天球ディスターブ 40





城は眠らない。夜明けの間際でさえも怪我人の治療が行われている。

は自室へとテレポートし、クイーンサイズのベッドに腰掛け眠る子供たちの顔を眺めた。

書簡は彼に届いたはずだ。明日には迎えに来るだろう。

ざっと部屋を見回すとテーブルの上に二つの小さな荷物が乗っていた。

それは紛れもなく子供たちのもので、彼らもまた別れを予感していたのだということが知れた。


「ごめんね、アルベルト、シーザー。……今までありがとう」


憎しみから始まったはずの自分たちの邂逅は親愛という形で終わる。

感情を負から正に変えたのはまだあどけない子供たちで、彼らはまたに多大な影響をももたらした。


「…ありがとう」


朝日に彩られる部屋の中で、は別れを想い、少しばかり寂しそうに笑った。

――あと少しだけ、あなたたちの横にいる幸せを。






明くる朝、は起きた子供たちの支度を整え、彼らと共に城の門へと向かった。

子供たちはさして抵抗するわけでもなく、ただ静かにこの状況を受け入れているようだった。

門では彼らを迎えに来た人物――ナッシュが待っていた。


「よ、おはようさん」


軽く手を上げて明るく挨拶をするナッシュに、は笑みと会釈という形で答える。

両手がアルベルトとシーザーによってふさがれているために自然とそのような形式になるのだ。


「アルベルトとシーザーもおはよう。…しっかしお前ら、随分と顔つき変わったよなあ。

大人びたっつーか子供らしさが戻ったっつーか。……何にせよ、いい変化だな。おめでとう」


ナッシュはしゃがんでアルベルトと同じ目線になり、笑ってクシャクシャと子供たちの頭を撫でた。

はその光景にも笑みをもらし、寂しさを必死で隠しながらアルベルトに声をかけた。


「アルベルト、…さあ」


アルベルトはその声に一瞬ビクリと体を震わせを見上げる。

その表情には目を見開いた。

――涙を必死にこらえて、今にも泣きそうな表情で。


「………」


ギュ、と握られた手に力が入り、すぐに離される。

アルベルトはうつむき、そしてに抱きついた。

の服が彼の涙で濡れていく。


「……やだ」

「アルベルト…」

「離れたくない。……本当は。もっと、ずっと姉さんと一緒にいたい」

「………」

「大好きです、姉さん。僕にいろいろなことを教えてくれた姉さんが好きです。

悲しみも憎しみも、嬉しさも愛情も、僕は姉さんから教わった」

「…っ」

「……我侭は、言いません。僕はシーザーと帰ります。…でも、一つだけお願いしていいですか?」

「…なに?」


アルベルトは顔を上げての目をまっすぐに見る。


「また、会えますよね?」


はアルベルトを抱きしめた。






「こらこら」


ズシ、との肩に何か重いものがのしかかってきた。

は驚き、またアルベルトも驚いているようだった。

声から察するに――彼なのだろうことは予想がついたが。


「へえ。君が、が預かってた子なんだね」

「…ごめん、。重い…」

「あ、ごめんごめん。それにしてもなー。少年、お兄さんを差し置いちゃいけないぞ?」


茶目っ気たっぷりには言う。には話がよく飲み込めない。

先ほどのやりとりを指しているのだとしたら――あれは子供の愛情表現なのだろうし――益々分からない。

も愛情表現を?――想像がつかなかった。


「やめなよ、大人気ない…」


もう一つの声が聞こえてきた。こちらもまた聞き覚えのある声だ。


「子供相手に対抗心燃やしてどうするのさ。…ちょっと、そこの金髪。連れ帰るのならさっさとしてくれない?」

「…ルックも十分大人気ないじゃないか」

「うるさいよ」


を睨みつけてルックは言う。

言葉の内容云々よりも、には彼らがここにいることのほうが解せずに混乱する。

アルベルトがいっそう強く抱きついたのでようやく我を取り戻した。

少年はからはなれ、キッと自分よりも年上の少年たちを見る。


「……追いついてみせますから、絶対」


ルックは表情をかすかに険しくさせ、はどこか含みのある笑みを浮かべた。


「…追いつけるものなら追いついてごらん」

「ま、期待しないでいてあげるよ」

「その言葉、忘れないでくださいね」


どんどん険悪になっていく三人の雰囲気に、さすがに危険を感じたのかナッシュが慌てて割って入った。

腕にシーザーを抱えたナッシュはどこか保父のようにも見える。


「ま、まあ、そろそろ行こうか。早くしないと野宿することになるし…」

「……そうですね。帰りましょう。…姉さん」

「え、あ、なに?」


アルベルトは手を差し出してにこりと――おそらく今まで見てきた中で一番の笑顔で――笑った。


「さようなら」


は寂しさが表情に漏れないように勤めて表情を作る。

――少し漏れてしまったかもしれない。


「…うん。さようなら」


笑って、アルベルトの手を握った。


遠く離れていく彼らの姿を見送りながら、その影が消えるまでずっと手を振り続けた。










戦争終結から三日後。

兵士たちの手当ても医療班が不眠不休で行ったおかげで一段落つき、城は活気を取り戻していた。

いたるところに出店が現れ、万国旗に似た飾りが頭上を彩っている。

今、人々は戦争の終わりをかみ締めているのだ。



は自室にいた。

以前シュウからもらった金を入れた小さな袋をベルトにくくりつける。

からもらった服を紋章で修繕して着た。黒いズボンに錆青磁のシャツはどこか懐かしい気すらする。

くすんだ茶色のマントを羽織り、クイーンサイズのベッドを消す。

忘れかけていたがこれも紋章で出したのだった。

変わりに部屋に最初に備え付けてあったベッドにできる限り近いものを紋章で出す。

本棚、テーブル、椅子を動かして配置すると、その部屋からの痕跡がほぼ消えた。

――壁についた血のしみだけは取れなかったが。

ふと、本棚から本を取り出してテーブルの上に置き、パラパラとめくる。

そしてそれはしまわず、テーブルの上に置いたままにした。



ドアのところに立って部屋全体を見回し、は満足したように頷いて部屋を出た。






門を少し出たところには昨日のナッシュよろしく、とルックが立っていた。

はその姿を目に留めると彼らの前まで歩いていき足を止める。


「行くのかい?」


が訊ねた。


「うん」


は頷く。

その言葉に迷いはない。――ずっと前から決めていたことだ。

もルックもを止めるようなことはしないだろう。何も言わずに送り出してくれるのだと知っている。

ここにいるのはただ単に見送りのつもりなのだ。――その気持ちがとても嬉しかった。



背後にそびえる城から一際大きな歓声が上がった。

はそちらを見る。が答えた。


「ああ、戴冠式が終わったのかな。…が国王になったんだね」

「サボり癖が出なきゃいいけどね、アンタみたいに」

「あはは、ルック、それは言わないお約束だよ。ま、シュウもテレーズ女史もいるし、大丈夫なんじゃない?」


戴冠式。

は国王になることを決めた。「平和」をいつまでも捜し求めると。

しかしそのために彼は不老の継承者となり、姉と親友と道を違えてしまった。

彼が決めたこととはいえそうさせたのは間違いなくで、そしてはそれに対し今も罪悪感を抱いている。


「…よかったのかな」


ポツリと呟くと、それを聞きつけたルックが呆れ顔で言った。


「まだそんなこと言ってるわけ?

決めたのは自身なんだよ。が移さなくてもいずれ何らかの形で継承しただろうさ」

「…うん。ごめん、ありがとう」


ならば、とは思う。

せめてが苦しんで自分に助けを求めてきたときには、助力を惜しまないことを約束しよう。

それが自分の責任であり、彼に対する精一杯の敬意と親愛の具現だ。

はその様子を黙って見ていたが、ふと思い出したように言った。


「そういえば知ってる?ハイランドは『ハイランド県』としてこの国の領地になったわけだけど、

その領事にジョウイが就任するかもしれないんだってさ」

「……正気?同盟軍の人間が猛反対するんじゃないの?」

「うん、そうなんだけど。何でもハイランドの国民が揃って嘆願書と署名を提出したらしいんだよ。

『皇王を殺さないでください』って。相当慕われていたらしいね。国の誇りなんだってさ。

結局はハイランドの国民も戦争の被害者なわけだろう?一般市民にとっては同じ目線の人間なんだよ。

だから彼らの説得には力がある。現に、ハイランドの警護にあたっている兵はほとんど説得されたらしい」


の言葉を聞いて、は考える。

考えて、言葉にした。


「そうなれば…私は嬉しい。許すとか許さないとか、そういう問題でいけば許されないのだけど。

でも、ジョウイの人となりを皆が知って、理解してくれるととても嬉しい。……誤解は辛いから」


そうだね、と笑って、の頭を撫でた。






歓声が上がってますます賑わってきた城を眺めて、はそれに背を向ける。


「――そろそろ行くよ」

「…ああ、。ちょっと」


それをルックが呼び止めた。

何だろうと思って彼のほうに向くと、ルックは額のサークレットをはずし、の額に結びつけた。


「…?」

「お守り。アンタは相当危なっかしいからね。これでも足りないくらいだ」

「ありがとう。…気をつけるよ」


うん、と頷いてルックは顔を背けた。微かに頬に赤みが差しているのは気のせいだろうか。

だが気のせいにしてもそうでなくても嬉しいことには変わりないので、あまり気にしないことにした。


「そういえば、これからどうするつもり?」


が訊ねる。少し考えた後、は答えた。


「何箇所か行きたい場所があるから、順々にそこを回って…あとは適当に旅すると思う」

「トランには?来る?」

「うん、トランにも2箇所くらい行きたいところがあるし」

「じゃあその時は僕の家においで。歓迎するよ」

「いいの?」

「もちろん」

「ありがとう」


嬉しさには笑む。

はそれを見て満足げに頷き、ルックに目をやった。

『ふふん、どうださっきのお返しだ』と言っているようだったと、後にルックは語る。

ルックも口を開いた。


「…ああ、。言い忘れてたけど、そのうち迎えに行くから」

「迎え?」

「魔術師の島にね。

天球の紋章について知りたいことは山ほどあるし…レックナート様にも会っておいたほうがいいと思う」

「レックナートさん…は、門の」

「知ってるんだね。うん、完全な紋章じゃないけど。いずれ会うだろうし、早い遅いは関係ないだろう?」

「うん。じゃあ、案内お願いします」

「行きたいところを巡るのが終わったら連絡を寄こして。鳩に書簡でも持たせて送ってよ」

「分かった」


が口を挟む。


「もれなく僕という至高のおまけ付き」

「いらない」

「……、こんな男に捕まっちゃだめだよ。お父さんが護ってあげるからね」

「あ、久しぶりに聞いたなあ、それ」

に手を出したければこの僕の屍を越えていくしかないんだからね、ルック!」

「……阿呆が一人いる…」

「…まあ、冗談は置いといて」


そう言って、に手を差し出した。ルックも同じように手を差し出す。


「元気でね」

「くれぐれも気をつけてよ」


は二人の手を取る。

触れた手はあたたかかった。


「うん。二人も元気で。またね」


そうしては歩き出した。

何度も振り返りそうになりながら――しかし振り返ることなく、その歩みを前へと向けた。










草原を一歩一歩踏みしめて歩く。

空を見上げれば雲ひとつない晴天で、しかし足元の荒原には戦争の痕跡がしっかりと残っている。

ヒュ、と風を切る音がして、は目をそちらに向ける。

――白い蝙蝠がの周りを回り、彼方へと飛び去っていった。

はそれを眺め、少し微笑む。

すると今度は強い風が下から吹き上げ、微かに生えてきた草をなびかせた。

そうして目の前にいるのは紋章の化身、ピエロで、彼もまた微笑んでいた。


「言い忘れたことがあってさ。言葉は借りるね」


ピエロは言う。

そして胸に手を当てて腰を折り、優雅に一礼した。


「――私は天球の紋章の化身。今この場において、私は貴女を主として認め、忠誠を誓うことを宣言します。

私は貴女のためにあり、この紋章の力もまた貴女のためにある。

……これから先、どんなに貴女と紋章を狙う輩が現れようと、私は貴女を護りましょう」


言うと顔を上げ、にっこりと笑む。

もつられて笑った。


「――お願いします」


そしては今まで気になっていた疑問をピエロにぶつけた。


「最初…私がこの世界に来るときも天球の紋章に会ったんだけど、……口調がぜんぜん違うよね?」


今までは気に留めなかったのだが、戦争が終結し、余裕が出てくると途端に気になってきた。

ピエロは「ああ」と言って、答える。


「あれは確かに天球の紋章だけど、僕じゃないから。あれは……まあ、いつか分かるし今はいいか。

とにかくあれは僕じゃないってこと。これ以上は説明がややこしいから省くよ?」

「…よく分からなくなってきたけど。うん、じゃあいつか教えて」

「もちろん。……ところで今はどこに向かってるの?」

「え?ああ、一応トランに。……方角があってるかどうかは疑問なんだけど」

「逆方向だね」

「………」


くすりと笑ってピエロはの手を取った。


「バナーの村の付近まで送るよ。そこから先は一人で行けるね?」

「うん…ごめん」

「言ったでしょう。僕は君のために在る。謝る必要はないんだよ」


は目を少し見開いてピエロを見る。


「でも、最低限の礼儀は誰にでも必要だと思う。それが感情を持つものにならなおさらに」


ピエロはその言葉に驚いたようだった。

珍しい表情を見たとは少し嬉しくなる。


「……君が主で良かったよ、本当に」

「あはは、ありがとう」

「こちらこそ。――主になってくれてありがとう。

……じゃあ、行こうか」


は頷く。

一瞬の後、一陣の風が吹き、その場から二人の存在が消えた。



――空は青く、風は優しく、雄大な大地は全てを包み込んでいた。










と化身の残り香を乗せた風は同盟軍の城まで届いた。

風は人々の間を通り抜け、城の中を駆け巡り、やがて一つの部屋にたどり着く。

開け放された扉から部屋の中へと入ったそれは、そこでふわりと霧散した。





テーブルの上の本が静かにめくれた。















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2005.5.1
2006.9.20加筆修正

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