天球ディスターブ 12





「すみません。泊まりたいんですけど」


昼というには早すぎて、朝というには遅すぎる。そんな刻限の学園都市グリンヒル、その宿屋にて。

はカウンターの少女に声をかけた。

少女の黒髪は背中の中ほどまであり、頭には三角巾のようなものを巻いている。

ベージュのブラウスの上に淡い赤茶のカーディガンを着て、

群青色のロングスカートの上に真白なエプロンをつけている。

目はパッチリしていて、なかなかに可愛らしいお嬢さんだ。


「はい!何泊されますか?」


少女はにっこりと笑ってに対応した。


「2,3日ぐらいかな?はっきりとは決まってないんですけど…」

「部屋は空いてますから大丈夫ですよ。じゃあこれに名前を書いてください」


差し出されるペン――羽ペンではないが、インクをつけて使用するタイプのようだ――と帳面。

困った。


「……」


一定間隔で丁寧に区切ってあるそのページには文字らしきものが書かれている。

の前に泊まった人、あるいは泊まっている人の名前なのだろう。

――ただ、どれも何と書いてあるのか分からない。


「どうしたんですか?」


いつまでたっても記入しないを不思議に思ったのか、少女が尋ねる。

は小さく息を吐いて言った。


「…代筆してください」










あてがわれた部屋は個室で、決して派手な造りではないがアットホームな雰囲気のある良い部屋だった。

部屋の大きさは本拠地の自室の二倍以上あるだろう。

家具は全て木でできていて、柔らかな色彩が心地良い。

ベッドの上の布団もよく日に干されているのか、温かくふかふかしている。

つぶしてしまうことに少々勿体無さを感じつつもはベッドに仰向けに寝転んだ。

途端に睡魔が襲ってくる。

最近寝てばかりいる気がしてならないのだが、まあいいだろうと割り切っては目を閉じた。

1時間かそこらで目は覚めるだろう。



しかし。



「あー…」


窓の外に広がるのは青みが強い紫色。

ずっと向こうには綺麗な橙の空が見える。

雲も薄っすらとオレンジに染まっているが、やがて深い夜の色が夕日を隠してしまった。


「お昼食べ損ねた」


もしかしたら夕食も終わっているかもしれない。時計がないのが難点だ。

部屋はいつの間に灯されたのか、壁に掛かっているランプの光が照らしていた。





コンコン、とノックの音が響く。


「どうぞ」

「失礼しまーす」


入ってきたのは受付に居た少女だった。

心なしか、はこの少女を知っている気がする。


「図々しいかな、とは思ったんですけどねー」


少女は両手にトレイを持っている。


「夕食、やっぱり終わったんですか」

「え?ああ…ウチは夕食の時間は決まってませんよ?」

「そうなんですか」


トレイをテーブルに置く。


「持って来てくれたんですか?」

「ええ。…ねえ、敬語やめていい?見たとこ貴方、私より年下だし」

「勿論」


テーブルにはトレイが2つのっている。


「でも何で?」

「うん、ちょっとね。お話したいなーって」


食べながら話しましょ、と言って少女は部屋の隅にあった椅子を運んできて、それに座った。

は備え付けの椅子に座る。

トレイの中にはパンとスープ、サラダ、それに何かの肉をソテーにしたものが皿に盛り付けられている。

量は別に少なくない。


「ね、名前教えて?あたしはユリよ」


名前を聞いて、やっとさっきの既視感の訳が分かった。

彼女は確か外伝に出ていた宿屋の娘だ。

驚きを表に出さないように表情を繕いながらも自己紹介をした。


です」

「ああ、敬語はなし!それとあたしのことは呼び捨てでいいから。あたしもそうするし。

……は、さ。グリンヒルが今までどうなってたかってのは知ってる?」


何故その話題が出るのだろう。

疑問に思うが、思ったところで不都合のあることでもなかったので、結局まあいいかと流すことにした。


「知ってるよ。ハイランドに抵抗してたんだよね」

――外伝もクリア済みだしね。

「うん。…まあ、あたしたちは結局ハイランドに負けちゃったわけだけどさ」


あ、もちろん逆転狙ってるけどね!と明るく言って、ユリは視線を下に向けた。


「ナッシュさんっていう人も加勢してくれて、いいとこまでいったんだけどね。やっぱり強かった」


誰が、とは言わない。

は相槌を打ちながら話を聞いた。


「それで、ハイランドの支配下に入った。最初は抵抗する人もいたけど、適わなかった。」

「うん」

「……夕食、どうだった?」


夕食は二人とも、既に完食済みだ。


「おいしかったよ」

「よかった。グリンヒルってさ、前は篭城してたせいもあって食糧不足だったんだけど今は違うの。

……ハイランドから食料が来るようになったから」

「微妙な心境?」


ユリはフフ、と笑った。


「そうね、凄く微妙だわ。敵から塩を送られるの。とても複雑」

「敵から送られた食料じゃ、ご飯は美味しくない?」

「美味しいわ」

「うん。美味しかったよ、夕食」


ユリはまた笑った。今度は眉を八の字にした悲しそうな笑い方だった。


「皆もそう思ってる。どこから来た食料であろうと、人が心を込めて作ったものは美味しいって。私もそう思う。

でも、不安なの。いつか皆が心変わりしそうで」

「心変わり?」

「『ハイランドのほうが良い』って。テレーズ様のことは忘れて」


そうか、と思った。

目の前の少女は怖がっているのだ。

食料が来て喜ぶ皆に不安を感じている。

いつかテレーズがここに戻ってきたとき、皆が食料のためにテレーズを引渡しはしないか、と。

その気持ちは分からなくもないし、テレーズも市民のためならと喜んでその身を差し出すだろう。


「それに今日ね、ハイランドの人達が来たの。何だか偉い人も一緒みたいだった。ジョウイって言ってたかな。

テレーズ様を捕らえろって。賞金までかけて、『ハイランドは死体に金は払わない』って言って…っ!」


ユリの目から涙がこぼれた。


「皆が、皆の心がテレーズ様から、グリンヒルから離れていくのが怖い…!」

「……」

「嫌いよ、ハイランドなんて!お金に目がくらんだ皆も嫌い!!戦争なんて大っ嫌い!!!」


は席を立って、部屋に備え付けてあったタオルをユリに渡した。

ユリはそれを受け取り、顔に押し付けて声を殺して泣いた。






「落ち着いた?」


恐る恐る伺う。

結局は慰めることも何もできなかった。

どうやって慰めたらいいのか分からなかった。

自分が経験したことのないものばかりだったから。


「ん。…ごめんね。初対面なのにこんな…」

「いいよ。お父さんとかお母さんには話せないし、それは」

「うん。友達にも言い辛かった。でも誰かに言ってしまいたかったの。ごめんなさい、あなたを利用したわ」


目は腫れているが、どうやら落ち着いたようだ。


「話を聞くくらい利用したうちには入らないよ。それに、聞いたのが私でよかった」

「え?」

「だってユリさんは可愛いから。男の人に話してたら襲われてたかもよ?」


宿泊客はほとんど男の人だったし、とはにやりと笑って言ってみる。

一泊の間をおいてユリも笑った。


「それを見越してに話したんだもの」


顔を見合わせて、やがて耐え切れなくなったようにお互い噴出した。

部屋に笑い声が満ちる。





「…あー、笑った。横腹痛い」

は笑いすぎよ。宿に来たときは物静かな人だなって思ったのに」

「私以上に物静かな人はいませんわよー」

「急に口調変えないでよ。また笑いたくなっちゃう」

「ではくすぐって差し上げましょう!」

「謹んで遠慮させていただくわ!」


そしてまた笑い声が上がった。






「…何だかなあ。あたしさっきまであんなに真剣だったのに。何かもう、どうでもいいわ」


とユリはベッドに腰掛けている。


「そりゃ良かった。でも一つ聞いていい?」

「何?」


は一呼吸置いた。


「グリンヒルの人は、食料や金でテレーズ市長を売る人ばっかりなの?」

「え…」

「それが分からない。でも、ユリさんの話を聞いてると、そんな人だらけの気がした」

「それは…」


ユリは口ごもった。

まずいことを聞いてしまったかなとは思う。単なる好奇心からの質問だったので深い意味はないのだが。

もっとも言ってしまった以上、取り消すこともできないけれど。


「これは私の勝手な希望なんだけど。そんな人ばかりじゃないって思いたいよ」

「……」

「ユリさんの言うような人もいるだろうけどね、そりゃ」

「……違う」

「ん?」

「違うわ、そんな人ばかりじゃない」

「……」

「皆、皆優しくて…温かくて…それで」


ユリはこちらを向いて笑んだ。

綺麗な笑みだった。


「皆、テレーズ様が大好きなのよ」


も微笑んだ。

はたして微笑みになっているのかどうか自分には分からなかったが。


「皆を信じてる?」


は言った。

ユリ胸を張って言った。


「勿論よ!」










「おはよう、!」


翌日の朝、目が覚めるとベッドで眠っていた。

実のところベッドに入った記憶がない。だから眠った覚えもない。ただ、疲れだけはどうやら取れている。


「おはようユリさん」

「もうお昼だけどね」

「どうりでやけに明るいわけだ」

「昨日は大変だったのよー?ってば途中で寝ちゃうし」


どうやら自分は話の途中で眠ってしまったようだ。

寝かせてくれたのはもしかしなくてもユリだろう。


「…ごめん」

「いいわよ。恩返しできたしね。お昼…というかには朝ごはんかな。食べる?」

「食べる」


適当なテーブルを探し、そこに座る。入り口から一番遠い隅のテーブル。

ユリが食事を持ってきてくれた。


「少し軽めにしておいたわよ」


さりげない心遣いがユリの優しさなのだろうと思う。

それにしても今はお昼といっても遅い時間なのか、食堂に人はあまりいない。日差しだけが強い。

そんなに眠っていたのだろうか。


「そういえば」


ユリが思い出したように言葉を発した。。

は食べる手を止めずに顔を上げる。


は何でグリンヒルに来たの?昨日は一日中寝てたみたいだったけど」


何でだって?はほんの少し眉を顰める。

そんなの勿論決まっている。

達の護衛をするために――


「あ」

「どうしたの?」


ユリが可愛らしく首をかしげて聞いてくる。

は食べる手を止めた。


「忘れてた…用事」

「えぇ!?」





そのとき、宿の入り口の扉が乱暴に開いた。

何人かの兵がどやどやと上がりこんできてたちを囲む。兵だと分かったのは見覚えがあったからだ。

は息を飲んだ。紛れもなくハイランド兵だった。

――が、とりあえず昼食――にとっては朝食だが――を食べることにした。

手は震えていたがどうやら頭の方は冷静らしい。

混乱しているのは体だけのようだ。


「この宿にテレーズがいるという報告を受けた!主人はどこだ!?」


金色の髪、青い服の上に白を基調とした鎧を身に纏った中年の男が声を張り上げた。

――ラウドだ。

は直感的にそう判断し、知っている人物に会えたことへの一瞬の感動を打ち消した。

――不味い。

ゲームではシンというテレーズの護衛がラウドを追い払うのだが、それはすなわち達の接近を意味する。

自分がここにいることが彼らに知られるのは不味いことこの上ない。

表向き非戦闘員だからなのもあるし、の場合は護衛だと知られない方が動きやすい。

そしてそれ以上に、はまだフリックとナナミのことが吹っ切れない。

情けないとは思うが一度芽生えた感情、それも比較的負の方向のものは扱いが難しいのだ。


「……」


は昼食を食べ終え、目を険しくした。

何とかしてここから逃げ出さなければ。

いや、宿代を払っていないからまた来るけれど。




宿の周りに人が集まり始める。

騒ぎが大きくなってきた。

これ以上ここにいるのは危険だ。

頭の中で警鐘が鳴り響いている。

心臓の動悸が激しくなる。




は唇を噛んで、それらから逃れようとした。















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グリンヒルイベントを原作と大幅に変更しています。
(一日目)2主達入学→ジョウイとの再会→散歩するオバケ
(二日目)ラウドの宿屋騒動→散歩するオバケ2→テレーズと対面
(三日目)テレーズ救出
です。滅茶苦茶ですがご了承ください。
2004.1.7
2006.7.10加筆修正

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