9. レザ・ボア・ドッグス対南樹へ咢を誘ってから、亜紀人くんと咢の出る時間がはっきりした。 対戦はおそらく夜に行われるであろうから、咢は夜に、亜紀人くんはそれ以外の昼間に出るようになったのだ。 中々興味深い。 それを亜紀人くんに告げたら、彼はいつかと同じように頬を膨らませてしまった。 「咢だけ呼び捨てなのはズルい」 だそうだ。論点がズレている。 今度から彼も呼び捨てにしなければならなくなった。(異性の呼び捨てはあまり得意ではないのだけれども) 亜紀人・咢が滞在する一週間は学校を休むことに決めた。 数学と国語と英語はどうにかなるだろうし、社会と理科は夜王が倒れた後にでも誰かに借りることにしよう。 昼間は亜紀人と家でゴロゴロするか、もしくは読書、散歩をする。 意外なことに読書家の亜紀人のおかげで家に本が増えた。しかし棚がないので山積み状態だ。 今まで「檻」にいたというだけあって、亜紀人の「外」への関心はとても強かった。 どれだけ同じ道を通ろうと、彼は嬉しそうに目を細める。私はその表情が好きだ。 夕方になると咢に交代し、就寝するときにまた亜紀人になるのだった。 夜の公園は人がいない。大人の時間が繰り広げられているかと内心ビクビクしていたのだが、杞憂だった。 動きやすいようにジーンズとTシャツ、その上に長めのカーディガンを着た。手には袋がある。 「本当にこの公園で待ってりゃいいのか?」 咢が訊いてくる。 私は少し離れたベンチに座る、疲れたような風体の男性が手にロープを持っていることを確認して頷いた。 公園で待つようになってからかれこれ六日経っていた。明日には咢はもういなくなってしまう。 正直、無理だと思っていた。 原作の中の時間の流れは私に分かるものではないし、そうでなくとも曖昧な自身の記憶が頼りだったのだ。 「多分、今日だと思う。間に合ってよかった」 「ギリギリだけどな」 「うん、本当に」 男性は手に持っていたロープを近くの蛍光灯に掛け、先のほうで輪を作る。 止めにいきたい衝動に駆られるが、私には男性の気持ちなど知る術もないし、助かるだろうと思っている。 だから我慢する。 「…で、犬と鳥が来るのはいつだ?」 「さあ。自転車が目の前を通ったら、それが鳥の方だよ」 「あれか?」 咢が指差す方向を見る。 自転車に乗った少年が、猛スピードでこちらに向かってくる。 「素敵なタイミング」 「あいつエア・トレック履いてねえな」 「そのうち履くよ」 「は?」 自転車の少年、南樹は速度を緩めることなく私達の目の前を通り過ぎる。 そして男性が首を吊ろうとした、その瞬間にロープを奪い取った。 後から犬のヘルメットをつけた連中が現れる。南樹はロープを引く。犬の人々はロープに引っかかる。 そのまま犬のライダーたちをロープでぐるぐると巻き、男性と共に蹴りをくらわせて去っていった。 「……嵐のようだ」 思わず呟く。 だが気を取り直して、袋から双眼鏡を2個取り出して咢に一つ渡す。 頭に疑問符を浮かべる咢に言った。 「巻き込まれたくないから、少し遠くからの見物といこう」 ガシャ、という音を立てて私と咢はそれほど高くないビルの上を跳び渡りながら双眼鏡をのぞく。 私の場合、自分の跳躍力だけで跳んでいるようなものだ。もっと技術を上げたいと思う。 「犬のくせに、トラックを素手で止めやがった!」 咢が楽しそうに言う。 まったく、仲間のためにあそこまでの力を出せるというのは賞賛に値する。 そういう意味で咢も言ったのだと思う。お互いに仲間がいないので、本当の意味での理解は出来ないけれど。 双眼鏡ごしにバトルを見る。 レザ・ボア・ドッグスのライダーが南樹に襲い掛かる。――野山野リンゴが庇うのが見えた。 「ファック!邪魔しやがって」 「いや、私もあれは庇うと思うけど」 「これはバトルだ」 「エア・トレックも履かないバトルは無謀」 「履いてない方が悪い」 「さいですか」 南樹はそれに怒りを表す。 そして、彼女が現れた。――長い髪に、丈の短いワンピースの――『渡り鳥のシムカ』。 直接の面識はない。だが、直感的に彼女がシムカだと感じた。 「あの女は…」 咢も分かったようだ。面識があるのか、それとも噂か何かで聞いているのか。 シムカは凄いとしか言いようのない動きでレザ・ボア・ドッグスとスリーピングフォレストのエンブレムを奪う。 それをツバメに銜えさせ、何事かを告げてその場を去った。 レザ・ボア・ドッグスのライダーはすぐさま追いかけ、南樹は野山野リンゴと二言三言話してから追った。 「『エンブレムは誇りを賭けて戦った自分と相手への証』か」 聞き取れなかったが、記憶を探って彼女の言ったことを思い出す。 誇りを賭けて戦うというのは、何と重いことだろう。負けた瞬間に誇りはもろく崩れ去る。 維持するには勝ち続けなければならない。もちろんエンブレムを賭けた場合、ではあるけれど。 「別に…」 咢が呟く。私はそちらを見る。 「強さだけを求めるってんなら、エンブレムは寧ろ邪魔なだけだ。だが…何で、俺はエンブレムを持ってんだか」 言って、咢は月を見上げた。いつもより赤い月だ。確か『鮮血の月』と呼ばれていたような気がする。 私は笑う。微笑みになっていればいいのだけれど。 「咢は強さだけを求めてるんじゃないってことだね。何を求めているの?」 「……さあな。行くぞ」 何かを振り切るように微かに頭を振って、咢は走りだした。 このバトルを咢に見せることができて良かったと思った。何となく。 「鳥野郎が電車に乗りやがった」 「追いかけるのは無理だよ」 「乗ればいいだろ」 「無理です。怖いです」 相手は時速60キロの電車。スピードで勝ってはいるものの、かなり怖い。 今回の見学はここで終わりにしよう。そう思って咢を見ると、 「置いていくぞ!」 既に出発していた。 「電車動いてるし、危険だよ」 「ああ!?そのくらい楽勝だろーがよ、おまえの身体能力なら!」 「怖いんだってば」 「…ファック!今回は俺がタイミング指示してやるよ!それで文句ないだろ!」 「いやあの、文句とかそういう問題では」 言うより先に、咢はジャンプをして電車の上に飛び乗る。 私はわけも分からず、ただひたすらに電車の横を滑走している。こうなれば咢の指示を待つしかない。 「………跳べ!」 咢の言葉を合図に、電車に向かって地面を蹴り上げる。電車の高さを越え、そのまま着地をすればいい。 電車の中腹くらいを走っていたのに、着地点は最後尾だった。 しかし、何事にもアクシデントはつきもの。電車の速度による風圧で、私の体が後方に傾く。 このまま傾き続ければ私は電車の上から放り出されてしまう。 思わず目を瞑った。 「手間かけさせんなよ」 だが、いつまでたっても放り出される気配がない。 いや寧ろ、手と腰を固定されて安定感が増している。――手と、腰? 目を開けると、咢の顔が近くにあって驚いた。 「あー。助けてくれた?」 「あのままじゃ死んでたからな」 「ありがとう。…シチュエーションはロマンに溢れてるんだけど、状況がスリリングすぎて何とも言えない」 「同感だ」 とにかく自分の足でしっかりと立つ。 前方では野山野リンゴと野山野ミカンがツバメを追い込み、南樹がその後を追っている。トンネルが見えた。 電車はトンネルに飲み込まれていく。 トンネル内部は電灯(点検作業のための物だろうか。よく分からない)の光で、周りの様子を見ることができる。 「何だってわざわざトンネルなんかに入る必要があるんだ?」 「ツバメは向かい風の方が飛びやすいんだけど、トンネルでは少しの間、風は後ろから吹くらしいよ」 ――全て受け売りだけど。 犬の大将が電車の上に乗ってくる。 南樹と犬の大将(名前は犬山だったか)はシムカ、野山野リンゴ・ミカン、そして私と咢を背に戦う。 犬山はエア・トレックのスピードに自らのパンチ力を上乗せしたアタックを仕掛ける。 「手加減は一切していない!それが漢同士の戦いだ!!」 熱い。根性も性格も何もかもが熱い。 ある種の尊敬を抱きつつ犬山を見ていると、南樹が不思議そうな顔をしてこちらを見た。 慌てて咢の陰に隠れる。 「どうしたんだ?」 「いや、ちょっと…知り合いがいるもんで」 「リーゼントの方か?変わった知り合いだな」 「いやいやいや。もう一人の方」 私は手に持っている袋を漁る。 こんなこともあろうかと、飛行用のゴーグル(正式名称は知らない)をスポーツ店で買っておいた。 そそくさとそれを付ける。 これで少しは誤魔化せるだろう。それに風が目に入らないので助かる。 南樹の方を見ると、先程のアタックをものともせず、ツバメを追っていた。 「あら。この戦いにもギャラリーがいたのね。…どちらさま?」 シムカがこちらを向いて言う。 野山野リンゴと野山野ミカンもこちらを見る。驚いているところを見ると、気付いていなかったようである。 「…フン。邪魔しにでも来たか?」 「ミカン姉っ」 どうやら野山野ミカンは警戒しているようなので、その警戒を解いてもらおうと私は声をかける。 「別に邪魔しに来たわけじゃないから安心してください。ただの見学です」 「ネットにも載ってないバトルをどうやって探し出したんだか」 「企業秘密ってことで」 なおも胡散臭そうに見てくる野山野ミカンの視線をさらりと流し、私は南樹と犬山の戦いを見る。 どれだけ犬山が殴っても、それでもなお南樹はツバメを追う。ただただ、『誇りを取り戻す』ためだけに。 トンネルの出口から光が溢れている。南樹はその光に向かう。 だが、光に出ればツバメはまた加速して飛び去ってしまうのだ。 「アイツ…っ!」 野山野ミカンが感嘆とも焦りともつかないような声を出す。 南樹は電車上の給電気にホイールを接触させた。 モーターが焼ききれるのが先か、それともツバメを捕らえるのが先か。 「ホイールぶっ壊れるぞ」 「誇りとどっちが大事かってことだよ」 「あんなことしなくても俺は追いつける。……ショックもかなりでかいぜ、あれは」 「心配してるの?」 「ファック!誰が!」 もの凄い風圧に、飛び出した南樹のスピードが減速しているのが分かる。 だが、その後に―― まるで先程までの風の抵抗が嘘のように、減速が止まった。 「なっ!?」 咢が声を荒げる。 南樹には今、見えているのだろうか。『翼の道』とやらが。私には見えない。 ツバメがエンブレムを落とす。南樹はそれを受け止める。 あとは電車に轢かれそうになる南樹を犬山が頭突きをして助ければいいだけだ。 少々興奮気味に、私は犬山を見る。しかし、 「…ぐっ…!」 犬山はうずくまっている。 「どういうことだ…?」 思わず呟いた言葉に咢が答えた。 「さっきのトラックのダメージだろ。今まで耐えたアイツも相当タフだな」 「!!」 何ということだ。このままでは南樹は――― 脳裏に南樹が電車に轢かれるシーンが妙にリアルに映し出された。 「!!」 咢の制止の声が聞こえる。 私は前輪に体重をかけるように体を低くして前に突き出した。ホイールが回転を始める。 南樹が電車の前に放り出される。 クラウチングスタートの要領で、電車の上――地を蹴り上げた。 回りの動きが止まったとか、そんな感じではなかったような気がする。 周りの風景は見えない。ただ、ゴーグルのおかげで前だけは見えていた。 もっとだ、もっと速く。そうでなければ間に合わない。助けられない。 私は斜めに跳び、南樹に手を伸ばし、その体を抱き、そして。 勢いを殺すなんて芸当が私に出来るはずもなく、私はコンクリートの壁に背中からぶつかった。 南樹は私の前方にいるので衝撃は少なかったはずだ。 「ぐ……っ」 鈍い痛みに思わず声が漏れる。呼吸が上手く出来なかった。 壁からずり落ちる。カーディガンが捲れ上がり、摩擦で背中が擦れた。 「!大丈夫か!?」 咢が真っ先に駆けつけてくれる。心配されているのだとしたら、とても嬉しい。 咢の後にシムカと野山野姉妹、それに犬山が駆けつける。 「う……」 うめき声が聞こえる。南樹が目を覚ましたようだ。 「あれ、俺……」 「礼を言っとけ、トリ頭。助けられたんだよテメーは」 「ミカン?助けられたって…」 「イッキは電撃のショックで気を失ったの。あのままだったら本当に危なかったんだよ」 「電撃…?ああ、あれか。気ィ失ったのか俺…。あ、サンキュ、助けてくれて」 「どういたしまして」 南樹は体を起こし、礼を言う。何だかとても照れくさかったので、言葉が無機質になってしまった。 犬山は言う。 「…俺らの負けだ」 「さて。お前が何者なのか、よーく聞いとかなきゃな」 「いやいや。ただの人間ですのでお気になさらず、ミカンさん」 「俺はテメーに名乗った覚えはねえが」 「先程そちらのトリ頭さんが呼んでいたじゃないですか」 「トリ……っ!?」 野山野ミカンと私の、腹の探り合いは続く。途中で南樹が傷ついた。 犬山は再びシムカを追う旅に出ている。 「『ただの人間』にあんなスピードが出せるわけねえだろーが。俺でさえ無理なのに」 「我武者羅でしたから。切羽詰っている時はいつも以上の力が出せるものでしょう」 「ハッ!そんなレベルじゃねえよ、アレは」 お互いに薄ら笑いを浮かべながら語り合う姿は結構怖いと思う。 そんなことを思いながら、私は野山野リンゴの方を見た。彼女は何かを考えているようだ。 「私も知りたいな」 第三者の声が聞こえた。シムカが戻ってきたのだ。 「シムカさん!?」 「ごめんねー、カラス君。ごほーびあげるの忘れちゃって。…でも、その前に」 そう言ってシムカは私の方を向く。 「あなたが何者なのか、知りたいな」 気分は四面楚歌だ。これはもう逃げるしかないと心中で結論付ける。 咢の方を向くと彼も頷いた。逃げる準備は出来ている。 右足を後ろに下げて方向転換をしようとしたとき、野山野リンゴが口を開いた。 「気のせいかもしれないけど…私、あなたに会ったことがあるような」 「ちゃっちゃか逃げましょうか、咢!」 彼女が言い終える前に、私は咢の手を引いて逃げ出した。 恥ずかしいなどとは言っていられない。 野山野姉妹とシムカ、そして南樹は私達が突然逃げ出したことに驚いているようだったが、追いはしなかった。 ほとんど適当に逃げていたのだけれど、咢が家の場所を覚えていたので無事に帰りつくことが出来た。 「お別れだね、亜紀人」 「うん…」 翌日の夜、私と亜紀人は始めてあった場所、銭湯への道の蛍光灯の下にいた。 鰐島海人との待ち合わせだ。 亜紀人の元気がないのが気がかりだった。だが、多分私の元気もないだろう。 夜の静けさの中に足音が響く。待ち人が来た。 「よう。いい子にしてたか?マイ・ペット」 「あ…うん…」 本当にその呼び方はどうなのだろうと思うが、それが鰐島海人の特性であるような気がしてツッコめなかった。 鰐島海人は亜紀人を見てその表情にニヤリとした笑みを浮かべ、私を見た。 「ご苦労だったな。土産だ」 「ありがとうございます」 手に持っていた袋を私に渡す。少し重い。 中を見てみると、銘菓「白い恋人」が入っていた。 「出張、北海道だったんですか」 「出張つーか、ただの食べ歩きの慰安旅行みたいなもんだ」 そしてまた、ニヤリと笑って、 「暴れるストームライダーどもは捕らえてやったがな」 と言った。警察官のはずなのに悪者にしか見えないのはどうしてだろう。 私はその笑みから逃げるように亜紀人に目を向けた。 相変わらず元気がない。 「またいつでも泊まりに来ていいから。元気出して」 「ちゃん…」 上目遣いで見られると、どうにも照れてしまう。 できるだけ鋼の表情筋を維持しながら私は鰐島海人に訊く。 「また亜紀人くんを家に泊めてもいいですか」 「まあ、お前のことは他のガキどもよりは気に入っているからな。俺の気が向けば、いいだろう」 鰐島海人はおもむろに上着の内ポケットを探り、携帯を取り出して何か操作をし、私に突き出した。 「連絡する時に困るだろ。お前の番号とアドレス登録しとけ」 「あ、私の携帯にもお願いしていいですか」 「おう」 蛍光灯の下でアドレスを登録する男女。すごく奇妙だ。 「できました」 「じゃあ何か連絡するときはこれでしろ。時間は気にしなくていい。連絡付かなかったらメールで」 「はい」 時間は気にした方がいいと思うのだが、公務員。 私は改めて亜紀人に向き直る。 「これでいつでも連絡は出来るわけだし、兄上殿の気が向けば泊まりに来れるよ」 「…うん」 亜紀人は少しだけ微笑み、私の手を握った。 もちろん照れるが、鋼の表情筋をフル活動させる。意地を張る。 「元気で」 「うん、ちゃんも」 そう言って、亜紀人は。 家への帰り道で、携帯のバイブが鳴った。 メールアドレスは絵美理と弥生と鰐島海人にしか教えていないので誰が送ったのだろうかと思い、驚いた。 開くと、鰐島海人からだった。 『いいスーパー見つけたら連絡しろ』 まるで主婦(この場合は主夫だろうか)のような文面に思わず笑みがこぼれる。彼にも生活能力はあるようだ。 とりあえず、『了解』とだけ打って送った。 私は夜の闇を見上げる。 思うのは、亜紀人・咢と過ごした一週間、鳥対犬の戦い、鰐島海人の生活能力、亜紀人の笑み。 そして、頬への唇の感触。 --------------- 原作に沿わせようとすると、途端に筆が遅くなります…。 2004.8.15 back top next |