天球ディスターブ 13





宿の入り口に兵士2人、2階への階段前に1人、それぞれの窓に1人ずつ、人1人につき1人ずつ。

そして中心にラウドがいる。

目の前に座っているユリは妙に冷静で、この状況ではそれがかえって浮いていた。

ごく少ない他の客を見ると、やはり皆怯えているようだった。

そんな中では頭をフル回転させて逃げる策を練る。

――どうするか。

実力行使はまず無理だ。

相手はそれなりに訓練しているだろうし、宿で紋章を使うわけにはいかない。

となると、


「演技力の問題か」

「何か言ったか?」


傍にいた兵士が聞いてきた。金髪碧眼の、およそ兵士と呼ぶには縁遠く思われる男だ。

はただ黙って首を振った。

相手はが怯えていると思ったのか、それ以上聞いてはこなかった。


「怖いとは思うが、少しの間だ。辛抱できるか?」


しかしさすがにこの言葉には驚きを隠せなかった。

表情に出ているそれ隠そうともせずにはその兵士を見上げる。

兵士はと目が合うと困ったように笑って、すぐに表情を隠した。


「大丈夫?…」


冷静だったユリが幾分か心配そうに聞いた。

そして口の端を持ち上げた。


「心配しないで。あたしのお父さんは強いから」


その言葉にいささか疑問を感じつつも、とりあえず頷くことにした。






「主人はいるか!」


ラウドが声を張り上げた。


「先程も言ったとは思うが、この宿にテレーズがいるとの報告があった。調べさせてもらうぞ!」


すると宿の奥――あそこは厨房だろうか――から一人の屈強な男が出てきた。

身長はラウドのそれを軽く越えていて体格なんか比にならない。

あごにひげを生やして、いかにも『強い』といった感じだ。

料理人らしい。大きな出刃包丁を持っていた。


「俺がこの宿の主人だ。悪いがここに市長はいねぇよ。出て行ってもらおうか」


威厳たっぷりに言う。はその迫力に体を強張らせた。

ラウドも一瞬怯んだが、すぐに無理やり余裕の笑みを作って言う。


「フ…フン!信用できんな!おい!宿を調べろ!」


兵に命令を下す。客の後ろについていた兵士がガタガタと動き出した。

しかしについている兵士は動かない。動く気配もなかった。

主人は無言でラウドを睨みつける。

「ひっ」と小さく漏らしたのが聞こえた。


「凄いね…」


は感嘆の声を上げる。

ユリが微笑んだ。

頭上から小さな笑い声が聞こえて、見上げると兵士が笑っていた。

――いいのだろうか。

そう思ったのがどうやら分かったらしい。兵士は小声で話した。


「ラウド隊長はあまり好かれてないからね。分かるだろう?」


は言い争っている――といってもラウドの一方的なものに近いが――二人を一瞥した。

そして兵士のほうに顔を向け、苦笑した。


「なんとなく」


兵士が笑った。金の髪が陽に照らされてキラキラと光った。





しかし、何時までもここでモタモタしているわけにはいかない。

今の間にも人は集まってきている。シンが来るのも時間の問題だろう。

――だけどタイミングってどうやって計るものなんだろう。

策は既に頭の中で組みあがっている。

後は実行に移すだけなのだが。

――何時までたっても埒があかない。

この際タイミングは無視しようか。そのほうが楽な気がする。

よし。


「あの」


は兵士に声をかけた。

惜しいのは、この兵士が男であるということだ。


「ん?」


未だに笑って宿の主人とラウドの一方的な戦いを見つめていた兵士はこちらに顔を向けた。


「お手洗いに行きたいんですけど」


兵士の表情が凍った。





「…あー、うん、そっか。……うーん…」

「ダメですか?」

「いや、ダメじゃないんだけど、隊長があんな状態だからなあ」

「あぁ、なるほど…」


ラウドが見咎めたらに火の粉が飛んでくるのは間違いない。いや、火の粉どころではないかもしれない。

未だに言い争っている二人が恨めしく思えてきた。


「直談判でもしようかな」

「あはは。さすがにそれは止めておいたほうがいい」


笑って一蹴された。

としてはかなり本気だったのだが。

いくらラウドとはいえ一般人に手は出さないだろう。

それに不思議なことには今、恐怖とかその類のものを全く感じていない。

理由は分かる…のだが、気付きたくないというのが正直なところだ。なので考えない。


「何はともかく。行ってきます」

「おい、本気か?」

「本気です」


そうだ。

自分は一刻も早くここから抜け出さなければいけない。

猶予は無いのだ。





「あの…隊長さん」


できるだけしおらしく言ってみる。微かに俯いて上目遣いで――そんな自分に大きな違和感を覚える。

ラウドはもの凄い勢いで首をに向けた。


「何だ!!」


その形相に少々怯みつつ、何とか声を出す。


「お手洗いに行きたいんですけど」

「あぁ!?そんなもの勝手に行け!」

「はぁ、分かりました」


あまりにあっけない展開に、無表情で兵士とユリにVサインを出す。

二人は苦笑いしながら「行ってこい」と言った。

その後に兵士が口の動きで「気をつけろ」と付け加えた。

どうやらの目論見などとうに承知だったらしい。






トイレの窓は小さく、高かった。

だから天球の紋章で窓を枠ごと外し、浮いて外に出て、また窓を直した。

少し前は正直この紋章を疎ましく思っていた。

なぜ自分がこんな力を持たなくてはならないのか、そう思った。

畢竟、自分の置かれた状況をこの紋章のせいにしてしまっていたのだろう。

考えてみれば紋章を宿すと決めたのは紛れもない自分自身、状況に紋章は無関係であるというのに。


「ま、移ろいやすいのは乙女心と秋の空、ってね」


嫌気がさす。










宿はグリンヒルを取り巻く森に面していたようだった。

柵の向こうには深緑の空間が広がっている。

身を隠すには丁度良いだろうと思い、は森の中に入っていった。



その森はグリンヒルに来る前に昼寝をした林とは違い、雑草が多くて居心地がいいとは言えない。

は即座に森を出て、宿の裏にある道具屋でシュウにもらった金でブーツを買うことにした。

小さな袋に金を入れてあるのだがどれが何なのか分からない。

店の気前のいいおばさんに教えてもらい、やっとのことで買えた。

金貨は1万、銀貨は千、真ん中に穴の開いた銀貨は百、銅貨は十、真ん中に穴の開いた銅貨は一ポッチ。

穴の開いた銀貨と銅貨は開いていない銀貨と銅貨より一回り小さい。

慣れれば簡単のようだ。





森を歩く。

別に歩いて時間を潰す必要もないのだが、散策の気分だ。

宿側の森には薪に使われたらしい木の切り株があったが、奥はあまり踏み入られていないらしく荒れ放題だ。

いや、寧ろこれがもともとの自然の姿なのだろう。



歩くたびに苦しくなる。もどかしい。もやもやした感情が沸き起こってくる。

一人の孤独が身に沁みるとでもいうのだろうか。

それともたちに正面向いて会えない惨めさに腹が立っているのか。


「―――っ!」


ドン、と木を右手で叩いた。

だめだ、気がついてはいけない。そう自分に言い聞かせる。

何に気がついてはいけないのか考えたくもなかった。





「そこで何をしている?」


後ろから声が聞こえた。

振り向いて声を発したであろう人物を見て、は目を見開いた。

光の加減では銀髪にも見える長い髪を後ろで一つに括り、白い服を着た人物。

ズボンは黒だが圧倒的に白の度合いが大きいので印象はやはり真っ白だ。

ハイランドの次期皇王。

同盟軍軍主の幼馴染。

――ジョウイ。


「……」


は沈黙する。

何を言えば良いのか分からなかったし、また何と対応すれば良いのかも分からなかった。

ジョウイは小さく溜息をついて、


「こんなところに人がいるのも珍しいけど…もしかして、宿から?」

「いきなり核心突きますか」


様子から察するに、彼はどうやら宿の騒ぎを知っているらしかった。

ならば自分が宿にいたことは隠したって無駄だろう。そのうちに分かることだ。

それに事実を言ったところでさして支障も無い。

ただ、同盟軍と自分の関係が露呈するのは困る。しかし逃げ切れるかと聞かれれば微妙なところだ。


「捕らえますか?」


それにしても自分は何故こうも冷静でいられるのか。そのことが不思議でならない。

むしろ彼を前にして嬉しさすら感じている。

状況が状況なだけに表に出すことができないだけで、こんな状況でなければ自分はきっと狂喜乱舞している。

なぜ危機感を感じないのか。

――まだ、その理由には蓋をしておこう。

気付けばきっと傷つく。


「いや…別に捕らえない。だけど、一つ聞かせてもらえるかな」

「何ですか?」

「君は同盟軍の人間?それともグリンヒルの市民?」

「………」

「もしかして同盟軍?」

「……はあ、まあ」


頷くとジョウイはいささか驚いたようだった。

そちらが看破したんでしょうにとが言うと、まさかこんなに早く肯定するとは思わなかったと返された。


「だってジョ…あなたはハイランドの人ですし。隠してもいつか分かってしまうかもしれないじゃないですか」


「まぁ、そうだけど」と言ってジョウイは顎に手を当てた。

そして突然気がついたように顔を上げる。


「僕、ハイランドの人間だなんて言ったっけ」


しまった、と思うが時既に遅し。

ジョウイの目は疑惑に満ちていた。

これはなんとかして言い訳しなければいけないだろう。は必死に頭を回転させる。


「同盟軍の人じゃないのはすぐに分かりました。なにせ自分が同盟軍なので。

あとは服がグリンヒルの人たちと違って高級感漂うものだからここの人じゃないと思いました。殆ど勘です」

「ああ、成程ね…」


ジョウイは納得したような表情になる。

は胸を撫で下ろした。

だが、心に余裕ができると同時に疑問も湧いた。


「どうしてここにいるんですか?」

「え?」

「あ、いや…言いたくないなら別に言わなくてもいいんですけど。

そんな服着てるからにはそれなりの役職についているんだろうし、だったらこんなところにいるのは変だな、と」

「……今、グリンヒルはハイランド軍が占領している。旅人は入れるようにしてるけど、同盟軍は弾いている」


ジョウイはゆっくりと話し始めた。


「正直、君が何故入れたのかは分からない。大方君が同盟軍だとは思わなかったんだろうけど」


これは貶されているのだろうか。

しかしジョウイは皮肉るような笑いも嘲笑の類も浮かべていない。

彼はの視線の意味に気がついたようで苦笑した。


「変な意味で言ったんじゃないよ。この時世、それは良いこととして捉えていい。

敵に見られないことは大きな武器だ。…もっとも、君には縁のないことなのかもしれないけどね。

話を戻すけど、そのハイランド軍の総指揮官が僕なんだ」


知っているとは言わないし、言えない。


「ここに来たのは偶然だ。理由はないよ。敢えて言うならリラックスかな」

「こんな時に?」

「こんな時だからさ。焦って指示を間違ったらそれこそダメだ。色々と…思うこともあったしね」


それはもしかしたらの事かもしれなかった。

ユリの話が本当なら――ハイランド軍がテレーズの首に賞金を掛けたのなら――二人は既に会っている。

ジョウイは一瞬悲しそうに目を伏せて、そして顔を上げて言った。


「…そろそろ戻ったほうがいいかな。君も戻るといい。騒ぎも収まっているだろう」

「何で捕らえないんですか?」


さっきから疑問だった。

何故彼は自分を捕らえようとしないのだろうか。


「僕は『ハイランド軍の総指揮官』としてではなく、『ジョウイ』として君に会った。そういうことさ」


何とも意図の掴み難い回答だ。


「そうですか」

「…敬語はいらないよ。今の僕は『ジョウイ』だから」


そう言ってジョウイは苦笑した。


「じゃあ、また」

「じゃあね、『ジョウイ』」


ジョウイの横を通る。

その時、ジョウイがに向けて言った。


「今度また会えたら、その時は名前を教えてくれるかい?」


は振り返った。


「勿論」


そうして黒き刃と天球は別れた。










「お帰り」


出たときと同じように宿のトイレから入ると、ユリが微笑んで出迎えた。

長いお手洗いだったわね、と少々揶揄を含んだ声色に安心する。


「聞かないの?」


理由も言わず出て行ったので怒っているかもしれないとビクビクしながらここまで来たため、拍子抜けする。

ユリはそんなとは裏腹に、笑って答えた。


「誰にでも言いたくないことくらいあるでしょう?」


その優しさが嬉しくて、何故か少しだけ切なくて、泣きたくなったということは彼女には言えなかった。





夕食を早めに取り、部屋に戻る。

ベッドの中に枕やら本やらを詰め込んでダミーを作ってみた。

ランプの灯りを消して窓から飛び降りる。

地面につく直前でふわりと浮いた。

どうやらこの紋章はが危なくなると本人の意思とは無関係に力を発揮するようだ。

以前同盟軍の城の自室で、ベッドから落ちそうになったときに確認した。

そして幸いなことにその「力」の中に攻撃は含まれていないらしい。

もし含まれていたらと思うと少し怖い。知らない間に誰かを傷つけることになりかねない。

ただ、解せないことはある。

以前モンスターに斧を振り下ろされたとき、体の周りに壁みたいなものができて攻撃を防いだ。

だがその後子供に石を投げつけられたときは何も起こらずに額に直撃した。

モンスターと人の差か。それとも己の意識の違いか。

それは分からないが、まあ、今は考えずともいいだろう。

今はただ与えられた仕事をこなすだけだ。

は場所を頭に思い浮かべ(実際には地名を意識するくらいだが)、テレポートした。






『ここがテレーズさんがいる小屋?』

『そうらしいな』

『ねっねっ、早く行こうよ!』

『慌てるな、ナナミ』


複数の男女の声が聞こえた。

どうやら自分はとても都合のいい場所にテレポートできたらしい。

幾分離れているため彼らの表情は見えない。しかし、そっちのほうが気配を読まれずに済むのかもしれない。

は気配を読むことも消すこともできないので詳しいことは何も判らないが。



ここで確かシンがたちに攻撃を仕掛けるはず。

自分はその中で、が傷つかないようにすればいい。気付かれないように。

とは言ってもそんな器用なことができるわけはないので、せいぜいこっそり治療するくらいだ。

それすらもできるか分からないけれど。



向こうの林の中に月明かりに照らされた黄色のターバンとオレンジの服を見つけて、はビクリとした。

今にも飛び出しそうな勢いだ。




彼の持つ剣が月明かりを反射した。















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2004.1.12
2006.7.17加筆修正

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