天球ディスターブ 28





同盟軍本拠地に程近い丘の上に柔らかな光が見えた。

ルカ・ブライトと戦っているのだろうか。

はそんなことを思いながら、視線を正面に向けた。

漆黒の世界に松明の明かりがともる。

鎧を着た兵隊が見る間に布陣していく。

布陣し終えると中心を開けて道を作る。誰かが馬に乗ってその道から現れた。


「まさか本当に一人だとは思わなかったが」


レオン・シルバーバーグはそう言ってを一瞥した。


「ふん、まあいい。目的は勝利のみだ。手段は問わん。――アルベルト」


違う馬に子供が乗っている。見た所まだ10歳にも満たない。後ろに兵士が騎馬して支えている。


「はい、おじいさま」

「よく見ておけ、戦場を。お前はシルバーバーグを継ぐ人間だ。戦場を知り、戦術を知れ」

「分かりました」


は声を上げる。


「子供に戦場を見せるのは止めた方がいい。トラウマにでもなったら」

「小娘に口出しをされる謂れはない。それともお前は、自分が戦場に耐え得る人間だとでも思っているのか?」

「…!」

「昼間の戦争は見ていた。お前は何だ?一人前に最前線に出たと思ったら、右往左往するばかり」

「あれは…!」


嵌められたのだ、と言うことは躊躇われた。

理由はどうあれ自分は最前線にいたのだ。言い訳をしてはいけない。


「襲い来る敵兵をやっと殺したと思ったらただ狼狽する。何なのだ?あの無様な姿は」

「………」


唇を噛む。レオンからの侮辱とも言える言葉よりも、その前の言葉が胸にのしかかった。

殺した。やはり、自分はあの兵士を殺してしまったのだ。


「だが、解せんことがある。最後の魔法は、選り抜きの魔法兵が全力で放った複合魔法。

当然最前線にいた同盟軍の兵士は全て炭と化した。お前以外はな。――お前は、何者なのだ?」


はレオンを見る。その目はあたかも全てを見透かすかのようにそこに在る。

偽りを許さない目。その人生の中で培われてきた、その人間の本質を探る目。


「――異世界から来た」


初めて、この世界に生きる人間にそのことを告げた。何故だろう。レオンとは対等でいたかった。

おそらく自分は彼を尊敬しているのだ。奇襲のことも、やり方の正否はともかく軍師としては最良の判断。

彼は自分に手の内を明かした。それは自分の策に絶対の自信を持っているからだ。

たぶん、その自信に憧れた。

ならばこちらも明かそうではないかと思った。自分が持っている最大の歪みを明かそうと思った。

レオンは目を見開く。


「異世界だと…?…クッ、ハ…ハハハ…!」

「…?」

「そうか。そういうことか。ハハハ…成るほど。それならばお前が生きているのも頷ける」

「どういうことだ」

「お前は異世界…百万世界から来たのだろう。竜と同じように」


なおも笑みを堪えきれないままにレオンは続ける。


「竜がなぜあれほどに強大な力を持っているのか知っているか?

異世界から来た者は世界の違いによって歪をその身のうちに抱く。そのバランスの違いが力を生み出す」


紋章と対面したときの会話を思い出した。


『あなたは、異世界の人間です。この世界とのアンバランスが、強い魔力を生む』


ブライトのような『竜』も、そうであると。アンバランス故に力を持つのだと、この男は言うのか。

レオンを見ると、彼は未だにその表情に笑みを浮かべていた。


「ついでに教えてやろう。竜が『真の竜の紋章』によって『この世界で』生き永らえているように、異世界の者は、




―――自分の世界に二度と戻ることが出来ない」




「え…?」

「戻ることが出来ると言うのならば、竜はこの世界からとっくに消えているだろう。

まあ、竜洞の人間は、竜は死ねば魂が元の世界に還るなどという戯言を信じているようだが。

そんな事は有り得ん。死ねばそこで終わりだ」


レオンの声がやけに遠く感じられる。今、彼は何と言った。異世界の者は自分の世界に帰ることが出来ないと?

では、自分の家族とは。友達とは。17年間生きてきた街とは。――故郷とは、もう会えないと。


「総員、配置につけ」


笑みを打ち消し、レオンが兵に命令する。

罠だと気付いたときはもう遅かった。レオンの言葉に心を乱された。――心理的動揺を誘われた。

だが彼の言葉に偽りはないのだろう。だからこそ、は余計に動揺を隠せない。

前列の剣兵が後ろに下がり、弓兵が前に出て弓を番える。


「お前一人を相手にする必要はない。本拠地の方を叩けば良いのだ」


弓兵が火矢をキリキリと引く。

は動揺を払うように大きく息を吸い込む。そして右手を頭上に上げた。


「放て!!」


レオンの言葉と同時には紋章を発動させる。――城を守れ。

矢は本拠地に届くことなく落ちる。城をドーム上の薄い膜が包むのを誰もが見た。破れそうで決して破れない。

レオンはそれにいささか驚いたようだったが、すぐに策を打ち出した。


「ふん。お前を倒さねば本拠地も崩せんということか。…容赦はしない。総員、この小娘を――殺せ!!!」


動揺と目の前の兵士とで、は何も考えられなくなっていく自分を確かに感じた。






細身の剣を再び紋章で出し、は地に剣を突き刺す。

そして左手に宿る旋風の紋章を掲げ、言葉を紡ぐ。


「旋風の力を解放せよ。我が敵を切り裂け!」


風の刃が乱れ飛ぶ。兵の鎧を割り、兵自身を切り裂く。

辺りから悲鳴が上がる。血が大地を伝っていく。兵が倒れる。塵になることはない。に血の雨が降り注ぐ。

暖かく粘り気のある紅の液体がの頭を、顔を、服をマントを、足を、全身を覆っていく。

は烈火の紋章を発動させる。遠くで火の手が上がった。

ああ、何と。

何と紋章で人を殺すことの容易いことか。


「何故そんなにも同盟軍にこだわる?お前はここの人間ではないだろうに」


声が聞こえた。眼前にレオンがいる。

アルベルトの馬に騎馬している兵は魔法兵だったようで、彼らのいる所だけ光に覆われていた。

アルベルトはもはや顔面蒼白で唇を震わせながら、必死で手綱を握って耐えている。


「お前は何故、この世界に関与する?ここはお前の世界ではない。我々の世界だ。

――手を出される筋合いはない」


レオンは静かに、に告げる。

鈍器で頭を殴られたような衝撃が来た。





最も恐れていたことが現実になった。――この世界の人に拒絶された、根本から。

フリックに拒絶されても、城の人々に疎まれても、それは誤解から来たものであったから耐えられた。

しかしレオンは。彼は自分が異世界の人間だと分かった上で拒絶した。否定した。

やめろ。言わないで。それ以上私を拒絶しないで。


居場所を奪わないで。孤独は嫌だ。

この紋章を軍のために使うことでしか居場所を維持できない、脆弱な存在意義を――否定しないで。





「…っああぁああぁぁあ!!」


は頭を押さえる。痛い。痛い。頭が痛いのか胸が痛いのか分からないくらいに。

レオンとアルベルトはに背を向けて後ろに下がる。

兵は容赦なくに襲い掛かる。

は突き刺していた剣を抜き、兵士を見据えて―――兵士の喉元に剣を突き刺した。

それは意思ではなく、本能。生きようとする意志によって、は目の前の兵士を殺めた。

は目を見開く。兵士から血が噴水のように吹き出てを塗らした。


「嫌だ…」


殺したくない。殺したくない。相手を傷つけたくない。敵兵も味方も関係ない。誰も悲しませたくない。

そんな思いとは裏腹に、は襲い来る兵を次々と薙ぎ倒していった。

優しさゆえには苦しむ。泣くことも忘れて、ただ叫ぶ。普段からは想像もつかない動きで剣を振るう。

気がつけばの周りからは兵が消え、そのかわり足元に無数の骸が横たわっていた。

の間合いに決して踏み込もうとしない兵たちがを取り囲んでいる。

最初に紋章を使ったせいもあるのだろう、兵の数は極端に減っていた。


「そこまで」


レオンとも、アルベルトとも違う、青年の声が響く。

アルベルトの馬に乗っていた兵士が、アルベルトをレオンの馬に乗せ、単身での前に進み出た。

そしてどこからか札を取り出して呪を唱える。

蒼い光が広範囲に広がった。


「静かなる湖の札を発動させた。紋章は使えない」


兵士は頭を覆っている兜を取る。


「…久しぶり」


以前、グリンヒルで会った兵士だった。






グリンヒルの宿で会ったときはラウドの部下だと思っていた。

背中を切られた自分を、生きているとは知らなかったようで、丁重に弔ってくれようとした。

出来るものならばもう一度会いたいと思っていた。

――こんな形での再会は望んでいなかった。


「グリンヒル以来か?あの時は、君がこんなことをする子だとは思ってなかったな」


その言葉が胸を貫く。罪悪感が今頃になって来る。


「…仕方ないか。戦場だもんな。だけど、これ以上兵を殺されるわけにはいかないんだ。こっちとしても」


言うと、兵士は剣を抜き、に向けて構えた。

金色の髪が炎の色でオレンジに染まる。蒼い瞳は夜の暗さを帯びて一層の深みをたたえていた。


「一騎打ちだ。どちらかが死ぬまで」

「隊長!!!」


周りを囲む兵が声を荒げる。隊長と呼ばれた目の前の兵士はそれに真剣な表情で返した。


「総員、撤退して布陣しなおせ。――何があっても手を出すな」

「ですが、……っ!」


兵士たちは俯いて一様に唇を噛み、陣を敷き始めた。

目の前の兵はそれを見送るとに向き直る。


「さあ、はじめよう」


も剣を構えた。






最初に動いたのは兵士の方だった。

真上から振り下ろされた剣をは自分の剣を横にして防ぎ、斜めの方向に力を加えていなした。

しかし相手は本物の軍人だ。そう易々と体勢を崩すようなことはしない。

攻撃しては防ぎ、攻撃しては防ぎを繰り返す。

先に疲れ始めたのはだった。

兵士はその様子を見ると一気にの懐に入り込み、剣を繰り出した。

は寸でのところでそれを防ぐ。だが、はじき返せずにそのままギリギリと力の押し合いをする。

うまく意識が集中できず、紋章の力を加えて拮抗状態を保つのが精一杯だった。


「お前、守りたいものはあるか?」

「守りたい…もの…?」


息を切れさせながらは問い返す。兵士は続けた。


「俺には家族がある。父はいないが、祖母と母親と妹がいる。ハルモニアの出身だが、今はハイランドにいる」


兵は少し力を緩めた。それでも疲れているに跳ね返す力はなく、押し合いが続く。


「もしもハイランドが負けたら俺の家族はどうなると思う?俺は兵士だから殺されるか捕虜だな。それは別にいい。

だが、俺を失ったあとの家族は?――ハルモニアに返されるだろう。

一級市民だから生活に支障はないけれど、俺がいなくなれば確実に家は絶える。男は俺しかいないんだ。

祖母も母さんも妹より先に死んでしまう。そうなれば妹は?――独りだ。


……分かってる。この戦争の流れが同盟軍に向いていることくらい。

だけど、俺は諦めない。生きて家族を守る。そのために戦う。俺は、守るために戦う!」


兵士は力を抜く。

いきなりのことにバランスを崩したに容赦なく剣を振るう。


「…っ!!」


左腕に鋭い痛みが走る。

二の腕を切られたようで、その部分から血が止め処なくあふれ出してくる。

兵士は手加減を止めた。は受けることは出来ても、もはや防ぐことは出来なくなっていた。

体に傷が増えていく。足に、腕に、頬に。


「お前は、何のために今ここにいて、何のために戦ってるのか分かってるのか!?

何千もの兵の命を、お前は奪ってるんだ!そうまでして手を血で染める理由は何だ!!?」


兵士は剣をに突き出す。

避けることもかなわず、の腹部に剣が突き刺さった。


「―――つ…ぁ……!!」


叫びを上げることすら忘れてしまうほどの痛み。

はとうとう、地にへたりこんだ。立とうとするが、足が痙攣している。慣れない運動量をこなしたせいだ。

兵士は剣を真上に振り上げる。

はただ、それを見ていた。





自分は何のために戦っているのだろうか。

守りたいから?それなら何を守りたい?温かい人たちを?――何かが違う。

何故私はここにいるのだろう。守りたいから?――やっぱり何かが違う。うまく言えないけれど。

ここは私の世界ではないのに。この世界の人にとって、余所者の自分が関与するのは不快でしかないのに。

居場所を守りたいから。――そうだ。独りは嫌だ。居場所を守りたい。もう、自分の世界には帰れないから。

だが、本当にそれだけなのか?本当に?

何か見落としている気がする。大事な何かに気付いていない。

何だ?何なのだ?あたしの居場所。



      『何故、あの城を居場所に決めた?』



―――ああ、そうか。私は―――





ドス、という重い手ごたえを感じた。

兵士は振り上げた手を下ろそうとしない。彼の心臓にの細身の剣が突き刺さっていた。

肋骨の手ごたえがなかったのは、細い剣が肋骨の隙間をぬったからだろう。

兵士は崩れ落ち、地に膝を着いた。は軋む体を動かし、兵を支える。刺された腹から血が流れた。


「……はは…負けちゃったな…」

「………あんまり喋ったら血が…」

「…見つけたんだろ?戦う理由。聞かせて…っ…くれ…ないか…?」


兵士はの肩に手を置き、ぐっと力を入れての顔を正面から見た。胸の傷は剣が蓋になっている。


「…………私は、守るために戦う。たとえ他の命を奪っても、あたしの手が血で汚れても」


ルックや、――自分に優しくしてくれた人々の顔が浮かんだ。



「…大切な人ができた。優しくしてくれた人がいた。

私の手が汚れることなど構わない。――その人たちを失うことに比べれば!!」



レオンの言葉がよみがえる。異世界の者は、自分の世界にはもう帰れない。

――死ぬことによってでしか。










「命も罪も全部背負ってみせる。……私は、失わないために戦う!!!」










兵士は笑った。


「そうか…」


馬の足音が聞こえる。それはだんだん近づいてきて、たちのそばで止まった。兵士は苦笑する。


「すみません…レオン軍師。負けて…しまいました…」

「………」

「っ…撤、退…させてください…。我々は…この少女には勝てません」

「……ご苦労だった」

「はい…」


馬の背からアルベルトが飛び降り、地に広がる死体を懸命に避け、泣きながら兵士のそばに寄った。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「…アルベルト……」

「ねえ、お兄ちゃん、死なないよね?約束したよね?帰ったら、僕とシーザーと遊んでくれるって……っ」

「……そうだな、約束…だったな」

「シーザーね、最近よく喋るんだよ。まだ、あんまりうまくないけど…。『お兄ちゃん』って覚えたんだよ」

「…そっか……」

「ねえ、遊ぼうよ。お兄ちゃん。死んじゃ……やだよ…………っ!」


アルベルトの目から大粒の涙がこぼれる。

兵士は苦笑しながら、あやすように幼子の頭をなでる。


「ごめんな、アルベルト。今度は、お前が兄ちゃんだ。シーザーを…守れよ」

「お、兄ちゃ……」


兵士はのほうを向く。

は兵士の傷を治そうと右手をかざす。だが、紋章は発動しない。札の魔法の効果が今も続いている。

ズキ、と腹部が痛んで手で押さえると、溢れた血が指と指の間から流れた。


「いいよ…お前の腹の傷が開くだけだ。……なあ、頼みがあるんだけど、いいか?」

「頼み…?」


兵士はの右手を取り、家紋らしき紋章のついたペンダントを落とした。


「これ、俺の家族に届けてほしいんだ。今は、ルルノイエに…っ…いる…から…」


は頷いた。この兵士の頼みは何でも聞きたかった。

兵士は微笑むと、胸に刺さった剣を勢いよく引き抜いた。

そして、血が噴出す前に、を―――抱きしめた。


「アルベルトに血は見せたくないしな…。それに、お前のこと…結構、気に入ってたよ」


に兵士の表情は見えない。

抱きしめられて、あちこちの傷が酷く痛んで意識が飛びそうになったが、押し退けることだけはしたくなかった。

の体に温かいものが降り注ぐ。

ホウ、と右手に淡い光が戻った。

は兵士の背中に腕を回して言葉を宙に放つ。


――願わくば、この兵士の魂が安らかに眠れるよう。


レオン・シルバーバーグは布陣している兵に向かって言い放った。




「全軍、撤退せよ!!!」




堪えきれなくなった涙が兵士の肩に落ちた。はこの世界で――初めて、泣いた。










全ての傷から血が流れ落ちる。

は最後の力を振り絞って兵士の亡骸を横たえた。

ガクガクと痙攣して言うことを聞かない足を叱咤して立ち上がる。

ズキン、と腹の傷が悲鳴を上げた。


――見渡す限りの骸。くすぶる煙。


これは全て自分がやったことだ。

もう、逃げない。全て受け止めてみせる。それは、とてもとても痛くて苦しいことだけれど。


足の力が抜けて、は地に伏した。

誰かの足が見えた。


「部屋にテレポートするかい?それとも医務室に?」


部屋、とは応えた。医務室はルカとの戦いで負傷した人たちが多くいる。

一瞬にして景色が変わり、見慣れた天井をは眺めた。

ベッドに落ちた衝撃で腹の傷から血が勢いよくあふれ出して、シーツを赤く染めていた。

カリカリカリ、と何かを引っかくような音が聞こえる。


「シロが人を呼んできてる。あの犬は何かを感じてたんだろうね。いつも気付かれないように君の傍にいたよ」

「兵士たちを…弔わないと…」

「今は無理だよ。その傷じゃ。兵士たちは僕が幻術をかけて隠しておくから、癒えたら弔うんだ。

君が張った結界のおかげで誰も君の戦争に気がつかなかった」

「そっか…」


は声の主を見た。

血を流しすぎたのか、目は霞んでいたが、そんな奇抜な色の服を着た知り合いは一人しかいなかった。


「ありがとう、ピエロ」


ピエロはに覆いかぶさって、


「今は休んで。君は傷つきすぎた。……おやすみ」


消えた。





そこから、の記憶はない。















----------------
2004.9.23
2006.9.13加筆修正

back  top  next