天球ディスターブ 26 





微かに息を吐く。

の口調はどこか軽い。それが本心を見せまいとするからなのか本当に軽いのかには分からない。

彼は続ける。


「同盟軍に参加したのにはちょっとした理由があるんだ」

「理由?」

「旅をしていると、いろいろな噂が耳に入ってね。ウィンディ…僕が倒した人なんだけど、彼女の噂とか。

それから、ハルモニアの神官長ヒクサクの噂も」

「ヒクサク…」

「彼が紋章狩りをしているってことは、ウィンディの話からも知っていた。

だけど僕は彼が何故狩るのか分からない。

国を強大にするためだとか、推測は可能なんだけど。――僕は真実が知りたい」


視線は揺ぎ無い。揺るがない。

それは彼自身の生き様を表しているようにには思えた。




「僕が関わってきた戦争の裏にはヒクサクがいた。ウィンディが復讐したかったのはヒクサクだ。

戦争には常に彼の影がある。――だから僕は、自分から戦争の渦に飛び込む。真実を知りたいから」




そう言うとベンチに座り、の方を向く。


「それに、には是非ハッピーエンドで終えてほしいし、ね」


は頷いた。


「うん。私もそう思う」

「ありがとう」


は微笑んだ。

会話はそこで打ち切りになり、は笑顔に戻ったが、迷いが晴れたわけではなさそうだった。

焦ってはいけない、とは思う。

彼が心を開いてくれるくらいに親しくなりたい。

単なる『切欠の説明』ではなく、そのままの感情を吐露して欲しい。

大きな恩がある彼だから、迷いが晴れるのなら自分は出来る限りのことをしよう。



その夜、夕食にシチューが出ることはなかったが、それを補う人々の優しさがそこにはあった。








カスミとバレリアの両将軍を同盟軍に迎え入れ、たちはまた山道を通ることになった。

「またたきの手鏡」をレパントより賜ってはいるのだが、故郷に寄ってくれないかとカスミが申し出たのだ。

特訓中のシーナに変わって帰りはカスミが先導するらしい。

その目が常にカイを見ていることをは知っている。

バレリアは援軍の編成を終えて、兵を率いて後日同盟軍入りするのだとルックが言っていた。


「ここが私の故郷、ロッカクの里です」


里の入り口に来て、カスミが笑顔で言った。

パーティーメンバーは物珍しそうに里を見て回る。

にとっても里は珍しいものだったので、のんびりと見学することにした。

里はひっそりとしており、瓦屋根の日本家屋にも似た家が軒を連ねている。何処か懐かしかった。

忍者たちはどこかで修行でもしているのだろうが、唯一、武道場らしき建物から活気ある声が漏れていた。

歩き続けると、どうやら自分は里の奥に来てしまったらしく、ひときわ大きな建物がその存在を主張していた。


「誰だ?」


その建物の門のところにいる少年が訝しそうにを見た。


「……同盟軍です」


何と答えたものか少々迷いつつ、返答をする。


「同盟軍が何のようだ?」

「カスミさんが里に寄りたいと言って、それで」

「カスミさんが帰ってるのか!?」

「はい」

「っしゃあ!」


少年は瞳を輝かせ、手で何かの形を作ったかと思うと、一瞬で消えてしまった。

何が起こったのか分からず、は暫しその場に立ち竦む。

しかし、建物から人が出てきたので慌てて姿勢を正した。


「サスケはカスミのところに行ったようだな」

「サスケ…?ああ、さっきの少年ですか。はい、行きました」


少年はサスケだったらしい。

思い出してみると、服装などが似ていたような気がする。


「全く…、まだ今日の修行が半分も終わっておらぬというのに。まあ、カスミが帰郷したのでは仕方がないか」

「恋する少年ですね」

「はっはっは!あれは恋とは呼べん。単なる憧れだ。恋と呼ぶには、ちと幼すぎるな」

「まあ、思春期はそんなもんです。たぶん」


改めて声の主を見る。

和風の、いわゆる忍者の服を着ていて、ひげが生えている。上背はかなりある。

男性はの視線に気付き、豪快に笑った。


「カスミが帰ってきたのなら、挨拶に来るだろうな。

ここで会ったのも何かの縁だ。茶を入れるのを手伝ってくれ」






男性――モンドに連れられて建物の中に入る。

入り口を入ったら道場になっていて、その横の部屋が台所になっている。

裏に母屋があるそうだ。

急須に茶葉という、なんとも和風の茶器に懐かしさを覚える。


「ああ、緑茶ってのはここら辺じゃ珍しいらしいな。淹れられるか?」

「大丈夫です」


かまどにお湯は沸いているので、オタマのようなもので湯をすくって急須に入れなければならない。

一通りのレクチャーを受けたところで、「ごめんください」と言う声が聞こえた。


「来たようだな。じゃあ、茶の方は頼む。盆はそこの棚にあるものを使ってくれ」

「はい」


モンドが道場に行く。

は棚から湯飲みと盆を出し、急須に茶葉を入れ、湯を注いだ。

正しいお茶の淹れ方など知らないので適当だ。

カスミとバレリア、そしてサスケと自分の分を含め、10人分の茶を淹れる。

盆がとても重くなった。

道場と台所を仕切っている引き戸の前に盆を下ろし、自分も床に膝をついて戸を引く。

モンドとの話にあまり集中していなかったらしいとルックがを見て驚いた。


、ここにいたんだ。探したよ」


が笑って茶を受け取りながら言った。


「フラフラ歩き回るのは止めなよ。探すコッチはいい迷惑なんだから」

「う、ごめん」

「ってことはルック、を探したんだ?」


が茶々を入れる。

ルックの顔がかすかに赤くなった。


「な…!?何言っ……!」

「あはは。いやー、若いねー」

「同い年だろ!」

「気にしない、気にしない。……でも」


ス、と真顔になったが声のトーンを落とす。


「だめだよ?」

「……珍しいね。アンタがそういうこと言うなんて」

「今回はね」


一人話題についていけていないは二人の会話を傍聴していた。

だがとて鈍いわけではない。会話の意味は十分に分かっている。

分かっているのだが、この流れをそういう方向に――いわゆる、『恋話』ととって良いものかは判断しかねる。

ルックにとっては知り合ってあまり間が経っていない人物だし、にしてもそうだ。

恋愛と取ることはたやすく、そして嬉しいことなのだが、期待が裏目に出ることが怖い。

考え抜いた末、2人が自分に意見を求める風ではなかったのでは聞き流すことにした。

茶を配っていく。


「――では、里から数名を同盟軍に貸すとしよう。サスケ、お前も行くがいい」

「いいんですか!?」

「ああ。ワシも支度をして向かおう。よいな、カスミ」

「はい。ありがとうございます」


皆が帰り支度を始める。

は空になった湯飲みを回収して、台所に持っていこうとする。

それをモンドが制した。


「お前も仲間と共に行くといい。助かった。礼を言う」

「いや、なかなか懐かしいことをさせてもらいました」

「……?まあいい。さあ、行け」

「はい」


は走ってパーティーメンバーの元へと向かった。

ルックとが立ち止まって待ってくれ、が振り返って笑みを向けてくれたことがとても嬉しかった。






まばたきの手鏡で帰ろうという提案を、が「何かいやな予感がする」と言って却下した。

果たして、それは的中する。


「…何だって!?」


ビクトールがバナーの村に迎えに来たリドリーに叫ぶ。

フリックも信じられないといった様子で聞き返す。


「それは本当なのか、リドリー」

「ええ。王国軍がハルモニアの援軍を加えて侵攻してきています。殿、早くお戻りください」

「……分かった」


普段の笑顔を消したが頷く。

今度はまばたきの手鏡を使い、本拠地に帰還する。リドリーたちも一緒だ。

は本拠地に着くと、すぐに大広間に向かった。

たちもそれに続く。

広間ではシュウやアップル、それにテレーズ達が真剣な面持ちで話し合っていた。


「シュウ」

殿。お戻りになられましたか。リドリーから話は聞いていると思いますが」

「ルカ・ブライトが侵攻していると聞いたけれど」

「その通りです。兵力はこちらのおよそ2倍です」

「2倍だと!?」


ビクトールが声を荒げる。

シュウはそれに頷いて、そして告げる。


「ああ。到底かなう数ではない。…しかし、そのために俺がいるんだ。信頼してもらおう。

それより、皆は今日は休んでほしい。――明日には策を用意しておく」


大広間にいた人々はその言葉に一瞬眉をひそめ、やがて納得したのか、広間から出て行った。

はシュウを見る。

シュウはに近づき、すれ違う際に小さな声で指示を出した。


「お前も休んでおけ。……明日、殿の護衛を――頼む」

「了解」












夜の静寂が城を支配する。

は自室の、カーテンもガラスも何もない窓から、その光景を眺めていた。

字が読めない身ではあるが雰囲気だけでも楽しんでおこうかと本に手を出したとき、部屋にノックが響いた。


「どうぞ」


キィ、と木の軋む音がしてドアが開く。

がひょこ、と顔を出した。


「あの…入っても、いいですか?」

「いいよ」

「……失礼します」


光源がランプしかない部屋だが、相手の表情を読み取るには十分な明るさだ。

はその表情に不安の色を浮かべていた。


「どうしたの?」

「ええと、その……。眠れ、なくて」

「そうだね。明日だからね」

「はい。いろいろと考えてしまって」

「いろいろ?」


は立ったままのに椅子を勧める。

自分はベッドに座るつもりだ。

は少しとまどう素振りを見せ、椅子に座った。


「………」

「………」


お互いに無言になる。

沈黙は刺すように痛かったが、急かしてはいけないと思い、耐える。

おそらくのところに来たのは、が表面上は同盟軍と単なる難民の中間に位置するからだ。

同盟軍の誰にも言えず、期待を寄せる難民にも言えないことは、中間に位置する者にのみ言える場合がある。

口を開いては閉じる動作を何回か繰り返して、は言葉を発した。


「僕は、リーダーには向いてないと思うんです」

「何で?」

「フリックさんやビクトールさんみたいに強いわけでもないし、シュウのように策を考えられるわけでもないし、

ルックほど魔法を使えないし、さんのように…統率力があるわけでもないから……」

「………」

「明日、ルカが攻めてくるって聞いて、突然体が重くなったようで……。こんな僕がリーダーなわけがない」


は額に両手を当てて、俯いた。




「……命を背負うことが怖いんです。僕のせいで、たくさんの命が失われていくのが辛いんです」




は必死で言葉を整理する。

が今、どんな言葉を必要としているかなど、分からない。

ただ、自分の思っていることを率直に言うのはあまりにも無責任すぎる気がした。

言いたいことを整理しながら、少しずつそれを言葉にしていく。


「別に、強くなくても、策が考えられなくても、魔法が使えなくても、統率力がなくても、はリーダーだよ」


俯いたままのに、言葉は届いているだろうか。


「人を惹きつけられる。それがリーダーの資質なんだと思う」


に手を伸ばしかけて、触れる寸前で手を止める。

触れていいものか戸惑ったが、の手に自分の手を重ねた。


「リーダーは確かに重い責任を背負うけど、辛いときは、言ってくれて構わないから。だから」


そこから先が続かない。

だから。だから、何だと言うのだろう。




「命を背負うのが辛いって言うのなら、僕も背負ってあげるよ」




ドアのところから声が聞こえた。

はその言葉にハッと顔を上げ、ドアに目をやる。も視線をドアに向けた。

とルックが立っていた。

が言葉を紡ぐ。


「軽はずみに命を背負うのはあまり褒められることじゃないけど。どうしても辛いって言うのなら、ね」

…さん……」

「でも、これだけは覚えておいて。君が望もうと望むまいと、この軍は君を中心に動く。

兵の期待も、未来も、何もかもが君自身なんだ。それは変えようがない」

「……はい」

「ただ、勘違いしちゃいけないのは、この軍は君の剣であり、盾であるということだ。

兵は君の手足となって敵を討つけれど、同時に君を守る存在でもある」


が小さく息を呑んだ。


「君は命を背負うけれど、命を守って君が死ぬことは許されない。戦争はどちらかが負けるまで止まらない。

友人を失って、親を失って、盾となった人々を失って、それでも全ては動き続ける。……でも」


はそこで一息おいて、そして続けた。


「辛いときはそれを言葉にしていい。少しの間、戦争から目を背けていい。僕らはそのためにいるのだから」


ふう、とため息が聞こえた。ルックだ。


「まあ、僕も魔法兵団長なんてやってるからね。少しは足止めもできるさ。

……たまには逃げるのも必要じゃないか?」


はその言葉に目を少し見開き、俯いて握った手をを膝に押し付けた。

洋服に水滴が落ちてしみをつくる。

の頭に手をのせた。

いつもシュウがしてくれるように、ポンポンと頭をたたき、なでる。

がその光景を見て微笑んだ。






「…さて。いつまでもしんみり、っていうのも何だし、今日はパーっといこうか!」

「明日は戦争なんだけど」

「ルックもどうせ眠れないんだろ?じゃあ起きてたって一緒だよ。はい、これ」


そう言ってはビンをルックに渡す。


「な…!酒飲ませるつもり!?」

「大丈夫、大丈夫。本当に弱いものだから。も飲むだろ?」

「はい!飲み比べです、さん!」

「お、いいねえ!は?ジュースもあるけど」

「じゃあジュース飲む」


すっかり元通り、というわけにはいかないが、なにかしら回復したを見て嬉しくなる。

はこれまたどこからかグラスを取り出して皆に渡す。

は喜々として、ルックはしぶしぶながらもそれを受け取った。

が音頭を取る。


「さあ!それでは、明日の勝利を願って!乾杯!」






明日への不安を紛らすかのように飲む。はつまみも持ってきていたらしい。

は内心複雑な気持ちで笑う。

責任とは何なのか。責任とは背負うものである。それは分かっている。

責任とは逃げることができるものである。それも知っている。

だが、投げ出した責任は、自分ではない誰かのもとへ行くのだ。



これまで「守りたい」と言えなかったのは、その言葉を発した瞬間に命を背負う責任が生まれるからだった。

自分は逃げている。――そんなの百も承知だ。

だが、目の前の3人を見ていると、それが揺らいでしまう。

責任を背負うことも厭わずに言ってしまいそうになる。

責任を取る自信など何処にもないのに。








自分は、この時間を、この楽しい空間を、この温かい人達を



―――守りたいと。








は瞑目した。















---------------
2004.9.8
2006.9.13加筆修正

back  top  next