13. 落下の法則にしたがって落ちていく。 真下に、空に向かって垂直に立つ鉄パイプがある。 ―――どうか、成功してくれ。 「………っ!」 体を回転させて空を仰ぐ形になり、エア・トレックを無理やりに鉄パイプに押し付ける。 そのままでは弾かれるのでホイールとホイールの間にパイプを挟む。 勢いの落ちていないエア・トレックはパイプを上に登ろうとし、しかしすぐに弾かれて私の体は投げ出された。 しかし、これでいいのだ。多少なりとも勢いは削がれた。 宙で一回転をして私は地面に降り立つ。 観衆が沸いた。 「すっげえ!あいつ何者だよ!」 「つーか、やるかよ普通?オレあんなの見たことないぜ!」 「なんにせよ、すげえって!!」 それはとても嬉しい言葉だったのだけれど、心臓が早鐘のように鳴り、それどころではなかった。 少し収まるとすぐに顔を上げる。 咢は――― ピッ、と頬に暖かいものが落ちてきた。 「…血?」 手で拭って見てみるとそれは紛れもなく血だった。 直後にガタン!という音がして、何事かと空を仰ぐと、ブルズのリーダーの徳俵権造が吊るされるのが見えた。 生と死の境界線を掠め、火照っていた体から急速に熱が奪われていく。 「アギ………っ!」 向こうへ行って一体何をするというのか。 それすらも考えられないまま、私は咢のもとへと向かった。 「ゾクゾクすんだよ………」 咢が何かを行っているのが見える。工場のあちこちに張り巡らされたパイプの上を跳んで行きながら見る。 下にはオニギリやカズ、仏茶たちがいる。皆、咢の行為に驚いている。 徳俵権造が動かしたクレーンへ跳ぶ。足場らしい足場がないその上で、私は立ち止まった。 細すぎるのだ。私の技術では間違いなく渡れない。 「咢!」 彼の名を呼ぶ。言いたいことが言い終わったらしい咢は私のほうを振り向く。 「……―――あ」 少しだけ驚いたような表情をして、それから何かを言おうとする。――が。 「……君の言ってること、なんとなく分かるような気がする」 仏茶の言葉に、咢はまた下を見た。 私も仏茶の言葉が気になって、下をのぞく。 「柱に残った練習の傷跡は積み重なり折り重なり、やがて大きな傷になる。 大きな傷になった『走りの記憶』はいつしか道となって………」 ――そして、その道を究めたものが王になるってわけか。 心の中で呟いて、私は再び仏茶を見た。 「『走りの記憶』――傷を他人の体に求めるのはやりすぎだと思うけど、根本的なものは僕らも彼も同じだよ」 「分かってんじゃねえか」 とても楽しそうに咢は笑んだ。楽しそうな――戦いを心底楽しんでいる笑顔。 「これが俺の道……ブラッディー・ロー」 「おい」 言い終わらないうちに彼は肩を捕まれる。全裸の南樹に。 …いや、待って。なにも下着まで脱がなくてもいいんじゃ………? なるべくイッキの体を見ないようにして二人のやり取りを手の隙間から見る。 イッキは咢の膝裏を自らの膝で押す。重心がずれてしまったことで咢はバランスを崩す。要するに膝・カックン。 「うわ…あれは痛い……」 思わず合掌。 落ちた徳俵権造はリンゴと弥生と絵美里がイッキの服で受け止めた。 イッキは咢に貶されて落ち込み、咢はさっきの衝撃でずれた眼帯をめぐって亜紀人と争っているらしい。 傍から見たら面白いな、ミノ虫ダンス。 いつまでもクレーンの上にいるのではにっちもさっちもいかないので、一足飛びで咢のところへ行く。 なるほど、このくらいの距離なら跳んでいけるのか。 「お疲れ、咢…あ、亜紀人になったんだ」 「ちゃん!大丈夫だった!?怪我してない!?どこか痛いところある!?」 「お、落ち着いて…。大丈夫だよ、どこも怪我してないし、痛くもない。ありがとう」 心配されるというのは、やはり嬉しいものだ。 亜紀人はほっとしたような表情を見せ、それから険しい顔を作り、私の後ろにいるイッキに声をかけた。 「ここにいちゃダメ…。逃げて!」 ゴリ、と嫌な音がする。 イッキの頭に銃が突きつけられていた。――鰐島海人の手によって。 「お兄ちゃ…!」 「俺の弟にせまってんじゃねーよ、この粗チン野郎」 疑問符を頭に浮かべながらイッキが振り返ると、鰐島海人は発砲した。ゴム弾だと分かっていても怖い。 空気の震える音がする。不意に風が下から吹き上げる。上を見るとヘリコプターがそこに在った。 「何なんだよ、アイツら!」 カズが叫ぶ。 鰐島海人は静かに答えた。 「―――警察だ」 集まっていた見物人たちは散り散りになって逃げ惑う。イッキたちも逃げた。捕まるものの姿が見えた。 呆然と突っ立ったままの私に鰐島海人は歩み寄る。 「ご苦労だったな」 「………」 何も返せない。ただ顔から血の気が引いているだろうということだけは分かった。 知っていたはずだ、こうなることは。その対処法も考えていた。逃がす計画は頭の中に立っていた。 だが今の状態は何だ?なぜライダーたちは逃げ惑っている。 ――先が見えなくなるほど、バトルに熱中していたのか、自分は。 「…なんでこんなことに、って顔してるな」 「まさにその通りの心境ですよ」 「ああ、俺が警察だって話していなかったか」 「実は知ってました。だから、こうなることも予想…というか知っていたんですが。対処が遅れてしまいました」 「ほう。そりゃ俺達の邪魔をするってことか?」 カチャ、という音と共に銃口が私のほうを向く。 両手を顔の高さに上げて、私は『降参』のポーズをとった。 「…失言でした。―――でも」 ちら、と下を見る。富田先生がイッキたちを車に乗せて逃走しようとしていた。 「友達だけは逃がさせてくださいね。友達少ないんで」 そう言って私は今いる場から宙に身を投げ出した。 鰐島海人の驚いた顔を見て少し嬉しくなる。彼もやはり人なのだ。 先刻の経験を生かして、鉄パイプを蹴って向かいのパイプに跳び、そしてまた蹴るという動作を繰り返す。 そういえばシムカが作中でこんな走り方をしていたな、と今更思い出した。 重量に耐えられず、車はヨタヨタと走るしかない。 マル風の警官隊が走って追いつけるほどに遅い。 「いやー!!来た来た来たァ!!!」 「ちょっ……先生!速く!スピード出してください!!」 「そんなこと言ったって、重いんだもん!!!」 絵美里と弥生と富田先生はもう慌てるしかない。 彼女らは必死なのだろうけれど、すまないが見ていて楽しい。 必死で堪えようとはするのだけれどどうしても笑みが零れてしまう。 口を手で隠して笑いながら車に横付けする。カズが驚いていた。 「…っアンタはさっきの!?」 「お姉さま!どうです、このボクと一緒にお茶でも…」 オニギリが車にしがみつきながら片手を伸ばして私の手をとる。 「……え?」 何をされたか分からず呆気にとられる。これはもしかして「ナンパ」というやつだろうか。 私はもしかしてナンパされたのか?しかしそれ以前に私が誰なのか誰も気づかないのか。 「ええと、間違ってたらごめん。というか間違ってたら私が恥ずかしいんだけど。…これってナンパ?」 「…いいえ、ボクとアナタのスタート地点ですよ」 無駄に気障に言うオニギリがおかしく、噴出しそうになるのを必死でこらえる。 ナンパされたのは初めてだけれど、その相手がオニギリとは!悪い人ではないので別にいいのだけれども。 「あはは。でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないと思うよ。援護するから逃げて」 「援護?」 カズが首をかしげる。 「そう、援護」 後ろを振り向く。マル風Gメンのメンバーたちがすぐそこまで来ていた。 私はイッキに声をかける。 「エア・トレックで逃げて。この状態じゃすぐに追いつかれる。女の子はなるべく丁重に扱ってほしい」 「お…おう」 言って、イッキ・カズ・オニギリでリンゴと絵美里を、仏茶が弥生を背負って車から離れる。 それを見たGメンは覆面エア・トレックを装備し、スピードを上げて追ってくる。 ――迫ってくるこのスリル感。少しだけ、咢の気持ちが分かるような気がした。 ス、と横を影が通った。 前を見るとそれは咢で、イッキに攻撃を仕掛けているところだった。 ザ、とエア・トレックを進行方向に向けて真横に滑らせて止まり、マル風Gメンを見据える。 鰐島海人が眉を顰め、手で左右に合図を送ると鰐島海人以外は私の横を素通りし、彼だけが残った。 「…何の真似だ」 「友達ですから。本当は全員足止めしたかったんですけど」 「ほう。…天下のベスパも友達には甘いか」 「……ベスパ?」 聞き覚えのない単語に首を傾げる。 鰐島海人はそんな私の様子を見て、ニヤリと笑った。 「知らねえのか。自分がなんて呼ばれてるか。まあ、呼ばれるようになったのは最近だがな」 「知るも何も私、二つ名がつくほどバトルした覚えないんですけど」 「ああ?闇討ちしてきた奴らをクラス問わず返り討ちにしてきたそうじゃねーか。Bのヤツもいたらしいんだが」 「いや確かに返り討ちにはしましたが。夜のことだし誰がやったのかなんて分からないんじゃ」 「それ」 私のはいているエア・トレックを指差し、鰐島海人はまた、意味ありげな笑みを浮かべた。 飾りの一切ついていない質素すぎるエア・トレックが存在を主張している。 「なまじそんなエア・トレックだと余計に目立つもんだ。――それに、知ってるか?それがレアなわけを」 そういえば散々このエア・トレックは狙われてきたな、と思い出す。 ク、と喉の奥を鳴らし、鰐島海人は口を開いた。 「―――レガリアだからだ」 何を言われたのか、一瞬分からなかった。 「レガリア…?」 王は『彼ら』ではないのか。レガリアは彼らが持っているのではないのか。 この世界のことを私が知っている以上、私が王になるということはあり得ない。 「最も、それを狙う奴らはレガリアだと知らねえだろうから、ただレアってだけで狙ってるんだろうが。 …どうした、そんなに意外か?お前が王だってことが」 「あり得ない」 「あ?」 「私が王であるのは、あり得ない」 きっぱりと言った。私の言葉に鰐島海人は再び眉を顰める。 ――あり得るはずがないのだ。 「事情はいえないけど、断言できる。私は王じゃない」 「そのエア・トレックを使いこなしてるのが王の証だ。そいつは誰にでも使いこなせるわけじゃない」 「じゃあきっと、私はこれを使いこなしていない」 だが、心の中では否定し辛くなってきていた。 エア・トレック関連で目の前の人物が嘘を言うとは思えない。しかし、ならばこれはレガリアだということになる。 あり得ないのだ。あり得るはずがないのだ。――あってはならないのだ。 この世界に干渉してはいけない。『知っている』自分がこの世界の一部になってはいけない。そんな気がする。 「使いこなせてないヤツは走ることすらできねえよ。お前は王だ。存在はあまり知られていない王だが。 『空の王』と対等な存在――『地の王』」 「地の王…?」 「空があるんだ。地があって当然だろう」 「いやあの、そうでなくて」 「ついでに言うなら、そのエア・トレックには性能なんてものはほとんどない。そこらの奴じゃ飛べもしない。 そんなものを使えるヤツなんか滅多にいねえよ。――王と呼ばれる所以だ」 私の横を、また何かが通り抜けていった。 鰐島海人の周りで止まる、その影たちは、マル風Gメンのメンバーたち。 唯一の女性である、カウボーイハットを被った女性が言う。 「すみません、室長。一部に逃げられました」 「咢たちか?」 「はい」 「…フン。まあいい、あとは逮捕したんだろうな?」 「ええ」 鰐島海人は満足げな笑みを浮かべ、クルリと踵を返した。 私は慌てて声をかける。 「ちょ、待ってください。まだ説明してもらいたいことが」 「後は自分で調べるなり人に聞くなりするんだな。今回は協力したんで見逃してやるが、次はねえぞ」 「せいぜい足掻け。――女王蜂」 廃工場からの帰り道、とぼとぼと歩きながら考える。制服の入った紙袋を抱きしめる。 いつの間にか通り名が付いていたことに関しては、もういい。認められて嬉しいとも思う。 だが、レガリアと王のことについてはどうしても納得がいかない。 顔を上げる。知らない風景が眼前に広がる。そりゃそうだ、ここまではGメンの車で来たのだから。 溜息をついてタクシーを呼びとたが、家の住所を知らないので東雲東中学校まで行ってもらった。 途中で商店街によって夕飯の買い物をする。 食べなくても生きていけるとはいえ、料理の仕方くらいは学んでおかなければ。 「あ、アスパラガスが安い」 すかさず携帯を取り出して、店の名前と野菜の名前、そして値段を打ち込んで送信する。 送信先はもちろん鰐島海人。 「…………」 しばし無表情で、送信完了の表示が出ている画面を見つめる。 「……なんだかなー…」 思わずその場にしゃがみこんだ。 --------------- 野菜ブーム到来、スランプも到来…。伏線らしきものを少し張ったけど、活かせるだろうか。 2004.11.13 back top next |