2. フラフラとした足取りで自宅である、アパートの離れに向かう。 野山野リンゴは可愛かった。ていうか他人の空似だと思った。 でも、エア・トレックのCMを見て、やっぱり彼女は私にとって「別の世界」の人間なんだと分かった。 それが何だかもどかしくて、この環境がおかしいのか自分が異端なのか分からなくてイライラして。 もう日は傾いているのだけれど夕食を作る気にもなれず、銭湯に行って寝ようと決めた。 マイクロビーズのクッション(大)に寝そべる。頭が下がるのはマイクロビーズのクッション(小)でカバー。 中学校への転入(授業で楽できそうだ)は家庭訪問のおかげで1週間後だそうだ。 大分涼しくなってきたので窓を開けて寝たかったのだが、平屋なので泥棒対策としてクーラーをつけて寝た。 もちろんお休みタイマーをセット済みだ。 明日は調味料とか食材とかの買出しに行かなければ。 目覚ましをセットしていなかったので、ぐっすり11時まで眠っていた。 キッチン(青いタイル仕様)で顔を洗い、減った服からコーディネート(とは言ってもたかがしれているが)する。 買出しに行くつもりなので、動きやすいようにジーパンとTシャツだ。 冷蔵庫を除けば小さなテーブルとクッションとダンボールの棚しかない部屋を暫く見つめ、家を出た。 散歩がてら店を探す。迷ったら交番に助けを求めよう。 アパートの近くに小規模な商店街があったので、食料品はそこで買うとして、問題は服だ。 大分減らしたので、買わなければ。出来るだけ最小限で。 とりあえず大きいビルの見える方に向かって歩いたら、市の中心部らしきところに着いた。 途中で何度か行き止まってしまったりもしたが、結果オーライだ。 コンビニのATMで貯金(主にお年玉の残りで構成、20万くらいある)から3万ほど引き出す。 百貨店にはいって適当に服を買ったら、福引きの券を1枚もらった。 「特等は何とエア・トレック!エア・トレックです!!」 白いハッピを着たおじさんが叫んでいる。 小学生と思わしき男の子たちは目を輝かせている。目線の先にはエア・トレックがある。 ショートブーツのような、飾り気の一切無いシンプルなデザイン。灰色で、アクセントはなし。 「でも、なんとなく女の子向けな気がするような」 何故かそう思った。 福引きに長蛇の列。たぶん皆、目的はエア・トレックなのだろう。 若いおねーさん方、おにーさん方、おばさん方、おじさん方。おじいさんおばあさんは流石にいないけれど。 今が初秋でよかった。真夏にこんな列に並ばせられたんじゃたまったもんじゃない。 やっと順番が回ってきたので、係の人に券を渡して、あの回したら玉が出てくるやつを回した。 灰色の玉が出てきた。 「おめでとうございまーす!特賞が出ましたー!!」 「え、待ってコレ灰色なんだけど」 「エア・トレックが灰色ですからね!さ、どーぞ!賞品のエア・トレックです!」 「…どーも」 悔しがっている声が背後から聞こえてかなり恐ろしいです。 何なのだろう。何だというのだろう、この都合のいい展開は。 引っ越したらエア・ギアの世界で、福引きしたらエア・トレックが当たる。 これまた都合よく見つけた公園でさっきのエア・トレックを試しに履いてみた。 「おお。インラインスケートより軽い」 モーターとかブレーキとかついているというから、結構重さはあると思っていたのだけれども。 横についているジッパーを下げて履くタイプのようで、履きやすいし、脱げにくい。 「押した力によって加速する、と」 説明書片手に少しだけかかとに体重をかける。別に速い必要はないのだ。移動が楽になる程度でいい。 ピ、と音がして、ゆっくりと動き出した。 慣れるように、今日はこのまま帰ろう。(途中でこけませんように) そうして迷った。 「何で河原にいるんだろう、私」 というか地図もなしに買い物に出たのがいけなかったのだ。引っ越して一日目だというのに。 行くことはできても帰ることができないんじゃどうしようもない。 ふてくされた私は土手に座り込んだ。近くに高速道路の橋がある。 「よう、お譲ちゃん。ちょっとツラかせや」 いきなり影がかかって、ドスの聞いた声というのだろうか、あまり穏やかでない男性の言葉が聞こえた。 とりあえず立って、相手の方を向く。 が。 「あ」 「ああ?」 バランスを崩して土手を滑り落ちた。 「ぎゃはは!バッカじゃねーのコイツ!」 「土手を滑り落ちる奴なんざ初めて見たぜ!」 散々な言われようだ。 恥ずかしかったが、ともかくも立ち上がって相手を見る。強面の男が3人。 何ですか。これは俗に言うカツアゲというやつですか。 「お前さー、さっき福引きでエア・トレック当てただろ。それ、よこせ」 「あれ女物だったと思うんですけど、履くんですか?」 相手を刺激しないように柔らかめの声を作る。 「そんなファッション用のなんか履かねえよ。そのエア・トレックにはプレミアついてんだ。高く売れるんだぜ?」 男の一人が土手をおりてくる。今気付いたけど、3人ともエア・トレックを履いている。 「俺達は『スカルセイダース』のメンバーなんだよ。逆らったらどうなるか、分かるよなあ?」 「ちなみに髑髏十字軍と書いてスカルセイダースだ」 「ぎゃはは!聞いてねーよボケ!」 気に入らない。 見るに向こうは高校生。推察するに私は今、中学生の体型に戻っているのだろうけれど、心は高校生だ。 見下した視線が気に食わない。 けれどもエア・トレック初心者の私が彼らに勝てるとは思えなかった。 結局は渡すしかないのだろうか。 「それとも」 男の一人が言った。 「見たトコ『まだ』みたいだし?お前の体で見逃してやらんでもないけどな?」 ふざけるな。福引きのエア・トレックと自分の貞操を秤にかけられるか。 流石にこれは許せない。 「そこでなにしてるの」 声が聞こえた。 振り向いて目に入ったのは――神々しいデコチャリ。「マンモス號」と書いてある。 「ああ?何だお前」 「そこでなにしてるのか聞いてる」 「うるせえよ黙れ消えろ。俺らはスカルセイダースだぜ?」 デコチャリの持ち主が私を見た。あ、ウル目だ。 なんとなく私も見返す。微妙にアイコンタクトできたかもしれない。何も伝わらなかったけれど。 「ここ、ウチのエリアだから」 「ああ?ンなもん関係ねえよ。俺らのチームはCクラスなんだぜ?お前のとこは?」 「Dだけど」 「ぎゃはは!Dで俺らにたてつこうっての?ふざけんのも大概にしろよ」 品のない笑い声が耳につく。 デコチャリの主――坂東ミツルがもう一度私を見る。 「2秒後に一気に加速して」 何が何だか分からなかったが、危険そうだったので、私は自分が初心者だということを忘れて加速した。 そしてピンチになった。目の前に橋の壁がある。速すぎてコントロールできない。つまり曲がれない。 ぶつかる。 「―――っ!」 それから先は、はっきりいってあまり覚えていない。 ただ、重力が背中にかかったことと、浮遊感が私を襲ったこと、異様に体が軽かったことだけは覚えている。 気がつくと私は地面に立っていて、目の前には顔が変形した3人の男と坂東ミツルと思わしき人物がいた。 「大丈夫?」 「あ、はい。ありがとうございました」 「別に。もともとコイツラは侵入者だから」 そう言って坂東ミツルはデコチャリにまたがった。 「あの、名前を聞かせてほしいんですけど、いいですか?」 知ってはいるけれど、聞いてはいないからね。 でも、無言で返されてしまった。まあ、しょうがないか。 「名乗りたくないですか?じゃあ名乗らなくていいです。ありがとうございました、デコチャリの人」 「!?」 「このご恩は忘れません。あ、それとお願いがあるんですけど、いいですか?デコチャリの人」 「……坂東ミツル」 「坂東さんですね。で、お願いなんですけど、この川原って坂東さんのチームのエリアなんですよね? それで、私エア・トレックは初心者なので、この場所で練習をさせてほしいんです」 「……?」 「チームも何もないので、エリアがないんです」 これは、実は結構重要な問題だったりする。 公園で練習してもいいのだけれど、初心者全開さを見られるのはやはり恥ずかしいのだ。 坂東ミツルは少し考える仕種をして、口を開いた。 「いいと、思う」 「思う?」 「こういうことは宇童さん…リーダーに聞かないと何ともいえないんだけど…。ここはあんまり使ってないし」 「借りていいんですか?」 「うん」 「ありがとうございます!」 いつの間にか、男たちが消えていた。 逃げ帰ったのかと思った。でも、そうじゃない気がした。 坂東ミツルもそう思っていたようで、デコチャリからおりた。さっさと帰らないのは初心者への気遣いだろう。 5分くらいたった頃、スキンヘッドの「ヤツ」は来た。仲間が大勢いる。 名前は何だったか…そうだ、マガキだ。間垣。 「さっきは俺の仲間が世話になったみてえだな」 怖い。顔も怖いけど何より、私は「不良」に免疫がない。進学校にいたせいだ。 「お礼はたっぷりしてやるよ。代金はそのエア・トレックとお前自身だ」 「…坂東さん自身?」 私は坂東ミツルを見る。 「…遠慮しとく」 「ちげーよ!!」 囲まれています。 変な仮面が益々怖い。 間垣が前に出てくる。反射的に私は身構える。間垣は笑う。嫌な笑い方をする男だと思った。 坂東ミツルが小声で言う。 「多分、バトルは避けられないと思う。とりあえず、僕の指示通りに動いて。危なくなったら助けるから。 僕はチームに入っているから、個人で勝手なバトルは出来ないんだ」 小さく頷く。 間垣が笑みを深くして、加速した。 「右に跳んで!」 声に我を取り戻し、右に跳ぶ。 ――まただ。体が異様に軽い。 間垣はすぐに方向転換をする。 坂東ミツルの指示は、どこまで間に合うのだろうか。 「後ろに跳んで!」 跳んだ直後に目の前をエア・トレックが掠めた。 やばい。後ろには囲んでいる男たちがいる。さっきので間垣との距離も縮まった。 足が震える。間垣がもう一度蹴りを繰り出す。 考えている暇なんて、無かった。 エア・トレックを強く押す。ホイールが回転を始める。 私は思い切り上に跳んだ。さっきの回転で地面を少し滑って落下の軌道を間垣の後ろにまわす。 間垣が振り向く。 振り向いたヤツの鳩尾に蹴りを入れた。 間垣は吹っ飛んだ。 「ぐっ……!」 数人の男に支えられながら間垣がうめいている。 私はさっきの状況を思い出す。 思い切り跳んだとき、私は一体どのくらい跳んだというのだろうか。間垣がやけに小さく見えたのだけれど。 「本当に初心者なの?」 「そうですよ」 「お前ら……っ、何、者だ……!?」 私達は間垣の方を向いて答える。 「『ベヒーモス』の坂東ミツル」 「初心者の」 「な……!ベヒーモスだと……!?」 初心者は完全に無視された。 坂東ミツルは間垣に言う。 「今回は見逃すけど、次に『ベヒーモス』のエリアに入った時は…覚悟しておくんだね」 その姿は妙に凄みがあって私も気圧されたのだけど、間垣に言わなければいけないことがある。 「私は初心者だから技術もないし、チームも無いから部品を貰うとかはしないけど、 君との戦い方は覚えたような気がするから。多分もう負けないと思う」 人生はったりも必要だ。 「もう、私に関わらないでほしい。エア・トレックも狙うな」 最後は、少しだけ睨んだ。 間垣は息を呑んで、いきなり土下座した。 「おい!お前らも頭下げろ!ミツルさんとさんに土下座しろ!!」 強い人は強い人を見分けるのが上手で、間垣のように中堅にいる人は上の者に服従しやすいらしい。 何かの本で読んだのだけど、きっとハングリー精神が足りないとか、そういうことなのだろう。 そして多分それは「ベヒーモス」に対する服従だった。 しかし都合のいいことに、私もベヒーモスと同等の扱いになったらしい。 「ていうか僕はリーダーでもなんでもないんだけど」 坂東ミツルが呟いた。 その後スカルセイダースは帰り、私は坂東ミツルに交番まで案内してもらって、家に帰った。 夕日の差し込む部屋の中で考える。 プレミアつきのエア・トレック。 異様に軽い体。 ――昨日の夜から何も食べていないはずなのに、空腹を感じない胃。 どれもこれも都合が良すぎる。 さらに言うなら、間垣に蹴りを入れたとき。――私にはあそこまでの力はなかった。ここに来るまでは。 何なんだ。一体何が起こっているというのだ? 何かが――酷く歪んでいるような気がしてならない。 --------------- 主要メンバー、未だ出ず。(リンゴ以外) 2004.7.29 back top next |