的に存在しない。 キィキィと響く音はどこか物悲しげに。 「……後悔しておいでですか」 気付けば自然に言葉を紡いでいた。 back top next |