天球ディスターブ 6





分かってた、分かってたんだ。

達が発ったのはつい先ほどで、トゥーリバーまで実際にはそれなりの距離があるだろうということを。

分かっていたけれど――すっかり忘れていた。





ところ変わってここはトゥーリバーの宿屋の前。石畳が特徴的な町の中にはいる。

転移魔法で到着するまでは良かったが、如何せん目的の人物が着いていない。

は哀愁を背負って石畳にひれ伏し、宿屋に泊まろうとする人々を遠ざけていた。


「ふふふ…そうだよね…皆が出発してから一時間経ってないもんね…常識的に無理だよね……」


ゲームの中ではすぐに着いていたので、そういうものだと思い込んでしまっていた。

しかし常識的に考えて、そんなことが実際にあるわけないのだ。

傍から見ればいかにも「悲しみにくれる悲劇のヒロイン」といった形なのだが、どうにも場所が悪い。

過ぎ行く人はを奇妙なものでも見るかのように一瞥し、過ぎていく。

がそんな視線に気付いたのはそれから暫く経ってからだった。




「とりあえず一旦戻るしかなさそうだね」


立ち上がり、手や膝についた細かな砂を払い落とす。

不意に頭上に影が差した。

驚いて見上げると、羽の生えた――おそらくウイングボードの――少年が飛んでいくのが見えた。

服装などは一瞬しか見えなかったので宿星の誰かなのか確認は出来なかったが。

本当に飛んでる、と感心した後、は紋章に集中し、そして消えた。

もちろん、宿屋の陰に隠れた後で。











シュウはいつものように自室の机に向かって書類の山と格闘していた。

まだ出来立ての同盟軍ではあるのだが、それ故にいろいろと細かい作業が必要になる。

ふう、と一息ついてコーヒーの入ったカップに手を伸ばす。

そしてそのまま他愛もないことに考えを巡らせた。思考するのはもはや癖になってしまった。

それとも、いつでもどこでも何かを考えてしまうのは、軍師としての性なのだろうか。



至極穏やかな時間を送っていたシュウだったが、ここで異変が起きた。



シュンッ、ドサッ。



小さな風切り音と、次いで何かが落ちてくる音。

驚きに顔を上げれば机の上に書類まみれの誰かがいた。






――自分の部屋にテレポートするはずだったのに。


はばつの悪そうな顔を浮かべて眼前の人物を直視した。

目の前には軍師・シュウが青筋を立ててこちらを睨んでいる。


「えーと…」

「…何故ここへ転移した?お前は魔法は使えないんじゃないのか?」


弁解の言葉を遮って、シュウが青筋を立てたまま聞く。

は驚いたような表情で返答した。


「魔法が使えないなんて言ってないはずだけど」

「だがお前は、『自分は何も出来ない』と言っていただろう?」


険しい表情を崩さぬままシュウが問うた。

は「ああ」と納得した表情を浮かべる。


「私、戦闘…剣とか弓とか、そういうのは使えないから。戦争では役立たずの部類に入るでしょ?」

「では、魔法は使えるということだな。……瞬きの紋章か?」


ついには心中で舌打ちした。

転移したところを見られているので誤魔化しは利きそうにない。

瞬きの紋章はもちろんのこと、はこの天球の紋章以外何も宿していない。――来て早々にしくじった。

だが、シュウはそこらの人より口が堅いだろう。たとえ自分を疑ってはいても、ものの分別はわきまえている。

は意を決した。


「…天球の紋章。真の紋章を統べる紋章みたいで、大抵のことはできる」

「真の紋章を統べる……?そんな紋章が本当にあるのか?」

「あるらしいよ。ええと、例えば、ほら」


そう言っては窓に右手を伸ばす。途端に外は雨になり、しかし念じるとすぐに晴れた。

シュウが驚く。天候を変えるのはそうそう出来ることではないからだ。自分とて信じられない。

真の紋章は一つでも凄まじい力を持つと言われているうのに、ましてやそれを統べるなど。

しかもそれを宿すのがだ。自分がシュウの立場だったら現実逃避したくなるな、とは思う。


「あ、誰にも言わないでよ。

ハルモニアに追われるのはいやだし、何かこの紋章、世界を壊せるくらいの力があるらしいから。

壊れちゃったら、困るよね」


出来るだけあっけらかんとした声と表情で言おうと努力した。――しかし。

自分の言葉に怖くなる。実際のところにも天球の紋章がどれだけの力を持っているかなど分からないが。

今は、この世界へ来る途中で話された言葉を信じるしかなかった。


「……では、お前は本当にハイランド側ではないのだな」


は微かに首を傾げる。

今までの会話の流れからどうしてそう結論付けることが出来るのか分からなかった。

シュウはそんなの思考を見透かすように続けた。


「ハイランドに、ハルモニアと協定を結ぼうとする動きがある」

「!」

「また、これは情報源が定かでない噂にすぎないが、ハルモニアは真の紋章を集めていると聞いている。

もし二国が協力関係を持てばお前の危険度は相当なものになるだろう。まあ、灯台下暗しという手もあるが。

とりあえず導き出される結論は一つ。

ハルモニアの目がハイランドに向いている限り――ハイランドが存在する限り、お前は裏切らないだろう」


軍師の頭脳は伊達じゃない、は胸中で脱帽した。

何はともあれ誤解は解けた。こうしてみるとテレポートの失敗はとても大きな追加効果を見せたようだ。

ただ、それでもやはり他の人々の誤解を解くのは難しいだろうと考える。

一般の人は情報を持たない。シュウとて情報があったからこそ結論付けられたのだ。


「まあ、それでも一歩前進ではあるのかな」

「……何をブツブツ言っている。話は終わっていない」


トントンと指で机を叩き、シュウは言葉を続ける。


「俺がそんな便利な能力を見逃すとでも思っているのか」

「……ハルモニアに気付かれたら終わりなんですけど」

「終わりなのはお前の平穏であって軍ではない。

それに、なにも気付かれるくらいの大仕事をやってもらおうと考えているわけでもない」

「…どういうこと?」


シュウは人の悪い笑みを浮かべて言った。


「お前には軍師直属の諜報員になってもらう」






軍師直属の諜報員――言葉にすると聞こえはいいが、要するにシュウの小間使いのようなものだ。

に与えられた仕事は二つ。

一つ目は、軍主の現状を逐一軍師に報告すること。これは軍主が遠征に行った時が主となる。

二つ目は、軍主および軍師が命じる所用をこなすこと。天球の紋章の力を必要とする仕事がこれにあたる。



シュウは机の上に積まれている書類の一部を手に取ると、手を顎に当て暫く考えた後、言葉を発した。


「手始めに、達の状況を見てきてもらおうか」

「まだトゥーリバーには到着していません」


は先程見てきたことを簡潔すぎるほど簡潔に言う。

さして驚いた様子もなくシュウは考え込んだ。


「やはり到着はしていないか。それならば、まだ時間はある……」

「時間?何の」

「軍を編成する時間だ。…トゥーリーバーから無傷で帰ってこれるとは思えんからな」


ああ、とは短く答えた。

そして今回起こるであろうイベントを思い出す。どうやら自分には関係がないようだ。


「…関係ないね」


思わずそう漏らしてしまい、はっとして視線をシュウの方に向ける。怒られるだろうか。

しかし予想に反して、眼前の彼は悪戯を思いついたときの子供のような瞳でを見ていた。


「大抵のことは出来ると言っていたな。幻術も出来るということか?」


この後の展開が安易に予測されて、は心の中で溜息をついた。


「地図なら具現化したことがあるけど」

「ならば兵を具現化してもらおうか。この城はまだ空けるわけにはいかない。それから…」

「まだあるの?」


シュウはニヤリと笑って、


「移動の時間も惜しいんでな。時が来たらトゥーリバーまで転移で行くぞ」


と言った。











「そろそろ頃合か。行くぞ」


数日後の軍主執務室にて、シュウは威厳たっぷりに立ち上がるとそう言った。

ちなみに当初の目的であった食料は兵士への配給という形で解決した。自分は兵士扱いらしい。

はげんなりとした顔で苦笑する。

そして、ふと思い出したように口を開いた。


「言っとくけど兵の具現化なんてしたことないから。失敗しても文句は言ないでくれると嬉しいんだけど」

「失敗はそのまま敗北に繋がると思え」


即答され、は項垂れた。






シュン、という転移時独特の風切り音が耳に入る。

2人での転移は初めてだったが、どうやらうまくいったようだ。うまくトゥーリバー近くの林に転移できたらしい。

そう遠くないところにトゥーリバー市の門が見え、ハイランド兵と達が戦っているのが見える。


「出て行く?」

「……いや、まだだな。もう少し後だ」


今、とシュウは木の陰に隠れている。

同盟軍の正軍師がよもやこんなことをしているだろうとは誰も思わないであろう。

しばらくそうして門に目を向けていると、リドリーらしきコボルトが出てくるのが見えた。


「そろそろだな。準備しろ」

「出来るかどうかは微妙なところだけど…」


右手の紋章に意識を集中させると、途端に手の甲が淡く光る。

その光を見つめながらは兵を思い浮かべた。人間。同盟軍の鎧。武器。剣。槍。

林の一部に光が溢れ出て、それが治まったときには二人の後ろにはかなりの数の兵の姿があった。


「成功したようだな。もっとも、完全に成功というわけではなさそうだが」


現れた兵の武器は曖昧なものだった。使えないことはなさそうだが。


「結果オーライ」


は半ば投げやりに言った。聞こえてくる金属音に指先が震えた。






「そこまでだ」


シュウの声が辺りに響く。

途端に今まで戦闘をしていた人たちがこちらに振り向き、シュウの姿を見つけて驚く。

は兵達の影に隠れるようにして最後尾についていた。

見つかるわけにはいかなかった。ただ林の中に自分だけ隠れているのも嫌だった。

それはもしかしたら、この先を知っているが故の保身であるのかもしれなかった。


「キバ将軍、クラウス軍師。この状況があなた方にとってどういうものであるか、お解りでしょう」


キバと呼ばれた人物は顔を顰めて舌打ちをした。

隣にいる物腰の穏やかそうな青年も眉を一瞬潜めたが、すぐに冷静さを取り戻すとキバに何事か告げた。


「作戦は失敗か…退却だ!」


キバとクラウスは素早く身を翻し、兵達もとシュウの横を通り過ぎる形で退却していった。

は漂ってくる鉄臭い血の匂いに口と鼻を手で覆い、立っていることもできずに兵の後ろに座り込んでいた。

暫くしてシュウがのほうに近づいて、の頭に手を置いた。


「もう城に戻れ。後のことは任せてくれて良い」


それは彼なりの優しさだったのだろうか。しかしに考える余裕はない。

浅く頷くと、転移で城に戻った。


「無理をさせすぎたか……」


その呟きは風に溶け、誰にも届くことはなかった。











転移で自室に戻ったはベッドにうつ伏せに倒れこんだ。スプリングがギシ、と嫌な音を立てる。

うつ伏せの状態であるのだからなおさら吐き気は増すのだが、かといって仰向けになる気力もなかった。

吐き気がする。座り込んだ地面に見えた赤黒い血とその匂いが波になって襲ってくる。


「情けない」

――取り乱すなんて。



この世界に来たときから薄々気付いていたことがある。

今まで考えないようにしてきたのは、怖かったからなのだろうか。


――いつか人の「死」を直視することになるのだろうか。いずれ「死」に慣れてしまうのだろうか。


モンスターが跋扈するこの世界、自分も既に殺している。殺さなければ自分が死んでいたかもしれない。

殺さなければ、殺されることもある。自分は今、そんな世界にいる。しかも戦争の渦中に。

多くの命が失われるだろう。たくさんの死が溢れるだろう。

自分に耐えられるのだろうか?今までそんなこととは無縁の、ぬくぬくとした生活を送ってきていたのに。


「…無理、かもしれないねえ」


仰向けになり、自嘲じみた笑いを零す。


――逃げたい。


こんなところさっさと出て行って、どこか遠くの小さな村にひっそりと住みついて。

多分それが一番平穏な道なのに。


「ああ、もう。何であの子達は」

――優しいんだろう。





独りになりたくない。

知り合った人達の側にいたい。

たとえ疑われていても、優しくしてくれた彼らが変わらないなら。





振り切るようには思考を全て中断させ、意識を混沌へと沈める。







目を閉じる前に一瞬見えた空は、他の色の侵出を許さない深い青色をしていた。















---------------
2006.5.22加筆修正

back  top  next