天球ディスターブ 21





まずはフッチを起こすのが先決だろうと思い、彼のベッドの前にいるわけだが。


「………」


すやすやと安らかに眠る彼の表情は可愛らしく、果たして起こしても良いものかと悩んでしまう。

暫く――と言っても数分程度――ベッドの前に立ちすくんでいたが、意を決して揺さぶってみる。


「ん……」


フッチは微かに身じろぎをし、それからゆっくりと目を開けた。

その双眸がを捉えるや否やいっぱいに見開き、フッチは飛び起きて壁際に後ずさった。


「なっ、なな……!?」


混乱しているらしい。

さらに混乱させるだけのような気もするが、とりあえず現状報告だけはしておこうかと思う。


「ケントが帰ってこないらしいよ」

「え…?」

「村の皆が騒いでた」

「ちょ…ちょっと待ってください。ケントが……え?か、帰ってこないって……」


は頷く。


「昨日、フッチ君はケントと話したんだよね。何か心当たりはない?」


知りつつも訊くのはある意味でとても残酷だと思う。

フッチは考え込み、少し経って呟いた。


「まさか…洛帝山に…?」

「洛帝山?」

「昨日ケントにブラックの鱗を見せた時、言ってたんです。洛帝山に竜がいるという噂があるって」


ケントとフッチが話していたのは昨日の夕方、いなくなる直前だからつじつまは合う。


「可能性でも行ってみる価値はあるかもしれない。フッチは酔ってる大人達を起こしてきてもらえるかな」

「はい!」


少々険しい顔でフッチは部屋を出る。

泥酔(しているであろう)人々を押し付けられたことに気が付いているのか、いないのか。


「まあ、いいか」


はルックとキニスンとシロが寝ている部屋へ向かった。






一応礼儀としてノックをし、返事のないことを確かめてから部屋に入る。鍵は紋章で開けた。

いち早く床に寝ていたシロが起き、シロほど大きな獣を見たことがあまりないは少々怯む。

だがシロとは以前に1度会っているので、そこまで驚くことはない。

シロが賢いことを知っているからだ。


「キニスンさん、起きてください」


見た感じ低血圧そうなルックは後回しにすることにした。

キニスンも見た限りでは朝が早いように思われるのだが、マチルダ遠征で疲れているのだろう、よく寝ている。

フッチのように身じろぎなどはせず、目を開けた。

だがを確認すると、こちらはやはりフッチと同じく、目を丸くして飛び起きる。


「ああ、ごめんなさい。勝手に部屋に入りました」

「いえ、あの…なんであなたがここに?」


あまりにもフッチとそっくりな反応に思わず苦笑する。


「少し大変なことが起こってしまいまして。出来ればフッチの加勢に行ってくださると助かります。

敵は泥酔した大人と軍主です」

「それは……かなりの強敵ですね」

「はい」


キニスンはいまだ困惑しているようだったが何とか事態を飲み込むと笑ってに応えた。

最低限の身支度をし、部屋を出る。


「最善を尽くします」

「最終手段として、起こした後にまた気絶させるのも有りです。空の酒瓶を使ってください。

でも、頭は狙わないで下さい。流石にそれは危険です」

「ははは…」


パタン、と乾いた音が部屋に響き、はルックのベッドに体を向けた。

2,3回深呼吸をすると、意を決して彼を揺さぶる。


「ルック、起きて」


反応は寝返り。


「あー、ええと、起きてください」


少々強く揺する。ルックは布団をさらに深く被った。


「ごめん頼むから起きて」


申し訳ないと思いつつ、布団を剥ぐ。

急に寒くなったのか、ルックは身を縮めて、そしてゆっくりと目を開いた。


「おはよう」


返事は無い。まだ寝ぼけているようだ。

はこの後をどう進めればよいか分からず、布団を持った手に力を込める。


「……何…?」


俯いたままのルックが問う。


「大変なことが起こったから、皆に協力を仰ごうと思って」

「大変なこと……?」

「フッチの友人が行方不明になって、心当たりのある山はモンスターが出て危険だから、その」

「何で君が、その山が危険だって知っているのさ」


はぎくりとする。

心臓の鼓動が激しくなる。

『洛帝山にはモンスターが出る』という先入観を持って話をしてしまった自分に心の中で舌打ちをした。

何とか誤魔化さねば。誤魔化さなければ。


「村の人に聞いた。それに、モンスターが出ない山をあまり見たことがないから」


ゲームをやっていて、の感想だが。


「ふうん……」


ルックはまだ少し寝ぼけているらしかった。

この分だと上手くいけば先程の会話は忘れてくれるかもしれない。

忘れなかったとしても知らぬ存ぜぬで通せるだろう。

内心、冷や汗をかきながら次の反応を待つ。


「……着替えるんだけど」

「あ、ごめん」


慌てて部屋を出る。

ドアにもたれかかって僅かに火照った頬を認識し、額に手を当てて俯いた。

ルックといいフッチといいキニスンといい、何故あんなにも美顔なのだろう。



泥酔者と戦う彼らの加勢に行こうとすると、ルックのいる部屋からガタン、と大きな音がした。

覚醒したのだろうか。






酔った人々の部屋の中は戦場の縮図だった。まさに阿鼻叫喚。地獄絵図。

別に誰かが暴れているというわけではなく、その光景が、だ。

横たわる達。憔悴しきったフッチとキニスン。割れた酒瓶。に気付き、微笑んで手を振る

酒の匂いに酔いながら、このまま逃避行したくなった。






はふと思う。

思えば自分から誰かに協力を求めるのはこの世界に来て初めてのことだった。

理由を考え、すぐに思い至る。

――『イベント』だからだ。

ゲーム中で、フッチは――主人公達の協力を得ていたから。

だから今も、は協力を求めたのだ。――ゲームどおりに事を進めるために。

無意識下での行動。それが何を意味するのか分かっている。

懼れている。自分という異分子が混ざることで、この世界に影響を与えやしないかと。

もしも未来が変わったら。死ぬはずのない人が死んでしまったりしたら、自分は耐えられるのか?



――誰に訊けるはずもない。






さしたる疑問や疑いも感じさせず、皆は快く協力してくれた。

ただ、二日酔いでフリック・ビクトール・ナナミはついて来れず、宿屋で休んでいることとなった。

なので、・ルック・ハンフリー・フッチ・の6人で洛帝山に向かう。

キニスンとシロは二日酔い組の看病をするらしい。


「良い人だ…」


は小さく呟いた。











洛帝山に行くまでの間、ケントを心配するフッチを皆は励ました。

は少し後ろを歩いてその会話に耳を澄ませる。

一人蚊帳の外とも言える空気に安らぐ。それと同時に酷く虚しくなった。


「霧が深いな…」


が呟く。

ルックがそれに同意して頷く。


「ただの霧じゃないね。魔力が混ざってる」

「危険性は?」

「体力を削られていく、ってところじゃないの?」

「何とかして消せないですかね?」


が前に出て右手で霧に触れる。

その瞬間、の右手の盾の紋章から光が溢れ出た。

周りの人々が驚くのを尻目に、はそれを感慨なさげに眺める。

そして光で目が眩んだ後に霧は存在していなかった。


「え…一体、なにが……?」


フッチがに問う。

は自分の右手を見つめると一瞬だけ険しい表情を見せ、強く拳を握り締めた。


「……行きましょう」


とルックが無言で頷く。ハンフリーがフッチの背を押した。

も一行に続く。


色々と、にも思うところがあるのだろう。






「はぐれ竜って知ってますか?」


道中でフッチが訊いた。

ハンフリーが剣を鞘におさめる。

足元に散ったモンスターの死骸と血は、やがて風化するように消えた。


「……竜洞以外で生まれた竜だと聞いたが」

「それがどうかしたの?」


が訊ねる。

フッチは迷うように視線を宙に巡らし、そうして口を開いた。


「もしも、この山に竜がいるとしたら、それはやっぱり『はぐれ竜』…なんですよね」

「まあ、そうなるだろうね」

「はぐれだと何か困ることがあるの?」


ルックに続いてが言う。

どうやらは自分と同世代、

もしくは立場上敬語を使わなくていいと判断した人間やコボルトやエルフには敬語は使わないらしい。


「それが……いえ、何でもないです。急ぎましょう」


フッチはそう言うと進みだし、皆は一様に首を傾げた。

ただ、ハンフリーだけはフッチの後姿を無言で見詰めていた。






「フッチは竜を育てるつもり?」


は後列に移動してきたフッチの横を歩きながら訊いた。


「…分かりません」


幾分沈んだ声が聞こえる。


「僕はブラック以外の竜を騎竜にしたくないです。でも、はぐれ竜は…」

「殺される」

「知ってるんですか?」

「一応」


「そうですか」と言うとフッチは黙り込む。


「ブラック以外の竜を騎竜にしたくはないけれど、殺されるはぐれ竜を放ってもおけない?」

「…はい。ブラックを失って、それで今度は目の前ではぐれ竜が殺されるなんて…!」

「ああ、それは嫌かも」


また黙り込んだフッチを見やって、は言葉を紡ぐ。


「今はケントを助けることだけ考えていよう。それは、実際に竜を目の前にしたときに考えたらいいよ」


フッチは無言で頷いた。






皆が行く手を阻むモンスターを瞬殺するため、結局は戦うことなく頂上に来た。

そして見つけた。

ケントと思われる少年と、白く大きな――竜の卵。


「ケント!」


フッチがケントのそばに駆け寄る。

ケントも喜びの色を顔いっぱいに浮かべ、フッチの方へ駆け出した。


「フッチ、見て!これ、竜の卵だよ!竜なんだ!」

「竜の卵?」

「そうだよ!フッチは『りゅうどうきしだん』に戻れるんだ!」

「竜洞に…戻れる……?」

「うん!…まだ生まれてないから本当に竜なのかは分かんないんだけど。でも絶対に竜だと思うんだ」


その自信はどこから来るのか問いたくなったが、当たっているのでは何も言わない。

ハンフリーが二人に、正確には卵へと歩み寄る。

それに気付いたフッチがハンフリーに声を掛ける。


「ハンフリーさん、この卵…」

「………」


ハンフリーはそれに応えない。卵に向かって歩く。


「ハンフリーさん?」

「……卵を砕く」

「…っ!」


卵の横に立って剣を振り上げる。ケントが声を上げた。


「なんで?なんで卵を切っちゃうの!?フッチが『きしだん』に戻れなくなっちゃうじゃないか!」

「ケント…」

「切るなよ!フッチの卵だぞ!やめろよ!」


ハンフリーはゆっくりと剣を下げ、ケントを見据えた。


「…はぐれ竜は弱い。護るべき存在がいないと生きていくことさえ出来ない。

たとえ生き延びたとしても、人里に下りれば人を襲うだろう。…本来、竜とはそういう生き物だ」

「でも、フッチが育てるんだろ!?フッチが竜を守るじゃないか!」


、ルックの3人はその光景を見守る。

ケントの悲痛な叫びに耐え切れず、は俯いているフッチに歩み寄った。

卵に微かにひびが入る。


「フッチ」


ひびは亀裂となって卵を縦断する。


「あのさ」


パキン、と割れる音がいやに耳に残った。






獣のそれとは似つかない甲高い鳴き声が響く。


「間に合わなかったか…」


ハンフリーが剣を構えなおす。

それを見ていたは焦燥を覚え、フッチに向き直る。


「まだブラックのことを悔やんでる?」

「ブラックは、僕の軽率な行動のせいで死んだんです。僕がもっとしっかりしていれば死ななかった!」


フッチの顔は険しい。


「僕はまた、同じ事を繰り返してしまうかもしれない」


は一瞬ためらい、彼が怒るであろうことを見越し、しかし言葉を発した。




「――怖い?」




怒りとも悲しみともとれない顔で、フッチはの方を向く。


「あなたに何が分かるんですか!?」

「……」


目を逸らしてしまえたらどんなにいいだろうか。

誰かに嫌われることの辛さをこれ以上味わうというのか。

だが、今逃げることは許されない。戻ろうにも退路は自分から閉じてしまった。


「竜を見て」

「…何を言って」

「生きてる」


竜を見る。その体に卵の殻を纏い、小さいながらも必死で声を張り上げ――生きている。


「ブラックは死んだし、もう戻ることはないけれど。ブラックとの時間をやり直すことも出来ないけれど。

フッチは新しく始めることができる。そのチャンスを今与えられた」

「新しく始める…?」

「もしも本当にブラックのことを悔いているなら、いつまでもブラックに縛られるべきじゃないと思う。

君のパートナー…竜は、自由に空を駆けるのを好む生き物だと思っていたけれど」

「………。……はい。ブラックは飛ぶのが好きでした。とても」


フッチはしばらく立ち尽くし、ゆっくりと生まれたばかりの竜の前に歩んで、しゃがむ。

竜に手を伸ばし、触れる直前で一瞬ためらう。

子竜はフッチのその行動に可愛らしく首を傾げると、自ら彼の手に擦り寄った。

一瞬だけ泣きそうな顔をして、フッチは竜を抱きしめる。

そして呟いた。


「ごめんね……」


それは一時でもこの竜を見捨てようとしたことへの謝罪だったのか。

それとも、フッチがブラックのことを完全に吹っ切ることが出来るまでは、

『ブラックの代用品』としての存在になるであろうことを見越しての謝罪だったのか。

にはどうでもいいことだった。

ただ、立っているのがとても億劫に感じられた。





「お疲れ様。頑張ったね」


いつの間にか横に立っていたの肩を軽く叩く。

その動作に泣きたくなる。


「エゴだ」

「ん?」

「フッチにあの竜の育て親になって欲しかったから、それらしい理由をつけた。とても狡猾な、単なるエゴ」

「でも、もしかしたらフッチはいつか、この時この竜に出会えて良かったって思うかもしれないよ。

先のことなんか誰にも分からないんだし」


フッチが竜を抱きしめる横でハンフリーが剣をおさめるのを見てから、は息を吐いた。


「方向性、おめでとう」


が訳の分からなさそうな顔をした。











街道の村の宿屋に戻る。

とフッチとハンフリーはケントを家まで送り返しに行った。

ケントを見たときの村の人々の安堵した表情を見て、本当にあたたかい村なのだと微笑ましく思った。


「あ、おかえりなさい」


キニスンが洗面器と何枚かのタオルを持ってカウンターの奥(おそらく厨房)から出てくる。


「二日酔い組の具合はどう?」


自然な動作でタオルを受け取りつつが問う。

その行動に驚き、しかしそれが気遣いだと知ったキニスンは、ありがとうございます、と言って、


「今日一日休めば大丈夫だと思いますよ」


と続けた。




カラン、と宿屋のドアのベルが鳴る音に全員振り返る。

竜を抱いたフッチとハンフリーが宿屋に入ってきた。


「…は?」


ルックがフッチに訊くと、フッチは困ったような顔をしてドアの向こうを指した。

疑問に思ったのだろう、ルックは宿から出て、もタオルをハンフリーに渡してそれに続く。

も出て行こうとしたとき、フッチがそれを引き止めた。


「あ、待ってください。ええと、…すみませんでした」

「何が?」

「その、僕、よく考えもせずに怒鳴ってしまって…」


は面食らう。

まさか謝られるとは思っていなかったのだ。


「いいよ。元凶というか喧嘩売ったのはこっちだから」

「でも…」

「じゃあ、その竜を大事にしてくれたら帳消し。それでいい?名前は決めた?」

「え、あ、はい。ブライトっていうんです」

「そっか。本当に気にしないでくれると嬉しい。大半は私のエゴなわけだし」

「そんなこと…!」


必死で謝ってこられることが何故か嬉しく、は微笑する。


「この話はここで終わろう。の様子が気になってきた」


そのまま宿を出る。

困惑するキニスンの姿を目の端にとらえた。






宿の外には牛と軍主が待ち構えていた。


「牛だ…」

「牛だね」

「ていうかアンタ何買ってるわけ?」


の言葉に、ルックが続く。


「いや、子牛売りがいたんですよ。で、本拠地でユズが牧場やってるし、良いかなー、と…」

「牛と共に旅をするんだ…」


が感嘆して呟くと、は「いえ」と言う。


さんたちがもし本拠地に戻るなら一緒に連れ帰ってもらおうかと…」

「まったく、何考えてるんだか…」

「ま、いいじゃないか。滅多にないよ、牛とテレポートなんて」

「テレポートするのは僕なんだけど」

「あはは」


は牛に近づく。

茶色い牛だ。おそらく肉牛だろう。


「皆のお腹の中で生きてください」


牛は「モー」と鳴いた。











牛がいるため長く留まってはいられず、事後処理はに任せて皆に別れを告げずに本拠地へと戻った。

ユズに牛を預け、とルックと別れて自室へ向かう。

その際、お礼を言うのは忘れない。

街道の村は結果として、とても良い気晴らしになった。


「おかえりー」


部屋のドアを開けた途端に部屋の掃除をしているピエロがいたのには驚いたが、


「ただいま」


おかえり、と言ってくれる存在が嬉しいのは事実だったので、良しとしよう。



掃除された形跡がないと憤慨するピエロにどう言い訳をしようか考えつつ、はバケツの雑巾を手に取った。















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2004.6.6
2006.8.5加筆修正

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