5. それから、暇さえあれば自分の部屋の前でアパートの本棟の玄関を見ていた。 エア・トレックの練習はすべて夜にまわして、ただひたすらに監視していた。 そして3日後の日曜日のお昼すぎ。 南樹が、自転車に乗って出かけた。 すぐに後を追うようなことはしない。 いくらか時間を置いて、私はエア・トレックを走らせた。 服装はジーンズにTシャツ。武器になるようなものは何もない。策もない。 ただ漠然と、とりあえず暴れるだけ暴れて逃げればいいかな、とは思っていた。 で、道に迷う。 「………」 よく考えれば廃工場に行ったのは皆について行ってであったし、南樹を案内できたのは同日だったからだ。 この街の表面の地理感しかない私が辿りつけるはずがない。 私は周りをぐるりと見回す。家々が立ち並ぶ住宅街だ。 気が焦る。 間に合わなくなるかもしれない、と。 だが――― 笑えない状況で、無理矢理に口角を押し上げた。 「工場のかたちくらいは覚えてましてよ!」 喝を入れるため自信たっぷりなお嬢様言葉で自分を鼓舞し、エア・トレックに全体重をかけた。 家の壁に向かって疾走し、塀にぶつかる寸前でジャンプして塀の上に乗り、そこから屋根まで跳躍する。 瓦屋根の、斜面と斜面の境目の丸くなっている部分を前輪と後輪の間に入れる。 膝を落とす。 エア・トレックは、レールの上を走るように滑る。 レールの終わりに来たら次の屋根へとジャンプし、後は少し走ってジャンプするのを繰り返す。 そうして廃工場を探した。 鳥が集まっている。 きっと、あそこに南樹がいる。 少々怖かったけれど、屋根の上から飛び降りて着地し、工場に向かってスパートをかける。 身軽さまさまだ。 工場の入り口が見える。 そして倒れている東中男子と、十人以上の男子たちが群がって「何か」に暴行を加えている光景も。 奥のコンテナに開けられた出入り口の横に男が立ち、何人かは中を眺めている。 頭が急激に冷めていくのを感じた。 怒りと、あとは何か分からない屈辱のようなものがごちゃまぜになって私に襲い掛かる。 ス、と。 私は南樹への心からの謝罪と共に、群がる男達の横を通り過ぎた。 コンテナに近づくにつれて聞こえてくるのは――悲痛な嬌声、だった。 ジャッという音を立てて、コンテナに向かって右足を滑り出し、左足と上半身で後方に体重をかける。 摩擦でホイールに火花らしきものが散るけれど、私はスピンターンのやり方を知らないので仕方がない。 心身の指導書、「猿でもできるエア・トレック」にやり方は書いてはあるものの、そこまで練習していないのだ。 コンテナの前に立っている男たちは酷く驚いた様子だった。 「だ、誰だお前!」 「ここは部外者立ち入り禁止だ!さっさと帰れよクソが!!」 起き上がって男たちの顔を見る。 見知った顔だ。――街で何度も頭を下げてきた男たち。 「んだよ!早く帰れって………え?」 「……っ!さんっ!失礼しました!!」 私は冷めた目でコンテナの中を見る。 スキンヘッドの――名前を思い出すのも忌々しい。 「間垣」 自分の冷めた声に驚いた。 間垣は不機嫌そうな顔で女の子を組み敷いていた体勢をとき、こちらを向く。 途端に目が見開き、慌ててコンテナの中から出てきた。 そして私に頭を下げる。 「コンテナの中の女の子達は?」 私は訊いた。 「あれは東中の生徒です。東中は俺らがシメましたんで」 頭を下げたままの間垣の表情は読み取れないが、声色から落ち着いているのだと分かった。 ――奴は決して私に従ってなどいない。 「今すぐ解放しなさい。……早く!」 周りにいた「間垣以外の人間」がコンテナの中に入り、すぐに女の子達が出てきた。 皆セーラー服が破けていたり泣いていたり、同姓なだけに痛ましい。 全員が工場を出たことを見届けて、私は男たちの方へ向き直った。 未だ南樹への暴行が続いているのが気がかりだ。 「いくらさんでもねぇ、やっていいことと悪いことってのはあるんスよ」 くつくつと、嫌な笑い声が聞こえる。 間垣が笑っている。私の嫌いな笑い方だ。 「俺はさんに服従したつもりなんかないっスから。あの女どもの代わりは、高くつきますよ?」 周りの男たちは、最初訳の分からなさそうな顔をしていたが、その意味を察したのかニヤニヤと笑んだ。 「俺らは『チーム』ですんで。アンタは全員を相手する必要がある。――やれ」 合図と同時に、男たちが私のほうへ向かってきた。 予想していたことではあったので、私は別段慌てることもなくエア・トレックをバネ代わりにしてジャンプした。 そのままコンテナの上に飛び乗り、入ってきたところと反対側の出口へと向かった。 ここは狭い。 外に出る。 すぐに一人の男が私めがけて突進してきた。 「……っ!」 蹴りを繰り出そうとしたのだけれど恐怖のせいなのか慣れていないせいなのか、酷くヘロヘロの蹴りになった。 きっと私はこの足を掴まれて倒されて、そして女の子達の身代わりになってしまうんだろう、と思った。 蹴りが相手にあたる。 ――ドガッ! そんな音が聞こえて相手を見ると、側にある何だかよく分からない機械に背中から激突していた。 ジャッと音がして、後ろから誰かが向かってきたことを知り、とっさに肘鉄をくらわせる。 ガツ、と肘に重い感触があり、相手がまた吹っ飛んだ。 「なっ!?どういう力してんだ!?」 そんなこと言われても。 力が強くなったとは感じていたが、ここまでだとは思わなかった。 「…怪力ここに極まれり?」 そう言ったら男が青褪めた。 「ひるむんじゃねえ!怪力だろうが何だろうが、くらわなきゃ意味ねえんだよ!」 間垣が檄を飛ばし、男たちはまた向かってくる。 数が多すぎたのでジャンプして一人の背後に立って手刀をおろし(手刀なんて初めてだ!)、跳躍する。 蹴って、肘鉄して、殴って、手刀で気絶させた。 背中から腕を回され固定されたけれど、顎に頭突きをして切り抜けた。 この身軽さと怪力がなければ有り得なかったであろう話だ。 気がついたら皆倒れていた。 「ぐ……」 「うぅ……」 そこかしこからうめき声が聞こえる。 スキンヘッドを探して、その前に立った。 「間垣」 間垣は私を見上げる。私は間垣を見下ろす。 「私に関わらないでほしい、って言ったはずなんだけど」 いつまでもここにいるのは嫌だったし、何より南樹のことが心配だったので、私は踵を返した。 工場内には誰の姿もない。 群れていた男子たちも、倒れていた東中の男子も、――南樹も。 ガシャン、という音が外から聞こえて、私は慌てて外に向かった。 「…えっ、うええっ」 壊れた自転車と、泣いている南樹。 服はボロボロで、ジーンズの片足なんてもはや短パン状態だ。 彼は今、何を思って泣いているのだろうか。 傷の痛みを、それとも仲間の裏切りを? 守れなかった女の子達のことを、太刀打ちできなかった自分の弱さを? ――おそらくは全て。 彼の持つ翼は大きいがまだ未発達で、いっぱいに広げることはできない。 そして、いっぱいに広げることのできない翼は、皆を守るには小さすぎたのだ。 私はカラカラとエア・トレックを鳴らしながら、南樹の横に立ち、しゃがんだ。 「送っていくよ」 「……う…えっ…」 嗚咽は止まなかった。 帰り道で私は南樹に、女の子は助かった(と思う)、とは話さなかった。 酷なことだけれど、彼にはそれすら越える強さが必要だと私が勝手に思ったからだ。 彼は半ば放心状態で下を向きながら歩き、私もまた彼に話しかけることはなかった。 アパートについて玄関に立ったら何かが溢れたのか南樹はこらえながらも涙を流した。 自宅である離れ(これからは単に『離れ』と呼ぶことにする)の屋根に上って、私は待った。 夕日が沈んで空が紺色に染まって、星が輝いた。 胸になにか「しこり」のようなものが残っていた。 私は待っていた。 ガラ、とアパートの部屋の窓が開いた。 南樹が出てくる。 エア・トレックを履いた3人の女の子が南樹を連れ出す。 夜空よりも黒い人影を見つめ、私は息を吐いた。 体操座りをして顔をうずめる。 胸のしこりが消えた。 --------------- あら、あんまり進んでない…。(うわあ) 怪力、そして身軽ではありますが、エア・トレックが天才的に上手い訳ではありません。まだ素人です。 2004.8.5 back top next |