6.






ベッド代わりのマイクロビーズのクッションには欠点がある。

朝、時々ずり落ちるのだ。








寝心地はいいのだけれど、ずり落ちてしまうのは如何なものか。

学校は8時半までに着けばいいというのに今は6時だ。

高校時代(過去形でないはずなのだが的を得ていると思う)は6時起きしないと電車に乗り遅れたのだけれど。

もぞもぞと羽毛布団から這い出す。二度寝すると後が余計に眠くなる。

しょうがないので今日はクラスに一番乗りだ。





半分寝ている頭と体でエア・トレックを走らせるのは危険だと思うので良い子は真似しないように。

そんな看板を作ろうかな、などとふざけた頭で考えつつ学校に着く。

靴箱の一つが異様な臭気を放っている。

クラスには誰もいなかったけれど、その代わり机の一つがとても強い存在感を示していた。


「生ゴミ、空き缶、空きビン、みかんの皮、カラスの死骸。うわー陰気」


ついでに言うなら机の上に「ションベンカラス」のラクガキ。あと、ガム。

ここまでするか。


「相当酷い目にでもあわされたのかな」


とりあえず換気を、と思い教室の窓を全開にする。

ふと目の前が眩しくなって顔を上げたら、ちょうど朝日が昇ってくるところだった。

冬の朝日はこんなにも遅い。

何だかまた眠くなってきたので、自分の机に座ってうつ伏せになって眠った。





ザワザワと人の気配がだんだん多くなってきて、流石に眠れなくなったので目を開けた。

同時に鼻につく線香の匂い。

ゴミ箱と化していた机の上に線香が飾ってあった。


「あ、、やっと起きた!」


目の前で声がする。

目線をあげると絵美理がいた。


「はよ、絵美理」

「おはよっ!ってば最近眠そうだねー。どしたの?」

「いや、まあ、ちょっとね」


まさか「夜遅くまで河原でエア・トレックの練習していました」なんて言えるはずがない。

私はお茶を濁した。


、起きたんだ?おはよ」

「はよー、弥生」

「ていうか、ほんっとよく寝てたよねー。もうホームルーム終わってるよ?」

「そうそう。トンちゃんが何回呼んでも起きないんだもん。死んだかと思ったわよ」

「トン…ああ、担任の」


そんなに眠っていたとは。

私は何となくバツが悪くなって、話題を逸らそうと目線を宙にやる。

その中で、あの机が見えた。


「ねえ、絵美理、弥生。あの机は?」

「机?…ああ」


弥生の表情が暗くなる。


「…トーゼンの報いだよ」


絵美理の表情も険しくなった。

この話題はマズかったか。


「…まあいいや。私、3時間目くらいまで寝るから、フォロー頼んでいい?」

「いいよ。何て言っとく?」

「『遅くまで勉強してました』って?」

「うん、そんな感じでよろしく」

「貸し一つね。いつかケーキ奢って!」

「私は抹茶パフェで」

「はいよ」


そして目を閉じた。

本当に眠い。疲れているのかもしれない。





ドカッという音で目を覚ました。

私は目覚ましがなきゃ起きれんのかい。


「……――5秒数えっから前に出ろ」


えらくドスの聞いた声が静かに教室に響く。

怒っている南樹の姿が寝起きでぼやけた世界の向こうに見えた。

クスクスと笑う声が聞こえる。陰口も聞こえる。最悪の寝起きだ。


「………」


南樹はそんなクラスの態度に黙る。

怒りのような落胆のような微妙な視線をクラスメイトに送って、最後に私のいる方を見る。

目が合った。


「おはよう、南くん」


どうしようかと迷ったが、あれだけ関わっておいて今更知らん振りはできない。

南樹は驚いているようだった。


「お、はよ」


どもりながらもそう言った。

あれだな、「南くん」という呼び方は「南を甲○園に連れていって!」みたいだ。

私が話しかけたことにクラスが静まり返ったが、すぐに笑い声と陰口が聞こえた。

南樹はますますきまりが悪くなったらしい、教室を出て行ってしまった。





…なんで話しかけたの?」


弥生が訊く。


「目が合ったから」


私は答える。

絵美理がすぐさま反論した。


「でも、アイツのせいで東中のみんなが危険になってるんだよ!?アイツのせいで…っ!!」


涙目でそう訴えられると、さすがにこたえる。

でも、私には私の美学があるんだ。

そしてその美学は、南樹にこんな陰険なやり方で制裁を与えることじゃない。


「絵美理、弥生」


2人が私を見る。私はできるだけにっこりと笑ってやった。


「危険な目にあいたくないんだったら、私と話さないようにしたほうがいいと思う」

「な、何言って…」

「私は南くんにああいうことするつもりはないよ。南くんを庇うつもりもないけどね」

…?どうしたの?ねえ、何言ってるの?」


私は苦笑する。


「今回は中立の立場をとるよ。他に中立の人がいないみたいだし」


対立する人がいるのなら、中立の人がいなくてはならない。これが私の美学。

別に毎回毎回中立の立場をとるようなことはしたくないのだけれど、今回は中立がいないから仕方がない。

冷静に見つめる目は、ないよりあったほうが被害が少なくて済む時もある。

とても寂しいけれど。


…ごめん」

「いいよ。これは私の我侭だし。じゃあ、また『いつか』」

「………」


絵美理と弥生が、私から離れた。








廊下をとぼとぼと歩く。

正直、2人が離れたのはすごく辛い。

また友達になれるかどうかも分からない。

廊下の窓から水路が見えた。


――中立だとか、美学だとか、そんな奇麗事ばかり並べても、本心はとても狡賢い。


誤解がいずれ解けるのが分かっているから奇麗事が言えるのだ。

もしも私がこの世界の住人だったら、間違いなく南樹に陰険な制裁をする側だろう。


「………っ」


嫌な考えを振り切るように頭を左右に振る。

そしたら、どこかの窓からバッグのようなものが水路に投げ込まれるのが見えた。

驚いて廊下の先の方に目を凝らすと、南樹が誰かを殴っていた。

痛そうだ。殴られている方も、殴っている方も。


「………」


放課後のチャイムが鳴る。

私は駆け出した。








ジャージに着替えて、エア・トレックを脱いで、ズボンの裾を捲り上げて水路に飛び込んだ。

ザパ、と水しぶきが太腿の辺りまで上がって、捲り上げたのに濡れる羽目になってしまった。

2月の水はとても冷たい。


「どこらへんに落ちたっけ」


腕捲りをして水路に手を突っ込んで探す。

でも、なかなか見つからなかった。





「何してんだよ」


上から声が聞こえて仰ぎ見ると、ニット帽の美鞍葛馬とオニギリと、あと誰か知らない人がいた。


「エア・トレックを探してるんだよ」

「何で探すんだよ!何であいつを庇うんだ!?」


オニギリが叫ぶ。

ああ、彼は妹が狙われているのだったか。


「別に庇っちゃいない。ただ私が探したいから探してるだけ。貧乏性なんで。エア・トレックって高いし」

「関係ねえよ!やめろよ!!あいつのことなんかどうでもいいだろ!!」


美鞍葛馬も叫ぶ。

言葉とは裏腹に表情が苦しそうだ。


「君達の」


よく見れば3人とも苦しそうな表情をしている。


「君達の『南樹』に対する気持ちは、そんなに薄かったのかな」

「え……」

「端から見て、君達が一番、南くんを信頼していたように見えたんだけど」

「っ……」

「買い被りだった?」


これは本当。

誰が一番彼に信頼を寄せているかなんて、見ていればすぐに分かる。

ただ、彼らは仲が良かったから、相手に期待しているから、南樹の敗北への落胆も人一倍大きいのだ。




足にゴツゴツした感触があった。

手を水の中に入れ、引っ張りあげる。



――ああ、やっとみつけた。



私は「それ」を肩からさげて水路から這い上がる。

タオルを持ってきていないので自然乾燥を待つしかないのだけれど、もう言うことなしに寒い。

「それ」を一番近い美鞍葛馬のところまで持っていって差し出す。


「私は寒いから帰るけど、これを南くんに渡してほしい」

「…見つけちまったんだな」

「手間が省けてよかったんじゃない?探すつもりだったんでしょ」


彼らは一様に腕を捲くり、ズボンの裾を折り曲げている。

美鞍葛馬はエア・トレックのバッグを受け取った。


「…サンキュ」

「いえいえ」


鞄とエア・トレックを右手に持ち、私は裸足のままそこを後にした。








夕日が校舎を照らし、すでに校舎にもグラウンドにも誰もいない。

スカルセイダースから逃げている部分もあるのだろう。

セーラー服に着替えようやく乾いた足に靴下とエア・トレックを履き、ホイールをロックして靴の状態にして歩く。

校門のところまで来てスカルセイダースのステッカーを見て、口元がほころんだ。


「ステッカーの上貼りは、バトルの合図、ですねー」


髑髏の上に、眠りの森。





――私がこの件に関わるのはここまでだ。


南樹の誇りは彼が自分で間垣から取り戻すだろう。

スリーピング・フォレストの3人が、「しゃれこうべ」――髑髏を眠りにつかせるだろう。

出来ることならその様を見たいけれど、場所を知らないので、やっぱりここまでだ。


私は家に帰った。












私のお風呂は銭湯だ。

離れに風呂がついていないし、洗濯機もないのでコインランドリーにも行かなければならない。

銭湯に行って、コインランドリーで服を洗って乾かして家に帰る。

これが私の夜のスタイルだ。

最近はエア・トレックの練習で少々そのスタイルが崩れていたのだけれども。



バスタオルとシャンプーとリンス、それに石鹸をバッグに入れて銭湯まで歩く。エア・トレックではない。

銭湯のおばちゃんとおじちゃん(夫婦でやっているのだ)とはすでに顔見知りとなった。

そりゃ毎日行っていれば顔見知りにもなるさ。





電灯の明かりがついたり消えたりしている道を真っ直ぐに行って、2つ目の角を曲がる。

電柱にもたれかかっている人影が見えた。

人影は私の姿を認めると電灯の明かりの下に出てきて、ほっとしたように息をついた。


「あ、あの…道を聞きたいんですけど…」

「はい」

「銭湯って…どう行けばいいんですか?」








右目に眼帯をした少年だった。
















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亜紀人登場。
3月くらいの時点で「最近」引っ越してきたってことは、2月にはもう引っ越していたって事でいいのかな、とか。
違ってても黙認してください。(…)
2004.8.5

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