天球ディスターブ 11





重大なミスを犯してしまった。

こればかりはどうすることもできない。

は目の前のたちを草葉の陰から見つめて呟いた。


「……気まずい」


そう。

そうなのだ。

この際、食料も水も持ってきていないとかそういえば自分は表向き一般人だったとか、

そんなことはどうでも良い。脇に置いておく。

そして実際は気まずいどころではなく、純粋に「会いたくない」。

暫く時間が経っていればあるいは「強くなった。もう足手まといじゃない」とか何とか弁解も言えて

姿を現すこともできるのだろうが、如何せん一日と経っていない今はそんなことが言えるはずもない。

は、草むらに腰を下ろして溜息をつく。


――行動が相当制限されるな。


たちは着実にその足を進め、グリンヒルに向かっていた。






昨日、大広間での会議――と言っていいのかは分からないが――があった後、

すぐに出発したらしい彼らは、どうやら昨日はトゥーリバーの宿屋で一夜を過ごしたようだった。

見たところかなりのハイペースで歩いているように見える。

―――いや、違う。実際彼らは急いでいるのだ。

もともと旅慣れしている彼らの歩みは早いが、それ以上に今はテレーズ奪回の任を背負っている。

遅れをとるわけにはいかない。これ以上後手に回ってはならないのだ。


「ハイペースになる訳だ」


近くに手ごろな木を探し出し、それに背を持たれかける。

そうしているうちにも達は遠ざかっていく。

だが動く気にはなれなかった。

というより何だか少し虚しくなってきた。

余りにも達が軽くモンスターを倒していっているものだから。護衛なんてお呼びでないくらいに。

―――見ていて気持ちのいいものではなかったが。


「何か眠い…」


今日は気持ちの良い晴天。

木陰にいることもあって、気温も丁度良い。

時折穏やかな風がの髪を揺らす。


「おやすみ…」


誰に言うでもなく呟き、は目を閉じた。










「…なよ。…きなよ」


誰かの声が聞こえる。

それは分かるのだが反応することはできない。まだ眠っていたい。


「…起きなよ。いつまで眠ってんの?」


今度は少し強めの口調で言われ、の意識はやっと覚醒した。

うっすらと目を開けると辺りは薄暗く、風は少々冷たかった。

身震いをしては顔を上げた。





目に飛び込んできたのは緑色だった。どうやら法衣らしい。

そのまま顔を上げるとそこにはとても端整な顔があって、


「…あー。もう夜ですか」


は素っ頓狂なことを口にした。

目の前に立っていたのはルックだった。

呆れたような顔でを見た彼は、「まったく…」と小さく呟いた。


「こんなところで何してるわけ?しかも眠るなんて……。

ここは一応モンスター出現地なんだけど?」


核心を突いたことを聞かれ、は一瞬言葉に詰まった。

ただでさえ端整な顔立ちの人物が目の前にいて言葉をうまく紡げないというのに。


「何というか。気持ちよかったので」


やっとのことでそれだけを返すと、ルックはまた溜息をついた。


「…あんたは同盟軍の人間?」

「はい」


実は一度、一言だけ会話のようなものを交わしたのだ、とは言わなかった。


「こんなところで何してんの?」

「黙秘させていただきます」


知られていいものなのか分からなかったので黙秘することにした。

彼の眉間に微かに皺が寄るのが分かった。

何故ルックがこんなところにいるんだろうと、ようやくその疑問にたどり着いたは彼に訊いた。


「名前は何ですか?」

「言う必要はないね」


こちらとしても名前は既に知っているので聞く必要はないのだが、ルックはその辺の事情を知らない。

そう思って名前を聞いたのだがそう返されてしまっては身も蓋もない。

もう一度訊いたとしても多分彼は答えないんだろうなとは結論付けた。


「確かルックさんでしたよね」

「知ってるなら聞く必要は無かったと思うんだけど」

「確認したかったので」


言い訳に成功したらしいは、今度は別のことをルックに訊いた。


「何でここにいるんですか?」

「………」


黙秘されてしまった。もっともも似たようなことをしたので無理に答えを強要するつもりはない。

しかし暫く経ってルックは溜息とともに口を開いた。


「あんた、テレポートでここに来ただろ?」

「ああ、はい」

「刺客の可能性もあったから確かめにきた。それだけだよ」


それは理由としてはもっともだ。

だが、こんな時間に来るものなのだろうか。

疑問に思いルックを見るも、彼の表情から感情など分かるはずも無い。

はそこまで人間観察を得意としない。


「お手数かけました」

「…別に。もう帰ったら?」

「そうします」


だがルックのいる前で易々と紋章を使うわけにはいかない。

必然的にも相手が帰るのを待つことになる。






「………」

「………」

「………」

「………帰らないの?」


痺れを切らし、ルックが言った。


「いや、あの、そのですね。見られたくないなー…とか思ったりしてるかもしれなくて」

「曖昧」

「まったくもってその通りで…」

「はぁ……」


それから少しの間、また沈黙が続いた。

不思議なことにルックが帰ろうとしなかったからだ。

そして先に口を開いたのは以外にもルックのほうだった。


「…聞きたいことがあるんだけど」

「何ですか?」

「あんたは何者?」

「は?」


真意の見えない質問をされ、は反応が少し遅れた。

ルックは座り込んでの目線に合わせる。


「何者かと言われても。ナマモノとか?」

「違う。…アンタが宿している紋章の事を聞きたい」


は一瞬だけ表情を凍らせる。

そして少しの逡巡の後、搾り出すように言葉を発した。


「旋風と烈火です」


もうこれは行けるところまでとぼけるしかないと考えた。


「とぼけないでよ。……アンタは『継承者』なの?」


だがルックに一蹴されてしまった。


「黙秘してもいいですか」

「だめだね」


これ以上は何を言っても無駄だろうか。

そう思いもしたが現場を見られたシュウはともかく、ルックに話していいものなのかは決めかねる。

彼は真の紋章の継承者であるし、悪い人でないことはもよく知っている。話すことに支障などない。

ない、のだが。

それでもやはり「話してはいけない」と思っている自分はためらってしまう。

もはや臆病以外の何物でもなかったが。


「貴方の紋章は何ですか?」


せめて自分と相手が対等になれば気も楽になるというもの。

はそう思い逆にルックに問い返した。


「聞いてるのはこっちなんだけど」

「言ってくれたら答えます」


自分で言っておいて何だが、随分と勝手な言い分だ。

ルックもそう思ったのか眉がさらに顰められた。


「………」


そして黙秘することに決めたらしい。

何も答えない。表情も変わらない。ただ、じっとを見ている。

そうしてまた、暫く沈黙が続いた。






負けたのはだった。


「天球の紋章です」

「は?」

「だから、天球の紋章です」

「…聞いたことないんだけど」


どうもルックは先程から眉を顰めては戻し、また顰めては戻しを繰り返している気がする。

原因はもちろんなのだが。


「何か特殊らしいですよ」

「分かりにくいことこの上ない説明をありがとう」


ルックは額に手を当てて俯き、溜息をついた。


「真の紋章の頂点に立ってます。多分」

「…何だって?」

「ルックさんの紋章は?」


ルックが驚いたような表情をする。

しかしそんなことお構いなしには再度質問をした。


「…真の風の紋章」

「似合ってますねー」

「で?アンタの紋章が『真の紋章の頂点に立ってる』っていうのはどういうこと?」


真剣な目で見つめられ、は軽い目眩を感じた。


「正確に言うと、『紋章及び真の紋章を束ねる、紋章とはちょっと違う存在』らしいですけど」

「そんな紋章が本当にあるの?」

「本当に束ねているかはちょっと分かりませんが。取り合えず、右手にある存在は確かです」

「……そんな話、文献にもなかったしレックナート様からも聞いていない…」


小さく呟いたルックの言葉をは聞き逃さなかった。


「知っている人は知っているらしいです」


ルックの目が見開かれた。

これはにとっても憶測でしかないのだが、レックナート――門の紋章の継承者でルックの師匠――は

この紋章の存在を知っている。そんな気がする。

おそらくルックもそう思ったのだろう、表情が微かに驚きの色を呈した。


「誰にも言わないでください」


一応釘をさす。

ただ、心のどこかがひどく冷たい。

―――実感がないのかもしれない。追われるわけがないと、無意識に思っているのかもしれない。


「まあ、いいけど。

それじゃあなんで『自分は戦えない』なんて言ったわけ?」

「言いましたっけ」

「言った。グリンヒルに付いていくいかないでもめた時に」

「……ああ、そういえば」


すっかり忘れていた。

苦笑しながらは言う。


「剣術、体術、その他諸々出来ません」

「…ああそう」


答えは素っ気無い。

疑問が解決された後はとくに興味がないらしい。

そして一向に戻る気配のないルックにおずおずと言葉を発した。


「あのですね」

「何」

「そろそろ帰ろうと思うんですけど」

「さっさと帰りなよ」

「いやあの、見られたくないなーと。失敗したら恥ずかしいし」


先程と同じことを繰り返した。

ルックは溜息をついたが、そのまま何も言わずにテレポートで帰っていく。

眩い光が辺りを包み、それが止んだときルックの姿はそこに無かった。


「…心臓に悪いなあ。あの顔」


そう言っても自室へ戻った。

寝ていたせいなのかそれともリュウ達のモンスター退治の場面を見たからなのか、空腹ではなかった。











「絶好の護衛日和でございます」

「…何日和ですか?」


聞こえていなかったらしいヨシノが訊ねる。兵士が洗濯物を干しながら首を傾げた。大広間の門番は暇らしい。

はアハハと笑った。


「いや、気にしないでください」

「そうですか?」


未だ頭の上に疑問符を浮かべるヨシノを見て、は心が和むのを知った。


「行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい」


微笑んで手を振るヨシノにも手を振りかえした。





――おそらく今日、達はグリンヒルへ到着する。




護衛をする以上は戦闘の可能性も考慮しなければならない。

そう考えると不安でたまらない。





膝の震えは止まなかった。















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2003.12.14
2006.7.8加筆修正

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