天球ディスターブ 2-13 一つ一つ言葉を探しながらは必死に言葉を紡いだ。と――という男に向かって。 は『』を知っているようでいて、その実全くと言っていいほど知らない。彼は15年前、大広間の扉番をしていた人物で、本人によるとたまに裏庭の警備にも回っていたという。確かにともほんの少しだが面識をもっている。しかし、言ってしまえばそれだけの人物だ。 これから話そうとしていることはある意味での全てに等しい。己の存在、未来、へ向けた信頼、から向けられた親愛、それら全てを失くす可能性にの喉は震えている。 だから、大まかな人となりすら知らない相手に話すのは――正直怖かった。 そんなの心情を見て取ったのか、それとも単に隣の男への信頼からか、は殊更柔らかな笑みを浮かべ、安心させるように2,3度の頭を撫でた。 「大丈夫だよ。こいつは、の不利益になることは絶対にしない」 「…………」 「もちろんが嫌なら、には席をはずしてもらうけど。……どうする?」 「……がそう言うのなら」 ――信じるよ。 小さく呟いた声に、が安心したように息を吐いたのが分かった。 は一つ、深呼吸をして息を止める。目を瞑り、感情を奥底に沈めるように、細く深く息を吐き出す。 「どこから話せばいいのか――」 そしてぽつり、ぽつりと、語り始めた。 「始めは夢だと考えていた――と思う。現実じゃないって。今まで生きてきた世界とすごく違うから」 何もかもが変わった、あの夏の日。部屋に突然現れた真っ黒な穴、落ちていく自分。 見知らぬ草原に血生臭い戦場――どこまでも平和だった、それまでの生活からは考えられない日常。 捕虜になったこと。やシュウ、ルック達同盟軍の人々と出会ったこと。 そして同盟軍とハイランドの戦争――その流れを、知っていたこと。 「こっちの世界と文化が違うから、詳しいことは言えないけど……ごく一部の未来を記した、本のようなものがあると思ってほしい。この世界を記した本を、たまたま見ていた。だからあの時――私は多分、起こり得ることのほとんどを知っていたんだと思う」 がわずかに目を見開いた。隣に立つは静かにを見つめている。 「もといた世界で、『この世界』は物語の一つでしかなかった。それでも実際に人と触れ合って、ああ、生きてるんだなって……ここは物語の世界なんかじゃない、知識なんて役に立たないって――いや」 は俯き、自身の体を抱くように腕を強く掴む。 ――そんなことは言い訳に過ぎない。 「……違う、周りを見ることができていなかったんだ。逃げてばかりで、自分のことだけで精一杯になって」 知っている未来を前に、ほとんど何もしなかった。ただ、自分の置かれた境遇に右往左往するばかりで。 知識を活かせば誰かの命が救えたかもしれない。より幸福な道を見つけられたかもしれない。数多の可能性を考え、模索し、流れに逆らうことを、は放棄したのだ。 は顔を上げようとしないを一瞬複雑そうに見て、それから口を開いた。 「世界は、決められた未来の通りだったかい?」 はそれに対し首を横に振ることで答える。戦争の結果は、の知る、どの『エンディング』にも当てはまらないものだった。 その様子を見て、は微笑む。 「じゃあ、それはそれでアリだよ。この世界は――僕らは、あらかじめ決められた、が『知っている』結末とは違う未来を選べたんだろう?」 その言葉に、は驚きに満ちた視線をに向ける。 「『知っているのに何もしない』のは罪になんてならない。誰か一人の意思ひとつで流れが変わるほど、現実は優しくないよ。きっとが何か言ったところで大勢に変化は生じなかった。 もう一度言うよ?、世界は、特に戦争なんてものはね――」 流れるように紡がれる容赦の無い言葉とは裏腹に、4年もの長きに渡る戦争を軍主として率い、生き抜き、勝利へと導いた英雄の目は、どこまでも優しさに溢れている。 「――君一人の力じゃ、どうにもできないんだ」 それが彼の、『英雄』にできる最大の『許し』なのだと、理解するのに時間は要さなかった。 「ま、結局お前はここが物語の世界じゃないって分かったわけだろ?それで知識に頼らないってんなら、そりゃあ責めるわけにはいかねーよ。可能性なんてのは星の数ほどあるさ。じゃあお前の知らない出来事だってある……つーか、あったんだろうし、そんなのに『一々対応しろ、より良い未来に導け』なんて、いくらなんでも」 ムシが良すぎるよなあ、と肩を竦めておどけたに、「そうだね」とが返す。 「僕としても未来は切り開けるものであってもらわないと、一軍を率いていた身として立つ瀬がないし」 彼らの言葉が耳に入ってくる毎に、の頬を冷たい汗が伝う。 ――違う。 「正直な話、この世界のヤツから見れば、『先の展開を全部知ってますー』なんて言われんの、『何様だよ』って感じだろうしなあ。同盟戦争の時、お前が大っぴらににそういうこと言わなかったのは正解――」 「違う!」 思わず叫んだの口は、本人の困惑に構うことなく勝手に心情を吐露していく。 「そんなに綺麗な理屈じゃなかった、知識を使って自分だけ危険から逃げたことだってある。 天球の紋章なんて途方もない力、どういう風に使えばいいのか分からないし、頼れる人も居場所もなくて、いつだって隠れて、逃げて――知らない展開ばかり起こるから、知識なんて当てにならない、ここはゲームの世界じゃないって自分に言い聞かせただけなんだ」 何も知らずに来ていればこんな面倒な感情を抱くことはなかった、と考えたことだってあった。そしてその度、どうしようもない嫌悪感に襲われるのだ。 呆れたようにが言う。 「別にいいんじゃねえの、それで納得してんなら」 「――分からなくなった」 「……どういうこと?」 が訊ねる。彼の瞳をまっすぐに見据えたは、不思議と心が凪いでいくのを感じながら口を開く。 「この先の展開も知っているよ。ルックが――死ぬんだ」 「……っ!?」 「『破壊者』として、自分の中の真の紋章を砕こうとする」 「……破壊者」 心当たりがあるのか、はわずかに目を細めて考え込むように腕を組む。 「未来は決まっていないと思っていたのに、今は心底、私の知っている通りになってほしいと願っている」 「、それは……」 「ルックを死なせたいわけじゃない。生きる道を見つけることができるなら、それが一番嬉しいよ。 ただ、何も力がない今は、知識を利用して先回りしないと到底会えそうにないから」 「つまり、介入するってことか?その、お前が知ってる『展開』とやらに。ルックが生きるように」 「それは……できない」 何で、とが問いかける前に、遮るように呟いた。 ――知っているから。 「ルックがどんな気持ちで紋章を壊そうとしているのか、知っているから。もちろん私の知っていることが全てではないだろうけど、少しでも知ってしまったら、もう何もできない」 だから、知らなければ良かったと後悔した。知らないでいれば、無鉄砲に、無責任に、心の突き動かすまま、彼を止めることを――生かすことを選んだだろう。 だが、は知っていた。ルックが何故レックナートの元を離れ、紋章の破壊に至るのか、その一端を。 は基本的に、理性的な面の強い――悪く言えば生真面目な――人間である。 だからこその言う通り、同盟戦争の折、己の知識をひけらかす愚を犯さずにすんだのだろう。しかし、ことここに来ては、本来アドバンテージであるはずの知識に雁字搦めになっている。 ルックの意思を知り、最期まで変わることのなかった想いの強さを考えるにつれ、どうやらそれは己の立ち入っていい領域ではないらしいと気付いてしまったのである。 彼の痛みや苦しみ、葛藤や決意、そういったものを本当の意味で『知らない』人間の介入に、どれほどの意味があるだろう。そんな人間の行動や言葉が心動かすだけの説得力を持つか否か――明らかに否である。 では、せめて彼に会って礼を言おう――それが今のにできる、精一杯のことだったのだ。 そうやって自分を納得させていたからこそ、流されている現状の中でも辛うじて進むべき道を模索していた。 言葉を選びながら語るを怪訝そうに見ていたが、困ったように頭を掻きながら口を開く。 「でもお前、迷ってるんだよな」 「え?」 「俺は『展開』を知らないし、あのこましゃくれ……ルックがどんな状況にあるのかも知らねーけどさ。 少なくともお前が何か苦しそうなのは分かる。何もできないって言いながら実際は納得してねえだろ、お前」 「…………」 「ルックが死ぬのは嫌だ、けど理由を知っているから止めることもできない、ならそれでいいじゃねえか。そっと見守ってやればいいじゃん。どこに迷う要素があるんだよ。 会うために結局知識を使うことか?確かに矛盾してるが、別にいいだろ、それくらい。 ……多分お前さ、どんなに言い繕おうが結局は――」 歯が噛み合わずにカタカタと鳴る。が一つ言葉を発するたび、の思考が結論に近づく。 とへ向けて語りながら、は気付き始めていた――否、おそらく最初から分かっていた。目を逸らし続けていただけなのだ。 心がずっと悲鳴を上げていたのは、理性と想いの軋轢が強すぎたせいだ。両者の出した結論があまりに違いすぎていて、選択を迫られたは理性を選び――しかし、想いを消すことができなかった。 どんなに理性で抑えても、どんなに理屈を並べても、どうしても消すことのできなかった想い。 あの日、宮殿でセラの手を掴んだのも、ルックに会った時に湧いた感情も全ては―― 「ルックを死なせたくないんだろ」 ――ああ、そうか。 「ルックに死んでほしくない。私は……ルックのことが、好きだ」 ただ、それだけだったのだ。 頭の中がどこかすっきりしていくのを感じながら、はとに向き合った。 はどこか寂しそうに苦笑しながらの方へ歩み寄り、頭に手を置いて優しく撫でる。懐かしい感触に、は胸の辺りがほんのりと温かくなっていくのを感じる。 近くの倒木に腰掛けたは、深い溜息を吐いた。 「あのクソガキもすげえな……まさかがここまで慕ってるとは」 驚くを見て、は一つの誤解を悟る。 ――恋愛感情だと思われているのか。 それは違うと直感的に分かったが、ではどんな意味の好意かと問われると返答に窮するだろう。その辺りは自分自身でも掴みかねている。 故には彼に対し、否定も肯定もしなかった。恋情か友情かという違いにさして意味を感じなかったのだ。 重要なのは己がルックに対し何かしらの強い思いを持っているということ、そしてそれが理性や理屈を捻じ伏せた上でルックの望まぬ方向に――彼を生かす道へと――進む力をに与えているということだ。 それが果たして正しいことなのかという点において、に自信は欠片もなかったが、一つの答えを見つけた今はとにかく行動しようと考えていた。 もちろんルック自身が生を望まないのならば、は即座に手を引くだろう。だが、それまでは―― 「私、手を伸ばすよ。拒絶されるまで――振り払われるまで、何度だって、いつだって」 ――ルックが『生きたい』と願った瞬間、その手を取れるように。 そして、は頭を下げた。 「だから――お願いします。協力してください」 一瞬目を瞬かせたが、小さく笑う。 「自覚してるんだ?」 は頷く。いくら手を伸ばしたところで、掴んだ手を引き上げることができないのでは意味が無い。 正直なところ、今のでは引き上げるどころか、掴んだ自分も一緒に落ちてしまうだろう。それほどまでに圧倒的に足りないもの――『力』。 今から鍛えたのでは到底間に合わず、そもそも必要なのはそんな破壊するばかりのものではない。 「弱い、機動力がない、知り合いもいない」 「ないない尽くしだねえ、」 「うん。出来ないことが多すぎる」 「それに比べりゃ坊は、『強い・無駄に有り余る行動力・ありえない知り合いの数』の三拍子だな」 「、それ貶してるの?」 「褒めてんだよ。で、どうすんだ。協力するのか?」 倒木に腰掛けたまま頬杖をついて訊ねるに、は即答した。 「するよ。決まってる」 「決まってるのか」 「ああ。……一人だってきついのに、これ以上友人を失ってたまるか」 「そうか」 は口角を持ち上げる。そしておもむろに立ち上がると、伸びをした。 「じゃあ俺も行ってくるかな」 「何処に」 脈絡の無い言葉には首を傾げる。振り向いたは不適な笑みを浮かべていた。 「ハルモニア」 「え?」 「昔の知り合いがいるんだよ。ルックもハルモニアにいるんだろ?何かしら手がかりありそうじゃねえか」 話しを聞く限り危険そうだからお前は来るなよ、と言って、は森の奥へと消えていく。 呆然とその後姿を眺めるの耳に、の溜息が届いた。 「相変わらず突拍子も無い……」 「い、いいの?」 「大丈夫だよ、ああ見えて自分の身くらいなら十分守れる奴だから」 完全に姿が見えなくなったところで、は、頬を一陣の風が撫でていくのを感じた。気がつけば陽は大分降りていて、青空だったはずの天上は橙に染まっている。まるで木々の間を通り抜けていく風が夜を運んでくるようだ。陽が落ちる前に帰らなければ、この原生の森はあまりに危険すぎるだろう。 そんなの思考を見透かしたように、が問う。 「そういえば、何処に滞在しているの?」 「アルマ・キナンの村に」 「そう…じゃあここで一旦お別れだね。僕は一度、トランに戻るつもりだから」 は驚いた。具体的な距離は知らないが、トランとグラスランドはかなり遠い位置関係であったはずだ。 ハルモニアに行くと言ったと同じくらい突拍子のないことではないだろうか。そう思ったが、は言葉を飲み込んだ。にはの考えがあるのだろう。だから代わりに、一つ頷く。 「気を付けて」 「もね。……てっきり、『何で?』って驚かれると思ったんだけどなあ」 「信じているから」 にとっての「友人」の意味を――ルックを友人と言った自身を、信じている。 そう言えば、はわずかに驚きの表情を見せた後、どこか照れたように笑った。 「私は、とにかくルックと接触する」 「そうだね、それが当座の目標だ。ただし絶対に無理をしないこと。いい?」 「分かった」 「何か紋章は宿してる?」 「今は何も。ただ、この前指輪を貰って、それで魔力を打ち出してる」 「指輪……?」 は右手の人差し指に付けた指輪を見せる。 「『守護者の眼』だね」 「うん。魔力のコントロールが壊滅的だから、紋章より寧ろこっちの方が相性良いのかもしれない」 「危なくなったら遠慮なく攻撃するんだよ。何よりもまず自分の安全を考えて」 「善処する」 「……本当は」 途中で言葉を切ったは、何でもないと言うように首を振る。 「村の入り口まで送るよ」 アルマ・キナンの入り口まで来た時には、既に夕陽が沈みかけていた。木々が天を覆っているためにいつもより薄暗い夕焼けの中、は踏み慣らされた道を歩く。とは村が微かに見える位置で別れた。 そうして村に近づくと、木で造られた門にもたれかかるユンの姿が見えた。 傍付きの人間も連れずに一人佇む村の至宝は、の姿を認めると一瞬だけ泣きそうな表情になる。しかし次の瞬間に口寄せの巫女としての顔を作ると、無防備に結界を越えて向かってきた。 「おかえりなさい、さん」 「……ただいま」 「やっぱりさんの行動は視えませんね。一週間はかかると踏んだのに、まさか一日で決めるなんて」 「それでも、未来が変わるかどうかは分からない」 「ですが関わっていくのでしょう?十分です、それだけで――私の視た未来は変わります」 そう言って微笑むユンに微かな違和感を感じる。 ユンは未来を変えたいのだろう――そのことはもはやにも分かることだった。そして、の選択によって変化への道が――ユンに視えない未来への道が僅かながら開けた、そのことも理解できる。 ならば先程の、涙をこらえるような表情はどんな意味を持っているのだろう。 は考える。自分より年下の、元の世界で言えば中学校に上がったばかりくらいの幼い少女が、何を思って未来を変えたいと願うのか。 口寄せの巫女だから?――明らかに違う。 グラスランドの危機だから?――違う。ユンには、結末すらも視えている。 門の紋章の継承者だから?――違う気がする。噛み合わない。 多分もっと単純なのだ。単純すぎて見落としているのか、それとも、あまりにもユンにそぐわない事なのか。 ――もしも。もしも、に未来が視えたとしたら。戦争と崩壊の未来が視えたら――いや、それ以前に。 「…………」 ああ、とは僅かに頷いた。見つけたものは、本当に単純な、しかし根源的なものだった。 「――君は、生きたいの?」 ユンは僅かな間硬直し、次いで、笑みを浮かべようとして失敗したような不思議な表情になった。 そのまま段々と瞳の奥が潤んで――ついに、幼い少女は堰を切ったように大粒の涙を流し始めた。 --------------- 2010.10.17 back top next |