――ならばその時は、君の手で僕を。




Dyspnea




 溜めていた息を吐いて体重を軽く軸足に乗せる。反動をつけて地面を蹴り上げれば、標的ののど元まで一足飛びで達した。己の武器は切り裂くことのできない棍であるから、急所である咽喉を力の限り突く。標的であるモンスター―名前は覚えていない―は断末魔の唸りすら満足に出せず地に伏した。止めはささずともすぐに事切れるだろう、そう判断を下して棍に付着した土埃やモンスターの体液を拭う。やがて息絶えたのか、サラサラと粒子が風に舞うのを目の端で捕らえる。後には何も残らない。それがこの世界の理であり、自分にとっての常識である――と、は思う。何に変化して消えるのかという問題は、目下学者達が研究中だ。
 ああ、そういえば。
 それを「奇妙だ」と言ったのは誰だっただろうか。



 熱気を孕んだ風がの頬を撫でて通り過ぎていく。何度訪れてもこの気候にはなかなか慣れない。地理的には故郷より北にあるはずなのだが、何が原因なのかこの地の気温は故郷より高い。ここから少し行ったところにある経済自治国はいくらか自国に近い気温なのだが。
 照りつける太陽から身を隠すようにフードを被り棍をマントの中に隠すと、は歩き始めた。背の低い樹木がポツポツと点在している黄緑色の大地、その中にしっかりと付いた人の傲慢を辿り、目的地へと向かう。
 グラスランド――それがこの地の名前である。訪れたのは単なる興味、しかし――。
 は頭を振った。今は考えたところで仕方のないことだ。ならば余計な体力を使うよりも目的地へ早く着く方を優先した方が効率が良い。それに、自覚しているから。
 自分の嫌な予感は結構当たる。



「やあ」

 至極自然に笑みを向けると、明らかな嫌悪の表情を返された。この集落を訪れる度にこうなのでいい加減もう慣れたが、初めて目にしたときは一瞬表情が凍ってしまった。表情の主――ルシアは不機嫌さを隠そうともせず早足に近づいてきてムチを振りかざした。

「相変わらず激しいね、君の歓迎は」
「やかましい!」

 しなるムチを棍で弾いて応戦しながら言葉を交わす。方や笑顔でムチを弾く(見た目は)青年、方や怒りを露にしてムチをしならせる猛者。あまりにも不似合い。あまりにも不釣合い。とりあえず、とはムチを棍に巻きつけて膠着状態に持ち込むことにした。

「僕は単なる旅人だよ。同盟戦争もハイイーストも終わってるんだし、ちょっとは優しくして欲しいんだけどな」

 冗談めかしてウインクすると鼻で笑われた。といってもその反応を期待して起こした行動だったので別に傷つくことはない。ルシアの目が一瞬だけどこか遠くを見て、それからの目を真っ直ぐに射抜いた。

「――15年、か?」
「ああ、うん。もうそんなになるんだね」
「まだ見つからないのか。『探し人』とやらは」
「残念ながら」

 先ほどの応酬で集まってきたギャラリーを目で牽制しながらルシアは言葉を発し、は答えた。
 ――がここ、カラヤクランを訪れるのは今日が初めてではない。同盟戦争が終わって暫くはグレッグミンスターの屋敷に居座っていたのだが、周りが(とくに大統領が)煩かったので再び出奔した。もちろん出奔の理由はそれだけではないのだが、というよりももう一つの理由の方がメインではあるのだが、は敢えてそれを言葉にしないよう努めてきた。事実を再確認するのが怖いからではない。ああ、いや。

「やっぱり怖いのかもしれないな」
「……なんのことだ?」

 独り言だよ、とは返し、ムチを棍から外す。ルシアがムチを腰に付け直すのを見ながら、意識はどこか上の空だった。友人の――自分は親友だと思っているが――言葉を思い出す。




『魔力が消えたんだ』

 目的語が抜け落ちた言葉は、しかし彼の様子と相まって核心を伝えていた。滅多に表情を崩さない友人が頬を紅潮させ、息を切らして己の部屋に駆け込んできた。動揺のあまり上手く集中が出来ず、直接部屋にテレポートするはずが少し離れた場所に現れてしまったのだという。話を聞いていく内に、どんどん体から温度が失われていくのが分かった。

『理由は分からない。でも、突然。ずっと感じていた魔力がいきなり途切れた』

 類まれな魔力を持つ友人は、意識せずとも彼女の魔力を感じていられるのだと以前に聞いた。それは魔力が高すぎるが故の弊害であり、同時ににとっては最も羨望すべきことであった。それがいきなり、『消えた』としか表現できないくらい唐突に掻き消えた。驚いた友人はまず消えた大まかな位置を特定して赴き、魔力の断片すらないことを確認して、何か知っているのではないかと自分のもとに確かめにきたのだった。
 ただ、残念ながらは魔力が消えたことすら感知できなかったのだ。そこそこ魔力は高いほうだが友人ほど高くはない、そんな自分が何を知っているというのか。友人もやがて気付いたようで、悔しそうに顔を歪めてその場に座り込んだ。お茶を入れるよ、と立ち上がり台所に向かう。ハーブティを淹れて部屋に戻ると、すでに友人の姿はなく、名残としての魔力だけがわずかに残っているだけであった。
 そしては――凪いでいた心に水滴が落とされたような感触を、無視することができなかった。




「まったく。宿星っていうのは一生涯に渡って付きまとうものなのかな?」
「ならば旅を止めれば良い」
「あはは。それができたら苦労しないよ。本当に、見つけたらお説教しなくちゃ」

 どうやらここには来てないみたいだね、とは笑い、マントの乱れを直す。ルシアに宿泊の許可を得て、宿屋に向かおうと歩を進めたとき、後ろから声をかけられた。

「――辛いか」

 反射的に立ち止まり、言葉を反芻する。一度天を仰いで、それからゆっくりと振り返った。

「……僕を誰だと思ってるの?」

 そう言って、再び投げかけられた言葉を聞き流し、は今度こそ宿屋に向かって歩き出した。ルシアはそれを見送ると、腕を組んで同じように天を仰ぎ溜息を零す。全く、真の紋章を持つ者というのは外見だけでなくその精神すらも絶頂期のままなのか。それとも、年を経てなお強靭になり続けるのか。

「まだ、笑えるというのか……」

 が最初にここを訪れてからすでに10年以上が経過している。なにが彼を旅に駆り立てているのか、本当のところはルシアも知らない。人を探しているのだと、何かの折に零した言葉が耳に残っているだけで。
 やれやれ、と再び溜息をつくとルシアもまた帰路についた。自分はこのクランの族長である。やらなければならないことはそれこそ山のように待っているのだ。

「そろそろ親書を届けねばなるまいな…」

 ゼクセン連邦との対立も和らいでいる今ならば、息子を使者に立てても危険は少ないだろう。どこかで家庭教師や幼馴染と遊んでいるであろう息子の姿を思い浮かべ、微かに笑みを零した。




 ――そう、立ち止まるわけにはいかないのだ。
 ベッドの上に荷物とマントを投げ出すと、は椅子に腰を下ろす。組んだ手を額に当てて俯いた。
 ――本当は、薄々感づいているから。
 もはやこの旅の目的は人探しではない。時折針で刺したような痛みを与える右手がその事実をに突きつける。最近グラスランドを訪れる頻度が増したのだって、ほら。

「50年…休戦条約が切れる年か」

 これでも貴族の嫡男だったから、政治と国際関係は他の学問より徹底的に叩き込まれた。休戦条約が切れたらどんなことになるのかぐらい想像はつく。なにせ、当事国が国であるから。そう、もはや自分がここにいるのは人探しではなく、情報収集。これから起こり得ることについての調査活動。

「起こらなかったら、それが一番良いんだけどなー」

 大っぴらに動くことの出来ない身が少しだけ疎ましい。こんなことならレパントに旅券作ってもらうんじゃなかったと一人ごちる。それでもその旅券のおかげでスムーズに旅が出来ているのだから遣る瀬無い。

「…全く、本当に世話をかけてくれる……」

 そう言って作った笑みは、変に歪んでいたような気がした。




『探しに行く』

 彼がそう言い出したとき、自分が何と返したのか思い出せない。
 ただ、去り際に笑って見送ったような気がする。ああ、そういえば。

 彼は、どこかに行きたがっていた。

『…ちょうど、行きたい所もあったしね』

 そして聞き取れないくらい小さい声で何かを呟いて、一瞬だけの顔を見て何か言おうとした。
 彼は、何を言いたかったのだろうか。






 数日後、カラヤクラン族長の息子が、休戦条約の親書を持ってビネ・デル・ゼクセへ赴いたと聞いた。
 そして更にその後、は自分の予感が外れなかったことを知る。



『――ならばその時は』



 彼も彼女も、まだ、見つからない。







(呼吸困難)


2007.6.17
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