19.
 執事としての仕事は案外楽だった。といってもの場合実質レッテルが「執事の執事」なのでそう感じるだけである。主な仕事としては執事のお茶汲みをしたり台所に顔を出して食事の用意を手伝ったりすることだ。しかし執事としての仕事はキキョウに言い付かったことでもあるのできちんとこなさなければいけない。ある日そう言ったゴトーの命令で、はゾルディック家三男坊の世話役に任命されることとなった。つまりはていのいい遊び相手である。

、お前本当体力ないのな。オレここまで絶望的な体力の持ち主はじめてみた」

 は肩で息をしながら三男坊、キルアを見る。先ほどまでやっていたのは鬼ごっこであるが、キルアが鬼になったおかげで10秒足らずで勝敗がついてしまったのだ。キルアにしてみれば面白くも何ともない遊びだっただろう。他の執事の見よう見まねな敬語を使いキルアに接する。

「申し訳ございません。わたくしの力不足のせいでキルア様につまらぬ思いをさせてしまいまして」

 『わたくし』という一人称に背筋が粟立つ。自分で言っておいてなんだが相当不自然だ。そう思い一人自己嫌悪しているとキルアが小さくため息をついた。

「やだなーその言葉遣い。やめらんないの?」
「申し訳ありません」
「何で?オレがいいって言ってんのにー」

 そう言って不貞腐れるキルアを見ては思う。執事たちはおそらく、聞かれない限り言わないのではなかろうか。――きっと言わないのだろう。理由、など。

「キルア様」
「んー?」

 黒いスーツについた細かな土ぼこりを落としながら、はキルアに向かう。未だすねた表情のキルアは幼く可愛い。しかし腐ってもゾルディック家三男坊。暗殺技術はそこらの大人の比ではない。そのギャップがなんだか少しわだかまる。は小さくかぶりを振ってもう一度改めてキルアのほうを向いた。

「わたくしどもは執事でございます。主人にお仕えするのが執事の務めであり、また喜びなのです。敬語は申し訳ありませんが、わたくしが執事である限りは諦めてくださいませ。主人と執事の関係ははっきりさせておきませんと示しがつきませんので」
「なにそれ。示しってなに?いいじゃんべつにそんなのなくても」
「そういうわけには参りません。例えばキルア様が他の名家の方とお会いされたとき、執事と主人が対等であるかのように話していたらどう思われますか?」
「別にどうも。仲いいなー、くらい」
「………。まあ、その考え方がわたくしは一番好きですけど。ですが他の方々はそうはお思いにならないのですよ。『何だあの家の主人は。執事と対等など、よほど能力の低い者なのであろう』こう思う方々が殆どです」

 まあ、ゴトーさんの受け売りですけど、と付け加えてはキルアの頭をなでた。本当ならばこの行為は許されないものだ。普通の執事だったら即刻クビである。「世話役」の役職を与えられているからこその行動だ。そろそろ敬語がきつくなってきたがもう少しだと自分に言い聞かせて根性で乗り切る。

「いつかきっとキルア様にもお友達がお出来になる日が来ます。それまでは体力皆無のわたくしがキルア様の世話役としてお仕え申し上げます」
「……うん」
「では、次は何をなさいますか?」
「どっちが大きなイノシシ獲れるか」
「……………え、ちょ、それは」
「あははっ。その顔おもしろ!」

 はその言葉にからかわれたことを悟り、苦笑をしてキルアを柔らかくたしなめる。自分がキルアとこのように接するなど思いも寄らなかったから最初は酷く戸惑ったものだったけれど。
 キルア少年御年8つ。天空闘技場での2年間の武者修行を終えて帰ってきたばかりであった。



20.
 ある日キルアはの行動を問うた。

「なあ、なに読んでんの?」
「空間・次元理論の本です」
「……それって面白い?」
「難しすぎて分かりません。眠たくなりますね」
「………読んでて楽しい?」
「正直本を地面に叩き付けたい気分です」

「ていうかって字が読めないんじゃなかったっけ?前にそんなこと言ってただろ」
「執事の方に教えていただきました。文法は同じですし文字もあいうえお置換型なので楽でした」
「……?よく分かんないけど。まいっか。なあ、今日はもう遊ばねーの?」
「午前中に氷鬼ごっこをしたので体力が残っていませんが……それでよろしければ」
「ちぇー。……あ、そうだ。今度からはちょっと鬼ごっこの難易度低くしてやるよ。だから体力作れ!」
「まあ、お心遣いとても嬉しいです。ですがキルア様がつまらなくなりませんか?」
が成長して面白くなるなら我慢する」
「嬉しいことを言ってくださいますね。できるだけ頑張ってみます」

「じゃあ今日は執事室行ってゴトーとと遊ぼうかな」
「それはそれは。ゴトー様が喜びます。キルア様のことをご自分の息子のように感じていらっしゃいますから」
「へへへー。早く行こうぜ!」
「はい」



21.
 ある日ゴトーは目の前の光景に我が目を疑った。

「よっしゃ!これで157勝!お前ホンッと能力ないのな。最後とかかなりゆっくりやったのに」
「動体視力良くありませんから。キルア様はコインの捌き方が上手くなりましたね」
「ふふん。家帰って部屋で猛特訓し……って今のナシ!オレ特訓とかしてないから!してないからな!!」
「そうですね。キルア様は天才ですから」
「そうそうオレは天才なの!」

「……随分お親しくていらっしゃる」
「ゴトー!お前も入れよ。三人の方がゼッテー面白いって!あ、でもズルはナシな」
「喜んで。……ところでキルア様、はどうですか?遊びがつまらなくはありませんか?」
「すっげーつまらん!」

 は胸に何かがグサリと刺さるのを感じた。

「だけど最近はちょっと体力上がってきたからもうすぐ面白くなるかも。オレってば耐える男ー」
「ご立派でいらっしゃる。ですが本当につまらなくなったらおっしゃってください。すぐに代わりの者を…」
「ゴトー」

 キルアの目が鋭さを増す。はキルアのこういった目を見るのは初めてだったので目を見張った。

の代わりなんていねーよ。がいい。が面白い。多分一番面白い」
「……かしこまりました。、キルア様はお前を信頼していらっしゃる。これからもお仕え申上げるように」
「はい」

 ――は見た。ゴトーの目が「何でお前がキルア様に慕われとんのじゃボケェ」と語るのを。

(親馬鹿……)



22.
 って最初に比べてかなり明るくなったよな、と言ったのは他でもないキルアであった。自身は自覚のないことであったが彼に言わせると「120度回転」なのだそうだ。

「まあ今も無表情に近いってことは変わんねーけど。滅多に笑わないよなーお前」
「意識したことはありませんでしたが……キルア様が笑顔を望まれるのでしたら努力いたします」

 そう言って自分がかなり執事、というより世話役の仕事に慣れてきていることに気がついた。敬語は今でも虫唾が走るくらいに似合わないと確信しているが(そして使うのも相当辛いが)以前よりはずっとマシだ。

「別に努力してまで笑顔作る必要ねえよ。そんなん嬉しくないし。雰囲気大分柔らかくなっただけ進歩」
「雰囲気、ですか」
「前のってなんつーかさ、盗んだバイクで走り出しそうなギザギザハートの持ち主だったんだよなー」
「盗っ…、ていうかそれ……!?ちょ、キルア様なんでそのネタ……ていうか歌……!?」
「ん、これ?イルミが歌ってた。マイブームとか言ってたな。あいつにもブームがあるんだなって感動したよ」
「イルミ様……」

 あまりの衝撃にはがっくりと肩を落とす。一体何故その歌が、とか、時代間違っている絶対に、などという考えは「イルミだから」の一言で全て無に帰すような気がした。

(……だが)

 キルアの言葉は的を得ているのかもしれないとも思う。以前の自分はこの世界に来てすぐにあった色々なことが元で随分心理的にささくれていた。それは事実である。現状の理解が出来ず拗ねていたのだ。
 しかしそれを救ってくれたのは紛れもなくキキョウとキルアであった。闇に属す彼らは自分に光を与えた。

「ありがとうございます」
「ん?何だよ急に。オレ何かしたか?」
「いえ。言いたくなったので」
「やっぱは面白いよ」

 は微かに笑んだ。



23.
「はじめまして、カナリアと申します。これからよろしくお願いします」

 は目の前の状況に少なからず困惑した。頭を下げる少女は自分よりも大分幼い。キルアと同い年くらいだろうか。少女は先ほど他の執事の前でも同じように挨拶をした。だが――この状況は一体なんだ。

「ゴトー様。これは一体」

 問う。ゴトーは眼鏡をクイと押し上げると言葉を放った。曰く「執事見習いの研修担当」と。つまりはカナリアが執事の仕事になれるように世話をすればいいらしい。彼女の役目は主に門番。はその近辺でキルアの世話をすればいいということだった。
 執事が管理する敷地への境界線へと向かう道すがら、はカナリアとコミュニケーションをとろうとする。

「悪いけれど呼び捨てでいくよ、カナリア。上下関係けっこう厳しいから」
「構いません、当然のことです」
「そっか。久しぶりに敬語以外使うと違和感がすごいな……。向いてないのか、敬語」
「ですが美しい言葉は敬語からという論もあります。あまりお気になさらないほうが……」
「……カナリアはいい子だね」

 は笑んでポンポンとカナリアの頭を軽く撫でる。カナリアは驚いたようにを見たが、何も言わずに前を向いた。頬に心なしか赤みが差しているのが見間違えでないといいとは思った。



24.
 キキョウに呼ばれたのはこの家に来て1年目のことだった。リハビリに半年、執事の執事に1ヶ月、キルアの世話役に5ヶ月を捧げたころ。

、連絡が入りました。流星街へお行きなさい」
「連絡ですか?」
「何でもその手錠をはずす方法が見つかったとか。ああ、道程はゴトーを付き添わせるので安心してね」
「お心遣いいたみいります」

 ゴトーの後ろに付き従って山を登り、用意されていた飛行船に乗り込む。流星街への着地許可は取っているらしい。そういえばゴトーも確か流星街出身であったとの記憶が微かにある。彼にしてみれば里帰りか。

 流星街までは数日かかった。操縦は自動だったので考えなくてよかったが問題は食事であった。普段から厨房の手伝いをしているとはいえゴトーを満足させる料理など作れるはずもなく、は酷く叱られた。叱られた後にゴトーが手ずから料理を作り、あまつさえにレクチャーしたことには驚いたが。ゴトーはのことを別に悪くは思っていないらしい。手がかかる犬のようなものだと言っていた、とはキルアの談である。
 流星街に着くとまずゴトーはを以前が寝かされていた場所へといざなった。そこには変わらず老人がいての姿を目に止めると防護服の奥の目を柔らかくさせてペコリと頭を下げた。ちなみにゴトーとは防護服こそ着ていないもののマスクはしっかり着けている。

「久しぶりだのう。見違えるほど健康的になって」
「その節は大変お世話になりました。本当に何とお礼を言ったらいいか」

 言っては自分が自然に敬語を口にしたことに驚いた。執事としての日常生活の賜物でもあっただろうがそれ以上にこの老人を敬っているからだとは理解する。人間本当に尊敬の念を抱けば敬語など自然と出てくるものだ。そういえばこの言葉をに与えたのはゴトーであった。

「会いに来たんだろう。あいつらならもうすぐここに来る。待っているといい」

 その言葉には軽く体を強張らせる。あった瞬間殺されやしないかととても不安になった。



25.
 待ち続けて30分ほど経ったころに彼らはやってきた。数を数えてみると12人。一人足りない。観察してみると奇術師ヒソカがいないことに気が付く。まだこの時期彼は仲間になっていないのかもしれない。

「久しいな」

 クロロが言う。は頭を下げ、老人に言ったことと同じく謝辞を述べた。いや、とクロロは手を振り、後ろに控えている団員に「彼女をここに」と告げてに向き直る。
 お前の手錠は特殊らしくて掛けた本人を殺しても解除されないらしかった。まあ掛けた本人が言ったのだから少し疑っていたんだが本当に解除されてないな。だから除念師を連れてきた。……あ、念って分かるか?分かるか。それなら話は早いな。除念師ってのは掛けられた念を解除することができる能力者だ。まあ論より証拠やってもらおうじゃないか。クロロはそう言って団員が連れてきた女性と向かい合わせにを座らせた。
 レトロチックな装飾をジャラジャラと着けた恰幅のいい女性である。どこかで見た気がしなくもない。

「そいつは『銀河の祖母』という占い師だ。除念の能力を持っている」

 はその言葉に目を見開く。銀河の祖母はを見て薄く笑った。

「とても面白い相を持っているのね。はじめてみたわ、あなたのような相は。……さあ、手を出して」

 手を出し手錠を見せると銀河の祖母はその手錠に触れる。その瞬間体に弱い電流が走ったような感触を覚えた。驚いて銀河の祖母を見るとちょうど彼女の装飾品が5,6個割れるところだった。ゴトリと音を立てて手錠は地面に落ちた。は体が軽くなるのを感じた。

「あら、結構割れてしまったわね。……占い稼業もそろそろ終わりかしら」
「?」
「いえね、装飾品に念を込めて元々の占いの力を増幅させていたものだから。ああ、そんな顔しないで。気にしないでいいのよ。いずれはこの装飾の念も薄れるわ。それが早まっただけなんだから」

 銀河の祖母は柔らかく笑んでの頬を両手で覆った。

「本当に面白い相……。報酬代わりに言わせてね。………大丈夫よ、心配しないでもあなたはいずれ『戻れる』わ。それはまだまだ先の話だけれど十分『間に合う』。戻ったら『彼』を助けておあげなさい」

 はその言葉に再び目を見開く。視界がだんだんと滲んでくる。止めようのない涙がボロボロと流れ落ちた。拭っても拭っても溢れ出てくる涙に首が空気に締め付けられる。
 (驚いたのはゴトーである。ゴトーの叱責にも業務の辛さにも決して泣くことのなかったがこうも簡単に泣いているのだから。それほどに『彼』の存在とやらが大きいのだろうかと推測する。)

「戻れますか、私は」

 かすれる声では言った。

「ええ、いずれ、きっと」

 銀河の祖母は微笑んだ。



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