天球ディスターブ 24





紋章が呼応する。

の右手を掴んでいる彼の手の真の土の紋章が淡く光り、の手の甲もまた熱を持つ。

不自然な熱は不快感を呼び、手を振り払いたい衝動が足元から頭を通り抜けた。


「答えてください」


静かな少年の声が響く。

なおも沸き起こる不快感に冷や汗が生まれる。


「離してください」


かなり切羽詰った声だと自分でも分かった。


「答えたら離します」

「答えるから離してください」


その言葉に、ササライはゆっくりと手を離した。

は不意になくなった不快感に安堵したのか、膝の力が抜けて床にへたり込んだ。

息が荒い。



ササライがしゃがみこんでと目線を合わせる。


「…すみません。思った以上に負担をかけてしまいましたね」


眉を心配している形に変えて、そんな泣き出しそうな顔を、―――『彼』と同じ顔でされたら。


「いいえ」


何故だかとてつもない違和感がして、許すしかなくなった。






「真の、天球の紋章…?」

「はい」

「聞いたことがないのですが…」

「厳密に言うと真の紋章ではないそうですから。多少力が強いだけで。

『真の』というのは単に『強い力』という意味で用いられていると考えていいと思います」

「はあ…」


少しの戸惑いも見せずにササライは備え付けのティーセットで紅茶をいれ、に勧め、話すように促した。

そうして話したに対する彼の反応はやはり困惑に満ちていたが、にとって、これは賭けであった。

彼はハルモニアの人間である。真の紋章狩りのターゲットに自分が入れられてもおかしくはないのだ。

「多少力が強い」レベルでないことは十も承知、要は真の紋章と同格だと見られなければいいのだ。

逃げ出すことはできた。だが、したくない。

悲しいかな、自分はササライも嫌いではない。――キャラとして。


「つまり、あなたの紋章は真の紋章じゃないということですね?」


今まで考え込んでいる風だったササライが顔を上げて言う。

最後通告をされているような奇妙な圧迫感をは感じた。


「はい」


相手の目を見て、しっかりと。

この紋章について包み隠さず言おうものなら、きっと自分は捕らえられ、紋章を奪われる。

だが、この紋章は本当に真の紋章ではないのだ。――それ以上の力を持ってはいるが。

嘘はついていない。


「――そうですか」

「真の紋章に何かあるんですか?」

「……いえ」


内心で笑んだ。






「ああ、そうだ。さんとお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「いいですよ。ついでに敬語も結構です」

「じゃあ、さんも敬語はなくしてください」

「はい。いや、うん」


ササライはクスリと笑み、の左手に目を落とした。


「他にも紋章を宿しているのですね。左手は…旋風の紋章ですか?」

「敬語はいりませんよ」

「あはは、さんこそ。私のは癖ですね、もうこれは。見逃してください。あ、額は烈火ですね」


ササライと話していると、敬語でなければ駄目だという気分にさせられてしまう。

彼の雰囲気がそうさせるのかもしれない。

そんなことより、紋章とはそんなに目立つものなのだろうかとは思う。

思わず額に手をやると、ササライはまた笑った。


「よほど魔力が低くない限り、薄っすらと見えるものなんです。発動時にはもっとはっきり見えますよ」

「そうなんですか」

「ええ。…目立つのがお好きでないのなら、手袋やサークレットをするという手もありますよ?」

「いえ、そこまでして隠すようなものでもないですし。使えませんから」


その言葉にササライは多少驚いたようだった。

は苦笑する。


「使えないのに宿しているんですか?」

「いつか教わろうとは思っているのですけど」


ササライはの左手をじっと見つめ、そして言った。


「では、私が教えましょうか?」


突然の申し出に、今度はが驚く。

ササライはジョウイの部屋を見回し、本棚を見つけると、配列された本の中から一冊を取り出してきた。


「実は王族の婚儀の間、どうやって暇を潰そうか考えていたんです。あ、私に教わるのは嫌でしょうか」

「いえ、是非」

「そうですか。よかった」


ササライは本に目を落としながらはにかんで笑った。

その表情を、かの無愛想な魔術師とかぶらせて噴出しそうになったことは、墓の下まで持っていこう。






「じゃあまず、魔力のコントロール…は大丈夫みたいですね。天球の紋章を使えているのなら」

「さっぱりです」

「え?えーと、それはつまり…コントロールは出来ない、ということですか?」

「多分」

「じゃあ、魔法を使う際は常に魔力を放出しているということなのでしょうか……。

でもそうすると貴女はかなりの魔力の持ち主だということに」

「魔力は人並み以上らしいです」

「…なるほど」


ササライはパラパラとページをめくり、なにやら太い文字の羅列があるページを開いてテーブルに置いた。


「魔法は一朝一夕で使えるものではありませんが、

ある程度魔力があってコントロールできる者ならば、呪文を言えば魔法は発動します」


そんなものなのだろうか。


「上級者になると呪文を言わなくても精神を集中させるだけで発動させることが可能です。

こっちのほうが詠唱が無い分発動も早く、リスクも少ない」

「リスクが少ない?」

「はい。危険な場面で使う魔法が相手に知られるのは安全とは言えませんから」


とりあえず、とササライは一呼吸置いて、ページ上の太い文字で書かれている部分を指差す。


「旋風の紋章の呪文はこれです。威力がほしいなら長めのものもありますが、覚えるのが大変です。

呪文はいわば精神統一をするための手助けのようなものですから。長い分、より集中できるというわけですね。

烈火の紋章はこれで…」

「あの」


は手を前に出して静止を呼びかける。

頭にクエスチョンマークをつけていそうなササライが首を傾げた。


「字が読めないんです」

「え。ああ、そうだったんですか、すみません。では言いますので、覚えてくださいね」


この世界の人は、文字が読めないからといって変な顔をするようなことはしない。

それが今は嬉しく感じられた。






ササライから一通り全てのレベルの呪文を教えてもらう。

それを何とか頭に詰め込ませたところで、婚儀が終わったとの報告を受けた。

ジョウイの部屋に神官将と部外者がいたので、さぞベッドメイキングのメイドは困ったことだろう。


「それでは、私は自室に戻ります」

「はい。ありがとうございました」

「いえ。またいつかお会いできることを楽しみにしています。

そのときまでに頑張って敬語をなおしますので」


さんも敬語をなくしてくださいね。そう言ってにっこりと微笑み、ササライは部屋を後にした。

それを見送ったも、最後に城内の探検でもして帰ろうかと、ドアをくぐった。











絨毯が敷いてある廊下には足音があまり響かない。

タシタシという音はしても、カツンカツンという音はしないのだ。

すれ違う人も少ない。

きっと、婚儀の片付けやら何やらで忙しいのだろう。


「あ、ジョウイに挨拶してない」


気付くが、現在自分が城のどこにいるかも分からない状況では、すでに後の祭りだった。






「……が……であり、ここは………」


前方に、廊下が終わって開けた場所がある。小広間のドアが完全に開いているのだ。

そこには幾人かの大人達が集まってテーブルを囲み、何かを話していた。

は不審に思い、近くの柱に身を隠す。


「……では、ルカ様の夜襲の後、間髪をいれずに奇襲をかける、と。そういうことでよろしいので?」

「無論、夜襲が成功すれば奇襲は必要ない。だが、万が一の場合もある」

「夜襲で疲れきった同盟軍を奇襲で叩くと。中々えげつないことをおっしゃる」

「勝った者が正義だ。えげつないというのならこの戦争そのものがそうだろう」

「……おっしゃるとおりで」


夜襲、奇襲、疲れきった同盟軍。

どういうことだ。

夜襲は知っているが、奇襲など知らない。

はワンピースを握り締める。


「展開は話した通りだ。手はず通りに頼むぞ」

「承知いたしました」


カツカツと、絨毯の惹かれていない階段を上がる音が聞こえる。

音は次第に遠くなっていった。


「……さて」


低い、先程まで何かを指示していた男の声が聞こえた。


「隠れていても何にもならんだろう。出てきたらどうだ」


ばれている。

は意を決して、壁の影から出た。


「ほう。小娘だったとはな。同盟軍の者か?」


確かには同盟軍であるし、隠してもこの男には見破られてしまいそうな気がして、正直に頷く。

目の前の男は笑みを深くした。

茶色のコートに灰色のマフラー、威厳という言葉が良く似合う。


「レオン・シルバーバーグ殿ですね」


男は笑みを深くした。


「どこから聞いていた?」

「奇襲をかけるところから」

「ふむ。一番重要な部分を聞かれてしまったというわけか。軍師に報告でもするか?無駄だろうがな」

「どういうことですか」


男――名前は言わないが、おそらくレオンであっているだろう――はさらに笑んで言う。


「貴様のような小娘に、何の力がある?」

「!」

「同盟軍が貴様をスパイとして使ったように、こちらも当然、同盟軍にスパイを送り込んだ。

その容貌、間違い無いな。――随分と嫌われているそうではないか」

「誤解されているだけです」

「『ハイランドの人間である』、か。証明する術はないのだろう?」

「それは」


思わず口ごもってしまったに、レオンは追い討ちをかける。


「お前の進言を受けるわけにはいかんのだ。たとえそれが真実だとしてもな。

軍師の小僧がお前のことを目にかけているらしいが、それだって内心では何を考えているのやら。

危険なお前を手元において見張っているのかもしれんぞ」

「シュウはそんなこと」

「しない、と言いきれるか?相手の心が読めるわけでもあるまいに」

「………」


レオンはそばにある机上の地図をさっと眺め、に向き直った。


「貴様の聞いた情報はくれてやろう。同盟軍はルカの夜襲に兵を割けても、奇襲にまでは手が回らない」


は地図を睨む。

そして、レオンを見据えた。


「防ぐ。同盟軍の兵は割かない。防いでみせる」

「どうするつもりだ?特攻でもするか」


ぎり、と唇を噛む。

悔しい。目の前の男にここまで言われることが。


「ルカの夜襲には軍のベストメンバーで臨ませてもらう。奇襲は、私が防ぐ」

「……思った以上に理解力が乏しいようだ。もう一度言おう。小娘に何が出来るというのだ」


は左手を前に出す。

そして、言葉を紡いだ。


「旋風の力を解放せよ。――切り裂き」


ゴウ、と風が刃をなし、レオンに向かうのが見えた。

はそれを見つめ、思う。


――レオンにはあたるな。地図に。


刃はレオンをすり抜けて、彼の後ろの地図を引きちぎった。


「……紋章遣いか」


この場にいたくなかった。

また、レオンに何かを言われるのではないかと思うと、怖くなった。

は踵を返す。

レオンが声をかけた。


「その呪文、一朝一夕の魔法だろうが――楽しめそうだな。期待している。せいぜい頑張ってくれ」


は振り返らずに、言葉を投げつけた。


「そちらも、足元をすくわれないようお気をつけください」


右手がの感情に答えるように熱を持った。












転移で直接軍師の部屋に赴き、は結果の報告をした。

金色の狼の檻、ジョウイの結婚。

夜襲のことはそのうち誰かが報告するだろう。

奇襲のことは、どうしても告げることができなかった。

告げればシュウは夜襲に割く兵を減らすだろう。それではルカに敵わない。





自室に戻ったは、ベッドに仰向けに横たわり、天井を睨みつける。


「奇襲なんかさせない」


本拠地に兵が来る前に防いでみせる。


「同盟軍を崩落させたりしない」


ここにはあまりいい思い出がないけれど。

それでも、やルックややシュウ、それにヨシノとヒルダがいるから。


「防いでみせる」







守ってみせるとは、どうしても言えなかった。















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2004.8.8
2006.8.10加筆修正

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