天球ディスターブ 31 部屋の入り口で呆然と立ち尽くす。 目の前に広がるのは狭い自分の部屋のはずなのだが、絶対にいるはずのない子供が二人。 赤い髪の毛に、10歳にも満たないであろう少年と、ナタナエルくらいの――おそらく2歳くらいの幼児。 少年のほうに見覚えがあるのは、きっと先の戦場で対面しているからだろう。 ――アルベルト・シルバーバーグ。そしてその弟、シーザー・シルバーバーグに違いなかった。 「どうしたんです?入ってこないんですか?」 明らかに自分を睨んでいるアルベルトの言葉には我に返り、慌てて自室へと入る。 後ろ手でドアを閉め、そして口を開いた。 「どうしてここに」 「……それは」 そう言って、険しい目線を更に険しくさせ、アルベルトは言い放った。 「何でお兄ちゃ…いえ、隊長を殺したのか訊こうと思ったからです。 殺さなくても、方法ならいくらでもあったはずですから」 「!」 少年の言葉は至極もっともな理由で、また別の意味ではにとって辛い理由だった。 「ああ、今教えてくれなくてもいいんです。いきなり言われても無理な話でしょうし」 アルベルトは続ける。 「そのかわり暫くここに泊まります。できるだけ、僕が自分で答えを見つけます。 自分自身の目で見たもの、聞いたものを信じなさい、と、おじいさまからいつも言われてますから」 「泊まるって、この部屋に?」 「それ以外にどこがあるって言うんです。僕ら、誰にも内緒でここに来たんですよ」 「この部屋のことはどうやって?」 「その辺の人に聞きました。怪訝な顔をされましたけど」 「しーざ、かえるー」 「ちょっとの間だけだから、シーザー」 「やー!」 幼児――シーザーが駄々をこねる。甘えたい盛り、母親も父親もいないところで不安なのだろう。 かといってに何ができるわけでもない。子供を産んだことも育てたこともないのだ。 アルベルトが何とか宥めようとするが、あまり効果がない。ますます駄々をこねるばかりである。 そうして不意に、目が合った。 「……」 「……あー」 ベッドの上に鎮座したシーザーがに向けて両手を伸ばす。 それがどういう意味を持つのか分からずに首を傾げていると、横からアルベルトが助け舟を出した。 「…抱っこ」 「あ、ああ、うん。分かった」 そしてシーザーを抱きかかえようと手を伸ばして――止めた。 自分の手は血で汚れている。見えなくとも、染み付いて取れない何かがこの手にはある。 そんな手で目の前の、穢れのない子供に触れてもいいのだろうか。 それに、アルベルトは。少なからず自分を恨んでいるであろうアルベルトは、それを許すのか。 の気持ちを読み取ったかのごとく、アルベルトがまた口を開いた。 「…抱っこ、してあげてください。シーザーが駄々をこねるほうが今の僕にとっては一大事です。…うるさいし」 「うん。ごめん」 「謝らないでください。こういうのって、謝られた側が悪者になってしまうんですから」 「――うん」 そっと手を伸ばし、幼い子供を抱き上げる。 嬉しそうに目を細めてギュ、と自分の服にしがみついてくる小さな命を抱いて――何故か、泣きそうになった。 「自分で答えを見つけるって、具体的にはどういう?」 シーザーを膝に乗せてベッドに腰掛けて、は目の前の椅子に座る少年に問う。 少年、アルベルトは少し考える仕草をしてから口を開いた。 「答え…というより、あなた自身を観察します。 理由を聞く前にまず人間性を見るべし、というのがおじいさまの持論ですし、僕もそう思いますから」 「人間性…考えたこともなかったけど」 「自分の人間性なんて自分に分かるわけないです。 本人が感じている自分の性格と、他人の思っているものに違いがあるのと同じようなものです」 「…何歳?」 「今年で9歳です。…それが何か?」 何の衒いもなく告げるアルベルトに心中で感嘆の溜息をつく。 賢い。あまりにも賢い。 ――賢すぎて、何か違和感を感じるほどに。 「何でもない」 そう言って、ふと窓の外を見る。日が高くなっている。そろそろ昼のようだ。 はアルベルトに向き直った。 「お昼はどうする?お腹がすいたら言ってほしい。レストランがあるからそこで食べようか」 「あ、…いえ、その……」 途端に口ごもるアルベルトに疑問を感じる。 「レストランは嫌い?部屋に運んでもいいみたいだからそれでも」 「いえ!あの…ええと…。……お金、家に忘れてきて………」 は目を丸くする。 そして苦笑して、本棚の中に無造作に放り込まれている自分の財布代わりの袋を手に取った。 以前シュウからもらった金が、まだいくらか残っているはずだ。 ズシ、という覚えのない重さに気がつく。 中を見ると、一枚の紙と共に、金貨が何枚か入っていた。 「何これ」 折りたたまれている紙を取り出して、開く。文字を覚えたてなので読むのに時間がかかるのは仕方がない。 「……給料明細」 見方は分からないが、下のほうに小さく、軍師のサインがしてあるのが分かった。 真意のほどは分からないが、厚意として受け取っておくことにする。 再びアルベルトに向き直って答えた。 「お金はあるみたいだから心配しなくていいよ。どうせあまり使わないし」 「でも」 クゥ、と可愛らしい音が鳴った。 「……すみません。お言葉に甘えさせてもらいます。朝食前に家を抜け出したので」 アルベルトは赤面した。 昼食時のレストランも人が多い。以前一度来たときは夕食時だったが、それと張り合える。 何とか見つけた席はテラスの一番端の席だった。可愛らしい中華服のウェイトレスが注文を聞く。 はアルベルトに言う。 「好きなものをどうぞ。シーザー君は何を食べたら良いか決まってたりする?」 「普通食で大丈夫です。あ、でもなるべくやわらかめのやつとか…」 「やわらかめっていうと、どんなのがあるかな。スープとか?」 「そうですね。あとはグラタンなんかも。やわらかいといっても、あまりかたくなければいい、程度ですから」 「しーざ、チョコすきー」 高校生と、年齢小学生が幼児の食事についてあれこれと意見を交わす。 なかなかお目にかかれない光景ではある。 結局、シーザーには卵雑炊とプリンポタージュ、アルベルトはサラダとミートパイ、 起きるのが遅かったせいもあり、あまり空腹でないはお子様用のサンドイッチを頼んだ。 合計で760ポッチ。金貨一枚が一万ポッチであることを考えると、まだまだ余裕といえるだろう。 食べる量が3人の中で一番少ないは、シーザーが食べるのに注意を配りながら食べる。 自分で食べられる年齢とはいえ、かなり見ていてハラハラするのだ。 「子供って、可愛いけど大変だ」 「何を今更」 「ぷりんぽたー」 シーザーはプリンポタージュが気に入ったようだった。 そのときの背後で、ガシャン、と何かが割れる音がした。 驚いて振り返る。 そこには、この上なく驚いた様子の軍師、シュウがいた。 「…これはどういうことだ?」 ようやく冷静さを取り戻したらしいシュウがに訊ねる。 どういうことだと訊かれても、何と答えればよいのやら。は目線を泳がせた。 「ええと、まあ。いろいろと事情があって」 「そこにいるのは確かレオンの孫だろう。どうしてここにいる?」 「あー…、と」 「…家出したんです。だって、おじいさま、とても厳しいんです」 アルベルトが再び助け舟を出す。 頬を紅潮させ、目に涙を浮かべた状態でシュウに経緯らしきものを説明する。 「僕だって遊びたいし、いろんなとこを見て回りたいんです。一日中家にいて勉強なんて嫌です」 「だが、ここまで来る必要があるのか?相当遠いだろう」 「『お姉さん』と前に会ったことがあって、それで頼ってきたんです」 「…そうなのか?」 突然話題を振られ、傍観に徹していたは少々慌てる。 「え、あ、うん。前に会ったことがある」 それは偽りではない。ただし、会ったのは戦場で、だが。 「お願いします、暫くの間でいいんです。ここに置いてください」 「……しかし」 「絶対にここのことはおじいさまには言いません。お願いです」 たっぷり十秒は経った後、シュウは溜息をついて頷いた。 「………分かった。その代わり、、世話はお前に任せる。赤の他人よりは見知った者の方が良いだろう。 しかし、どうしたものか。お前に頼みたい仕事があったんだが」 「仕事?」 テーブルの下でアルベルトがガッツポーズをするのが見えた。 「実は今、達がティントにいるんだが、遠すぎて情報にずれがある。 そこでお前に見てきてもらおうと思ってな。すまんが、夜にでも見てきてくれないか」 「いいよ、手間はかからないし。失敗しない限り、だけど。…ああ、そうだ」 そう言って、辺りを見回す。誰もこちらの方を向いていないことを確認する。 紋章のことはシュウには話してあるし、アルベルトは――まあ、何とかなるだろう。シーザーは論外だ。 両手を抱えるような形にする。 淡い蒼の光が発せられて凝縮していく。昼間なので誰も気がつかない。 光が収まったとき、の手の中には一羽の白い鳩がいた。 はその鳩に右手をかざして言葉をかける。 「私の記憶を移す」 ポゥ、と光が手から発せられる。言葉をひそめて続けた。 「記憶の情報以外に何か起こることがあれば知らせよ。――行け」 バサ、と羽音を立てて鳩が飛び立った。 移したのは自分の、『元の世界』での記憶。ティントで何が起こるのか、どうなるのか。 言葉にしたのは、複雑な命令をするときは下手に頭で思い描くより言葉にした方が簡単だと思ったからだった。 「、今のは…?」 シュウが訊ねる。 は苦笑して答えた。 「私にも分からなくなってきた」 ――この紋章は自分の理解を超えている。 昼食を終えて、アルベルトに何処か行きたい所はあるか訊ねる。 「特に」と答えて、そのあとに思い立ったらしく、図書館、と訂正する。 記憶を頼りに図書館へと向かう。大きな建物なので見つけるのは簡単だった。 「本、結構あるんですね。…ハルモニアほどではないですけれど」 「それはそうだろうね。ここって出来て間もないから。何か読みたい本は?」 「そうですね……兵法や戦術の本ってありますか?あ、歴史関係の本でも」 「……いや、私も来たのは初めてだから。司書の人とかいないかな」 「…あそこの、本を整理している人じゃないですか?僕、聞いてくるのでシーザーをお願いします」 そう言ってアルベルトはシーザーの手を離して、本を整理している女性、おそらくエミリアのもとへ向かう。 突然兄に手を離されたシーザーは驚いていたが、その後すぐに泣きそうになった。 は慌ててしゃがみこんでシーザーの目線に合わせる。 「え、ええと、シーザー…くん?いや、シーザーちゃん?ああもうどっちでもいいや。な、泣かないで?」 「うー……」 ズボンをギュっと握り締めて、油断すれば今にも大声を上げて泣き出しそうだ。 一体どうしろというのか。困り果てたは、そっとシーザーを抱きかかえて、あやすように背中を軽く叩く。 図書館で泣かれるのは流石にまずいだろうと思い、外に出る。アルベルトが困るだろうか。 ポンポンと背中を叩き続ける。暫くすると落ち着いてきたようだった。――というよりも。 「…寝てる……」 微かな寝息を立てて、シーザーは眠っていた。ちょうど昼寝の時間と被ったのかもしれない。 「幼児って重いんだなあ…」 既に将来の経験をしているような気分のは、シーザーを抱えなおして図書館へと戻った。 「…あ、シーザー眠ったんですか。そろそろかな、とは思ってたんですけど」 眼鏡をかけたアルベルトは、大人でも中々読まないような装丁の書物を机に積み上げ、埋もれていた。 「そろそろ?ああ、あれってぐずってたんだ」 「あれ?」 「アルベルトが手を離したから機嫌を損ねたのだと思ってたけど」 「まあ、それもあるでしょうね。予想してましたけど」 は苦笑してアルベルトの向かいの席に座った。 ――そういえば、彼らのベットはどうしようか。今から買うのでは間に合わないだろう。紋章に頼るしかないか。 今後のことを考えながらシーザーの背中を軽く、本当に軽く叩き続ける。 ――お風呂も入れなければいけない。服は持ってきていないようだし、ここに服屋はあるんだろうか。 というよりも、自分の服も買わないと流石に差し迫るものがある。 ――防具屋は服屋も兼任しているだろうか。アルベルトが一段落ついたら誘ってみよう。 午後の陽気と図書館の静けさは、をも眠りの淵へと誘った。 肩を揺すぶられているようだ。 はパチ、と目を開く。呆れ顔のアルベルトが目の前にいた。 「全く、図書館で寝るなんて…。もう夕方ですよ。シーザーは起きました。あなたもそろそろ起きてください」 「…結構寝てたんだ」 「それなりに」 よく見るとのワンピースの裾にしがみついて、こちらを覗き込んでいるシーザーがいる。 はそれに笑みをこぼし、シーザーの頭を軽く撫でた。 「二人の服を買いに行かないと」 「…ああ、そういえばここって服屋もあるんですね。来たときは驚きました。まるで城下町じゃないですか」 「え、服屋あるんだ」 「知らなかったんですか?」 「買わないから」 再び溜息をついて、アルベルトが服屋までの案内役を申し出た。 はただただ苦笑するのみである。 服屋は防具屋の隣だった。 「シーザー君の服はアルベルト君が選ぶ?」 「…昼間も思ってましたが、君付けはやめてください。言われ慣れてないです。シーザーのは僕が選びます」 「ごめん。どうも呼び捨ては慣れなくて。じゃあ、決まったら持ってきて」 コクンと頷いて、シーザーの手を引いてアルベルトは店の奥へと入っていった。 も服を見回す。隣の防具屋とも店内で繋がっているようだ。 適当なズボンとシャツとマントを手に取り、二人が来るのを待って会計を済ませた。 夕食はシーザーに合わせて少し早めに摂り、風呂へ向かった。 シーザーの入浴はアルベルトがするらしい。全く持って良いお兄ちゃんだ。 だが、どうしても拭いきれない違和感がある。――賢すぎるのだ。 賢いことが悪いわけじゃない。ただアルベルトの賢さに、どこか違和感を感じるのだ。 気にしても仕方のないことなのかもしれないが。 風呂から出てきたシーザーは既にうつらうつらと舟を漕いでおり、部屋まではが抱いていくことになった。 いくらなんでもアルベルトが部屋まで運ぶのは疲れるに違いない。 部屋に戻り、小さなテーブルと椅子を隅に追いやり、のベッドの隣に少し大きめのベッドを出した。 繋げるとクイーンサイズはあるような気がした。部屋の4分の3がベッドで埋め尽くされてしまった。 「……おやすみなさい」 「おやすみ、アルベルト、シーザー」 「おやすみなさいー…」 なんだかんだ言いつつ、アルベルトも疲れていたのだろう、すぐに二人分の寝息が聞こえてきた。 掛けてある毛布の上に、これまた紋章で羽毛布団を出して被せる。 ここは季節の変化は少ないが、夜は総じて冷える。風邪でもひいてしまったら大変だ。 は苦笑する。 「おやすみ、いい夢を」 そして右手の甲を上にして前に出す。 次の瞬間にはもう、の姿は部屋になかった。 一瞬の浮遊の後、は地に足をつけた。 どうやら自分は小高い崖の岩の上にいるらしい。大きな建物の部屋の窓が見えた。――達の姿も。 ここは市庁舎の裏手らしい。バサ、と音がして、鳩が肩に降りてきた。 「変わったことは?」 無い、とでもいうかのように鳩は一声鳴いて、また飛び立っていった。 窓から見える達は笑っている。おそらく今日、ここに着いたのだろう。 グスタフと手を組む約束をしたばかりに違いない。 何故だか彼らの光景から目が離せず、は岩の上から達を眺め続ける。 見えるのはとナナミ、にフリックにビクトール。いるのは5名だけのようだ。 「パーティーをいっぱいにしないときもあるのかな」 「…何やってるのさ」 不意に後ろから声を掛けられる。 振り向くと風の魔術師がいた。 「あ、6人目」 「何がだよ。そんなことより、何でここにいるのさ?」 「仕事で。そろそろ復活しておかないと」 「怪我は?」 「大丈夫。ありがとう」 ルックの気遣いが嬉しかった。心配されたことがたまらなく嬉しかった。 自分の顔は今、笑顔なのかもしれない。自分に自分の表情は見えない。 ルックは少々驚いたようだった。しかしすぐに冷静を装う。 「こんな夜に見に来ても何もならないと思うけどね」 「手は打ってある。それに、昼間は手一杯だから」 「…一体何をしてるっていうんだよ」 は笑って答えた。 「子育てと子守り」 そして気がつく。 先の戦争以来初めて、自分が心からの笑みを浮かべたことに。 --------------- 2004.12.3 2006.9.15加筆修正 back top next |