天球ディスターブ 27





まぶたを通して光が見えた。

ゆっくりと目を開ける。


「……」


はベッドの上で上体を起こす。

部屋は綺麗だ。酒瓶は全て片付けてしまった。

たちが出兵して今日で三日になる。



三日前目を覚ますと一緒に飲んでいたはずの彼らはすでにいなかった。

ジュースしか飲んでいないはずなのに誰よりも早く寝付いた自分の存在を知った。

城を歩くとすでに出兵したらしいことが知れて、せめて送り出すくらいはしたかったと後悔した。




思い出して微かに眉をしかめ、は寝起きで覚醒しきれていないない頭でふらつきながら部屋を出た。






朝の同盟軍は静まり返っている――わけではない。

日の昇らない時間から店、特に飲食店は仕込みを始めなければならないからだ。

何の気なしに歩いていたら、いつの間にか洗濯場の前まで来ていた。

ガラス越しに朝早くから洗濯をするヨシノの姿が見える。

彼女はすぐにこちらに気付き、手を振った。

寝ぼけながらもは笑って手を振り返した。






本拠地内をブラブラして、最終的に入り口近くの木陰に座っていると、しだいに人々が目を覚ましてくる。

兵は忙しなく動き、戦争に関わらない老人や女子供はその世話で目を回す。

クゥ、と何かの鳴き声がして、ふさふさした感触が頬にあたった。

横を見ると、巨大な犬がいた。シロだ。

シロは急かすようにを木陰から追い出す。

わけも分からずに立ち尽くすに、兵が声をかけた。


「失礼します。殿ですね。シュウ軍師が探しておられます。至急、軍師室に来るように、とのことです」

「え、あ、はい。分かりました」

「それでは失礼します」


兵は慌しくその場を去る。

シロの行動をいささか不思議に思わないでもなかったが、とにもかくにも軍師室に行かなければ、と思い直す。






ドアをノックする。すぐに返答が来た。


「入れ」

「失礼します」


ドアを開けた先には机について書類に目を通すシュウとクラウスの姿があった。

クラウスは不審そうにを見る。そういえば初対面だった。

とりあえず挨拶をしてみる。


「初めまして」

「………。…あ、どうも」


少しの間を空けてクラウスは反応を返す。

シュウが、やれやれといった様子で声を上げた。


「何をしているんだ。、こちらへ来い」

「何?」

「もうじきリドリーが斥候に出る。にはその後に出てもらうが、リドリーに万一のことがあったら…」


軍師室の隅においてある袋を指差して、シュウは言う。


「そこに特効薬を用意している。あれを届けろ。だが、届けたらすぐに戻れ」

「すぐに?参加は」

「いい。剣の経験の無い者は行かせられん」

「紋章は使えるけど」

「『あれ』以外でか?」


あれ、とは天球の紋章を指すのだろう。

クラウスがいるので、名前は伏せたらしい。


「他の紋章も。この間習ったから」

「精神面は?」

「それは」


閉口する。

実際、どうなのだろうか。自分は戦場に耐えられるのだろうか。

シュウは再び書類に目を戻した。


「戦場はお前が耐えうるものではない。話は以上だ。俺の目が届くところ…そうだな、この場で待機していろ」

「…了解」

「しかし、シュウ殿。この少女で大丈夫なのですか?失敗して捕らえられでもしたらこちらの情報が…」

「そのときは逃げるだけだ。出来るな?

「逃げるくらいは」

「ですが…」


引き下がらないクラウスをシュウは目で諌め、室内のソファを指差し、そこで待機するようにとに言った。

時間がとても緩やかに流れているような気がする。

室外の喧騒も何もかもが遅い。――遅くて、不安になる。

特効薬の入った麻袋をソファまで運び、紐を手に巻きつける。

やがて、一人の兵士がノックも無しに軍師室に飛び込んできた。


「リドリー将軍の部隊がラダトで待ち伏せに会い……!」


はその先を聞く前にシュウを振り返り、彼が頷くのを確認するとすぐにテレポートした。

慣れてきたせいだろうか、もはやテレポートに際して意識的にイメージすることは必要なくなっていた。






むせ返るほどの熱気と血のにおい。激しい剣の唸り。

自分の周りに兵はいないが、リドリーを探さなければならない。

襲い来る吐き気に耐えながら、は戦場に飛び込んだ。



体の周りを薄い防護壁で覆う。

これなら石が飛んでこようと槍が降ろうと大丈夫だ。自分の力が過信でなければ。

特効薬はジェル状の液体がビンに入っているもので、走るたびにガチャガチャと音がする。

割れないように気をつけてはいるのだが。

それにしても、案外軽いようで助かった。重かったら自分はきっと運べなかっただろうから。


(……軽い?)


ふと気付く。

なぜこの麻袋は軽いのだろう。どう考えても兵全体に行き渡る量ではない。


(皆大なり小なり怪我をしている。これじゃあ足りるわけが)


ない、と続けようとしたとき、目の端にリドリーと思わしき人物が見えた。

見失ってしまう前に、と、は走る。

敵兵はここにはいない。リドリーは随分酷い怪我をしている。後退してきたのだろう。

その傷を治そうと半ば反射的に右手を前に出す。

そして悟った。


――シュウが届けたかったのは特効薬ではなく、「特効薬としての私」なのだ。


リドリーがに気付き、目を険しくさせる。

は告げた。


「シュウ軍師より特効薬の差し入れです。でも足りないようなので」

「…そうか。ご苦労だった」

「いえ。では回復します」


言って、紋章を顔の高さまで上げる。

回復を心で念じる。

紋章が淡く光り、キン、と細い風が自分の周囲に散っていく。兵の傷が癒えた。


「もう少ししたら…軍主の隊も来ると思います。持ちこたえられますか?」

「…あ、ああ。すまない」

「いえ。それでは」


はすぐにテレポートをする。血のにおいに頭の中が揺らいだ。

目線の先で誰かが斬られていた。






「届けてきたか?」


軍師室に戻ってきたに開口一番、シュウが言う。書類を見るためか、眼鏡をしていた。


「特効薬は使わなかった。でも、ちゃんと回復はしたよ」

「そうか。ご苦労だった」

「見越してた?紋章を使うこと」

「まあな。……さて」


書類をトントンとまとめて、眼鏡をはずす。


「これからの隊が出兵する。お前は―――いや」

「何?」

「何でもない」


言葉を濁すシュウを見て、傍らに立ち書類を眺めていたクラウスが顔を上げて不思議そうに小首をかしげる。


「どうしたんですか?この人に――ええと、さん、でしたか。様の護衛を任せるのでしょう?」

「……クラウス」


シュウは目つきを鋭くしてクラウスを睨む。

少し前の会話を思い出した。

――戦場はお前が耐えうるものではない

そう言ってしまった手前、任せるに任せられなくなったのだろうか。

先ほどの戦場の様子と臭いを思い出して吐き気をもよおす。鉄くさい臭い。

だが、自分は諜報員であり、戦闘員なのだ。表向き非戦闘員ではあるが。


「大丈夫、行けるよ。は軍主だし、後方だからそんなに戦火はこないだろうし」

「……無理をするな」


苦笑する。吐き気を必死で隠す。


「無理は好きじゃない。してないよ。大丈夫」


シュウはため息をついた。


「まあ、後方には俺もいるが…。では、お前は護衛だけを考えていろ。無茶はするな」

「うん」

「すでに隊はラダトの近くまで進んでいる。……行ってこい」










ラダト近くの平原、しかし敵の死角となる位置に本隊は構えていた。

遠くでが兵を鼓舞している。立派に軍主を勤めているのだ。

よく見れば兵士たちは皆整列している。

自分も並んだ方がいいのだろうか、と思う。後方にいるので後ろの方に並べばいいだろう。

踵を返したとき、不意に肩をたたかれた。驚いて振り返る。知らない兵士が立っていた。


「何してるんだ、こんなところで。お前何の班だ?医療班か?明らかに兵じゃないよな。

列の外に出ておかないとお前も戦うことになるぞ」

「参加者です。軍主の護衛にと」


そう言ったの言葉に、兵士は出撃前で強張らせていた頬を緩めた。


様の護衛?あっはっは!そりゃすごいな。で、位置は?」

「後ろの方だと思ったんですけど…」

「うん、そうだ……うわっ!」


兵士が前のめりになる。誰かが兵士の方に手を回していた。


「危ないだろ!」

「すまんすまん。お前が一人前にナンパなんかしてるからさ、つい」

「ナンパじゃねえよ。様の護衛だっつーんで、場所をだな」

「はいはい。……ん?」


腕を回した兵士はを見ると、目を細める。

何秒間か眺めた後、何かに思い至ったのか口角を持ち上げて、意地の悪い笑みを作った。


「軍主殿は今回は最前線に出るってさ。さっき演説でそうおっしゃってたぜ」

「最前線に?俺、聞いてなかったんだけど」

「話してたからだろ。まあ、そういうわけだから。護衛をするんなら前の方だな」


そう言う兵士の顔は未だに信用ならない笑みを浮かべていた。

釈然としないながらも、自分も演説で聞き逃したのかもしれないと、は礼を言って前の方へと向かう。

嫌な予感は誤魔化しようがなかった。






案の定の姿はどこにもない。

周りにいるのは最前線という激戦のためにそろえられた屈強な兵ばかりだ。

予想していなかったわけではない。むしろこうなることは考えがついていた。

あの兵士も自分を憎んでいる者の一人なのだ。

それでもここへ来たのは何故なのだろう。

リドリー隊の所に赴いたときの映像が頭に流れる。――どこかやけになっているのかもしれなかった。


「あれ?お前、この間里に来てたやつじゃねえか?」


少年特有の高い声が聞こえる。

声のするほうを振り向くと、忍者服を着たサスケがいた。


「ここ、最前線だぜ?何でこんなところにいるんだ?」

「…まあ、少し。嵌められたというか」

「嵌められたあ!?大丈夫かよ、へたすりゃ死ぬぜ!?」

「うん。死なない程度に頑張るよ」


むしろ問題なのは剣術・紋章術云々よりも、自分の精神が持つか、ということだ。

サスケは困ったような顔をする。


「後方に連れてってやりてえけど、俺、偵察部隊だから…助けられねえぞ?」

「いいよ。気持ちだけもらっとく。ありがとう」

「ごめんな。あと、これは助言なんだけど、…戦場では誰にも頼れねえんだ。皆必死だから。

死ぬまで戦うやつもいるけど、お前、嵌められたんだろ?なら死ぬ前に逃げろ。死んだら全部終わっちまう」

「うん」

「……じゃあな。生きろよ」


サスケは手で印を組むと一瞬にして視界から消えた。

死ぬ前に逃げる。奇麗事は通用しないのだ。無論、は死ぬ前に逃げるつもりだ。

だが、少しでも――たとえ吐き気に襲われようと――戦場に慣れておきたかった。

――一部になりたかった。






見渡す限りの平野。

何もないときにここを訪れたらさぞかし爽やかなのだろうと思うが、今は静かな緊張感に満ちている。

周りの兵たちはさすがに最前線に抜擢されているだけあって、を気にも留めない。

目を閉じて精神を統一する。気休めだ。

遠くの方から微かに音が聞こえた。

目を開ける。


ハイランドの軍隊が見えた。






小さく、剣、と呟く。

音もなく細身の剣が手に収まる。

兵士たちは目前に迫ったハイランド軍へと走る。向こうも走ってくる。


「守りを崩せ!!」


威厳のある声が指示を出す。誰なのか分からないが、信頼させるだけの何かがある声だった。

はその場に残る。

というよりも、の周りの兵は、先駆けの兵の取りこぼしをフォローする役割らしかった。


「そっちに行ったぞ!」


その声とともにの隣にいた兵士が駆け出し、兵の間をすり抜けてきた敵兵と対峙する。

他の兵も次々に駆け出していく。

はただ立ちすくむ。敵兵がの方に向かってきていた。




敵兵が剣を振り上げる。は半ば反射的に自身の剣を横にして相手の剣を止める。

ギリギリと剣が音を立てる。相手は男だ。力比べでに勝ち目はない。


「―――」


呟く。

男の周りに風が吹き、その風は渦を成す。風の刃は男を容赦なく切り刻んでいく。――切り裂き。

返り血がに降り注ぐ。その粘着質な感触と臭いには叫び声を上げそうになった。

男が崩れ落ちる。


「あ……」


死んだのだろうか。それとも生きているのだろうか。自分は人殺しをしてしまったのか。


「………っ」


手が震える。足が震える。立っていられなくなるのを必死で耐える。泣きそうになるのを通り越す。

体温が急激に冷めていく。酷く動揺する自分と、とても冷徹な自分が存在する。――人間とは何と脆いのか。

気を抜くと冷たい自分に意識を喰われてしまいそうだった。


「はははははは!!!」


高笑いが響く。顔を上げると、馬に乗った白い鎧の男が次々に兵をなぎ倒すのが見えた。

兵がざわめく。「ルカ・ブライト…」と誰かが呟いた。

ルカは真っ直ぐにのいる隊に向かってくる。

それを誰かが遮った。先ほど指示を出していた声が響く。


「ルカ・ブライト!――こっちだ!」


キバ。最前線の将はキバなのだ。キバはルカをひきつける。精鋭がいる所に向かうのだろう。

両者の姿が見えなくなる。は気付いた。


「…いない」


敵兵が一人もいないのだ。どういうことなのか。周りの兵もそれに気付いたようで、動揺を隠せずにいる。

突如、視界が揺らいだ。

――いや、ハイランド軍の上空が、まるでそこだけ陽炎が立っているかのように揺らいでいた。

見覚えがある。あの揺らぎは――


あれは――魔力だ。


は叫ぶ。


「逃げろ!」


だが、遅かった。

青色と赤色がまざった光球が空から落ちてくる。それが地面に触れた瞬間、辺りを凄まじい衝撃波が襲う。

熱風と冷風が同時に吹きつける不快感。赤く染まる視界。ああ、死ぬのだ、と思った。

兵が一瞬にして黒く崩れていく。

は叫んだ。自分の周りにのみ展開する膜を手でめちゃくちゃに叩いた。

鎧が溶けて肉体が焦げて熱風と冷風に飲み込まれていく。

これは夢だ。夢でなければならない。そうでなければ――



ここは、地獄だ。








は荒原に立っていた。

周りには一本の草もない。兵もいない。全て焼き払われてしまった。炎と雷の複合魔法、火炎陣。

どこかデジャヴを感じる。見たことのある光景だ。


「…そうか」


この世界に来て初めて見た戦場もこんな感じだった。違うのは、兵がいるかいないかだ。


「驚きですね。まだ生きている人がいたとは」


振り向く。馬に乗った少年の姿がある。青い服に、大きな青い帽子――ササライ。


「……やはり、同盟軍でしたか」

「………」

「ジョウイ殿は分かっていたのでしょうか。いや、あの人なら多分気付いていたのでしょうね。それでも敢えて」

「………」

「こんな形での再会は不本意ですが…」

「…なんで、殺すの?」

「え?」


ササライは驚いた表情をする。質問の意味が理解できない。とでも言うように。


「なんで殺したの?」


もう一度問うと、それで合点がいったらしく、表情を険しいそれへと変えた。


「戦争だからです。僕はハイランドの側ですから」

「戦争だと、殺さなくちゃいけない?」

「……分かりません。ただ、これだけは言えます。……犠牲のない戦争は有り得ません」

「犠牲…」

「貴女なら解るでしょう。守るために相手を犠牲にする。それが戦争です」


は下を向く。

理屈の上での理解はしているつもりだった。

戦場においては奇麗事は排除され、がむしゃらに生き残ったものが――悪であろうとなかろうと――勝者。

犠牲を出すことは避けられず、戦争に参加した時点で自分は犠牲者の候補の一人なのだ。

ササライは言う。


「…戻ってください。捕らえはしません。貴女が放心している間に同盟軍は撤退しました。貴女方の負けです」


手綱を引いて、に背を向ける。

は辺りをぐるりと見渡した。荒原の向こうに薄っすらと緑が見える。あそこまでは魔法も届かなかった。

紋章が守った自分は助かった。遠くにいた者も生きた。それが出来なかった者が死んだ。

完全なる運と実力の場。

それが戦場。










シュウに護衛に行かなかった理由を説明しにいくこともなく、は自室に帰った。

細かい切り傷と返り血を紋章で消す。

魔法が放たれたときの映像が何度も何度も頭の中で流れる。

混乱している。泣くべきなのか喚くべきなのかも分からない。



だが、時間とは非情だ。

ルカの夜襲の情報が入ったのだろう。夜になると精鋭部隊が城から出るのを窓から見た。

その中にはルックともいる。フリックとビクトールとナナミも。

は知らず、窓の桟に置く手を握り締めた。



――自分も用意しなければならない。



じきに奇襲がかかる。















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2004.9.19
2006.9.13加筆修正

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