1.






女の子は大抵、どこかしらに夢見がちな部分を持っていると思う。

それは「いつか王子様が」であったり、まあ、今風に言うなら「いつか素敵な彼氏が」てことだけれども。

「私は夢見がち少女じゃない」と否定する人もいるだろうけれど、小さい頃のことまでは思い出せないよね。

かくいう私も夢見がち少女。

マンガとかゲームとか、そういうものの設定やキャラに惚れこむタイプの、「夢見がち少女」なんです。











「でもだからといって『マンガの世界に行きたーい』とかっていうわけじゃないんですよ」

「ほう。あくまでも傍観者だと?」

「ふれあいたいって気持ちはありますけどね。それよりむしろ、現実世界に設定を持ってきて欲しいっていうか」

「それは一体どういうことなのでしょうか?」

「今の私の状態であれば、『エア・トレックを作ってほしい』みたいな」

「ふむふむ。……ありがとうございました。お疲れ様です、もう帰っていただいて結構ですよ」


椅子から腰を上げると、ガタン、と音がした。

今まで質問をしてきていた相手に軽く会釈をして、学校特有の引き戸のドアを開けた。

そのまま外に出て、閉める。

ガラガラという、ガラスが揺れる音がやけに大きく聞こえた。

廊下の窓から夕日が差し込んで私の顔を照らす。グラウンドの野球部やサッカー部の喧騒が遠い気がした。

私は振り向いて、出てきたばかりのドアの横の、木で出来た大きな表札を見上げる。



「新聞部」と、達筆な字で書かれていた。









取材の以来を受けたのは先週の金曜日のことだった。

特集は「夢見がち少女」についてらしい。

他にも何人かに声をかけていたようで、私の取材は一番最後のようだった。




バッグを肩に掛けて、木で作られた廊下を歩く。

歩くたびにギシギシと音がするのは、体重がそんなに重いのかと思ってしまうので勘弁してほしい。

擦れ違った二人組みの女子(上履きのいろが違うので下級生)の笑い声も遠く感じた。




匿名なので世間体などは気にせずに、正直に話してほしいと言われた。

だから正直に『エア・ギア』について話した。

私はいわゆる「隠れ」というやつで、クラスでは普通を装っている。世渡りを円滑にするコツだ。

なぜかウチの学校にはマンガやゲームが大好きな、「そういう人」が少ない。

私のような「隠れ」はともかく、堂々とさらけ出している人は、まあ何というか、一目置かれるのだ。

さらけ出している人に言わせれば、私は「隠れ」と言えるほど堕ちてはいないらしいが。

自分達のことを『堕ちている』というのは謙遜ではなく、賛美なのだそうだ。分からん。




応援団の人が練習する声が聞こえる。

来月の運動会に向けて猛特訓しているようだ。

毎年の事ながら、よくやるもんだと思う。

お茶汲みをしている友人から、倒れる人が続出だという話を聞いた。




「そういう人」について、ウチの学校は少々変わっている。

例えば『堕ちている』という言葉をウチの「そういう人」達は賛美として使うが、他の学校ではあまり見られない。

中には使うところもあるそうだが、一般に普及しているわけではないらしい。




下駄箱のスノコのうえに上履きのままあがる。

「土足厳禁!きれいな校舎は皆の心掛けから!」と書いてある、はがれかけた整備委員のポスターが見えた。

気だるげに靴箱を開け、靴を取り出して上履きを入れる。靴はその場で履いた。

トン、とスノコの上に立つと、ポスターがついにはがれた。




「類は友を呼ぶ」

今回の取材もそんな感じだったらしく、新聞部で唯一の「そういう人」が、同じ「そういう人」を取材していた。

それも片っ端からだったので、私のような「隠れ」も取材を受けたというわけだ。

誤解のないように言っておこう。

私は「そういう人」が嫌いではない。広い目で見れば私も同じなわけだし。

ただ、ウチの学校には「そういう人」が少ない――それが言いたかっただけだ。




駅まで歩いて5分。

随分と便利な場所に建っている学校だ。

電車通学の私にとって、とても都合が良かった。

さらに都合のいいことに、電車がもう来ていた。これ幸いと乗り込んだ。

夕日は電車の中をも赤く染めていて、その心地よい気温と人数の少ない電車独特の静けさが心地良かった。

ウトウトしてきたので目を瞑った。




そんな中で行われた「夢見がち少女」特集。

センセーションを巻き起こせだとかなんとかいう、意味不明なキャッチフレーズ付き。

起こしたきゃ起こしてください、私、興味ないんで。

今の状況に満足しているよ。

少ないけど友達がいて、家族は心身ともに健康で、成績は中の上で。(ていうかウチ、進学校だ)

余計な変化は要りません。今あるだけで十分。

スリル?ショック?サスペンス?(そんな感じの歌があったな)必要ありません。

普通が一番。これ、私の真理。




ウトウトしているだけのつもりが、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。

起きた時には、降りる駅の直前だった。

慌ててバッグから定期を取り出す。

駅員も改札口もない駅だから、ワンマン電車の運転手が出口で一人一人の切符と定期を確認するのだ。

電車を降り、ふと目を落とした定期に書かれた文字を見て、一瞬立ち止まった。




でもね、普通が一番とはいっても私だってホモサピエンス。人類なんです。

人類には文化があり、私にとって文化の中心はマンガとゲームなんです。

好きになるマンガやゲームだってあるし、憧れもする。

だから私は取材でこう答えた。「設定を現実世界に持ってきてほしい」と。

自分がマンガやゲームの世界に行くとか、そんな刺激いらないから、設定だけ下さいっていう。

ある意味これが一番ふざけた答えなんじゃないかな。

でも、本心だから。


私は「夢見る少女」で、「隠れ」で、そして。




空を見上げる。夕日はもうない。少し濃い青の空。

3年 

運動会が終わったら、皆受験に向けてアクセル全開になる。

3月になったら、受かった人も落ちた人も一緒に卒業する。

手を空に向けて、伸びをする。

駅の自転車置き場に停めてある自分の自転車を探して乗った。




「夢見る少女」で「隠れ」だった高校生活最後の夏が、終わろうとしていた。











「ただいま」


玄関で靴を脱ぐ。

大きくて黒い革靴があるのを見て、父親が帰ってきているのだと知った。

今はまだ7時前だ。こんなに早く帰ってくるのは珍しい。

居間に入ると母親が夕食の支度をしていて、父親は新聞を読んでいた。

父親は私の姿を目に入れると、手招きをした。


「お前に聞きたいことがあるんだが」

「何?」

「転校する気はないか?」

「ないね」

「……」


母親のリズミカルな包丁の音は止まない。

父親は深く息を吐いて、そして言う。


「すまない。選択肢はないんだ」

「説明を要求します」

「実は今度、代表取締役に昇格することになったんだが、そのせいで本社に転勤が決まって…」

「オメデトウ」

「…本社は海外なんだが」

「今すぐ昇格を取り消してください」


父親が困ったような顔をする。

いきなりのことに驚いてはいるけれど、分かっている。選択肢はない。


「一人暮らしを許してくれませんか」

「もちろんそのつもりだ。知り合いのアパートに部屋を頼んだよ」

「この家じゃないの?」

「ここはしばらく人に貸す。お前に維持は重荷だろう」

「確かに掃除が大変そうだ」


私はソファにドカっと腰掛ける。

あまりに急な展開に頭が混乱しそうだ。


「で、そのアパートがある場所は?」

「ここから200キロほど北だ」


なるほど、そりゃ通学は無理だ。

だが、大きな問題がもう一つ。


「私、受験生なんだけど」

「受験?…ああ、英検の」

「違う違う」

「それ以外に何か受けてたか?」


なんなのだろう、この違和感。

私が受験生であることは、親ならば重々承知のはず。

一瞬眉を顰めたけれど、すぐに考えを切り替える。

私が目指していたのは地元の国立大学だ。200キロの距離を通うつもりはない。

進学校にいたので、少しレベルを下げれば向こうの大学に受かる可能性もあるだろう。


「分かった。生活費は、バイトはするけど、最低限の仕送りはお願いします」

「向こうの学校はバイト禁止だと聞いているが」

「オウノゥ!」

「昇格したし、生活費くらいは送れるだろう。あとはお前の貯金でまかなってくれ。家賃は気にしないでいい」

「うーす…」


服とか、どうしようかな。











もともと私は、物がない部屋が好きだった。

だけど学生にそれはタブー。机とかタンスとかベッドとか本とか、物は増える一方なのだ。

アパートの部屋の間取り図は事前に父親が貰っていたらしく、それを見てレイアウトを決める。

トイレ・キッチン付きのワンルーム(ただし畳)だ。

風呂は無し(近くに銭湯あり)、洗面所はキッチンで代用。

考え抜いた末、家具は冷蔵庫と小さいテーブルだけにした。テレビはまあいいや。

服は要らないものは思い切って親戚にあげて、無印でダンボールの棚と引き出しを買って、それに入れる。

マイクロビーズのクッション(大)を買って、それをベッド代わりにしよう。畳なのでそこら辺で寝てもいい。

マンガやゲームは全部売ろう。少しでも禁欲して服に回すお金を作りたい。

そのかわり、向こうで小説か何かを買って暇つぶしにしよう。




なんと父親が転校を勧めた一週間後に転勤だったらしく、家族と過ごす最後の時間はとてもあっけなかった。

運動会の当日に引越しをすることになったため、実行委員に迷惑をかけた。

友達は泣いてはくれなかったし、私も泣かなかった。

ただ、メールのやりとりはしようね、と約束した。




そして今、私は例のアパートの自分の部屋の前にいる。

いや、正確にはアパートの「離れ」に。

左側を見ると、アパートの本体らしき建物がある。結構古い。というかこの離れはもっと古い。

家具は運び込んでもらった。とはいってもクッションと冷蔵庫とテーブルと無印のダンボール棚だけだ。

ああ、あと服と細かい洗面用品。


「大家さんに挨拶に行くかな」


引き戸の玄関を開けて、鍵を閉めてアパートの本体(本棟と言うべき?)に向かった。




「こんにちはー。新しく入ったというものですけどー」


それっぽい部屋(表札に名前が書いていなかった部屋)の前で少し大きめの声で呼ぶ。

呼び鈴を押せばいいじゃないかというのにすぐに気付いてヘコんだ。


「はーい」


高いこえで返事が返ってきた。大家の娘さんだろうか?

返事を聞いてすぐ、ドアが開いた。


さんですね!ようこそ!」


にっこりと笑った彼女はとても可愛かった――が。

眼鏡に二つ結びの髪型という、どこかで見たような風貌をしていた。

彼女は続けた。


「大家の野山野です!これからよろしくお願いしますね」




彼女の背後のテレビからは、「エア・トレック」のCMが流れてきていた。







すいません。変化=刺激なんだとばかり思っていました。

違うんですね。いや、確かにある意味刺激っつーか衝撃でしたけど。

生活の中にたくみに入り込んで、静かに変化していく場合もあるんですね。

ていうかどこで何が変わったんだろうか。

………。


あ、電車の中の居眠り、かな……。







ちなみに学校は「東雲東中学校」でした。(そらバイト禁止だわな)

これって年齢詐称になるのかな。














---------------
こんな変化の仕方はすごい迷惑だと思います。
2004.7.27

top  next